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至上の愛   作者: 高瀬海之
第一部

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19/52

19、最後の決意





 荒野を歩き始めてからも大分経った。

 森さえ見えなくなる距離を歩いて辿り着いたのは、穴というには大きすぎる、すり鉢状の窪みだった。大きな窪みは何かが衝突して抉れたようにも見える。

 その縁で一旦足を止めたアシュリーは、意を決したように一気に斜面を滑り降りてから後ろを振り返り、続いて下りようとするエルウィンを視線でその場にとどめた。それから窪みの中央に向かって歩いて行く。穴の丁度中央は底辺部分より少しだけ土が盛り上がっていて、まるでそれは舞台のようだった。


 整えられた舞台に飛び上がったアシュリーがゆっくりと高い位置にいるエルウィンを振り返る。


 一際冷たい風が離れて向かい合う二人の頬を撫でた。

 琥珀の瞳が真っ直ぐエルウィンを見上げ、やがて睫が伏せられる。キュッと薄い唇を噛み締めたのが判った。

 アシュリー…そう呼ぼうとして、エルウィンは自分の口内がカラカラに乾いているのに気付く。代わりに知らぬ間に握り締めていた手のひらは汗に湿って、酷く自分が緊張していることを知った。

 アシュリーの発する言葉を予感し、寒さの所為でなく身体が震えた。

 もう一度、アシュリー…と声にする前に、彼女が先に口を開く。


「エルウィン……ここがあなたに見せたかったもの」


 言って、アシュリー自身もこの場所を見渡すようにグルリと首を巡らせた。だが、何処を眺めても視界に入るのは薄茶色に乾いた土だけ……ここにはそれしかない。

 そんなこと何百年も前から判っていた。


 ここは死の大地。

 もう二度と、ここに生命が芽吹くことはない。

 ここは大地のもつエネルギーを枯渇させられた場所なのだから……。


 瞼を閉じ、その時のことを思い起こす。

 でも……実際その時何が起こったのかアシュリー自身はよく知らない。

 気が付いたらもうここはこうなっていた。


 そして……鈍く堅い感触が手のひらに蘇る。

 琥珀の瞳に写ったのは憎悪の籠った灰色の瞳。

 血に濡れた唇が紡いだのは、無念の言葉。


『アシュリー、お前が…オレの邪魔をするのか………』


 蘇る、彼の声……愛おしさに胸を掻き毟りたくなるくらい懐かしい。

 壊したい程愛した、あの男。


 胸が張り裂けそうな過去を振り返り、涙が零れそうになるのを唇を噛むことで押し止どめたアシュリーは、涙の膜に覆われた瞳をエルウィンに向けて一息で言葉を発した。




「エルウィン、ここが私の罪がある場所」




 ヒューと風が啼く音だけが響く中、アシュリーは両手を広げ、さあ見ろと全身で示す。

 勘の鋭いエルウィンのこと、この少ない言葉でもすべてを判ってくれるだろう。

 案の定、数秒の逡巡の後、エルウィンの黒い瞳が驚愕に見開かれる。

 罪のある場所という言葉の意味、エルウィンは正しく理解してくれた。何故だか、そのことに少し心が軽くなって……アシュリーはすべてを声にする。


「昔ここで魔族と人間の争いがあって、その時……、ここ………この場所で、私はイライアスを刺し殺したの」


 ここ、と足下を指差す手に蘇る、鈍い衝撃。

 もう忘れてしまったと思っていたけれど、やはり忘れることなどないのだろう。

 最愛の人の命を絶った瞬間の感触が蘇る手のひらをキュッと握った。

 最後の瞬間、久しく見ることのなかった飢え渇き憎悪に満ちた灰色の目が自分を見つめていた。だけど、その時のアシュリーは彼が自分に向ける憎悪の瞳すら疎ましく、焦がれ続けた目に憎悪が宿る理由に吐き気がしていた。

 そして、彼が息絶えた後冷たいカケラを抱き締めて、もう誰にも奪われることはないと安堵し、笑ったのだ。


 壊し消してしまうことで、彼を手に入れ幸せになれると信じ笑った愚かな自分。


 本当の幸福とはそんなものではなかったのに……それを教えてくれた人を見上げる。

 エルウィンの戸惑った黒い瞳を見ると真実込み上げる愛しさで胸が詰まった。


 彼と出会って、

 彼と過ごして、

 彼を愛して、

 彼に愛されて、

 アシュリーはやっと、本当に誰かを『想う』という意味を知った。


 今なら判る。彼がこの荒野を作り出してしまった理由も……。


 だから、エルウィンにもここを見せなければいけないと思った。

 自分の罪のある場所としてよりも寧ろ、自分達のもつ力の証しとしての荒野を……エルウィンには目の前に広がるこの現実をしっかりと目に焼き付けて、そして実感して欲しい。


 アシュリーが『魔族』であること……。


 たとえ外見に目立った差異がなくとも、アシュリーは魔族である事実をよりはっきり感じてそして、……その上で選んで欲しい。



 これからも二人で一緒にいることを……。



 豊かな大地を一瞬で荒野に変える魔族を、それでも愛し続けてくれますか?



 切な願いに瞳を潤ませ、瞬きを繰り返す黒い瞳をじっと見つめ続けた。

 戸惑いを隠せないまま瞬く黒真珠の瞳は現れる度に見る場所を変えて、忙しなく茶色い土の景色を見ていた。


 恐ろしい、無残な光景。


 アシュリーの言葉通りなら、ここをこんな風にしたのは魔族なのだという。

 ……ならばアシュリーにも同じだけの力があるのだろう。

 同じ『魔族』のアシュリーにも、豊かな大地を荒野に変えてしまう力が……。

 ブルッと無意識にエルウィンの身体が震えた。それは再び舞い始めた雪の所為ではない。身体を芯から凍えさせる恐怖と不安による震えだった。

 そっと自身を両手で抱いて、アシュリーを見下ろす。出会った頃からまったく姿の変わらない彼女を見ていると、何故か喉の奥が痛んだ。

 それは涙の零れる予感。慌てて押さえようとして、けれど、その理由に気付いてハッとした。

 今身体を凍えさせる恐怖と不安。でも、決してこれは、今この時沸き上がったものじゃない。


 これは、ずっとずっと遥か昔から……。

 子供の時からエルウィンの中に存在し続けていた。


 アシュリーに対する恐怖と不安は、アシュリーを想う度付いて回っていた。


 その理由は……。


 無言のエルウィンを眺める琥珀の瞳が瞬いて、哀しそうに伏せられる。怯えるエルウィンを感じて彼女が自嘲気味に笑ったのが判った。

 それは違う、とエルウィンは慌てて斜面を滑り降りる。走ってアシュリーのそばに向った。


「…アシュリーっ」


 手を伸ばして、必死に伸ばして、アシュリーに縋り付く。抱き締めた身体はすっかり冷えきって、暖めるように抱き締めて声を絞り出した。


「アシュリー、オレは大丈夫だからっ」

「………何が?」

「お前が怖い魔族でも、オレなんか足下にも及ばない魔力を持ってても、アシュリーはアシュリーで……オレは、アシュリーが好きだっ」

「……ホントに? だって私もこのくらいのこと簡単に出来る魔族なのよ。人間と敵対してる…魔族なの」

「それでもオレには、お前が必要だ!」


 力強く言って、エルウィンは自分の言葉に自分で深く頷いた。

 彼女が強大な魔力を持った魔族であることなどずっと昔から判っていた。判っていて……否、そんな括りを理解する以前から、エルウィンはアシュリーを好きで必要としていた。

 その事実は今更変えようがない。


 そう、沸き上がる不安と恐怖は、アシュリーが恐ろしい魔族だから発生するものではなく。


 エルウィンがその魔族を真実想っているから生まれるのだ。


 アシュリーを心底愛おしいと思うから、彼女を魔族と思い知る度、互いの違いが哀しくて不安で怖くなる。自分達が想いあってはいけないのだと感じて、いつかそのことを理由に大切なあなたを失いそうで、だから、怖くて不安になる。


 すべてすべてアシュリーを想い必要としているからこそ溢れる感情。


 だから、今こうしてアシュリーの力の強大さを見せつけられたとしても、アシュリーが魔族であることを理由にした終わりなど訪れない。

 彼女は魔族だと、自分とは違っていると判っていて、愛した。

 だって、人間がエルウィンにくれなかった暖かさを、一番最初に与えてくれたのは『魔族』のアシュリーだ。



 あの時から、オレはアシュリーを愛してる。



 だから大丈夫。あなたがどんな魔族でも、オレはあなたを想い続ける。



 固く抱いて誓うエルウィンの腕の中、アシュリーは小さな声で呟いた。


「………私は、ここで…一番好きだった人、殺したんだよ。それでも?」


 ビクリとエルウィンの身体が痙攣したが、しかし彼はアシュリーを抱き締めた腕を解きはしなかった。更に強く抱いて、唇を噛んでから囁く。


「好きだ、アシュリー」


 それ以外に言葉がない。他に何を言えばいい?

 どんな言葉をもってしても彼女が犯した罪は消えることはないだろう。

 それごと愛してると言うしか、エルウィンには術がない。

 今度は腕の中、アシュリーの身体が短く震えた。喉の奥から何か熱い塊が迫り上がってくるのが判る。涙の零れる予感に瞼を閉じると、透明な雫が睫を揺らした。

 それに少し驚きながら、アシュリーは涙でぼやける視界でエルウィンの肩越しに己の手のひらをじっと見つめる。



 『愛している』という理由であの人の命を絶った罪深い両手。

 たとえこの手を切り落としても、犯した罪は消えない。


 罪に濡れた手でエルウィンを、かつては救いたいとさえ思ったこの人を、抱き締めてもいいのだろうか?


 あなたの優しさに縋って、自分しか愛せないこの魔族が、人間のあなたを抱き締めることが許される?



 後悔に震え怯えるアシュリーを感じたエルウィンは腕の力を抜き、彼女の震える両手を取ってそっと自分の手を重ねた。

 暖かな体温が重なりあう。

 降りしきる雪の中でも、互いは確かに、同じ温もりを宿していた。


「アシュリー、オレも昔よくこうした。この手がウェンディを殺したんだって思って……拭っても消えない染みの付いてる気がして、凄く忌まわしいものに見えてた」


 子供の頃、今のアシュリーのように自分の手を見つめてよく泣いていた。

 己の手に宿る罪を後悔し、……後悔しても消えない罪を償う方法を探して途方に暮れた。

 もちろん今も、後悔も懺悔も胸にはたくさん在る。妹にすまないことをしたと思っている。だけど、だからといって過去を悔やみ、現在の自分を否定し、己を追い詰めることはもうやめた。


 この人を想うために……。


 妹には申し訳ない、だけど、それがなければ出会えなかった。

 この愛しさとは……。


 同じ罪を背負った自分達。

 たとえあなたが、そして自分自身が許されない過ちを犯した人だとしても、……想うことがやめられない。



 あなたを愛してる……。



 握った手に力を込めて、一言一言を噛み締めて呟いた。


「アシュリーが何者でも、この手がオレを救ったことに変わりはないんだ」

「エルウィン…」


「オレはお前に救われた。お前が魔族でも、オレにはお前が必要だ」

「エルウィン」


「これから先もずっと一緒にいる」

「エルウィン……」


「だからお前もオレと一緒にいてくれ、アシュリー」

「エル、ウィンっ……」


 涙混じりに叫んで、アシュリーは今度こそ迷わずにエルウィンを抱き締めた。

 彼の唇を己のそれで塞ぎ、息を継ぐ間も惜しい口付けを交わす。体中に染み渡る寒さを拒絶するように何度も何度も……触れる度与えられる温もりに歓喜しながら彼に縋りついた。

 抱き締めても抱き締めても、触れても触れても、飽くなく突き上げてくる欲望。

 この身でそれを望むのが過ぎたことだとしても、望んでる。



 この人を離したくない。



 この命果てるまでただ共に在りたい。



 この先何があろうとも、ただあなただけを……愛している。



 再び強く舞い始めた雪の飛礫は、抱き締めあう二人を氷柱に変えようと容赦なく吹き付けてきた。

 それでも、視界を遮る吹雪に曝され悴みながらも、アシュリーは笑う。……笑えた。

 今やっと心の底から幸せを感じて……だから、笑って言えた。



「エルウィン、引っ越ししましょう」



 愛してる、愛してる、誰よりも……。

 ただ一人、あなただけを……。


 だから、怖いものは何もない。


 あなたのためなら、私はなんだって出来る。












読んで頂きありがとうございました。

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