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至上の愛   作者: 高瀬海之
第一部

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15/52

15、それぞれの望み




 こんな関係になるなど、想像もしなかった人が今アシュリーを抱き締めている。

 白い肌に赤い花弁を散らし身体を熱くさせているのは、偶然拾った養い子。成長した彼は想像以上に巧みにアシュリーの理性に揺さぶりをかけてきた。

 心の問題もあるのだろうが、それを差し引いても余りあるくらい、感じる。


「はぁっ…」


 熱の籠った吐息を吐いて胸に悪戯するエルウィンの髪を掴む。手慣れたエルウィンの仕草が納得いかなかった。


「ちょっと……何処でこんなの覚えてきた訳?」


 胸元を舌先で辿るエルウィンの利き手が慣れた仕草で身体をまさぐる。それに促されて吐息を荒くしながら闇の中でも爛々と輝く漆黒の瞳を見返した。


「秘密」


 含みを持たせてニヤリと笑う顔が憎らしい。

 その態度から察するに、既に初体験は余所で済ませてきたのだろう。

 何処の誰とも判らない人間を相手に……顔も知らない相手でも、エルウィンが抱いた誰かという存在を知って微かに沸き上がったこれを、嫉妬というのだろう。

 久しく覚えのなかった感情が沸き上がったことと、それ自体に不快感があった。

 しかしアシュリーのムッとした様を敏感に感じ取ったエルウィンはどちらかというと嬉しそうにニヤッと笑って、白い胸にまた新しい花弁を散らす。


「アシュリーだって気持ちいい方がいいだろ?」


 聞かれて素直に頷けなかったのは、やはり嫉妬の所為だ。

 確かにより負担が掛かるのはアシュリーの方だが、それは相手の技術によって軽くすることが出来る。どうせするなら苦痛の少ない方がいい。

 今の今までそう思っていた。だけど……。


「……なんか萎えた」

「は?」

「エルウィンが私じゃない人と寝たって聞いたらその気なくなっちゃった」

「はぁ!?」


 髪を掴んでいた手を解いて、その手でのし掛かってくるエルウィンの肩を押し返す。

 拒む仕草を見せ始めたアシュリーを押さえ付け、勝手な理屈に声を荒げた。


「お前だって初めてじゃないくせによくそんなこと言うな!!」

「だって私とエルウィンじゃ生きてきた年数が違うし……」

「だからオレには我慢しろって? わがままもいい加減にしろよ。お前こそどうせ他にも山程いるくせに…」

「そんなにいないし!」


 澱みなく言い切られたのは意外な言葉。


「私を抱いた男はエルウィンで三人目。イライアスでロードで、あなた」

「……嘘」

「ホントです! ……ぶっちゃけちゃうと私あんま好きじゃないのよねぇ。気持ちいいけどその分疲れるし、面倒臭い。だから自分からしたいって思うことあんまりなくて、いっつも相手任せ。私のことどうこう出来る魔族なんて限られてたから、相手はイライアスとロードだけよ」


 元々感情による結び付きの少ない魔族。必要なのは恋人などという関係ではなく、その時押さえきれぬ衝動を吐きださせてくれる相手だけ。

 そこに必要なのは力。強いものは弱いものをねじ伏せて言うことを聞かせる。己の快楽のためだけに……。

 たまたまアシュリーはある程度の力を持っていたから自分で相手を選ぶ自由があった。

 だから好意を持っていたイライアスを選んで抱かれ、その彼に捨てられた後はなんとなくそばにいて好意を寄せてくるロードに身を任せていた。

 どちらも一応感情に促されての行為であったが……どちらの時も想いは片側にしかなく、好きだから抱き合ったという心はなかった。


 でも今は……だからだろう、嫉妬などという感情がこの胸を過ぎったのは。


 エルウィンと想いを通じあわせたから行為に及ぼうとしているのに、エルウィンのそういう相手が自分の他にもいた。腹立たしくて…ムカつくのと同時にチクリと胸が痛んだ。

 自分が傷付いていることがまた嫌だった。

 でも…やがて気付く、同じ気持ちをエルウィンもずっと抱えていたのだと、何処にいるかも判らない、愛する人を抱き締めたことのある誰かを憎悪するこの気持ち。

 エルウィン自身が憎いんじゃない。エルウィンに抱かれた誰かの所為で激しく不快になる。

 きっとこの想いをエルウィンもずっと抱えていたんだ。


「オレ、アシュリーてもっと遊び歩いてんだと思ってた」


 呆然としたように呟く言葉が、アシュリーの思考を裏付ける。


「だから…お前に釣り合うためにはいっぱい経験必要だと思って……」

「食いまくった訳?」

「いや…流石にそこまでは……」


 言いながら否定する声に力が無い。ということは、多分相手は一人や二人じゃない。

 ガキの癖に……また嫌なものが胸を過ぎった。


「私のこと好きって言ったくせに」

「お前がオレのこと好きじゃなかったからだろ」


 そう言われると、つい最近気持ちを自覚したばかりのアシュリーには反論が出来なくて……結局、いい加減に首を横に振ってその話題を遠ざけた。


「もういいわ、私も悪かったし今までのことは気にしないから………もう私で最後にしてよね。自分で言うのもなんだけど、結構嫉妬深いから」

「当たり前だろ」


 一番愛しい人と想いを通じあわせたのに、他の誰かに手を伸ばすなんてこと有り得ない。欲しかったのはアシュリーだけだ。

 力強く頷くエルウィンを見上げていたアシュリーは、酷く嬉しそうに牡丹が花開くような鮮やかな笑みを咲かせた。


「じゃあ…続き、してもいいよ」


 笑って誘う。腕を伸ばしてエルウィンの首に絡め、改めてキスした。

 呼吸さえ惜しんで何度もキスしながら思っていたのは……同じ言葉を突き付けてはこなかったエルウィンの優しさ。


 私で最後に……アシュリーは言える。

 でもエルウィンは言えない。


 決して同じ時間を生きられない人間と魔族。


 どう頑張ってもエルウィンはアシュリーを置いていく。そしてエルウィンを見送ったアシュリーはまた一人になるのだ。残していくことしか出来ないのに、自分がいなくなった後も自分だけを愛していて欲しいなど言えない。言えばアシュリーを苦しめる。

 判っているから……嘘でもそんな言葉を言わない優しさごと彼を抱き締めた。

 一緒に生きられないのは判っている。

 でも芽生えてしまったこの気持ち。

 もう無くせないから、これから先の困難もこの気持ちを糧に乗り越えて見せる。

 抱き締めてくれる温もりに誓って……。



◆◆◆◆◆



 浮かぶ月の下、あの石碑の前で……そっと墓石に花を供えたアシュリーは、黙って座り込んだ。

 そこに眠る、人を、過去を、思い出しているのかもしれない。

 アシュリーとロードが絶対に忘れることの出来ない人。

 その人に、アシュリーは今なんと語り掛けているのだろう。

 謝っているのか?

 それとも……。

 しゃがみ込んで小さくなったアシュリーを眺め、ロードは今夜何度目になるか判らない謝罪を口にした。


「ごめん、アシュリー…ホントにごめん」


 エルウィンを拾ってから十年、酷く変ったアシュリーが好きだった。昔のギラギラした孤高のアシュリーよりも、今のアシュリーの方がずっと好きだったから……変えてくれたエルウィンにならアシュリーを渡してもいいと思った。


 それなのに……ロードは自分がとんでもない思い違いをしていたのだと、今更知った。


 人間のエルウィンと魔族のアシュリー。


 二人の間に同じ時間は流れるはずがなく、それさえも見越してアシュリーが何を願っていたか教えられたのはつい先刻、疲れて眠っているエルウィンを置いてここに来てからだった。


『ここで嘘はつかない』


 真実以外話さない、絶対の約束。これ以上に確かなものはなく、アシュリーは本当にそう願っているのだ。

 ずっと前から……自分の勝手さを指摘された日から、初めて自分のためではなくエルウィンのためによりよい選択をしようと決めた日からずっと、アシュリーはそのために行動してきた。


 それなのにその意味を、一番近くにいたロードは気付けなかった。


 よく探せばアシュリーの願いの欠片はそこかしこにあって、かつてその一端を掴んでいたことさえあったのに……どうしてあの時思い至らなかったのだろう。

 今は、関係ない。確かにアシュリーはそう言ったのに……。

 己の腑甲斐無さに勝手に涙が落ちる。泣きたいのは自分より寧ろアシュリーの方だと判っているのに、止まらない。


「ごめん、オレが…オレがエルウィンを煽ったから…本当にごめん」


 アシュリーは言っていたのに、エルウィンがアシュリーを想うこと、アシュリーがエルウィンに応えることはアシュリーの計画には入っていないと。


 それなのに…それなのに……。


 後悔に泣くロードの前で、アシュリーの長い髪がサラサラと左右に振れた。


「いいのよロード、結局それを決めたのは私自身だし。お前の所為じゃない」

「だけどっ…」


 更に言うロードを振り返る。

 アシュリーの後ろ、大きな満月がオレンジ色の髪と綺麗な笑顔を照らしていた。笑ったアシュリーは、頬にかかる髪を耳の後ろに掻き上げながら夢見るように囁く。




「それにね、今私…思ったよりずっと幸せ」




 その表情と告げられた言葉にハッとする。

 それはロードがいつかアシュリーから聞きたいと願った言葉。

 ここに眠る人と同じように笑って言うアシュリーが見たいと思ったからあの日、あなたは彼に出会って優しくなった、だから彼に応えてあげたら? と告げにいった。


 望み通りの言葉をやっと聞けたのに……儚い笑顔は更に多くの涙をロードに落とさせる。


 溢れた涙を隠すために両手で顔を覆うロードに近付いたアシュリーは、そっとロードの手首を取って手を剥がさせる。濡れた頬にポケットから取り出したハンカチを押し当て、止まらない涙を拭った。

 滲んだ視界で、アシュリーが薄く笑っている。

 その笑顔に似合いの穏やかで優しい声が紡ぐ。


「結末は判ってるのに、なんか今凄い幸せなの。今まで生きてきてこんなに満たされてるの初めてかもしれない。だから私は、エルウィンと生きるよ」

「アシュリー…」

「私、エルウィンが好きなの」


 戸惑いなく言うアシュリーは、やはり笑っていた。





「エルウィンを幸せにしてあげたい」





 満面の笑みで口にする願い。

 本当に心の底から彼女はそれを願っているのだろう。

 本人が言った通り、ロードもこんなに満たされて笑うアシュリーを見たことはなかった。

 今が、幸せなのだろう。それがどんなに先の見えぬ曖昧な幸福でも、今があるなら笑えるくらい。

 でもロードには同じように笑ってやることが出来ない。ただ先を思い、友人達の辿る未来に涙しか落とせない。

 泣き続けるロードにハンカチを押しつけたアシュリーは、また崖の切れ目まで戻り、石碑を通り越した向こう側……本当に崖っぷちに立つ。

 纏ったマントがハタハタと夜風に靡いていた。

 そのまま空を抱くように両手を広げ、やがて何かを抱き寄せるように交差させた手で己の両肩に爪を立てる。肩を抱く指先が白くなるくらい力を込めて……アシュリーは一体何を抱き締めたのだろう?


 あなたが抱き締めたいのは何?


 ロードには判らない何かを抱き締めたアシュリーは、首だけで微かにロードを振り返り告げた。


「ここはしばらくお前に任せる。私が戻ってくるまで……」

「うん…」

「……ロード、私精一杯頑張るね」

「うん…」


 サラサラと流れるオレンジ色の髪を夜風が揺らし、満月が壮絶に美しい横顔を照らし続ける。

 その後二人に言葉はなかった。

 やがてアシュリーは魔力で作った蝙蝠に似た翼を背中で広げ、明け始めた空に飛び立つ。


 エルウィンのところに帰るのだろう。

 アシュリーの還る場所。


 幸せにしてあげたいとアシュリーが初めて願った相手のところ。

 幸せになって欲しいとロードも望む。


 だけど、アシュリーは言わなかった。



 『エルウィンを幸せにしたい』と溢れんばかりに願いながらも、決して……。



 エルウィンと幸せになりたいとは、言わなかった。



 それがまた、ロードに涙を溢れさせた。



◆◆◆◆◆



 こっそりエルウィンのそばに戻ったアシュリーは、枕に埋もれるように眠る人のそばに腰掛けてその寝顔を見つめる。頬に掛かる黒髪を掻き上げて、そのあどけない寝顔に微笑んだ。

 そして飽きる程ゆっくりエルウィンの黒い髪を梳いて撫でる。

 ……そういえば何故急に髪を黒く戻したのか聞いてなかった。

 また気紛れだろうか? でも、出来たらこのまま黒い髪でいて欲しい。エルウィンには黒い髪の方が似合うから、このままのエルウィンとずっとずっと……。

 願いは思わず声になった。


「ずっと、一緒にいようね…」

「……そう言うんだったらオレ置いてどっかいくんじゃねぇ」


 パチッと開いた黒い目がアシュリーを睨み付ける。

 そのままキスしようと身体を屈めていたアシュリーは、驚きにベッドの縁から落ちそうになる程慌てた。


「お、起きてたの!?」


 吃驚して飛び退くアシュリーの腕を掴まえたエルウィンは、問いには答えないまま逆に質問する。


「何処行ってたんだよ」


 聞きながら離れようとするアシュリーの手を捉えて、真っ直ぐ琥珀の瞳を覗き込んだ。

 サッと逸らされる目。


「え、あ…ちょっと用があって…」

「オレより大事な用?」

「…うんまあ、それなりに…?」


 上手い言い訳が思い付かなくて、しどろもどろになる。

 はっきり言えないアシュリーを見上げて不審そうに瞳を細めたエルウィンはやがて、ふぅ…と大きな溜め息を吐き、アシュリーを掴まえていた手から力を抜いた。そして代わりに自分が身を起こしてアシュリーに近付いてから、今まで以上に真剣な目で見つめてくる。


「大事な用なら仕方無い。別に行くななんて言わないからせめて、一言言ってから行けよ。………黙っては何処にも行くな。不安に、なるんだからな」


 特にお前昨日は……とブツブツ続くエルウィンの小言を聞いていたアシュリーは、今更自分の迂闊さを知った。

 一人で目覚めた時エルウィンはどんなに不安だっただろう。受け入れたはずのアシュリーが黙っていなくなったことは、とてつもなく恐ろしいことだったに違いない。アシュリーが戻ってくるまでの時間をどれ程の不安と過ごしていたのか考えると、軽率な自分が腹立たしかった。

 エルウィンを幸せにしたいと言ったのに、もう不安がらせて……申し訳なさに顔を伏せる。


「ごめんなさい。どうしても今夜済まさなきゃいけない用だったから……けど、もう私は何処にも行かないから心配しないで」


 俯いて言うアシュリーを見ていたエルウィンは微かに頬を膨らませて、やがて拳を作った手の小指だけを立ててアシュリーの方に突き出した。


「………約束」


 遥か昔からある約束の儀式。

 そんなもので何が約束されるのかアシュリーは知らない。だけど人間はそれをとても貴いものに思うようだった。

 だからエルウィンの望む約束の儀式に同意する。エルウィンの小指に小指を絡ませて、軽く上下に振って呟いた。


「私はこれからもずっとエルウィンのそばにいるよ」


 ……誓っているのに、その言葉に何か含みがあるような気がしたのはエルウィンの気の所為だろうか?

 疑い過ぎだと自分の気性を叱咤しながらも、不安が打ち消せなくて小指を繋いだまま言った。


「アシュリー、別にオレから離れるななんて言わない。ただオレに黙っていなくなったりしないって、それだけ約束してくれれば」

「………離れないって言ってるのにホント疑り深いね、エルウィンは…」


 クスリと笑った顔ですべてを曖昧にして、アシュリーは繋いだ小指を引き寄せ目覚めのキスを迫る。


 甘く漂う二人の時間。


 それからしばらくの日々は、蜜月と呼べるとても幸福な時間だった。













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