第84話 最低最悪の一手
ルタール王城の会議室。
そこでは、ヘルモーズ帝国皇弟ユーリッドを中心とする、モニア平原の決戦に敗れて以降もう何度目になるかもわからない会議が開かれていた。
「この件に関しては、他言しないよう兄上から厳命されていてな。貴様らには悪いが、私の口から言えることは何もない」
この件とは、ミーミルという戦略上取るに足りない村を護っていたこと。そこで起きた奇っ怪な出来事のこと。そして、その際に忽然と現れ、忽然と消えた七至徒――ルナリアからの伝言で、もうミーミルを護る必要はないと言われたことを指していた。
そして、ユーリッドの口から〝兄上〟という言葉が出たことで、この件について詳しい説明を求めた大臣たちは、これ以上の追及を断念せざるを得なくなってしまっていた。
大臣たちからこれ以上の進言がないことを確認したところで、ユーリッドはアルトランに訊ねる。
「そちらの首尾はどうだ?」
「第二軍団長のリッチが討たれるという想定外の出来事はありましたが、特に仔細はございません。件のコウーロ伯領を含めた三つの領地を奪わせたことで、予定どおりこちらの防衛線を押し下げることができました。後は防衛線を押し下げたことで大急ぎで軍の配置を再編する体を装いながら、あえて命令を遅らせることで再編に手間取る陣をつくり、そこを《グラム騎士団》が狙ってくれるのを待つのみです」
「〝あえて〟か。あまり露骨にはなっていないだろうな?」
「そうならないよう、防衛線に布陣する兵士たちには、こちらが籠城を選んだことを伝えておりません。勿論、軍団長クラスは知っていますが、他言しないよう釘は刺しております」
「ならいい。王都民解放の準備は、どの程度進んでいる?」
「八割といったところでしょうか。突然解放されることを訝しんでいるようですが、帝国の属民として扱われる状況から抜け出せる喜びの方が大きいようで、こちらに関しても仔細ございません」
「属民から抜け出せる喜びか。呑気なものだな。所詮それも一時のものに過ぎぬというのに」
ユーリッドは下らんと言わんばかりに鼻を鳴らし、話を続ける。
「王都民に紛れ込ませる《終末を招く者》の選定は、こちらで済ませておいた。撹乱はともかく、ストレイトスやヨハンの暗殺はあまり期待するなよ」
「心得ております。騎士団の神経を少しでも磨り減らすことができれば――……」
と言いかけたところで、アルトランは言葉を切る。
会議室の扉が、大臣たちはおろか、ユーリッドでさえも全く気づかないほど静かに開閉され、それに合わせて、一人の怪物が部屋に侵入してきたことに気づいたからだ。
アルトランの口から呆れたため息が漏れた時にはもう、怪物――クオン・スカーレットは、ユーリッドたちが囲う長卓の上に立っていた。
「ななななななッ!?」
まるでミーミルの件で報告にあったルナリアのように、忽然と姿を現したクオンに大臣たちは吃驚する。
気配を殺し、常人の目では決して捉えられない速度でテーブルに飛び乗った――と言われて信じる者は果たして何人いるだろうかと、アルトランは益体もないことを考える。
「な、何者だ貴様ッ!?」
「殿下の前で不敬であるぞッ!!」
大臣たちが、泡を食ったように叫び散らす。
そんな中ユーリッドは、クオンの動きを全く追えていなかったにもかかわらず、些かの動揺もなく大臣たちを窘めた。
「喚くな阿呆ども。この小娘は七至徒。皇族からすれば、まともな行動をとられた方が不敬に映る狂人だ」
どこか愉快そうな表情で、ユーリッド。
こういうところは陛下とよく似ていらっしゃると、アルトランは顔に出すことなく苦笑する。
「で、用件はなんだクオン? わざわざ会議の途中に現れたということは、今していた話に関わる話があるのであろう?」
「さすがですねぇ、殿下。話が早くて助かります」
クオンは婀娜っぽく嗤うと、予備動作なしに跳躍し、大臣たちの頭を飛び越えて床に下りる。
「殿下が選定した構成員の皆さんを使って、解放した王都民たちの間に、『クオン・スカーレットは王城にいる』という噂を流して欲しいんですよ」
ユーリッドは「ほう……」と、感心の吐息を漏らす。
「ヨハンが貴様に執着していることも、貴様が自らの手でヨハンを斃すと宣言したことも聞き及んでいる。その噂を流すことは、貴様にとっても帝国にとっても有益になりそうだな」
「さっすがですねぇ、殿下。本当に話が早くて助かります」
一方、話が遅い大臣たちは、その噂を流すことがどうして帝国にとって有益なのかわかっていない様子だったので、アルトランは独りごちる体を装いながら皆に説明する。
「確かに、その噂をヨハンの耳に入れさせることができれば、こちらの目論見どおりに、彼奴をこの王都に釘付けにすることができるだろうな」
「そういうことです」
クオンはアルトランに向かってニッコリと嗤った後、ユーリッドに向き直り、
「というわけなので、よろしくお願いしますね。殿下」
それだけ言い残すと、現れた時と同じように、クオンは忽然と会議室から消え去っていった。
狐につままれたような顔をしている大臣たちを尻目に、ユーリッドはアルトランに訊ねる。
「こうも愉快な会議は久方ぶりだな。そうは思わんか? アルトラン」
「どちらかと言えば、肝が冷える会議だったと思いますが」
「ふん。思ってもいないことを」
そう言って、ユーリッドは愉快そうに、アルトランは鷹揚に笑った。
◇ ◇ ◇
会議室を後にしたクオンは、あてがわれた客室に戻り、扉を閉めたところで深々とため息をつく。
これで、ヨハンを斃すための準備は概ね整った。
あとは実際に、この王都にヨハンがやって来るのを待つのみ。
(殿下と将軍さんの見立てどおり、王都では、ヨハンは最上級魔法は使えない)
だがその理由に関しては、クオンの見立てと、ユーリッドとアルトランの見立ては異なっていた。
ユーリッドとアルトランは、王都を破壊させないために、《グラム騎士団》がヨハンに上級以上の魔法を使わせないようにすると思っているようだが、わざわざそんなことをしなくても、ヨハンが王都を破壊するような真似はしないことを、クオンは知っていた。
(ヨハンは、優しすぎるくらいに優しいから)
だから、村や町は勿論、コークス王国の人々が大切にしている王都を、無闇矢鱈に破壊するような真似は絶対にしない。
戦である以上、多少の破壊は割り切ることはあっても、大規模な破壊を行なうような真似は絶対にしない。
そもそも、そんなことをすればヌアークを滅ぼした帝国と同じになってしまう。
だからヨハンは、魔法を使うにしても対人向けのものに限定する。
絶対に。
間違いなく。
そこに付け込み、『クオン・スカーレットは王城にいる』などという噂を流すよう仕組んだことに心が痛みを訴えてくるも、ヨハンを死なせないためだと自分に言い聞かせることで、どうにか耐え忍ぶ。
(そもそも、わたしに心を痛める資格なんて、ありません)
わたしは完膚なきまでにヨハンの敵。
だから今度の戦いで、徹底的にヨハンを打ちのめす。
四肢を砕き、喉を潰し、再起不能に陥るまで。
死よりもつらい状態だと帝国に思わせるほど、徹底的に。
それが、ヨハンを死なせないための、唯一無二の、最低最悪の一手。
「大丈夫……ヨハンの傍にはテストさんがいます。だから……きっと……大丈夫……」
そう自分に言い聞かせた言葉は、今にも消え入りそうなほどか細く、慟哭にも似た悲痛に満ちていた……。





