第92話 総攻撃
翌日の夕刻。
外壁の上で指揮を執っていたアルトランは、陣地に撤退していく《グラム騎士団》を見つめながら、疲れたような吐息をつく。が、気を緩めたのはその一瞬だけで、すぐに兵士たちに向かって声を張り上げた。
「敵が退いたからといって、これで今日の戦いが終わったなどとは決して思うなッ!! ストレイトスという男は、まさしくそういった緩みを突くことを得意としているッ!! 見張りの兵士ッ!! わずかでもいい、敵軍に異常があったらすぐに私に報せろッ!!」
と、毎日釘を刺すことにどれほどの効果があるのかは、正直アルトランにもわからなかった。
この一週間、《グラム騎士団》は夕陽が沈む直前に戦いを切り上げ、陣地に撤退することを徹底している。
ここまで露骨だと、どこかで必ず、いつもと違うタイミングで仕掛けてくるのは明白だが、だからこそ、こちらは余計な神経を使わざるを得ない状況になっていた。
しかしどれだけ気を張っていても、同じ状態が長く続けば〝慣れ〟が生じてしまうのは避けられない。
こうも同じタイミングで戦いを切り上げられては、「夕陽が沈んだから今日の戦いは終わり」だと無意識の内に判断し、集中を切らしてしまう。
実際兵士たちは、表面上はこちらの言葉どおりにはしているものの、全体の空気は、どことなく弛緩した雰囲気を漂わせていた。
(流れを変えるためにも、ここでもう一度こちらから仕掛けるという手もあるが……遠目から見ても、《グラム騎士団》に油断がないことがわかる。そして、ストレイトスがそれを狙っていた場合は、自ら罠に飛び込むことになりかねない)
判断が難しいところだった。
あるいは、そう仕向けることこそが、ストレイトスの狙いなのではないかと疑心暗鬼になってくる。
(いずれにせよ、いつ《グラム騎士団》が仕掛けてきてもいいよう、皆の腰を据えさせる。最善とは言えないが、今はそれが――)
「どうやら向こうは、今日決着をつけるつもりでいるようですなぁ」
唐突に、あまりにも唐突に老爺の声が耳朶に触れ、アルトランは瞠目する。
アルトランをして、声をかけられてなお気配を察知することができず、すぐさま周囲に視線を巡らせるも、壁上を忙しなく行き交う兵士たちに紛れているのか、老爺の姿を確認することはできなかった。
「援軍とは別に〝保険〟を先行させるという話は聞いていましたが、まさか貴方だったとは……グランデル老」
七至徒第一位の老爺の名を畏敬の念を込めて呼びながらも、アルトランは話を続ける。
「ところで、《グラム騎士団》が今日決着をつけるつもりでいるというのは本当ですか?」
「本当です。ここから〝視〟ても、軍気が覚悟で充ち満ちているのがわかりますから」
「貴方がそう言うのであれば、そうなのでしょう。ならば今の内に、今日《グラム騎士団》が仕掛けてくることを兵士たちに伝え――」
「無駄なことはおよしなさい。小生が察知した。だから、今日敵が仕掛けてくる――と、兵士たちに伝えても、小生を知らない者からしたら何の根拠もない戯れ言にしか聞こえません。伝えたところで、先程貴方が叫んでいた注意の言葉の延長と捉えられるのがオチでしょう。それに、下手をすると余計な混乱を招く恐れすらありますよ」
「確かに、その通りですね。……グランデル老。陛下からもお頼みされているとは思いますが、ユーリッド殿下のことをお願いしてもよろしいですか?」
「ええ。もちろんです。ただ、小生がヴィクター坊から〝もしも〟の時は逃がせと頼まれた人間は、クオン君の他に、貴方も含まれているのですよ。アルトラン君」
「私も、ですか」
アルトランは数瞬瞑目し、覚悟を決めたように見開かせる。
「その〝もしも〟が起きた場合、将軍である私がおめおめと逃げるわけには参りません。逃がすのは、ユーリッド殿下とクオン嬢だけでけっこうです」
「そうですか……そうですなぁ……それでこそ将軍というものですなぁ。アルトラン坊」
最後の言葉に、アルトランは目を丸くする。
「貴方が〝坊〟呼ばわりするのは、貴方が認めた人間だけだと聞き及んでいましたが……ようやく、私も貴方に認められたと思ってよろしいですかな?」
「はてさて、なんのことやら」
惚けるグランデルに、アルトランは苦笑する。
「貴方ならば、王城からでも私の気配がわかるでしょうから、先にお願いしておきます。私に〝もしも〟のことがあった時は、すぐにユーリッド殿下とクオン嬢を逃がして差し上げてください」
「承りしょう。それより、来ますよ」
と、グランデルが言った直後、
「敵軍転進ッ!! 敵軍転進ッ!! こちらに引き返してきますッ!!」
見張りの兵士が、グランデルが予見したとおりの言葉を、逼迫した声であげた。
「では、グランデル老。殿下たちのことを頼みます」
「正直、戦いの行方を見守るのもなかなかに面白そうですが……仕方ありませんな」
その言葉を最後に、グランデルがこの場から離れたことを直感だけで悟る。
アルトランは頭を切り替えると、見張りの方に向かって身を翻し、声を張り上げた。
「敵はどこに向かっているッ!!」
「ポイントAですッ!!」
ポイントAとは、先の戦いでジスファーが破壊し、王都占領後に修繕した外壁の一角。
ある意味では帝国の建造物なので、王都を極力傷つけたくない《グラム騎士団》でも攻撃を仕掛けやすいポイントだった。
事実、この一週間、《グラム騎士団》は攻撃を仕掛ける際は、ポイントAを重点的に狙っている。
とはいえ、この攻撃が陽動である可能性も捨てきれないので、
「伝達兵ッ!! 全てのポイントの将兵に、たとえ敵が現れなくとも、命令があるまではその場を守ることに徹するよう伝えろッ!!」
叫びながら、アルトランは目と鼻の先にあるポイントAを目指して走り出す。
敵が重点的に狙ってくることがわかっていたからこそ、アルトランはいつでもすぐにポイントAへ向かえる位置で指揮を執っていた。
「砲兵部隊はヨハン・ヴァルナスの姿を確認し次第、砲火を集中させろッ!! 可能性は低いが、敵が大砲媒体を持ち出してきたら、ヨハンに次いで優先的に叩き潰せッ!! 魔法士部隊は梯子の処理をッ!! 短銃媒体部隊と穿弓媒体部隊は、壁に近づいてくる敵を一人残らず撃ち殺せッ!!」
ポイントAに到着すると、見張りの兵士から遠眼鏡を受け取り、敵軍にレンズを巡らせる。
砲撃や魔法による遠距離攻撃を警戒してか、オディックヘドロン製の大盾を持った者たちを主体とした第一陣。
騎馬に乗ったストレイトスが率いる、騎士のみで構成された第二陣。
夜間の防衛に当てていた予備戦力も含めた、副騎士団長ラムダスが率いる第三陣。
それらがまるで一コの生き物のように、一糸も乱れぬほど整然に、されど獲物を前にした肉食獣のように荒々しく、こちらに迫ってくる。
「やはり総攻撃を仕掛けてきたか……!」
アルトランは遠眼鏡から外した視線を、味方の兵士たちに巡らせる。
危惧していたとおり無意識の〝慣れ〟によって集中を切らしていたのか、兵士たちの動きは常よりも鈍く、そのくせ無駄に慌ただしい。
この一週間、《グラム騎士団》は外壁に梯子をかけてからの突入と、門への強襲ばかりを続けてきた。
此度の攻撃も今までと同じ内容ならば、多少兵士たちの集中が切れていても凌げなくはないが、
(ストレイトスが、こちらが予想だにしない一手を用意していた場合、最悪一気に喰われるかもしれないぞ……!)
そして、その危惧もまた、現実のものとなってしまう。
外壁と敵軍第一陣との距離が三〇〇メートルを切ったところで、壁上で隊伍を組んでいた短銃媒体部隊と穿弓媒体部隊が一斉に攻撃を開始する。
続けて、優先目標がいないことを確認した大砲媒体部隊と魔法士部隊も攻撃を開始する。
遠距離攻撃型の武装媒体と魔法が奏でる暴力の重奏が、アルトランの耳を圧した直後、
それら全てを凌駕する、ひどく聞き慣れた轟音が耳をつんざき、大地そのものを揺らされたような振動が外壁を襲った。
状況を確かめるまでもなく、轟音の正体に気づいたアルトランは、
「砲撃を受けているッ!! ポイントAにいる者たちは、すぐさまその場から退避せよッ!! 壁が崩れるぞッ!!」
そう叫んでいる間にも、轟音は二度三度と続き、その度に外壁が揺れ――……とうとう、ポイントAは崩落を開始する。
「うわぁああああああああああああッ!?」
「壁が崩れ――」
「たたた助けてく――ベッ!?」
壁上と砲眼にいた兵士たちが瓦礫とともに落下していく中、すんでのところで退避を済ませていたアルトランは、万が一ポイントAが破られた場合に備えて待機させていた地上の部隊に指示を飛ばす。
「防衛部隊ッ!! 今すぐ壁外に出て陣を敷けッ!! 敵が来るぞッ!! 壁上、砲眼にいる者たちは、防衛部隊が陣を敷くまで援護しろッ!!」
一通りの指示を終えたところで、アルトランは今一度遠眼鏡で敵軍を睨め回す。
予想どおり、敵軍の中にはヨハン・ヴァルナスの姿も、通常の大砲媒体の姿も見当たらなかった。
さらに注意深くレンズを巡らせ……見つける。
味方に守られながら、第一陣から第二陣に後退していく小太りの騎士と、彼の手に握られた見慣れた大盾を。
(やはり、ジスファーの大盾に内蔵された大砲媒体の音だったか……!)
モニア平原の決戦後、ジスファーの大盾は行方不明になっていた。
それを知った時は、ヨハンとの戦いで破壊されてしまったのだろうと軽く考えていたが、
(ストレイトスめ……! やってくれる……!)
友の遺品で攻撃されたことに憤りを覚えた――わけではなかった。
ジスファーの大盾に内蔵されている大砲媒体は、通常の物よりも小型な上に、砲口を閉じた状態だとそれこそただの大盾にしか見えない。
それを大盾部隊に紛れ込まされては、見張りの兵士が目を皿にしても、その存在に気づくのは至難というもの。
大盾の回収と修繕を、こちらのスパイに気取らせることなく秘密裏に行なった周到さも含めて、抜け目がないにも程がある。
だからこそ、称賛に値する。
敵軍――《グラム騎士団》を率いる、ストレイトス・ユアン・ベイルは。
戦いとは、清も濁も含め、その人間が持ちうる全てを以て臨むもの。
前々からそうだろうとは思っていたことだが、ストレイトスもまた、自分とジスファーと同様持ちうる全てを以て戦いに臨む手合いのようだ。
敬意を表したくなるほどに忌々しい敵将を前に、アルトランの口角が吊り上がる。やはり戦いはこうでなくては――と高揚する。が、アルトランはその昂ぶりを、すぐさま理性の力で抑えつけた。
今の自分がただの一兵卒だったならば、あるいはジスファーのような〝兵器〟だったならば、迷うことなく内から湧き上がった昂ぶりに身を委ねただろう。
しかし、今の自分はそれを許される立場ではない。
将軍という何千何万の兵士を指揮する立場にある。
同時に、将軍という立場に誇りを抱いている。
勝手な振る舞いは、周りは勿論、自分自身が許さない。
もっとも敵には、自分に将軍としての仕事をさせるつもりはないようだが。
「来るか……!」
そう独りごちた直後、壁上にいる兵士たちが俄にざわめき出す。
「なッ!?」
「壁を走って……!?」
「奴に攻撃を集中させろッ!!」
ざわめきが大きくなる中、アルトランは傍にいた伝達兵に淡々と伝える。
「どうやら面倒な敵が来たようだ。第一軍団長に、一時的に全体の指揮権を委譲すると伝えろ」
「ハッ!」
伝達兵が第一軍団長のもとを目指して駆けていくのを見送ったところで、一際大きなざわめきとともに騎士は胸壁の上に降り立った。
「アナタが、アルトラン将軍か」
クオンの報告にあった、七至徒に匹敵する実力を誇る朱髪朱眼の騎士――テストが。
「そういう君はテストくん……で、合っているかな?」
応じながら、大剣媒体の光刃を具象し、テストを見据える。
実際にこの目で確かめてはいないが、兵士たちの反応を聞く限り、テストが壁面を走って壁上までやって来たことは疑いようがなかった。
鎧さえ着ていなければジスファーも同じことができることを、若かりし頃に目の当たりにしていたため、周囲で瞠目している兵士たちとは違い、特段驚きはなかった。
「そうだと言ったら?」
不敵に訊ね返すテストに、アルトランは不敵な笑みを返す。
「盛大にもてなさせていただくとしよう」
そう言って、アルトランはそれとなく顎を撫でることで、周囲の兵士たちに一斉攻撃の合図を送る。
刹那、射程距離内にいた、短銃媒体部隊の兵士二人がテストに向かって発砲する。
全く同時に、テストは長剣媒体の光刃を具象。
アルトラン以外は視認すらできない神速の斬撃で、左右から迫る魔力の弾丸を、射手の眉間目がけて正確に弾き返した。
続けて、テストの近くにいた兵士たちが、長剣媒体を、大剣媒体を、尖槍媒体を手に一斉に攻撃を仕掛けるも結果は同じ。
神速の斬撃に反応すらできずに、一人残らず斬り捨てられてしまう。
「将軍。あとはアナタだけだ」
その口振りからして、テストの狙いがこちらの首であることは明白だが、テストからは猛々しい怒気も、禍々しい殺気も感じられない。
澄み切った闘志を湛えた眼で、こちらを見据えるだけ。
見たところ年の頃はクオンと同じくらいだが、その佇まいは歴戦の勇士を彷彿とさせるほどに堂に入っていた。
(さて、どうしたものか)
現状はテストの方が壁が崩落した側を背にしているため、逃げの一手を打つという選択肢もあるが、
(それはまあ、悪手だな。背中を見せた瞬間に斬られるのが目に見えている。……まったく。クオン嬢といい、ヨハン・ヴァルナスといい、将来が楽しみと言うべきか、末恐ろしいと言うべきか)
兎にも角にも迎え撃つしかない。そう判断したアルトランは、感慨にも似た感情を覚えながらも、大剣媒体を構える。
それだけでこちらの技量を察したのか、テストの周囲の空気が急速に張り詰めていくのを肌で感じた。
転瞬、
光刃と光刃がぶつかり合う音が、王都の空に響き渡った。





