第88話 全ては復讐のために
野営地に戻ったヨハンとテストは、王都民が使っていたテントで火事が起きたことに驚きつつも、事態を収めることに尽力した。
やがて夜が明けるも、この騒動のせいで誰も彼もが満足に眠ることができなかったため、王都民の出発時間を朝から昼に変更。
だが、その予定すらもさらに遅れてしまい、昼を大きく過ぎた頃に、五〇〇の護衛をつけた王都民が防衛線の外を目指して出発することになったわけだが、
「も、もう少し護衛の数を増やすことはできんじゃろうか?」
「私たちの中に帝国のスパイがいるらしいじゃない!? 五〇〇じゃ少なすぎるわ!」
「このまま出発して、本当に大丈夫なのか!?」
昨夜の火事で不安を募らせた王都民から抗議の声が上がったせいで、今になってなお出発できないでいた。
「わかりました! 護衛には八〇〇! 現有戦力の二割をつけます! これ以上は王都奪還に支障が出ますので、どうかご勘弁ください!」
王都民に向かって、ストレイトスが深々と頭を下げる。
戦力の二割も割いた時点で支障は思い切り出てしまっているわけだが、それを口にしたら王都民の不安を余計に大きくするだけだと思い、ただ黙って頭を下げるストレイトスだった。
騎士団長が頭を下げた上に、王都奪還に支障が出るという言葉が効いたのか、ようやく納得した王都民が、ようやく出発の準備に取りかかり始める。
ストレイトスはその様子を見えない目で遠目から見守りながら、王都民の護衛を指揮する騎士を呼びつけ、先の抗議で真っ先に声を上げた者、帝国のスパイがいると言っていた者が、まさしくスパイである可能性が高いことを伝え、確証を得たら即座に捕縛するよう厳命した。
勿論、スパイたちが自死することに何の躊躇もないことも、念を押して伝えた。
王都民の出発を見送った後、《グラム騎士団》も王都を目指してすぐに出発する。予定していた行程よりも一日半も遅れた上に、戦わずして三二〇〇まで数を減らされたせいか、多くの者が暗鬱な表情を浮かべていた。
「これは、まずいかもしれないね」
行軍中の馬車の中で、テストは苦々しげに言う。
同乗していたヨハンとカルセルも、苦々しげに同意するしかなかった。
「敗戦ムードとまではいかないまでも、騎士団全体の士気が下がっているのは確かだな」
「ただでさえギリギリだった数が二割も減らされてしまったからね。正直オイラも、けっこう堪えるものがあるよ」
「けど、帝国のスパイが紛れて込んでいようがいまいが、《グラム騎士団》は民を護るためにその身を砕かなければならない」
そう断言するテストに、ヨハンはどこか呆れが混じった声音で訊ねる。
「騎士だからか?」
「うん」
「その在り方を否定するつもりはないが、それでも、帝国を相手する上では足枷にしかならないと言わざるを得ないな」
「確かに、そうかもしれない。けど、騎士道という在り方を貫いてきたからこそ、《グラム騎士団》はコークス王国の希望になり得た。でないと、一度大きな戦いに勝ったからといって、一万二〇〇〇もの人間が《グラム騎士団》に集まるわけがないからね。実際この軍も、グラムの騎士よりも同志の方が数が多いくらいだ」
「それについても否定はしないが、真に貫き通せているならば、この程度のことで士気を下げたりはしないはずだ」
無慈悲なまでの正論を前に、テストは表情を曇らせる。
別にテストを言い負かしたかったわけではないヨハンは、
「すまない。少し言葉が過ぎた」
「いや、気にしないでくれ。今必要なのは、ヨハンのような客観的な視点だからね」
「客観的というより、騎士団に入ってないから言いたい放題言えてるだけだけどね」
空気を変えようとしているのか、茶化すようなカルセルの物言いに、ヨハンは微苦笑を浮かべる。
「まあ、確かに、騎士団の〝協力者〟に過ぎない僕は、言ってしまえば余所者みたいなもの――……」
言いかけて、気づく。
余所者の自分だからこそできる、騎士たちを焚きつける〝方法〟を。
「どうしたの、ヨハン?」
突然言葉を切ったせいか、訝しげに訊ねてくるカルセルに、ヨハンはわざとらしくかぶりを振る。
「自分で言おうとしていてなんだが、ここまで関わっておいて余所者と言うのはどうかと思ってな」
「確かに、今のキミは《グラム騎士団》にとってはもう余所者じゃないね」
どこか嬉しげな表情を浮かべるテストと、「うんうん」と頷くカルセルを前に、ヨハンは胸を痛める。
なぜなら、つい今し方思いついた〝方法〟が、二人を哀しませるものであることがわかっていたから。
だから、〝方法〟については二人には話せない。
次の野営地に到着し次第一人でストレイトスのもとへ行き、〝方法〟について相談しようと、ヨハンは人知れず心に決めた。
◇ ◇ ◇
《グラム騎士団》は一日半の遅れを取り戻すべく、今までよりも速度を上げて行軍を続けた。
ひたすらに軍を進め、日が暮れる直前でようやく足を止めた騎士団は、薄暮の中、野営の準備に取りかかる。
テントを張り終えた後は夕食の時間になるわけだが、別れた王都民に相当量の兵糧を分け与えたため、配給された食事の量は先日よりも目に見えて少なく、その事実がますます皆の表情を暗鬱なものにしていた。
(これはもう、まずいどころの騒ぎじゃないのかもしれないね)
もう王都まであともう少しというところまで来ているのに、精鋭として選ばれたはずの同志も、グラムの騎士さえも士気を地の底まで落としている状況に、テストは危機感を募らせる。
さすがに王都を目にすれば士気も回復するだろうが、
(〝回復〟程度じゃ足りない。こちらは、ただでさえ少ない兵力をさらに減らされたんだ。士気を最高潮にまで高めないと、王都奪還なんて夢のまた夢だ)
他の者よりも早くに夕食を食べ終えたテストは、いまだ何の対策も打たない騎士団長の考えを聞こうと思い、騎士団長用のテントを目指して野営地を歩いて行く。
(それにしても、ヨハンはどこへ行ったんだろう?)
歩きながら、自然と、ヨハンのことを気にかける。
野営の準備をしていた時に用事があると言って姿を消したきりで、夕食時もそれとなく捜してみたものの、ヨハンの姿を確認することはできなかった。
三二〇〇という数は、王都を奪還する上では少ない数だが、人一人を捜す上では多すぎる数だ。
実際、馬車を降りてすぐに別れたカルセルの姿も、今宵はまだ一度も見かけていない。
だから、今は偶々離れ離れになっているだけ。
そう軽く考えていた。
それが、どれほど浅はかな考えであったのかも知らずに。
「ガイ、あれ」
「なんだぁ?――って、テストじゃねぇか」
行く先にイリード兄弟の姿を認め、テストは立ち止まる。
「どいつもこいつも不景気なツラしてやがるが、さすがにおまえは相も変わらずイケすかねぇツラしてんじゃねぇか」
「あ、わかりにくいだろうから説明するけど、今の褒め言葉だから」
「うるせぇぞ、カイ」
そっくりそのまま返したいほどに相も変わらない双子に、テストは苦笑する。
ガイもカイも、兵力と兵糧をごっそり減らされた現状に悲観している様子は微塵もなかった。
「それよりテスト、散歩というにはちょっと急いてるように見えたけど、どこかに行くつもりだったのかい?」
「ストレイトスさんのところだよ。この状況をどうするつもりなのか聞かせてもらおうと思ってね」
「あぁ、旦那のとこか。そういや魔法士も、飯前に旦那のとこに向かってやがるのを見たな」
「ヨハンが?」
不意に、胸騒ぎを覚えてしまう。
普通に考えたら、ヨハンは、自分と同じ理由でストレイトスのところに行ったと〝視〟るべきだろう。
しかし、なぜか、その〝視〟立てが間違っているような気がしてならなかった。
「ガイにカイ! それにテストも! 丁度いいところに集まってやがるな!」
突然、テストが向かおうとしていた先――騎士団長用のテントがある方角から、一人の騎士が怒気を撒き散らしながらこちらにやって来る。
何をそんなに怒っているのか気になったテストとイリード兄弟は、揃って騎士の方に視線を移した。
騎士はテストたちのもとまでやってくると、捲し立てるように言う。
「さっき副騎士団長から聞いたんだけどよ、あのヨハンとかいう魔法士が、こんなザマの騎士団じゃ役に立たないだの、それなら自分が王都を焼け野原にして帝国の連中を皆殺しにした方が手っ取り早いだの言い出したらしいぞッ!! モニア平原でちょっと活躍したからって、あいつ調子に乗りすぎだと思わねえかッ!?」
「そいつは、確かに調子に乗ってやがんな」
と、ガイは悪漢じみた声で応じ、カイは考え込むように顎に手を当てる。
一方で、今の言葉だけで全てを察したテストは、すぐさま騎士団長用のテントを目指して走り出した。
「お、おい! テスト!」
ガイが制止の声を上げるも、テストは全く耳を貸すことなく走り去っていく。
「なんだってんだ?」
眉をひそめるガイに、カイは言う。
「ガイ。ぼくたちも行ってみよう」
「別にいいけどよぉ……何か気づいたのか? カイ」
「テストを後を追えばすぐにわかると思うよ。あくまでも、ぼくの考えが正しければの話だけど」
「はんッ。しょうがねぇな」
「ま、待てよ!」
すぐさま走り出そうとするイリード兄弟を、騎士は慌てて引き止めた。
「俺……なんかやらかしちまったのか?」
カイは一つ息をつき、
「きみは何もやらかしてないよ。むしろ今の話、どんどん皆に広めてあげてくれ。でないと、彼の心意気が無駄になってしまうからね」
カイの言葉の意味がわからなかった騎士は、困惑しながらも「わかった」と答え、二人の前から去っていった。
双子ゆえか、しっかりとカイの言葉の意味を理解していたガイは、どこか忌々しげに訊ねる。
「おい、カイ。今、心意気がどうとか言ってやがったが、そういうことなのか?」
「そういうことだよ。ガイ」
「……ちッ。やっぱ気に入らねぇな、あいつ」
そう吐き捨てると、ガイとカイは今度こそ騎士団長用のテントを目指して走り出した。
◇ ◇ ◇
「なんでキミはそんなことを提案をしたんだッ!!」
騎士団長用のテントの中で、怒りと哀しみが綯い交ぜになったテストの怒声が響き渡る。
何を言っても言い訳にしかならないと思ったヨハンは、ただ黙ってテストの怒りを受け止めた。
「我々のため。それ以上でもそれ以下でもないよ、テストくん」
「彼の提案ほど、皆の士気を上げるのに効果的な手段はありませんからね」
見かねたように、ストレイトスとラムダスが口を挟んでくるも、
「アナタたちもだ! いくらヨハンが騎士団の人間ではないからといって、どうしてヨハン一人が悪者になるようなやり方を容認した!」
あまりのテストの剣幕に、二人は揃って後ずさってしまう。
ヨハンの提案――つまりは士気が落ちた騎士たちを焚きつける〝方法〟とは、ヨハンが、士気が落ちた騎士団のことを小馬鹿にするような言動をとっていたと、さらには、騎士団が役に立たないようであれば自分が王都を焼け野原にすると言っていたと騎士団全体に言いふらすことで、怒りを引き出すことだった。
魔法士であるヨハンを快く思っていない者が多いことも手伝って、怒りという名の気炎は瞬く間に皆の心に火を付ける――そこまで計算に入れた上で、ヨハンはこの〝方法〟を提案したのだ。
まさしくテストが言ったとおり、自分一人が悪者になることを厭わずに。
「やっぱ、そういう話だったか」
吐き捨てるような言葉とともにガイが、続いてカイが、テントの中に入ってくる。
「テスト。あまり大きな声を出さない方がいいよ。他の人に聞かれたら、それこそヨハンがただ嫌われるだけの結果になってしまうからね」
正しすぎるほどに正しいカイの指摘に、テストは口ごもる。
もっとも不服を隠そうともしない表情を見るに、納得しているのは頭だけで、心は毛ほども納得していない様子だが。
「そりゃぁそうと、魔法士。なんで、んなクソッタレな真似をした?」
混沌の様相を呈しつつある場の空気を無視し、ガイは単刀直入にヨハンに訊ねる。
「復讐を果たす上で《グラム騎士団》の存在は必要不可欠。だから、騎士団の士気を上げるために最も効果的な〝方法〟をとった。それだけの話だ」
他人事のように言うヨハンに、ガイは苛立たしげな舌打ちで応じた。
「それで自分を犠牲にして悪者になったってか? 自分に酔ってんじゃねぇよ、クソが。やられる側は胸くそわりぃこと、この上ねぇんだよ」
苛立ちを隠そうともしないガイの言葉に、ヨハンはあるかなきかの苦笑を浮かべた。
「まさか、君に心配されるとはな」
「は……はぁッ!? バカかてめぇッ!? 今のをどう解釈したら、んな話になんだよッ!?」
顔を真っ赤にして否定するガイに、ストレイトスは噴き出し、カイは腹を抱えて笑い出す。
怒りを持て余しているテストと、どう事態を収拾しようかと悩んでいるラムダスは、微妙な表情を浮かべるばかりだった。
「と、とにかくだッ!! てめぇのような自己犠牲野郎は、絶対に認めねぇッ!! 今度同じことやりやがったら、ぶった斬ってやるから覚えてやがれッ!!」
怒号というには少しばかり迫力に欠けるガイの言葉に、ヨハンは、
「自己犠牲、か」
笑みを浮かべた。
ガイとカイ、ラムダスはおろか、テストさえも息を呑むほどに凄絶な笑みを。
「それこそ、何をどうすればそんな解釈になるのかは知らないが……過大評価も甚だしいな。僕はただ、復讐を果たすために僕自身を利用しただけに過ぎない。犠牲にできるほどの自己など、今の僕は持ち合わせていない」
それは誰に向けたものなのか。狂気すら覚えるほどの憎悪と殺意がヨハンの心奥から噴き上がり、いよいよカイたちは気圧され、テストは表情を悲痛に歪ませる。
ただ一人、顔色一つ変えていなかったストレイトスが、常よりも真剣な声音で言う。
「だが、復讐を求めるその想いは、紛うことなくヨハンくんの自己だ。君がいくら犠牲にしていないと主張しても、周りの人間はそういうわけにはいかない。だからこちらとしても、相応の見返りを用意させてもらうつもりだ。君の犠牲に報いるためにな」
だから、この件はこれで手打ちにしてくれ――と言外に込めながら、ストレイトスは、ヨハンからテストに見えない目を向ける。
「……ヨハンが、それで納得するなら」
渋々といった風情で答えるテストに微笑を浮かべた後、ストレイトスはヨハンに向き直る。
「王都での戦いが始まり次第、斥候に、コークス王国における帝国のトップであるユーリッドと、帝国軍将軍アルトランの居所を探らせる予定だが、それとは別にクオン・スカーレットの居所も探らせる――というのが、俺が用意できる見返りだが、どうだろうか? ヨハンくん」
ストレイトスが用意した見返りに、ヨハンはますます凄絶に笑んだ。最早答えを聞くまでもない――この場にいる誰もがそう確信できるほど、凄絶に。





