第77話 ミーミル
「いや~、さすがにこの空気はオイラもきついんだけど……」
幌馬車に揺られながら、険悪な空気に溜まりかねたカルセルが肩を落としながら言う。
横合いから聞こえてきた友の嘆きに、ヨハンは対面に座る男――ガイ・イリードを顎で示しながら素気なく答えた。
「それは、目の前にいるあいつに言ってくれ」
「あぁ? クソみてぇな空気振り撒いてるのは、てめぇの方だろうが」
凄むようにヨハンを睨みつけるガイの隣で、弟のカイが、観劇にでも興じているかのように楽しげな笑みを浮かべていた。
現在ヨハンは、カルセルとイリード兄弟とともに馬車に乗り、王都ルタールから見て南側の最前線――コウーロ伯領を目指していた。
モニア平原の決戦以降ヨハンの護衛についていたテストは、苦戦中の戦地に赴いているため馬車には同乗していない。
そして、テストの代わりにヨハンの護衛を任されたのが、このイリード兄弟だった。
「しっかしストレイトスの旦那は、なんだっておれたちをこんな野郎の護衛につかせたんだ? テストみてぇに激戦地に行けっていう命令なら喜んで従うってのに」
「そのテストの代わりになれる騎士なんて、騎士団長を除けばぼくたちくらいしかいないからね。単純に実力を買われただけだと思うよ。それに、今向かっているコウーロ伯の地方もまさしく激戦地だから、ガイのご期待に添えられると思うよ。ところで……」
兄を宥めていたカイは横目でヨハンを見やり、試すような物言いで訊ねてくる。
「ヨハン。きみがシリウス伯の砦に来たその日の内に、騎士団長たちの会議の決定により、きみには極力魔法を使わないようにしてもらうって報告を受けたけど、きみ自身はそれに従う気はあるのかい?」
カイの言葉を受け、ヨハンは〝その日〟のストレイトスとの会話を思い出す……。
◇ ◇ ◇
三日前。
シリウス伯の砦に到着し、荷物を置きに行った部屋でイリード兄弟と軽いいざこざを起こした後、ヨハンはテストとカルセルとともに、到着の報告をするために騎士団長の執務室を訪れた。
その際に、会議の決定により、ヨハンには極力魔法を使わないようにしてもらう旨を伝えられたのだ。
「この場には俺と君たちしかいないからぶっちゃけるが、これは言ってしまえば騎士団からの〝お願い〟だ。俺たちには、ヨハンくんに魔法を使うなと強制する権利はないからな。その上で訊くが……ヨハンくん。俺たちの〝お願い〟、聞き入れてくれる気はあるか?」
《グラム騎士団》に阿るつもりはないが、さりとてみだりに和を乱すつもりもなかったヨハンは迷うことなく首肯を返した。
「そちらの言うとおり、あくまでも〝極力〟になるがな。それに……」
服の上から、懐中にあるレティアの短銃媒体に触れながら言葉をつぐ。
「今はちょうど、武装媒体のみでの戦い方を詰めておきたいと思っていたところだ。状況が許す限り、魔法を使わないことを約束しよう」
ストレイトスは、ヨハンの返事に満足するように笑みを浮かべた後、「話はもう一つある」と言って、執務机に拡げてあった地図の一点――王都から南に離れたところにある地方を指でさし示した。
「ここは……」
「コウーロ伯の領地だね」
地図を覗き込むカルセルとテストに向かって、ストレイトスはその通りだと言わんばかりに首肯する。
目が見えないのにどうして地図の位置を正確に把握できるのか――などと、今さら驚く気にもなれなかったヨハンは、率直にストレイトスに訊ねた。
「そこに何がある?」
「ミーミルさ」
ストレイトスの返答にヨハンは瞠目し、何のことだかさっぱりわからないカルセルが眉をひそめた。
ミーミル。
それは、まさしく先程ヨハンが着衣越しから触れていた、短銃媒体の前の持ち主――レティアの生まれ故郷。
ヨハンは《グラム騎士団》に協力する見返りに、《終末を招く者》についての情報を、特にクオンについての情報を収拾してもらっている。
そして、それとは別に情報収集を頼んでいたのが、ストウロ村で《終末を招く者》に殺された、レティア、ラスパー、スレット、トムソンが生まれ育ち、帝国に奪われた村――ミーミルの所在だった。
「ここにレティアの故郷が……」
感慨に浸ると言うにはあまりにも複雑な表情を浮かべながら、ヨハンは独りごちる。
一方で、多少はレティアについての事情を知っていたテストも、ヨハンほどではないにしても複雑な表情を浮かべていた。
「でも、コウーロ伯の地方って確か……」
一人全く事情を知らないカルセルがおずおずと口を開き、ストレイトスが首肯を返しながら応じる。
「現在展開されている戦線においては、一、二を争う激戦地だ。ミーミル村の状況如何によっては騎士団の〝お手伝い〟をしてもらうことになるが、行くか? ヨハンくん」
「当然だ」
微塵の迷いもなくヨハンは即答し、
「だったら、ボクも付き合おう」
しょうがないねとでも言いたげな顔をしながらテストが続くも、
「あ~……悪いが、テストくんにはやってもらいたいことがあるから、ヨハンくんと一緒には行かせられないな」
露骨に不服な目で睨んでくるテストに、ストレイトスは無駄にニヤけながら応じる。
「コウーロ伯領が一、二を争う激戦地と称したとおり、そことは別にもう一つ激戦地があってな。その地にいる帝国軍の指揮官のリッチという男が、かなりのやり手とのことだからテストくんに斬ってきてもらいたい。早急に王都奪還の策を詰めるためにも、俺もラムダスも今はこの砦を離れるわけにはいかんからな。だから、ここは一つ頼まれてくれ」
騎士団長に両手を合わせて頭を下げられては、さしものテストも断ることができず、渋々といった風情で「わかりました」と了承した。
「だけど、その間は誰がヨハンの護衛につくんです?」
「それについては抜かりないから安心したまえ。ヨハンくんの存在は騎士団にとって切札そのものだからな。相応の人材を護衛につけるつもりだ」
◇ ◇ ◇
その相応の人材がイリード兄弟と、どう見ても護衛というよりも周囲との軋轢を減らす緩衝材として選ばれたカルセルだったことはさておき、ヨハンは「魔法を極力使わないという決定に従う気はあるのか」と問うカイに向かって首肯を返し、ストレイトスに答えた時と同じ答えを返した。
「あくまでも〝極力〟になるがな」
「極力ねぇ……」
胡乱な目を向けてくるカイを無視して、話は終わりだと言わんばかりにヨハンは瞑目する。
到着まで一眠りする――のではなく、クオンとの戦いにおいて、どの魔法が有効で、どの魔法を詠唱省略させるべきなのかを思案するために。
無視に等しいヨハンの態度を前に、ガイは舌打ちを漏らしてから不機嫌を隠そうともしない表情で黙りこくる。
これはもう馬車が停まるまでずっとこの調子だと確信したカルセルは、ガックリと肩を落としながら嘆いた。
「いや、ほんとしんどいわ~……」
「ほんと勘弁してほしいよね」
穏やかかつ楽しげな笑みを浮かべながら同意するカイに、心の底から勘弁してほしいと思うカルセルだった。





