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至上の愛   作者: 高瀬海之
第一部

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13/52

13、想いを叶えるということ




 惚れさせてみせる、そう宣言した次の日からエルウィンのアシュリーに対する攻撃が始まった。



 朝日の眩しさに呻きながら目を開けた途端飛び込んできたのは、目の覚めるような明るい金髪。キラキラ光る前髪の向こうで真っ黒な瞳が瞬いていた。


「エルウィン…?」


 起こしにきたのだと思って、普通に名前を呼ぶ。


「おはよ。朝飯できてるよ」

「うん…」


 ぼんやり頷いたアシュリーは、少し違和感を感じながらもそれが何か判らず、いつものように起きようとした。けれど寸前でそれをエルウィンが遮る。


「…何?」


 まだしっかり開かない目を擦って問う。

 瞬間、ちゅっと軽く唇に吸い付かれた。唐突過ぎて、エルウィンが何をしたのかも一瞬は判らなかった。


「…な…に?」


 つい間抜けに聞いてしまう。

 けれど、そんなアシュリーを見て更に鮮やかに微笑んだエルウィンは丁寧に教えてくれた。


「おはようのちゅう」

「……はあ!?」

「今夜からおやすみのちゅうもしにくるから」

「え? ちょっと…」

「やっぱり感情芽生えさせるためにはスキンシップが必要だよな」

「は? ……………ああ!」


 やっと頭が冴えてきた。

 先刻感じた違和感。そういえば一週間以上前喧嘩らしきものをしたままずっと口を利いてなくて、最近こんな風に顔を合わせることはなかったのだった。しかし、昨夜久し振りに口を利いて……その時宣言した科白をエルウィンが実行しているのだとやっと気付く。



 アシュリーを自分に惚れさせる。ひいては、愛情など持たないと言うアシュリーに愛情を教える。



 そのためのスキンシップ?

 冗談だろう?


 眉をしかめるアシュリーの前でエルウィンは変わらずに笑っている。

 金髪にする前からずっと苛ついていた様が嘘のように穏やかに……その笑顔が懐かしいと思った。


 いつの頃からかエルウィンは何かに追い詰められるようにピリピリしていた。それに年齢的な反抗が加わり、子供の頃の素直さはアシュリーの前でもなくなって、決定的な喧嘩をする前からすべてに一線引いて接するようになっていた。

 アシュリーは、それを単に彼が大人への階段を上り始めた証拠だと思っていたのだ。

 だから、夜の街をぶらついたり、煙草や酒に手を出したり……大人ぶろうと精一杯背伸びしている、普通の家庭ならば問題視される行動も、アシュリーは気にしなかった。

 やりたいならやりたいだけやって痛い目をみればいい、そう思ってほったらかした。


 まさかそれが自分のためだなんて思いもしなかったから……。


 アシュリーのために早く大人になろうとしていたエルウィン。想いを知ってやっとその意味が理解出来た。

 だが、それを伝えた途端、エルウィンはまた元のエルウィンに戻った。

 懐かしいと思うくらい久し振りに屈託ない笑顔を見た。背伸びをやめた本来のエルウィンは、努力していた時よりもずっと…大人っぽく見える。

 彼を縛り付けていたものが消えた所為かもしれない。

 ずっと抱えてきた疑問の答え。


 想い想われるための手段を明確に見つけられたから、こんなに自然に接してくるのか?


 エルウィンの思考回路の切替えの速さ、そしてその行動力に目眩がする。頭痛に額を押さえたアシュリーを置いて、エルウィンは向こうで待ってるからとさっさと部屋を出て行った。

 着替えて部屋を出て行くと、ここ数年なかった暖かな食卓がアシュリーを迎えた。


 エルウィンが子供の頃はアシュリーも割と真面目に家事をしていたが、エルウィンが手伝えるようになってくると徐々にその役目はエルウィンに移行し……旅の間や家でない場所に滞在する期間でそれは更にあやふやになって、もう最近は生活リズムもずれてお互い好き勝手に行動するから、こんな風に朝ご飯を一緒に食べることもなくなっていた。


 パンとスープとサラダの朝食。

 決して手間の掛かったものじゃないのに、これもまた懐かしかった。


「エルウィンが朝ご飯用意してくれるなんて何年ぶり?」


 席につきながら、下心つきの優しさを嫌味でけなす。

 ホットコーヒーをマグカップに注いで運んできたエルウィンは向かいに腰を下ろしたが、その顔に変化はなかった。嫌味をものともせず、涼しい顔で寧ろそれを肯定する。


「好きになってもらうための努力って言え」


 何を言ってもめげない人が本当に頭痛を呼ぶ。どう言えばそれが無駄な努力だと伝わるのか……説得しようと口を開いた。


「あのね…」

「やっぱり気持ちは触れ合うことで芽生えさせなきゃな」


 遮って言ったエルウィンは、自分が使った後の砂糖壺とミルクをアシュリーの方に押して、パンにバターを塗り始める。


 彼は本当にこの何気なさからすべてを始める気らしい。


 何気ない触れ合いから何かを生まれさせる?

 ……どんなに触れ合っても何も芽生えなかったのはロードで実証済みだ。


「悪いけど私、エルウィンよりずっと深い関係のロードにも何も芽生えてないよ」


 傷つけて諦めさせるつもりで、エルウィンが嫌がるだろう事実を引き合いに出した。しかしやはり彼はまったく表情を変えない。パンを一欠味わうように咀嚼してから、アシュリーを見ないで答える。


「そんなことない。お前が気付いてないだけでロードとも絶対何か芽生えてるし、オレとも絶対何か芽生えるよ」


 何処までも冷静な態度が、急に腹立たしくなった。

 前のようにあからさまに大人ぶろうとしているのはある意味微笑ましかったが、こうも冷静に振る舞われると、アシュリーの方が冷静には受け止められない。


「なんでそんなこと言い切れるのっ、魔族にそんな感情ないって言ってるでしょ!!」


 バンとテーブルを叩き大声を上げてしまう。

 テーブルに両肘をついてコーヒーを啜っていたエルウィンはこちらを上目遣いに見遣り、少し考えてから微かに瞳に怒気を宿らせた。


「……お前さ、自分が冷たいの全部魔族の所為にするけど、それって感情持ってる優しい魔族に凄い失礼だよな」

「優しい魔族なんかいない」

「いるだろう」

「何処に?」


 それが私だとでも? 驕った予感をもちながら聞く。

 多分エルウィンはそれを見抜いていた。微かな嘲笑を浮かべ、まったく違う名前を紡ぐ。


「ロード」

「……ロード?」

「あんな他人思いな人、人間にもいない。そのロードが魔族なんだから、種族で感情がどうのこうのなんて差別するべきじゃない。ロードが持ってるならアシュリーだって持てるよ、オレを愛する気持ち」


 そういう意味で、ロードを引き合いに出されるとは思ってなかった。

 エルウィンは、彼の立場と献身さをライバル視するのではなく、優しさと捉え……それさえ説得の材料にしてしまう。

 その頭の回転の速さ、正直困惑させられた。意外過ぎて上手い反論を思い浮かべられない。在り来たりな返答しか出来なかった。


「……ロードが特別なのよ」

「かもね、でも試す価値はあるだろ? まあオレは好きになってもらえるまで諦めないけどね」


 絶対の決意をきらめかせているのに酷く穏やかに笑ったエルウィンは、コーヒーを一口飲んで食事を再開した。

 真剣に話しているとは思えない程ゆったりと構えてパンをかじってスープを啜る。余裕を感じる態度に、アシュリーの方が追い詰められていた。

 これなら感情のままに突っ走って押し倒されるのを撃退する方がずっと楽だ。それかロードのように諦めを持って、何も期待しないで身体だけを求められた方がいい。


 心に無理やり踏み込んでこられるのは嫌だ。

 否、……違う。エルウィンは踏み込もうなどと考えてない。


 外側から徐々にエルウィンという存在をアシュリーの中に浸透させる気なのだ。無理に視界に割って入るのではなく、この何気なさの繰り返しでそちらを…エルウィンを見るように、ただアシュリーを促し続けるだけ……。


 アシュリーの意思によって、エルウィンを見るように。


 多分、エルウィンが焦れて無理強いをするなどもう絶対にないだろう。

 だから選択権はアシュリーにある。


 答えはアシュリーが自分で選ぶのだ。


 ……でも、だからこそそれは、嘘のつけない絶対の答え。

 アシュリーが自分の気持ちで選ぶもの。


 エルウィンを拒否するか、それとも……。


 昨夜あんなにはっきりと有り得ないと思えたことが、今は揺らいでいた。

 自分の想いだからこそ自信を持って『ない』と言えたのに、もう自分がよく判らない。

 絶対に流されてはいけない判っているのに……自然にエルウィンを視線で追うこれは、一体なんだというのだろう。


 どうして、ずっと見てきたものと同じはずの横顔が酷く男らしく、見惚れる程綺麗に見えるのだろう。


 本当に、何気ないものから確実に何かは変わるのだろうか?


 疑問が芽生えてしまった。



◆◆◆◆◆



 疑問を抱えながらの日々、エルウィンは相変わらずだった。

 毎朝、毎晩当たり前のようにキスしてきて、でもそれ以上のことは絶対にしない。その代わり、今までのすれ違い生活が嘘のようにずっと一緒にいる。

 でもそれはアシュリーの生活を乱すものではなく。拾ってきてすぐに馴染んだ時のように自然に……そしてあの頃よりも感情の機微に敏感になっているから本当にそつなく、アシュリーを気遣いながらそばにいた。


 薬を作っている時、ふと欲しいものを探して顔を上げるとすかさずエルウィンが手渡してくる。

 最初はムッとした。でもそこで無視したり黙って受け取ったりと子供じみたことをしたら、すぐに嫌味の集中砲火を食らう。無視して自分で材料をとりに行っても買い置きを全部隠していて、仕方無く黙って受け取るとお礼も言えないの? と責められ……結局ありがとうと言って受け取らざるをえないのだ。


 知恵をつけたエルウィンは常に先回りしてアシュリーを困らせ、その様を見て笑っている。本当に扱いにくかった。それに腹が立つのだが、どうしてもその場の思い付きの行動では、すべて計算ずくの彼より先には行動出来ない。

 子供だったエルウィンに踊らさせるなんて……それが腹立たしくて、素直になれないままの時間が過ぎていく。





 でも、それはそれで本当に楽しき日々だった。




 その日も仕事部屋で、アシュリーは注文された薬を作っていて、同じテーブルで向かいに座っているエルウィンは魔法書を読んで時間を潰していた。

 パラッとエルウィンが本を捲る音が耳につき、顔を上げる。

 目の前で真剣に本を読んでいる顔が幼いあの日に被った。


 あの日…エルウィンの抱える罪を知った日。


 たまたま出会った子供はアシュリーと同じ罪を背負っていた。その子はアシュリーが好きだと言う、だから同じ気持ちをアシュリーに植え付けたいと努力を始めた。それに振り回される日々は腹立たしいことも多いけど、悪くはなかった。


 ……否、楽しい毎日だった。


 そう思うことこそ、エルウィンが望んだ変化なのかもしれない。だが、何気ないものから芽生えた何かに気付いた時、アシュリーは踏み止どまらなければならないもう一つの理由を思い出した。


 アシュリーとエルウィンが背負う罪は、強く二人を結び付けても、決して光りある場所には導いてくれないのだ。


 決して忘れてはいけない犯した過ち。

 その重さを深さを忘れたら……二人は生きる意味さえ、失うのだから。


 もう夢見る時間は終わりだ。

 エルウィンにはエルウィンの生きる場所と意味がある。それを思い出させてやらなくてはならない。

 自分で自分が止められなくなる前に……。



 それが、アシュリーが自分で選んで決めた、答えだ。



 じっとこちらを見つめているアシュリーに気付いてエルウィンも顔を上げた。アシュリーの手元を見てから聞いてくる。


「何? なんか探してるのか?」

「…ううん、今エルウィンが初めて仕事部屋入ってきた時のこと思い出してた」


 あの日も彼は床で本を読んでいた。幼い容姿には不釣り合いな分厚い図鑑を床に広げて必死に読んでいた姿が、すべてを知るきっかけになったのだ。


「………ああ、ウェンディの話した日?」


 その話をする時はやはり、エルウィンの表情は暗い。睫を伏せてあの頃の面影などない、大人の男の手になった自分の手を見つめていた。

 その手で妹を……忘れることなど出来ないエルウィンの罪。


「うん…ねぇエルウィン、あなたさ、私があなたに応えたらどうするの?」

「は?」

「幸せになるの?」

「…どういう意味だよ」


 アシュリーの言いたいことがよく判らない。

 幸せになれるだろう、こんなに好きな人が応えてくれるならば。

 もしかして……微かな期待が過ぎった胸を、しかし次のアシュリーの言葉は血が出る程深く刺し貫いた。




「ねえエルウィン、私達は幸せになっちゃいけないんだよ。犯した罪を償うためだけに生きてるんだから……」




 ハッとするエルウィンを気の毒そうな瞳が見つめている。続く言葉が刺し貫いた場所を更に抉った。


「判ってる? その人生はあなたの人生じゃない、ある意味いなくなった妹の人生なんだ。エルウィンの好き勝手にしちゃいけない。私言ったよね、楽に生きる道があったとしてもより苦難の多い道を選んで生きろって……私が応えてあなたが幸せになるのを妹さんは許してくれるかな?」


 人の生命を、その人に用意されていた人生を勝手に奪っておいて幸せになることが許されるか?


 問うアシュリーの前で、蒼白になったエルウィンはゆっくり首を横に振った。


 妹にもあったかもしれない幸せをエルウィンは勝手に奪った。それも酷く勝手な理由で……。

 ウェンディは誰を愛することも誰に愛されることもなく、短い人生を終えた。生きていればあったかもしれないものすべて、エルウィンが奪ったから……。


 今更、そのことを思い出した。

 前はずっと思っていた。


 アシュリーに叶わぬ想いを抱くことは酷い苦難の道だと……だけど、それにアシュリーが応えてくれたら、確かにエルウィンは至上の幸福を手に入れることになる。

 償いに生きる人生をアシュリーという幸福が彩って、その幸せがいつか罪を忘れさせるかもしれない。


 そんなことウェンディは許すか?


 ……許す訳ない。


 少なくとも、エルウィンがウェンディの立場なら絶対に許さない。罪を償うという名目で生き延びたくせに、それを忘れて幸せになるなど、絶対に許せない。


 その生命は、罪を償うためにあるもの。

 ……なのに人生の幸福など求めてはならない。


 やっと思い出したエルウィンを見て、アシュリーは更にしっかりと告げる。



「私があなたに応えるってことはそういうことよ」



 突き付けられたエルウィンは沈黙し、その後二人に会話はなかった。

 そしてその夜、宣言してから初めて、エルウィンはおやすみのキスをしに来なかった。















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