第89話 報恩
アルトランに呼び出されたクオンは、ジスファー存命時に二度通されたことがあるルタール王城の小部屋にて、進軍中の《グラム騎士団》の状況について聞かされていた。
「殿下の策が嵌まって、三二〇〇まで数を減らしてしまうなんて……ただでさえ城を落とすには心許なかった兵力が、余計に少なくなっちゃいましたねぇ」
クオンはクスクスと嗤い、円卓を挟む形で座していたアルトランがため息で応じる。
「そういうこちらの数は、モニア平原の決戦と同じ六〇〇〇。城を護るには心許ない兵力だがな」
「こちらはこちらで、防衛線を護る兵力との兼ね合いがありますからね。王都に戦力を集中させすぎたせいでグラム騎士団の主力以外の軍にまで防衛線を突破されてしまっては、本末転倒もいいところですし」
先程のアルトランを真似するようにため息をつく、クオン。
そんな彼女を見て、アルトランは、
「どうやら調子を取り戻したようだな。クオン嬢」
「おかげさまで。その節は本当に、ご迷惑をおかけしましたぁ」
殊勝とは程遠い嗤みを浮かべ、わざとらしく頭を下げるクオン。
ここに来てようやく、いつもどおりに〝仮面〟をかぶれていることに安堵しながら。
「今の君にならば、〝ここ〟の守りを任せても大丈夫そうだな」
そう言ってアルトランは、王城の見取り図を円卓の上に拡げる。
「戦いが始まり次第、ユーリッド殿下には〝ここ〟に移動してもらう手筈になっている」
アルトランが指し示したのは、見取り図に描かれた、城のそこかしこにそびえ立つ八本の尖塔のうちの一つ。
城の中央にある天守から生えるようにして伸びる、八本の中で最も高く、最も大きい第一尖塔だった。
「第一尖塔って確か、殿下の寝室があるところでしたよね?」
「うむ。我々が占領する以前はコークス国王が使っていた寝室を、そのまま殿下がお使いになられている」
「まさかとは思いますけど、殿下をお守りしろとか言わないですよねぇ?」
露骨に不服そうな顔をするクオンに、アルトランはゆっくりとかぶりを振る。
「そんなことを言うつもりはない。そんなことをさせたら、君をヨハン・ヴァルナスにぶつけることが出来なくなってしまうからな。かといって、君を城外に配置させてしまっては、君たちの戦いに兵士たちが巻き込まれる恐れが出てくる。『クオン・スカーレットは王城にいる』という噂を流させたのは、それを避けるためでもあるのだろう?」
「まぁ、兵士さんたちを巻き込まないためというよりも、ヨハンとの逢瀬を邪魔させないためだったりするんですけどねぇ」
そう言って、クオンはニンマリと嗤う。
いよいよ調子を取り戻したクオンとの会話に疲れを覚え始めたのか、アルトランは数瞬眉間を摘まんでから話を戻した。
「とにかくだ。君に守りについてほしい場所は第一尖塔の中ではない。非常時においては、尖塔の唯一の出入り口となっている空中回廊を守ってもらいたい」
第一尖塔は天守と直結しているため、当然そこから上っていくことも可能だが、第一尖塔と天守の境目にある階段は天井に収納できる仕掛けが施されているため、非常時においては事実上出入り口として機能しないようになっている。
ゆえに、八本の尖塔全てを経由する形で外から内に螺旋を描く空中回廊だけが、唯一の出入り口となっていた。
「空中回廊ですか。そうですねぇ……《グラム騎士団》がヨハンを〝使う〟としたら、風属性魔法による機動力を活かした王城の潜入および攪乱。あわよくば殿下の首を狙わせるといったところでしょうし、このシチュエーションなら邪魔も少なそうですし……いいですよ。どうせ、お城の玄関広間でヨハンを待ちたいって言っても、ダメだって言われそうですし」
「玄関広間にも、相当数の兵士を配置することになるからな。下手をすると、城外以上に君たちの戦いに巻き込まれる兵士が出る恐れがある。だから、そこは我慢してもらおうか」
「そこはちゃんと我慢しますけどぉ、いいんですかぁ? ヨハンが来たら、持ち場そっちのけで戦っちゃいますよ。わたし」
「そう言うだろうと思って、空中回廊から第一尖塔に入ってすぐのところに精兵を配することにした。それに、殿下には直属の親衛隊もついているから、君は好きに戦うといい。何だったら、勢い余って空中回廊を壊してしまっても構わないぞ。第一尖塔と天守を繋ぐ階段が使えないのは、あくまでも攻める側の話だからな」
「なんか、そう言われたら言われたで複雑なんですけどぉ……」
不服そうな顔をするクオンに、アルトランはからからと笑う。
「クオン嬢はジスファーと同じ七至徒だからな。それくらいの想定をしておくのは当然だろう」
「そう言われたら言われたで、もっと複雑なんですけどぉ……色んな意味で……」
冗談じみた物言いだったとはいえ、こうも自然に故人の名前を出されては、さしものクオンもどんな顔をすればいいのかわからなくなってしまう。
いくら狂気に満ちた〝仮面〟といえども、今このタイミングで嗤みを浮かべるのは間違っている――それだけは確かだった。
そんなクオンを見て、アルトランはふと、浮かべていた笑みを穏やかなものに変える。
「陛下曰く、七至徒は狂人の集まりとのことだが、どうにも君はジスファーほど狂っていないように見えるな。特にヨハン確殺命令が下された直後の君は、それこそその辺にいる町娘と変わらないほどに狂気の欠片も感じなかった」
アルトランには〝そういうところ〟を散々見せてしまっていたため、指摘されても驚くことはなかったが、それでも、どうしても、〝仮面〟をかぶってなお、表情が複雑なものになってしまう。
「そういう君にだから言うが、決して狂気に殉ずるような真似はするなよ。ああいうのは、ジスファーのように好きこのんで狂った人間の特権だからな」
「さすがにそんな真似はしませんよ。こう見えてもわたし、死ねない理由の方が多いくらいなんですから」
「そうか。それなら、こちらも安心できるというものだ」
今度は満足な笑みを浮かべるアルトランに、クオンはついこんなことを口走ってしまう。
「将軍さんも変わった人ですよね。わたしみたいな人間のこと、気にかけるなんて」
「いくら七至徒という肩書きに見合う実力があろうが、君はまだまだ若いからな。曲がりなりにも人の上に立つ人間として、気にかけないわけにはいくまい」
あまりにも真っ当な返答を前に、いよいよクオンは口をつぐんでしまう。
(やはりこの人は、本当に、真っ当な人間なんですね)
改めて、そう思う。
アルトラン自身はジスファーと同じ〝人種〟だと嘯いているが、この二人は、根っこの部分で大きく異なっている気がしてならなかった。
ジスファーが生まれながらの戦人であるのに対し、アルトランは軍という環境に身を置いたことで後天的に戦人になったような、そんな印象を受けてしまう。
事実、モニア平原の決戦において、ジスファーが戦人としての欲望に忠実に動いていたのに対し、アルトランは欲望を完全に律して軍の指揮に専念していた。
アルトランが生まれながらの戦人ならば、こうはならない。
「……将軍さんって、本当に変わった人ですよね。帝国の将軍を務めているのが不思議なくらいに」
「前者はともかく、後者についてはよく言われる。だが私は、君や周りが思っているほどまともな人間ではないよ。帝国の属民になった者たちを見ても、少しも心を痛めない程度にはな」
あるいはそれも、軍という環境に身を置いた結果なのかもしれないとクオンは思う。
皇帝ヴィクターの気性ゆえか、帝国の在り方はまさしく弱肉強食。
皇帝直属の部隊である《終末を招く者》ほどではないにしろ、軍もまたその在り方に染まりきっている。
そんな環境で育ち、将軍にまで昇り詰めた人間が、その影響を受けないはずがなく、そういうところまで引っくるめて、クオンはアルトランのことを〝真っ当な人間〟と称したのだ。
「少々、無駄話が過ぎてしまったな」
そう言って、アルトランは立ち上がる。
「《終末を招く者》からの情報によると、《グラム騎士団》は、早ければ二日後に王都に到着する。ジスファーに臍を噛ませるためにも、せいぜい派手に戦い、派手に勝ってやろうではないか」
「そうですね」
諸々の思考を打ち切ったクオンは、ニンマリと嗤った後、思い直したようにこう付け加える。
「こんなことを言うのは、まだ少し早いかもしれないですけど……ご武運を」
「君の方こそな」
アルトランは頬に微笑を刻むと、「失礼する」と言って足早に小部屋から去って行った。
やはりというべきか、籠城の準備で多忙を極めている様子だった。
「思えば、将軍さんには随分とお世話になりましたね」
恩返しというほどではないけれど。
正直、ヨハンのことでいっぱいいっぱいではあるけれど。
テストを除いた《グラム騎士団》の主力――ストレイトス、ラムダス、イリード兄弟のいずれかと相対した時は、必ず仕留めて、少しでもアルトランの負担を軽くしてあげるのも悪くないかもしれないと、クオンは思った。





