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至上の愛   作者: 高瀬海之
第一部

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14/52

14、至上の幸福





 いつまで経ってもエルウィンが訪れない部屋で、アシュリーは眠れずに外を見ていた。

 ベッドに座り窓枠にもたれてぼんやり視線を巡らせる。四角く切り取られた夜空には綺麗な満月が輝いていた。

 満月は魔族に活力を与えてくれるもの。

 ……なのに、今日はいつも得られる高揚感がなかった。

 ただ淋しさだけが胸を漂い、涙が落ちそうなくらい哀しい。

 滲む満月を見上げ、今日エルウィンに突き付けた言葉を思う。

 アシュリーの出した結論、それはエルウィンだけではない、アシュリー自身にも深く関わることだった。



 エルウィンに応えて、

 エルウィンを受け入れることは、

 エルウィンとアシュリーの生きる意味を失わせる。



 何故なら、エルウィンに応えることは、エルウィンだけではないアシュリーをも幸せにしてくれる。


 この胸には……どんなに否定してももうエルウィンを想う気持ちが育っているのだから。


 ………エルウィンと相思相愛になったらアシュリーにも幸せが訪れる。


 だが、それは許されない。



 だから私はあなたに応えない。



 きゅっと片手で胸元を鷲掴む。そこに宿るエルウィンの努力によって芽生えたものが、淋しさと哀しさと……痛さを紡ぎだしていた。

 エルウィンの作戦は成功した。彼が望んだ通り、何気ないものから芽生えたものが確かにアシュリーの胸で育っている。


 多分それが、……愛情なのだろう。


 最初は本当にエルウィンのことなどなんとも思ってなかった。彼を特別に想うことなどないと思っていたのに……好きと聞かされてからの彼の行動は、確実にアシュリーを変えた。

 子供の無邪気さと大人の狡猾さを混ぜた態度に振り回された日々、腹も立ったムカついた、けど……楽しかったし、嬉しかった。


 毎日毎日、今まで気にかけもしなかったエルウィンの当たり前の仕草に発見があった。あんなに一緒にいたのに、エルウィンの癖一つ知らなかった己に気付かされ、新しい何かに気付く度に……同じ罪を背負う子供ではなく、『エルウィン』がアシュリーの中に植え付けられた。


 エルウィンの声は聞き心地がよくて、その上話術も巧み。それから歌も上手で楽器も弾ける……そんな知っていて当たり前のことを、今更知った。


 話上手だと思ったのは一緒に食事をとるようになってすぐ。アシュリーを楽しませるために聞かせてくれる出来事は、他愛ないことでもエルウィンなりの考えやオチがあって笑えるし、その場面を知らないアシュリーでも楽しめた。

 子供の頃からそうであっただろうに気付いたのはごく最近。綺麗な声で紡がれる言葉とくるくる変わる表情が面白くて、エルウィンとの会話は凄く楽しい時間だとやっと実感した。


 歌を初めて聞かせてくれたのは祭りの夜だった。

 週末のメインストリートは特に盛大に夜市がたって各種イベントがある。その時に友達の少年達と催しに参加するから見に来てと誘われて、初めて人前で歌うエルウィンを見た。

 エルウィンの綺麗な旋律を紡ぐ透き通った声に聞き惚れたこと、忘れない。

 家に戻る道すがら、上手で格好よかったと褒めたら、途端に子供のような表情を見せられて……誰に褒められるよりアシュリーにそう言われたかったと照れて言われた瞬間、胸が疼いた。


 エルウィン起こすリアクション一つ一つに感じたもの。

 嬉しさだったり、楽しさだったり…痛みだったり……。


 気付いたよ、判ったよ、これが愛情だって。


 大人になったのに、自分の前でだけ子供の頃と変わらない笑顔を見せられるとどうしようもなく胸が疼いて……最初は驚きしかなかったキスが段々嬉しくなって、必ずそばにいるエルウィンが暖かくて、ふとした瞬間に感じるエルウィンの存在に安心する。


 そして、安心と温もりをくれるエルウィンに……同じものを与えたいと思った。


 それが変わった証。


 エルウィンを想う、愛情だろう。


 こんな気持ちアシュリーは知らなかった。

 少なくとも彼の人を愛していた時持っていた気持ちとは確実に違っている。あの人を想っていた間、安心や優しさなど感じたことは一度もない。

 想いはあるのに、相手を思いやったり大切にする感情とは無縁だった愛し方。与えるのではなく、その心が伴わなくとも奪って己だけのものにしようとしていた。


 奪うことしか…知らなかった。


 それなのにこんな優しい愛し方もあったのだ。愛されていることを感じるだけで胸が暖かくなって、感じる温もりがそれを与えてくれる相手への想いに変わる。

 そして芽生えた想いを大切に、想いを寄せた相手を思いやる気持ちが愛情なのだ。

 損得関係なく、自分自身よりも相手を気遣うその気持ち。

 気持ちの重なりを感じたふとした瞬間に、ただ抱き締めたいと思う。欲望というには淡い気持ちでただ触れていたい。そうしているだけで身体の何処かが暖かくなって、沸き上がる嬉しさが自然に頬を緩ませる。



 それらすべてひっくるめて『幸福』と呼ぶのだと初めて判った。



 今はもうエルウィンの存在をそばに感じるだけで幸せを感じる。

 貴方がただそこに在るだけで満たされる。

 初めて知った感情、エルウィンが抱える気持ちがやっと判って……判ったのに、でも応えることは出来ない。

 アシュリーが奪った生命も感じていたこの気持ちを、アシュリーは勝手に終わらせたのだ。……なのに今更、自分だけがこの幸福に酔い痴れることなど許されない。

 アシュリーが誰かに愛し愛される幸せを手に入れることを彼は絶対に許さない。


「ごめん…エルウィン……」


 呟ききゅっと唇を噛み締める。脳裏をアシュリーの言葉に傷ついたであろうエルウィンが掠めた。


 私達は幸せになってはいけない。


 突き付けた現実は若いエルウィンには辛いものだ、けど履き違えられたら困るのだ。


「…貴方の生きる意味は私じゃない、でしょ?」


 涙の滲む瞳を細め、薄く月に笑いかけたアシュリーはそこに浮かぶエルウィンの面影に問う。

 彼は彼の犯した過ちを償うために生きなければならない。

 エルウィンがすべてを償い終える日がくるまで……。


 それまでもう少し時間があると思っていた。だが、こうなった以上もう一緒にいることの方がエルウィンを苦しめる。

 潮時だろう。

 幼いエルウィンを抱き締めて言った言葉を思い出した。


『エルウィンとずっと一緒にはいられない』

『……オレが一人で償えるようになるまででいい』


 償い…二人を繋いだ罪。

 二人が敢えて選ぶ困難な道。


 たとえ光が差すことがないと判っていても、選ばなければいけない道。

 きっとそれが、別れが必然と判っていて、一緒に暮らすことなのだろう。


 別れは必然、でもそれまでの時間を共に……。


 必然であったお別れの時が来たようだ。

 漠然としか描けなかった終わりだが、流石にこんな終わりは予想もしてなかった。

 彼とはもっとあっさり、大人になったことを理由に道を分かつと思っていたのに……とんだ結末になってしまった。まさかエルウィンと別れることで自分自身までこれ程ダメージを受けるとは……。

 片手で両目を覆い、ぽつぽつ言葉を紡ぐ。


「ホントに困難だ…痛すぎる……、自分で選んだのに…罰って凄すぎ…。………ねぇ、イライアスもこんな気持ちだった? ……ねぇ、教えてよ…」


 遥か遠い日の友に語りかけ胸元をかきむしった。

 愛しい人を失う気持ち。

 彼の味わっただろう、苦しみ。

 今更判ったところでもうあの日の彼は戻らない。だから、償わねば…償うために生き続けなければならない。


「ホントにごめん、エルウィン……、イライアス……」


 謝罪と共に零れ落ちた雫。

 ついに零れた涙は疼く胸の所為ではなく、……己の浅はかさを悔やむ気持ちが溢れさせたものだった。

 ハタッと涙が窓枠を濡らした瞬間、それを待っていたかのような絶妙なタイミングでドアが開く。ハッとしてそちらを振り向けば、エルウィンが立っていた、でも……。


「エルウィン…?」


 つい疑問型で聞いてしまう。

 ………何故なら、夕方まで日の光に似た色を放っていた彼の髪が、また夜の闇を写し取ったような元の漆黒に戻っていた。


 どうして髪が黒くなっているんだろう?


 吃驚して瞬く瞳から次々零れる涙。拭うことも忘れて惚けているアシュリーにゆっくり近寄ってきたエルウィンは、手を伸ばせば届く位置で足を止め、やがて堅い声で話しかけてきた。


「今まで教会にいた。そこで精一杯考えてた……それで思い出したんだ」

「………何を?」


 ギューッとエルウィンの眉間に皺が寄って、その顔は怒っているようにも、悔しがっているようにも……泣き出しそうにも見えた。

 こちらを見てくるエルウィンにはもう不敵さの面影はなく、それはまるで初めて出会った日の、行き先を見失って途方に暮れた幼子の表情に似ている。それを裏付けるように、軽く頭を振ったエルウィンが絞り出すような声で訴えた。


「神様は一度だってオレの願いを叶えてくれたことはなかったし、オレの問いに答えてくれたこともなかった…」

「……エルウィン」

「健康になりたいって願った時も、地獄に落としてくれって頼んだ時も、肝心なところでオレの願いは叶わなかった。じゃあさ、きっと神様なんかいないんだ」


 神様はいない。

 そんなモノ信じていない魔族のアシュリーにはどうにもピンと来ない話だった。だから、結局彼の話が何処に行き着くのかまったく判らない。

 小首を傾げ黒い髪が隠す、同じく黒い瞳を見上げて瞳を瞬かせた。

 漆黒の瞳は月明りしかない部屋の暗さに溶けて感情が読み取れない。ただ感じたのは神はいないと言い切った瞬間から、彼の中に強い決意が煌めき始めたことだけ。

 迷いは消えて、後に残ったのはエルウィンらしい不敵さ。

 惚れさせると宣言された夜を思い出した。

 あの時に似ている。



「だから、望みを叶えてくれるものなんかこの世にはいない。望みを叶えるには自分で努力するしかない。……オレの生き方はオレが決める。オレはお前が好きだ、アシュリー」



 告白した途端、サッと伸びた両腕がしっかりと、息も出来ない程強くアシュリーを抱き締めた。どくんと大きく胸が鳴る。抱き締められ耳のすぐそばでエルウィンの息遣いが聞えた。

 やはりあの夜の再現のようで……慌てたアシュリーは、自分を抱く胸板に手を突いて離れようとした。


「エルウィンっ!?」


 叫んで離れようと藻掻くアシュリーを黙らせたのは切実さの滲んだ声。


「オレはもう許されなくてもいいっ」

「エル…」

「償いを果たせなくて地獄に落ちたっていいんだっ…」


 腹の底から絞りだされた言葉の意味を理解するのにしばし時間が掛かった。

 しかし彼が望むものを知ってアシュリーは今までより激しく抵抗する。


「何言って…ダメっ、あなたは…」

「オレはお前以外いらない!! アシュリーと一緒にいられるなら、どんな人でなしにでもなってやる!!」


 そんなのダメ!! 訴える前に身を起こしたエルウィンがアシュリーを黙らせる。

 涙を溢れさせる黒い瞳、濡れた声が綴ったのは彼の想いの深さを伝えてくる言葉だった。


「両想いになってアシュリーが困るなら無理して応えなくてもいい。オレが勝手にお前を好きで、犯したって思えよ。そうすればお前の償いに迷惑は掛からないだろ? お前は何も悪くない。悪いのはオレだけ……オレは地獄に落ちたっていい、怒ったウェンディに取り殺されたっていい。アシュリーを諦めて生き延びても意味がないくらい、好きで好きでどうにかなりそうなんだ…」


 強い意志を宿していた声は次第に哀願に変わり、再び抱きついたエルウィンは縋りつくようにアシュリーの胸に顔を埋めた。


「幸せになることが罪なら……それでもいい。だってオレ最初からアシュリーがいたから頑張ってきたんだ。最初から全部アシュリーのために生きてきた。全然ウェンディのためじゃなかった。だからオレは最初から罪に罪を塗り重ねて生きてきた、今更一つくらい増えたって構うか。オレはどんなに罪深い幸せでもいいからっ、アシュリーが欲しいんだよ!!」

「エルウィン……」


 胸元で震える人を見下ろし、どう応えればいいのか躊躇う。

 アシュリーは悪くない。全部一人で背負う。

 そう言い切ってくれるエルウィンの限りない優しさ。

 彼の自分を想う気持ちの深さ重さ。

 全部が本当に愛されている事実を伝えて、胸を圧迫し苦しくて、息が出来ない。

 涙の所為でなく喘ぐように呼吸するアシュリーを見上げたエルウィンは、真っ直ぐ琥珀の瞳を見つめて心臓を鷲掴む綺麗な声を響かせた。




「アシュリーが好きだ、お前以外いらない」




 真摯な視線、透明な声、愛の言葉。

 アシュリーを見つめる人がくれるもの。


 耳に心地好い声は染み入るようにアシュリーの全身を包み込んで、震わせる。唇を戦慄かせ天井を見上げたアシュリーは、両目をきつく閉じ聞き取りにくい声でぽつりと零した。


「無理…絶対無理…無理だよぉ……」


 同じ言葉を何度も繰り返し、同時に激しく頭を横に振る。

 そしてアシュリーはまたエルウィンの腕の中で藻掻き始めた。

 抵抗されて、エルウィンはアシュリーを抱く腕につい力を込めてしまう。


 だが……。


 次の瞬間、激しく頭を振っていたアシュリーの両腕はしっかりエルウィンに回された。そしてギューッときつくきつくエルウィンの頭を自分の胸に抱き締める。

 黒い髪に指を絡め、掻き抱いた頭に頬を擦り寄せるアシュリー。

 抱き返された喜びを感じる前に惚けた声が喉を震わせた。


「……アシュリー?」


 黒髪を愛おしそうに梳くアシュリーは、その隙間に涙を降らせながら心のままに紡ぐ。


「私がムリだよ…嬉しい決まってるっ。……好きな人に抱かれて嫌なフリなんか私出来ない……今だって凄い嬉しいのに…この上、なんかされて理性なんか保ってられない」

「アシュリー…」

「エルウィンだけの所為になんか出来ない、勝手に応えちゃう。なんでそんな……もう…せっかく私が、一生懸命考えたのに…エルウィンのために……なんでこうなっちゃうの? あなた、なんで…なんで私、あなたのことこんなに…」


 思い浮かぶ言葉を途切れ途切れに零して、アシュリーは泣いた。

 嬉しさ、愛しさ、痛さ……溢れる感情は止めどなく。もうどれが一番強いのか本人にも判らない。どの気持ちの所為でこんなに涙が零れるのか判らないまま、泣いてエルウィンを抱き締めた。

 泣いて抱き締めてくれるアシュリーの行動と言葉が、アシュリーの抱えるものを伝えてエルウィンの胸に歓喜を呼ぶ。

 アシュリーは応えてくれるという、こんな自分の勝手な欲望に……アシュリーの深い思考を知らず、そうなるように仕向けた己の浅はかさを悔やんでも、沸き上がってくる歓喜。


 だが同時に浮かぶ。いなくなった人への懺悔と愛おしい人に自分を同じ罪を与えることからの苦痛も……苦痛と歓喜の綯い交ぜになった涙を流して、エルウィンももう一度強くアシュリーを抱き締めた。


「ごめんな、こんなにお前のこと好きになって…でもどうしてもお前がいいんだ。他の誰かじゃ……嫌なんだ。アシュリーじゃなきゃ…」

「ロードだってそう言ってくれたのに……なんで…あなたが言うとこんなに嬉しいんだろ…私も、エルウィンのこと凄く好き。こんな気持ち初めてで……心臓痛い…なんとかしてよ、もう……」

「オレもお前が好き過ぎて、心臓…いたい…」

「判ってるのに、これは悪いことだって……私達許されないことするんだよ、…エルウィン」


 してはいけないこと。

 二人で幸せになること。


 背負う罪に相応しい罰を受けながら生きるはずの自分達は今、生きる意味であるそれを放棄して至上の幸福を手に入れようとしている。


 許されない、きっと、この先今以上の苦しみが自分達を襲う。

 引き返すなら今だ……判っているのに、もう互いの手を振り払えない。


 エルウィンの髪を掴んでいた左手を離したアシュリーは、自分の背に回されていたエルウィンの右手を取る。手の平をしっかり合わせて指を絡め合わせ手を繋ぎ、彼と見つめ合った。

 漆黒と琥珀の瞳が真っ直ぐ互いを見つめる。

 きゅっとエルウィンの手を掴むアシュリーの指に力が籠り、ゆっくりと睫を伏せた。


「エルウィンが好き…………ごめんなさい、イライアス」


 告白と謝罪。

 けれど謝罪はこれで最後。

 もうどんな非難を受けても謝らない。

 たとえこの気持ちが罪悪でも、エルウィンを愛し抜いて見せる。

 彼のためならなんでもしよう。

 心の中で誓って、アシュリーは繋いだ手のエルウィンの中指にそっと口付ける。



「うん……ごめんな、…………ウェンディ。オレはアシュリーが好きだ…アシュリーがいればもう他には何もいらない」


 アシュリーと同じ仕草で呟くエルウィン。

 彼の言葉が微かにアシュリーの胸を刺した。

 けれどもう迷わない。


 すべては貴方のために……。


 誓うエルウィンの姿は初めて出会った時よりずっと大人になった。

 だけど今程切にエルウィンを守りたいと思ったことはない。


 絶対に私が守る。守り抜いて見せる。


 決めたアシュリーは、涙に濡れた頬を拭って精一杯の微笑みを浮かべた。


「キスして……エルウィン」


 繋ぎ合った温もりを頼りに闇の中で初めて想いの通じ合ったキスをする。

 重なるシルエットを浮かび上がらせる満月は魔族に活力を与えるもの。


 力を得て恍惚の笑みを浮かべた『魔族』は、最愛の『人間』のために己のすべてを賭ける決意を固めた。














読んで頂きありがとうございました。

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