第85話 少女の懊悩
シリウス伯の砦にある練武場で、ヨハンはテストと対峙する。
ヨハンの手には、弾丸の威力を限界まで引き下げた短銃媒体が、テストの手には木剣が握られていた。
「いつでも始めていいよ。ヨハン」
相対距離は、およそ一〇メートル。
短銃媒体使いにとっては有利な間合いであり、クオンとの戦いおいては最低限維持しなければならないギリギリの間合いだった。
ヨハンはすぐには仕掛けず、たっぷりと一分かけたところで短銃媒体を構え、引き金をひく。
早撃ちと呼ぶには少しばかり物足りないが、それでも狙いをつけてから引き金をひくまでの速さは並以上。
だが、並以上程度ではテストに届くはずもなく、右腕を狙った弾丸は半身を引くだけでかわされてしまう。
転瞬、テストは床を蹴って距離を詰めにかかる。
ヨハンは牽制の弾丸を放ちつつも、縦横一辺の長さが三〇メートルはくだらない練武場を目いっぱい使い、円を描くようにして後退しながら距離を保ち続ける。
だが、テストの方が機動力において純粋にヨハンを上回っている上に、牽制のため可能な限り正対しながら後退しているため、どうしてもジリ貧になってしまう。
おまけに、テストが牽制の弾丸を足を緩めることなく見切ってくるものだから、手詰まりもいいところだった。
(だからこそだ……!)
絶望的な実力差を前に、勝機を見出す〝力〟をつける――これは、そういう模擬戦。クオンという絶望に勝利するには、クオンと同等の実力を有するテストの猛攻を凌ぐ〝力〟が、一秒でも長く渡り合える〝力〟が必要。
ジリ貧になるのも手詰まりになるのも、むしろ望むところだった。
当然の帰結のように、テストがいよいよ木剣が届く間合いまで迫ってくる。
瞬間、ヨハンを床を蹴った。
退くためではなく、前に出るために。
重心の動きも含めて、ヨハンがギリギリまで前に出る気配を隠していたからか、どうやらテストの虚を突けたらしく、彼女の目がほんのわずかに見開いた。
しかし、突けた虚は見開いた目と同じくほんのわずか。
テストの迎撃を、ほんのわずかに遅らせた程度の戦果しか得られなかった。
だが、
(それで充分だ!)
テストの剣は神速。
ヨハンの武力では、どれほど虚を突こうが、彼女の間合いに飛び込んだ時点で先手をとられるのは避けられない。
虚を突き、前に出たのは、テストの攻撃パターンを限定させるためだった。
ヨハンは今日まで、〝視〟る力を鍛えるためにテストの剣の型を幾百幾千と〝視〟てきた。
その過程で〝視〟えてきたのは、型の一つ一つに込められた理合いだった。
この斬撃の型は、どういう状況で振ることを想定されたものなのか。
この刺突の型は、どの瞬間を狙って繰り出すものなのか。
その一つ一つに込められた理合いを、呪文の一語一語に込められた意味を紐解くように分析し、記憶した。
だからわかる。
次にテストが繰り出す手は、突っ込んでくる敵にとって最も避けにくく、なおかつ最短最速で攻撃できる――
(胴体への刺突!)
かろうじてでしか〝視〟えない神速の剣といえども、読めていればヨハンでもかわせる可能性は充分にある――いや、かわせないようでは話にもならない。
ヨハンが爆発的に集中力を高めた刹那、木剣を持つテストの左手が霞み、それよりも半瞬早くに、ヨハンは体を半身にする。
読みどおりに繰り出された神速の刺突は、半瞬早く動いたにもかかわらずヨハンの胸元をかすめていく。
かわせた喜びを抱く間も惜しんだヨハンは、刺突の隙を突こうとすぐさまテストに銃口を向――
「!?」
かわしたはずの木剣が、いつの間にか喉に触れる手前で止められていたことに気づき、ヨハンは短銃媒体を持ち上げようとしていた手を止める。
状況を見る限り、どうやらテストは、ヨハンがかわした瞬間に刺突を横薙ぎの斬撃に変化させていたようだ。
頭ではわかっていたつもりだったが、剣の型はあくまでも型にすぎないことを、ヨハンは今さらながら思い知る。
「その様子だと、助言は必要なさそうだね」
そう言って、テストは木剣を引く。
「今日はもうここまでにしよう。明日から始まる大勝負に、余計な疲れを持ち込むわけにはいかないからね」
大勝負とは勿論、王都奪還を指した言葉だった。
二日前。
帝国軍の指揮官リッチを討ち取ったテストが砦に戻ってきたその日に、砦にいる全ての騎士と同志を集め、騎士団長ストレイトスが直々に王都奪還の段取りを説明した。
段取りと言っても、その内容は極めて単純。
先の戦いで領地を奪われ、防衛線の押し下げと軍の再編を余儀なくされた帝国の綻びを、グラムの騎士を中心とした精鋭四〇〇〇で狙い打って突破し、そのまま一気呵成に王都まで攻め込むというものだった。
当然段取りについては《グラム騎士団》に協力する全ての地方領主にも伝えられており、地方領主軍を中心とした残りの八〇〇〇の軍で帝国軍の防衛線全域に攻撃を仕掛け、足止め、あるいは撃破した後に精鋭四〇〇〇と合流する手筈になっている。
コークス王国における帝国との戦いは、今まさに最終局面を迎えようとしている。
だからこそ、ギリギリまで鍛錬を積みたいところだが、その鍛錬のせいで戦いが始まる前から疲弊してしまっては元も子もない。
ゆえにヨハンは素直にテストに従い、短銃媒体を懐に仕舞うも、
「……駄目だな。どうしても、何かしていないと不安になってしまう」
言葉どおり、つい不安をそのまま口にしてしまう。
クオンが《終末を招く者》だとわかって以降、ヨハンは二度彼女に戦いを挑んだが、いずれも全く相手にならなかった。どころか、戦いにすらなっていなかった。
テストとの模擬戦を繰り返し、詠唱省略の魔法陣を対クオン用のものにし、それを活かした戦い方を徹底的に詰めても、どうしても胸中に不安が渦巻いてしまう。
ブリック公国の主君セルヌント公の、レグロを始めとした仲間たちの仇を討つために、絶対に勝たなければならない――そんな気負いがある分、余計に。
「気持ちはわかるけど、ここまで来たらもう覚悟を決めるしかないよ。それに、元も子もないことを言えば、必ずしも王都奪還の戦いの最中にクオンと相対できるとは限らない。気を抜けとまでは言わないけど、肩肘を張らない程度の余裕は持っておいた方がいいよ、ヨハン」
全く以てそのとおりだと思ったヨハンは、何も言えずに口ごもってしまう。
頭では理解できても、心が理解してくれない。
どうしても、心の奥底に眠る弱気の虫が疼いてしまう。
そんなヨハンを見て、テストは微笑を浮かべた。
「大丈夫。やるべきことはやった。絶対に負けないなんて無責任なことは言えないけど、ヨハンに有利な地形に引き込むことができれば、あのクオンが相手でも十二分に渡り合うことができる。それは、このボクが保証するよ。それとも……」
テストは浮かべていた微笑をイタズラっぽいものに変えながら、言葉をつぐ。
「ボク程度の言葉では保証にすらならないかい? 模擬戦の時も、ボクを気遣ってか四肢以外は全然狙ってこなかったしね」
「気を遣ったわけではない。君相手に手加減なんて烏滸がましいにも程があるからな」
「わかってる。言ってしまえば、ただの性分。そうだろう?」
依然としてイタズラっぽい笑みを浮かべるテストに、ヨハンは眉根を寄せる。
「もしかして、からかってないか?」
「もしかしなくても、からかってるよ。それで少しでもイラッとした分、不安もどこかに行くんじゃないかと思ってね」
「……まだからかってないか?」
「半分くらいは」
テストの笑みがイタズラっぽいものから、柔らかなものに変わるのを見て、ヨハンは毒気を抜かれたようにため息をつく。
「このままでは、不安に打ち勝つまでからかい倒されそうだな」
「そういうこと。これ以上からわれたくなかったら、少なくとも王都にたどり着くまでにはどうにかしておくことだね」
ヨハンは苦笑を浮かべながら「そうだな」と応じ、
「外の風に当たってくる」
「一人でいると余計に不安が大きくなると思うけど、いいのかい?」
「だからこそだ。これ以上君にからかわれないようにするためにも、とことん不安と向き合ってみるつもりだ」
「そうか。でも、あまり長く一人で居すぎないよう頼むよ。ストレイトスさんは、もう付きっきりで護衛しなくても大丈夫だろうとは言ってたけど、油断しすぎるのもよくないからね」
「わかっている」
その言葉を最後に、ヨハンは練武場から去っていく。
ヨハンの背中を見送った後、テストは小さくため息をついた。
「らしくないね。我ながら」
それは、自分が、ヨハンをからかったことについて言った言葉だった。
実のところ、テストは、このままヨハンとクオンを戦わせていいものかと悩んでいた。
詳しい事情を知らないテストから見ても、ヨハンがクオンにされたこと、クオンがヨハンにしたことは、到底許されるものではないと断言できる。
モニア平原の決戦後、クオンがヨハンと二人きりで会うことを黙認した〝あの夜〟、逃げるように去っていったクオンの様子から、二人の間に致命的なまでの亀裂が生じていることが〝視〟て取れた。
ヨハンにとってクオンは紛うことなき敵。
そして、テストにとってヨハンが味方である以上、彼の力になることに躊躇はない。
だけど、
『ヨハンにとっては……その方がいいのかもしれませんね……』
モニア平原の決戦でクオンと死闘を繰り広げた際に、テストは垣間見てしまった。
怪物とは程遠い、傷心しているただの女の子にしか見えない、クオンの素顔を。
『あなたになら、本当に、安心してヨハンを預けることができそうですね……』
そして、〝あの夜〟にクオンに言われた言葉。
そこには、嘘偽りのないヨハンへの愛情が滲み出ていた。
クオン・スカーレットは《終末を招く者》。
紛うことなき敵。
その認識は変わらない。
けれど、〝あの夜〟以降、テストはクオンのことを、どうしても倒さなければならない敵とは思えなくなっていた。
駄目だとわかっていても、その感情を覆すことができないでいた。
事実、クオンを倒すためにヨハンに協力している間、クオンに〝勝てる〟、クオンを〝倒せる〟といった言葉が、テストの口から出てきたことは終ぞなかった。
(これじゃ、ヨハンに偉そうなことは言えないな)
不安を抱くよりも余程タチが悪いことをはわかっている。わかりきっている。
それでもなお、クオンのことが嫌いになれないでいるのは、彼女のヨハンへの想いに触れてしまったからか、それともそんな彼女にヨハンのことを頼まれてしまったからか……それは、テスト自身にもわからなかった。
「……ボクの方こそ、外の風に当たってきた方がいいのかもしれないね」
自嘲めいた笑みを浮かべながら独りごち、練武場を出ようとしたその時だった。
「よっしゃ! ばっちりいやがったな!」
イリード兄弟の兄――ガイが、ずかずかと練武場に足を踏み入れ、壁に立てかけてあった大剣サイズの木剣を掴み取る。
「今日しかチャンスがねぇからな! 今すぐおれと勝負しやがれ! テスト!」
そう叫びながら、木剣の先を向けてくるガイを見て、テストは心底ちょうどいいと思った。
ガイほどの手練れが相手ならば、この誰にも言えない感情からくる鬱憤をぶつけても、良い感じに受け止めてくれるだろう。
「怪我しない程度でいいのなら、付き合ってもいいよ」
そして二〇分後。
身体的な怪我こそはなかったものの、心に怪我を負うほどの敗北を喫したガイが一人練武場で項垂れているのを、弟のカイが発見したのであった。





