第76話 籠城
コークス王国内におけるヘルモーズ帝国の拠点、王都ルタール。
その中枢たる王城の会議室で、皇弟――ユーリッド・ロニ・レヴァンシエルは玉座を思わせるほどに豪奢な座具に腰掛けながら、同じ長卓を囲う大臣に向かって淡々と言った。
「どうにも、芳しい状況ではないな」
モニア平原の決戦以降、コークス王国の各地で反乱が激化し、占領していた一部地方を奪い返されるほどにまで戦線が押し返されていた。
ユーリッドの言葉は、あくまでもその事実を確認しただけのものにすぎなかったが、どうにも会議に列席している大臣たちはそのようには受け取っていないようで、責められていると勝手に解釈しているのか揃いも揃って恐縮しきりだった。
ユーリッドは、腹違いの兄である皇帝ヴィクターと同じ金髪銀眼だが、受ける印象は概ね真逆。
その気性ゆえに苛烈な印象が強いヴィクターに対し、ユーリッドは冷たさすら覚えるほどに怜悧な印象を覚える。
ヴィクターは大将軍を兼任するほどの〝武〟を有しているが、ユーリッドは皇帝の座に興味がないという理由もあってか〝武〟は嗜んでおらず、王衣の下に隠れている体の線はやや細い。
だが、概ねと称したとおり全てが真逆というわけではなく、ユーリッドはある一点においてヴィクターと共通している部分があった。
その共通点は威光。
ただ佇むだけで卑賤の者たちを問答無用に傅かせる威光は、ヴィクターほどではないしろ、確かに、間違いなく、レヴァンシエルの血筋を思わせる〝力〟に充ち満ちていた。
占領地の平定のために派遣される、その分野においては歴戦の強者と称して差し障りない大臣たちを圧すほどに。
ユーリッドは眼鏡の下の銀眼を巡らせ、恐縮しきりの大臣どもでは話にならないと断じ、末席に座す、帝国軍将軍――アルトランに訊ねる。
「アルトラン。政治的な些事は無視して構わん。貴様の意見を聞かせてもらおう」
「はっ」
灰髪の巨漢は恭しく応じ、常と変わらぬ落ち着いた声音で答える。
「今は侵攻を中断し、領土の防衛に専念すべきかと」
途端、ユーリッドに対しては恐縮しきりだった大臣たちが、アルトランに対して非難の声をあげ始める。
「そんな消極策で事態が打開できると思っているのか!」
「負けるはずのない戦いに負けたのも、その弱気が原因だったのではないか!」
「殿下! やはり将軍には相応の罰を下し、代わりの者を――」
「黙れ。愚昧ども」
静かに厳かにユーリッドは言い、大臣たちは口角から飛ばしていた泡をピタリと止める。ユーリッドの威光にあてられ、今にも震え上がりそうなほどに顔を青くしながら。
「貴様のことだ。ただ守りに専念するつもりはないのであろう?」
「はっ。勿論でございます」
アルトランは不敵な笑みを浮かべ、言葉をつぐ。
「防衛線に一点だけ〝穴〟をつくり、今度はこちらが《グラム騎士団》を領内に引き込むのです。この王都ルタールまで」
それを聞いて、別の意味で顔を青くする大臣たちとは裏腹に、ユーリッドは双眸にどこか楽しげな光を燻らせる。
「なるほどな。現在の《グラム騎士団》は、そのほとんどが地方領主軍や王国民たちで構成されているが、旗印はあくまでもグラムの騎士。騎士どもさえ潰せば、旗印を失った《グラム騎士団》は瓦解する。そして、騎士たちの本懐が王都奪還である以上、〝誘い〟に乗って王都にやってくる軍は必然的に、主力であるグラムの騎士になるというわけか」
「ご推察のとおりです。とはいえ、初手の段階で露骨な〝誘い〟を見せては相手が警戒して乗ってこない可能性がありますから、ある程度こちらの領土を奪わせる小細工も必要になるかと」
「構わん。それくらいしなければ、あのストレイトスを〝誘い〟に乗せるなどできはしないからな」
ユーリッドは一応といった風情で大臣たちに視線を巡らせ、反論がないことを確認してからアルトランに訊ねる。
「ところで、兄上から確殺命令が出されているヨハン・ヴァルナスはどうするつもりだ? 先の戦いでは其奴一人のせいで負けたと言っても、過言ではないという報告を受けたが」
「こちらが頼むまでもなく《終末を招く者》の構成員がヨハン暗殺に向かったようですが、さすがグラムの騎士と言うべきか、ヨハンのもとにたどり着くどころか、騎士団に潜り込めたという報告すら受けておりません。ゆえに、まず間違いなく、ヨハンはグラムの騎士とともにこの王都までやって来ると思った方がいいでしょう」
ヨハンを止める気などまるで感じられない口振りに、大臣たちが反論しようとするも、先と同様ユーリッドに窘められると思ったのか、揃って浮きかけた腰を下ろし、続く言葉を待った。
「大陸最高の魔法士の血を引き継ぐだけあって、ヨハンの魔法は強力無比としか言い様がありません。それこそ王都に向かって使おうものなら、その全てを破壊し尽くしてしまうほどに」
ユーリッドは「ほう」と感心の吐息をつく。
「先にも言ったとおり、《グラム騎士団》の本懐は王都の奪還。ヨハンの魔法で王都が破壊されるような事態は、騎士団が勝手に止めてくれる。それを逆手にとり、魔法を好き放題使える野戦を捨てて籠城に徹することが貴様の策というわけか」
「仰るとおりです、殿下。あと一月足らずで本土からの援軍が到着します。ゆえに彼奴らは近いうちに必ず一点突破を仕掛けてきます。わかっていれば止めるのは容易いと言いたいところですが、戦全体の流れが騎士団に傾いている現状においては、たとえ私自ら指揮をとっても一点突破を止めるのは困難。余計な損害を受けた上で、騎士団に王都まで攻め込まれる公算が極めて高いと言わざるを得ないでしょう」
「確かに、各地の戦線が押されている現状を考えると、いつ、どこから来るかもわからぬ敵主力の一点突破を止めるのは至難だな」
「はい。ゆえに、あえてこちらから王都に引き込むことで戦力を温存し、万全の態勢を整えた上で《グラム騎士団》を迎え撃つ所存にあります。本土からの増援がやってくるまで一ヶ月弱。彼奴らがこの王都にたどり着くまでにさらなる日数を費やすことを考えると、籠城期間はそう長いものにはなりません。懐まで敵を引き込む以上、相応の危険を背負うことになりますが、その上で、ヨハンの魔法まで警戒しなければならない野戦に付き合うよりも籠城の方がはるかに勝算が高いと私は断言します」
力強く言い切るアルトランを前に、やれ消極策だ、やれ弱気だと非難していた大臣たちが押し黙る。
危険を承知した上で、これ以上ないほどの勝ち筋を示す将軍に反論できる者は、この場には一人もいなかった。
ユーリッドは満足げな笑みを頬に刻み、アルトランに、次いで大臣たちに言う。
「よかろう。貴様の策、このユーリッド・ロニ・レヴァンシエルが承認する。以後、アルトランの策に意見することは、この私に意見することと同義だと思え」
◇ ◇ ◇
伝達員から会議の結果の報告を受けた黒髪緋眼の少女――クオンは、あてがわれた客室のベッドに寝転がり、ぼんやりと天井を眺めながら独りごちた。
「籠城を選んだということは、《グラム騎士団》が王都にたどり着き次第、王都に住んでいるコークス王国の民衆は解放されることになりますね」
クオンの声音が確信に満ちていたのは、三つの理由があってのことだった。
一つは、ヘルモーズ帝国皇帝ヴィクターが人質をとるという行為を毛嫌いしている点にあった。
ヴィクターは、たとえそれが小細工に過ぎなくても、権謀術数を弄することを容認している。
なぜなら、卑しかろうが汚かろうが、そこには確かに〝智〟の分野における闘争が発生しているからだ。
闘争の果てに、〝武〟も〝智〟も含めた相手の全ての〝力〟を屈服させる。
それがヴィクター・ウル・レヴァンシエルの覇道。
その道に、人質をとるなどという、闘争の余地もない恥知らずな行為は存在しない。
この王都を陥落させた際にコークス王国の国王を生かさなかったのも、生きているだけで人質として機能するという理由があったからに他ならなかった。
次いで、王都民を解放する二つ目の理由は、単純に兵糧の問題があってのことだった。
王都の兵糧は充分すぎるほどの蓄えがあり、さらには籠城に備えて占領下にある他地方からも補充される手筈になっている。
そのため、帝国民を食べさせる分には何ら問題はない。が、王都民にまで分けるとなると途端に厳しくなる。
さらに王都にやってきた《グラム騎士団》を見たことで、王都民たちが反乱を起こす可能性も充分にあり得る。
獅子身中の虫と呼ぶにはあまりにも多すぎる反乱分子を抱えたままでは、勝てる戦いにも勝てない。
将来的には帝国の属民としてこき使うことを考えると、下手に殺すわけにもいかない。
人質として使えない以上、籠城する上で王都民の存在は邪魔以外の何者でもなかった。
最後、三つ目の理由は、《グラム騎士団》に王都民を返すことで、帝国のスパイを潜り込ませることが容易になる点にあった。
王都に残っている民の数は優に一〇〇〇を超えている。
今まで完璧にスパイを締め出していた《グラム騎士団》でも、これだけの数の中からスパイを特定するのは容易ではない。
スパイさえ潜り込ませられれば、情報収集に攪乱、騎士団長ストレイトスや副騎士団長ラムダスといった騎士団の重要人物の暗殺を狙うことができる。
だからといって、解放された王都民の受け入れを拒否した場合は《グラム騎士団》は大義を失ってしまうため、スパイが混じっているとわかっていても受け入れるしかない。
この状況を利用しないのは、それこそ騎士のような清廉潔白な人間か、余程の愚物くらいのものだろう。
「まぁ、暗殺に関しては、グラムの騎士を相手に上手くいくとは到底思えませんけどね」
その言葉に願望が少々入り混じっていることを、クオンは自覚していた。
皇帝直々に確殺命令が出されている以上、当然、ヨハンも暗殺の対象に含まれている。
一ヶ月前――忘れもしないあの夜の時点では、テストが率先してヨハンの護衛についてくれていたが、彼女が女であり、《グラム騎士団》に属している以上、常時護衛につくのは難しい。
状況如何によっては、ヨハンが暗殺されてしまう可能性があることを、どうしても否定しきれなかった。
どうしようもないほどに不安が押し寄せてきたところで、クオンはあえて深々とため息をつき、自戒する。
「いけませんね。もういい加減、ちゃんと〝仮面〟をかぶらないと」
モニア平原の決戦以降ガタガタになっていた〝仮面〟は、ヨハンを斃す覚悟を固めた時に、しっかりと被り直したつもりだった。
しかし、所詮は〝つもり〟にすぎなかったことを、クオンは今、嫌というほど痛感していた。
ヨハンの身に危険が及ぶかもしれないと思っただけでこんなザマになっていては、ヨハンを生かすためにヨハンを斃すなど夢のまた夢。
今のわたしは《終末を招く者》の七使徒第七位――クオン・スカーレット。
嗤顔で人を殺し、仲間からも恐れられる狂人。
そう自分に、何度も何度も言い聞かせる。
狂気の〝仮面〟をなじませるために、何度も何度も言い聞かせる。
然う。
何度も。
何度も……





