17、幸せへの道程
エルウィンを見送ったアシュリーは、そのまま寒いテラスで友人を待っていた。
寒風がアシュリーの髪を揺らす。寒さに耐えながら待っていると、やがて曇った空を鳥に似た影が横切った。
だが、風を切るのは鳥の羽毛の翼ではなく、皮と骨の蝙蝠に似た翼。
ヒューッと音を立てて舞い降りたのは人にあらざるもの。
待っていたアシュリーのすぐ前に舞い降りて魔力で作った翼を閉じたロードは、相変わらずの人懐っこい笑顔で、久し振りっと笑う。
鮮やかな紫の頭髪と黒衣の衣装が雪景色に映えていた。
ファー付のマントを纏っても寒さに震えているアシュリーとは対照的に、相変わらずの短パンでも平気そうなロード。
対照的な友人同士は、互いの姿を見てほぼ同時に笑った。
アシュリーは寒さを感じないロードにタフさに、ロードは着脹れでモコモコになっているアシュリーのひ弱さを笑う。だけどそれは嫌な笑いではなくて、何年会わなくても変わらないお互いが嬉しかったから。
寒そうに腕を組んだままアシュリーが先に声を掛ける。
「悪いわね、呼び付けて」
「別に、オレもベガも暇だし、平気平気」
「ベガ元気?」
「そりゃあもう」
「お前も元気?」
「見たまんま」
「……ならいい。寒いから中入って」
挨拶を交わしてロードを家に招き入れる。
この家は平屋で、出入り口を入ってすぐに居間があって、その奥にカウンターで仕切られたキッチン。その両側に、今は二人の寝室になっている部屋とアシュリーの仕事部屋と納戸があるだけの小さな家だった。
この家にくるのも久し振りで、ロードは懐かしさに周囲を見回した。
そんなロードにダイニングの暖炉の前、毛皮の敷き物に座るよう示して、アシュリーはお茶を淹れにキッチンに向かう。
「私がいない間なんか変わったことあった?」
「うん、この間北のお城でまたドンパチしたみたい。オレは行ってないけど結構おっきかったらしいよ」
「ああ、それでか……前エルウィンと住んでた辺りで地震あったって聞いて、何かあったんじゃないかと思ってたけど、親父様が原因ね。元気ねぇ、あの人も」
お湯を注いだポットとカップを二つ、お茶菓子を添えて暖炉の前に運ぶ。二人は並んで座り、澄んだ褐色の液体を注いだカップを一つ、ロードに渡した。
冷えた手に染み入る暖かさ。フーフーと息を吹き掛けて冷ましながら隣りで同じようにしているアシュリーを窺う。
「だって自慢の子供たちがこの状態じゃーね、そのくらいしかすることないでしょ」
「まあ…私もまだしばらく戻る予定ないし」
一口啜って遠くを見るように天井を見上げるアシュリーの横で、カップを置いたロードはポケットを探り煙草を取り出す。箱の底を人差し指で弾いて一本取り出してからアシュリーにも差し出した。
「いいんじゃない長い人生なんだから好きにすれば。いる?」
「いらない。……エルウィンが煙草吸うとうるさいのよ、自分バカスカ吸う癖に。ホント口うるさいったらないのよ」
溜まっていた鬱憤を晴らすように繰り返す口許は、しかし、笑っている。それを見て心底嫌そうに顔を歪めたロードは、嫌味のつもりで聞いてみた。
「何、相変わらず新婚状態な訳?」
「おかげさまで、毎日朝から晩まで愛されてます」
ペコッと頭を下げるアシュリーの頭を軽くこずいてやった。
「否定しろよっ」
「だって、したくても出来ないくらい愛されてるもん。………けど、なんかそうされる度に、もしかしたらエルウィンは全部判ってるんじゃないかって思う」
言葉途中から急に沈み込んだ声。
語尾の震えに気付いて、ロードは横のアシュリーを窺う。じっと炎を見つめるまなざしが嫌に真剣に見えた。
「……何に?」
「私の考えてること。元々勘のいい子だし頭も良いから、気付いててそうさせないために今こんなに私を幸せにしてくれるのかな……って思う。ロード…私、自信なくなってきた。エルウィンと一緒にいるのが幸せで幸せで……エルウィンを幸せにしたかったのに、私ばっかり幸せになってる気がする。ホントにこれでいいのかな?」
問い掛けてアシュリーはロードの方を向く。真っ直ぐ見つめてくる琥珀の瞳は答えを求めていたけれど……。
「そんなのオレに判る訳ないじゃない」
「……だよね」
一切思考せずに投げ返されて、自嘲の混じった笑みが浮かぶ。
エルウィンのためによりよい選択をしようと精一杯悩んだ。だけど、考えれば考える程思い知る、己の無力さを。どんなに強大な魔力を持っていても、好きな人一人守る方法が判らない。エルウィンを幸せにしてあげたいのにその方法が見つからない。
自分が選んだ道が本当に正しかったのかどうか、今更迷い始めている。
だからロードにきて貰った。一人で悶々と考えるのに疲れたから、誰かに相談したかったのだ。それなのにロードを見た途端、一足飛びに答えを求める自分がいて、焦っているのだと感じる。
エルウィンを幸せにする方法の答え。
頭では判っている、それがなんなのか……。
考え込むアシュリーの横で煙草を吸い終えたロードは吸い殻を暖炉に捨てて、立ち上がった。そのままキッチンのカウンターの方へ向かう。キッチンには大きな窓があって、家の裏側が渡せるようになっていた。
そこを見つめながら呟く。
「一つだけ確かなのは、エルウィンに一番をあげられるのはいつでもアシュリーだけってことだよ」
「…何?」
「一番の幸せも、一番の不幸も、一番の苦痛も、一番の哀しみも、一番の笑顔も、全部与えられるのはアシュリーだけだから……どうしろなんてオレには軽々しく言えない。言ってオレの責任にされたくないもん。だから答えはアシュリーが自分で出して。……それにさ、アシュリー嫉妬深いから、エルウィンのことを好きで好きで堪らなくて、エルウィンのことしか考えてない自分よりいい答えがオレに出せたら嫌でしょ?」
振り返ったロードの茶化した言葉と戯けた態度が冷えていた場の空気を和ませる。
エルウィンのことを好きで好きで堪らない、嫉妬深い……否定したいのに、出来ない自分を自覚していたから、素直に認めるしかなかった。
「そう…ね。お前が私よりエルウィンのこと判ってたら嫌だわ」
「でしょ? だったら自分で考えなきゃ」
「……うん、そうね」
言ってみたものの、本当に見つけられるのか自信がない。
だが、ロードに相談して良かったと思った。
少しだけ、焦っていた気持ちに余裕が出来る。エルウィンを想う自分は誰よりもエルウィンに幸せになって欲しいとこんなに願っている。
そのためのよりよい選択を求め考えるアシュリーの視界の端、カウンターの椅子に腰を下ろしてこちらに背を向けたロードが呟いた。
「ねぇアシュリー、……まだ裏からあそこって見えるの?」
ビクンとアシュリーの身体が震えた。
ロードはまだ外を見ている。
「………………ううん、木がでっかくなったから……もう見えない」
「そう…」
頷きながらロードはまた煙草に火をつける。
アシュリーは、同じ映像を過去にも見たことがあったのを思い出し、ギュッと胸元を掴んだ。
◆◆◆◆◆
ロードを見送ったアシュリーは、そのまま家の周りを半周して裏手に回った。
丁度家の真裏。先刻ロードが見ていた窓とほぼ同じ位置に立って周りを見渡す。だが、家の周囲には背の高い木々が立ち並び、木立ちの隙間からその向こう側を窺うことは出来ない。
この家を建てたばかりの頃、ここはこんな山の中ではなかった。遥か昔、比較的被害の少なかったここに、また新しい若葉が芽吹き始めたころ、アシュリーはこの高台を選んで家を建てさせたのだ。
ここが一番見晴らしが良かったから……でも芽吹いたばかりだった樹木は何十年、何百年と時間をかけて大きくなり、次第に視界を遮った。育った木々は空を隠し、そして見えていた景色を隠し、気付けば周囲は森になっていた。
もうここからは何も見えない。
でも、そこにあることだけは変わらないものがある。
何十年何百年経ってもあそこは変わらない。人々の記憶から出来事が忘れ去られ、伝説となってしまう程の年月が経っても、あの場所はアシュリーが最後に見た景色と変わっていないだろう。
瞼を閉じて思い起こす。
果てしない、無残な光景。
その映像が蘇った瞬間、アシュリー! と呼ぶ声が聞えハッとして振り向く。エルウィンが戻ってきたようだ。
急いで家の表に回る。裏から走って戻ったアシュリーの目に、家から飛び出してキョロキョロしているエルウィンの姿が写った。
「エルウィン、おかえり」
声を掛けた途端、凄い早さでエルウィンがこっちを向く。
アシュリーを見つけたエルウィンは駆け寄ってきて、いきなり叱り付けるように言った。
「何処行ってたんだよ!!」
怒鳴り声に驚いてビクンと肩が竦む。彼が何をそんなに怒っているのか判らないまま、言い訳するように後ろを指差し今までいた場所を教えた。
「……何処って、ちょっと裏行ってただけ」
「今日は何処も出掛けないって言ったのにいなかったら……心配になるだろ!」
叫んだエルウィンに抱き付かれる。その行動が、心配と言う前に一瞬言い澱んだ科白をすぐ理解させた。
抱き付いたエルウィンの腕が、ここにいるアシュリーを確かめるように強く抱く腕が、微かに震えているような気がする。その震えが教えてきた。
エルウィンはアシュリーがいなくて心配したんじゃない……不安になったのだ。
一番最初の夜、彼を置いて出掛けてしまった時と同じように、アシュリーがいない事実が不安で不安で堪らなかった。それがたった数分の出来事でも、アシュリーが黙って姿を消したらその意味は別れに直結する。
今更知る。
エルウィンは最初の夜からずっとこの不安と同居してきたのだ。
アシュリーを手に入れることは出来た、だが、今度は離れる日に怯えて……いつか訪れるかもしれない日の不安に押し潰されそうになりながら一緒にいる。アシュリーがその気になれば、エルウィンの手の届かぬ場所へいくことくらい簡単なこと。
気紛れな魔族がいつ離れていってしまうか、不安で堪らないのだろう。
小さく震える彼を抱き返して、アシュリーは滲む何かを堪えるためギューッと堅く目を閉じた。そして謝る。
「ごめん、エルウィン…心配かけて…」
謝る意味が判ったのか、腕を解いたエルウィンはバツが悪そうに顔を背けた。少し赤みが差した頬が彼の表情に年相応の幼さを写す。中指で鼻の下を擦ったエルウィンは恥ずかしそうに、そして申し訳なさそうに謝った。
疑っていることが知れたからだろう、視線を外したまま言い訳するように言葉を綴る。
「わりぃ…取り乱して。けど、なんかあったのかもしれないと思ったら……」
アシュリーは、謝罪を緩く首を横に振って拒否する。
どんなに外見が大人びたといっても、彼はまだ少年なのだ。思春期を脱したとも言い切れない不安定な年頃。なのに彼は、確かな約束もないこの生活を信じようしている。
この魔族が、自分を愛していると信じることでエルウィンは生命を繋いでいた。
アシュリーの存在がエルウィンを生かしている。
充分判っていると思っていた事実を改めて胸に刻んだ途端、それは鋭い痛みとなり、烙印のようにアシュリーの心に焼き付く。
エルウィンは今、自分を支えに生きている。
アシュリーは焼き付いた胸の内側の傷を隠すように片手を胸に当て、なんでもないように笑った。
「別に……それだけ私が好きってことでしょ?」
二人のそばを漂う沈んだ空気を振り払おうと言葉でも茶化す。こうすればきっとエルウィンは怒っていつもの調子を取り戻すと思った。
……だが彼は嫌に真剣にアシュリーの言葉を受け入れ、頷く。
「………ああ」
「…あれ? 今日素直じゃない。どうしたの、珍しい」
意外さに引きつりそうな表情を笑うことで必死に隠した。
「だってホントのことだろ、…オレはお前のことがどうしても好きだ……」
素直に言って抱き締めてきたエルウィンに見えない場所でアシュリーの顔が歪む。
普段はどうしようもない程意地っ張りで頑固で計算高いくせに、どうして今そんなに素直なの!?
……否、これもエルウィンの計算なんだろうか?
判っているから、今こうして素直になるのか。
そんなに素直に真っ直ぐに思われるのは、痛い。痛くて痛くて……泣いてしまいそうだ。
やはり彼は何かに気付いているのかもしれない。
ロードの言葉が蘇る。
エルウィンに一番を与えられるのはアシュリーだけだと言った言葉。
一番の喜びも、
一番の悲しみも、
………一番の痛みも、
エルウィンに与えられるのは、私だけ。
ちゃんと判ってる。




