第七十七話 母親
アラエル・リ・ディアベル。俺の母親だ。
そう、だ。俺はこの人の為に、今も常に、復讐をして……
……
……
……あれ
……そういえば、なんで俺
……この人の為に闘ってるんだっけ…
◇◇
「ブラッド、来な」
「ぅうー!」
母親はよく俺をぶっ飛ばしていた。稽古の時はいつも険しい顔をして、空気が張り詰めた中で戦っていた。
庭で、よく母親に剣術を習っていた。武神の剣術、名を天征剣。天征流といった。
天征流は基本の攻めや受け、受け流し、全てを使用する、なんでもありな武闘スタイルだった。
「ごっ」
目の前にガキが転がってくる。これは俺だ。腹を蹴られたんだな。
「……」
俺の目の先には母親が佇んでいた。彼女は稽古の時は決して手を抜かない人だった。俺は稽古が大嫌いだった。大人が有無を言わさぬ力で弱者を一方的に叩くこの構図が許せなかった。悔しい…いや、そんな話では無い。
「……」
転がってきたガキは、ゆっくりと立ち上がって、脚を震わせながら静かに泣く。
「……やる気がないならやめるよ」
「……違うよ」
違う。悔しくて泣いていたんだ。別に勝たなくてもよかった。勝敗なんて気にしたこともなかった。ただ俺は、彼女に認めて欲しかったのだ。
有無を言わさぬ才能に物言わせる彼女に、一矢報いてやりたかった。自分と同じような目にあったことなんて無いくせに、と、少し呪った。
「……」
「今日は稽古やめだ」
強面だった女の顔が急に綻ぶ。
「ご飯にするよ」
それも含めて、俺は母親のことが嫌いだった。さっきまで戦っていたというのに、なんでそんな相手に飯を作れるんだよ。
「……」
自分が卑屈なことはわかっていた。だが、この怒りは決して理解して貰えないと思った。
普段の母親は普通の人だった。朝、用もないのに早起きをさせ、家事を手伝わせ、飯を食べさせ、決まって、
「学校行かせられなくてごめんね」
というのが嫌いだった。そうだ、俺はこの人の事が嫌いだったんだ。俺は何も持たないのに、この人は全てを持っているようだったから。
俺の家は貧乏で、買えるものはほとんど無かった。
なんで俺が弱者なんだよ。
俺が街に行くとみんな俺のことを無視した。理由は分からなかったが、それが原因で俺は家から出なくなった。
父親はいなかった。
そして。俺はある日から、もう外に出ることを半ば諦め、ほとんどを自室で過ごすようになった。多分、俺が十歳くらいの時。
「あ、ブラッド……入って」
「──やめろ!!!」
「……ごめんね…ドアの前、ご飯置いとくからね」
俺の好きな母親の料理は、丸めて焼いた肉の上に卵を乗せる、なんて言うかわからない食べ物だった。
ガキの頃はよく、「これ大好き!」と言って、よく母親は笑っていたものだが…
「こんなもん、いらねぇよ。クソが!」
俺は、自分を呪った。なんで俺を世界は憎むのだろうか。誰も俺を救ってはくれない。
「……」
「ねぇ、ブラッド」
「…」
「……母さん、言葉下手だから、さ。ここに手紙入れとくから…文通みたいに、さ…母さんと」
「うるせぇよ!!!」
「……」
自分はベッドの上で虚しくて虚しくてたまらなかった。母親が居なくなったのを見計らって外に出ると、木の容器に手紙が一つ入ってた。
「は」
誰が見るかよ、あんなやつの手紙なんか。
引きこもって幾日かして、また久しぶりに母親から声がかかった。
「ブラッド…」
「……」
「…あの。さ、ブラッドに何か刺激があった方がいいんじゃないか、って思って」
「……」
「あの、ね。近くの大学、ケルプ大学に入学金を払ったの」
「……あ?」
「だから、お願い。お願いします、出てきて、ブラッド…」
「……ざけ、何勝手なことしてんだよお前!ただでさえ家には金がねぇんだぞ!?」
「分かってる。だからお母さん毎日頑張って働いたわ…」
「どうして……」
どうしてこんな俺のために、そこまでしてくれんだよ…
「──!──!」
俺はそんな母親を遠ざけるため、言ってはならない一言を発したのだ。
「俺を産んでくれなんて頼んだ覚えはねぇ!!死ね!」
「────!」
それからは、もう、母親は話しかけて来なくなった。
◇
寒気がした。朝目覚めると、嫌に寒気がした。背中を伝う冷や汗が、何かとてつもない事態が起こっていることを伝えるためのような…
俺は違和感を感じとった。部屋の外が怖い訳では無い……いや、嘘だな。少し怖かったが、別にそこまで気にしてはいなかった。だから、部屋から出ようと思った。
俺はただ。母親を遠ざけたかっただけなのだ。きっともう、俺なんかとは話もしたくないだろうし、今は仕事の時間だろう。
「……は?」
家から出ると、目の前で激戦が繰り広げられていた。手が幾本も生えている得体の知れない何か、剣を持った整った顔をした男、天使のような格好をした女。
それらが全て母親と戦っていた。
「なん」
「──危ない!! 」
それが、分岐点だった。攻勢、攻めあぐねていた奴らは、俺へと攻撃をしかけ、母親はそれを庇った。剣を持った男が、母親の胸を突き刺したのだ。
「治癒不可」
そして男は母親に魔法をかけ、たった一言…
「ありがとな、君のおかげで助かったわ」
「……な」
そして、その集団はどこかへと消えていった。何だったのかは分からないが、今はともかく、この人を治さないと…
「ぐ、っ、ふっ、ぶ、ブラッド」
「……な、何喋ってんだ、それ以上喋ると死んじまうぞ!」
「ごめんね…ごめん…ごめんよぉ…勝手に入学させようとしてごめん…そしたら、また、出てきてくれると思ったんだ…そしたら…こひゅっ、また、あの日々みたいに」
──あの輝かしく光る幸せな日みたいに…
「……どこかで、…ごっ…教育を間違えたかって思って……私が、悪かったんだ…ごめん…ごめん…」
「……あ、」
死んだ。
もう目に光がない。事切れた。今。
「なん、で……」
なんで俺なんかのために…
「……」
その懐には、一枚の紙切れがあった。
それは、入学辞退の申請の紙だった。
「なんで…」
もう。分からない。グチャグチャになった感情を整理するため、母親を火葬することにした。
「炎」
簡素な魔術は昔から使えた。母親を全裸にした後、髪を少し切って火葬した。
火葬の間、今までこの人に育ててきてもらった思い出がフラッシュバックしたが、そんな大したものでもなかった。
遺骨を埋めて墓を作った。
「……はぁ」
あの人たちはなんなのか、俺は母親が死んだショックよりもそちらを気にしていた。
「まぁ、とりあえず」
落ち着くために自室へと戻ろうとした。
「……」
そこで俺は一旦飯を食おうと思った…が、何も食べる気が起きずに寝た。
翌日起きた時、母親が死んだ実感が何もわかなかった。涙は流れなかった。別にそんなに悲しいことじゃないとすら思った。
俺はあの人が嫌いだったから。
でも、飯を作ってくれる人が居なくなったので自分で作らなければならなかったし、色々引き継ぎとかが面倒だった。
ある程度落ち着いて、飯になった。
「ひとり飯か」
いつも通りだった。
「はぁ、まぁいいか」
自室で飯を済ませ、ドアの前に置く。
「……あ」
そこで俺は言葉を無くした。
そうか、もうあの人はいないんだ。だからこれを運んでくれる人はもう誰もいない…
そこで俺は、初めて母親の死を…
「ん、?」
隣を見ると、そこには、木の箱があった。
母親が俺に何かを伝えようと、言葉下手だからと、置いていたやつだった。
久しく見ていなかったが、久々にみるととてつもない状態だった。そこには、溢れんばかりの手紙が詰まっていたのだ。何枚も何枚も。
「……あ」
そこで、何かが崩れた。
「ぁあ、ぁぁあぁあ」
俺は、突然、子供みたいに泣き出した。そして、もう相手には一生自分の思いを伝えられないのだと、そう痛感して、また泣いた。
…ある程度時間が経って、その手紙を読んだ。
内容は別に特別なものじゃなかった。
『ちゃんとご飯食べてて母さんは嬉しいです』とか、『今まで強く当ったりしてごめん』とか、全部主観的なもんばっかだ。なのに、なんでだろう。
涙が止まらない。
『無責任に産んでごめん』、謝るのは俺だろうが。
『ブラッドは幸せですか?』とか、汚ぇ字で書いてある。
そんな、他愛もないことを……でも俺は……ずっと
「ずっと見て見ぬふりをしてきたんだ……!」
ずっと無視しててごめん。ずっと知らないフリしてごめんなさい。
「ごめ…ん」
俺を産んでくれてありがとう…本当はそう言いたかった。
死ねなんて言ってごめん……本当は俺より長生きして欲しかった…
後悔してももう遅い。今本当に思いを伝えたい人はこの世にはいないのだ。自分の不甲斐なさ、申し訳なさから涙が出てくる。もっとはやくこうなっておけば…
ごめん、ごめん、ごめん、ごめん……
「ごめんなさい…!おがあざん!」
もう涙でぐしゃぐしゃになった俺は、もう二度と声の届かぬ人に、手紙を抱えながら泣きじゃくるだけだった。
◇
そうだ。思い出した。なんで忘れたんだ。これを機に復讐を誓ったんだ俺は。
「……まぁ、でも実際どうなんだか」
分からない。それが正しいのか正しくないのか。
「……」
……今でも思う。
あの人は、幸せ、だったのだろうか。
俺なんかを産んで、育てて、幸せだったのだろうか。
「幸せだったよ」
「……!?」
俺の目の前に、母親の虚像が現れた。
「…大体、子供が生きててくれたらそれだけで親は幸せってもんだよ…そういうもん」
「なんで……」
俺なんか。
「なんで。って、そりゃアンタが家の子だからでしょ」
何気なくそう言う母親に俺は…俺は。
「…ごめんかった、母さん…ありがとう。俺は…幸せでした」
「良かった…子供の幸せは、親の幸せだよ…」
子供を喜ばせるのはこんなにも難しいのに、親を喜ばせるのは、簡単なんだ。それほど簡単なことを俺は…
「だから、復讐なんてしなくて良い…もう、お母さんの為に戦うのはよして…」
「…」
「あぁ、私の可愛い子供……貴方が産まれた時から思ってた」
「……ん?」
「あー、私、この子のためなら命なんて全然惜しくないなぁ、って」
母親は少し笑いながらそういった。
「」
「何、どうしたの?」
「……」
「なんで泣いてるのよ」
「なんでも…ねぇよ」
俺の鼻をすする音が虚空へ響いた。
「……でも」
冷静になって考える。
「なんで、ここに母さんが…」
「…死ぬ間際、魂を少しだけあんたの中に入れといたんだ…まぁ、多分気づいてなかったろうけど」
「……」
「でもま、お別れかね…やっぱり出てくるとそう持たないみたい」
「……」
「何。なんでそんな顔すんのよ」
「……」
「愛してるわよ」
母親が、薄れていく。
「ブラッド……」
無償の愛で。この人は俺を包んでくれる。
俺の味方は誰一人いないと思っていた。
でも。一番身近にいたのだ。いたのに、おれはそれに気が付かなかったのだ。
俺を産んだという、ただそれだけ理由で愛護してくれる彼女を、俺は尊敬した。
「母さん、ありがとう」
「はっ、今更かい」
そう言う母親の目尻には、涙が浮かんでいた。
そして、俺の額にキスをした。
「おやすみ、ブラッド」
小さい頃、よく絵本を読み聞かせてくれたこと、飯を作ってくれた事、たまに遊びにいったこと、怒られたこと、変にドジになる母親を笑ったこと、朝気だるげに俺を起こしてくれたこと、稽古してくれたこと。
その全てに、感謝した。
ありがとう。母さん。
過去




