第72話 そして恋は終わる
それからしばらくの間、クオンはその場に立ち尽した。
階段前を守っていた三人が死んでしまったため、自分が守りにつかなければならないという理由もあったが、それ以上に、ここで待っていれば〝会える〟という確信にも似た予感があったから、ここを離れる気にはなれなかった。
そして、その予感は正しかった。
回廊の曲がり角。
その向こうから、こちらに近づいてくる気配。
間違えるはずがなかった。
疑いようもなかった。
この気配はクオンにとって、最も会いたくて、最も会いたくなかった人のものだった。
気配は、曲がり角の手前で動きを止める。
おそらく、こちらの様子を窺っているのだろう。
「…………え?」
呆けた声が、曲がり角の向こうから聞こえてくる。
「レグ……ロ……?」
公国軍最強の剣士が殺されていることに驚いているのか、続けて聞こえてきた声音は、先以上に呆けたものになっていた。
そして、
「お前か……?」
ユラリと、幽鬼のように曲がり角から姿を現した。
「全部……お前がやったのか……?」
大好きな人が。
正直なところ、国崩し中にヨハンと出会うのは運否天賦に任せるしかなかった。
国崩し開始後は、まず間違いなくシエットの指揮下に入ることになるため、自由な行動ができなくなる。
そんな状況下で、こちらからヨハンに会いに行くのは至難の業。
ヨハンの命を救う上で、国崩し中に彼と出会わなければ話にならないとわかっていながらも、こればかりはどうすることもできなかった。
下手に策を巡らせると、シエットに勘づかれる恐れさえあったからだ。
だけど、
(会えた……! ヨハンに会えた……!)
思わず心の中で歓喜するも、ヨハンの顔を見た瞬間、すぐにそれは霧散してしまう。
ヨハンの顔は、仲間を殺された憤怒で歪んでいた。
目も、視線だけで人が殺せそうなほどに禍々しいものになっていた。
そんな目で睨まれてしまったせいか、仲間を殺されたヨハンの心痛を思ってしまったせいか、クオンは胸を引き裂かれるような痛みに襲われ、顔をしかめる。
オリビアたちの死体を見た時とは比較にならないほどに、激甚な痛みだった。
(しっかりしてください! わたし! ヨハンの性格を考えたら、わたしの立場を考えたら、こうなることはわかりきっていたことじゃないですか!)
そう自分に言い聞かせていると、
「僕の仲間を殺したのは、おま――――…………」
不意に、ヨハンの言葉が途切れる。
憤怒で歪んでいた表情は、驚愕と困惑に塗り替えられていた。
「クオン……なのか……?」
代わりに出てきた言葉に、クオンは全身の血の気が引いていくような感覚に襲われる。
姿形を隠してなおヨハンがわたしに気づいてくれたことが嬉しい――などと思う余裕は、微塵もなかった。
いよいよ正体を晒す時が、真実を伝える時が来たという実感と恐怖だけが、クオンの心の内に渦巻いていた。
これからわたしは、大好きな人を地獄に叩き落とさなければならない。
その結果、わたしは大好きな人に恨まれることになる。
憎まれることになる。
それが、恐くて怖くてたまらない。
でも、
(やるしかないんです……! ヨハンを死なせないために……!)
遠くで、微かに、何かが崩れる音が聞こえた。
玉座の間から人の気配が完全に消えたことを鑑みるに、シエットがセルヌント公の殺害を終え、自らの手で塞いでいた中央階段の瓦礫を吹き飛ばした音だとクオンは断定する。
これで、シエットがいつこちらに来るのかわからない状況になった。
(是非もなし……ですね)
クオンにとってはひどく長く、実時間にしてはわずかな黙考を挟み、
「ふふふ、さすがですね」
〝仮面〟を深く深く……剥がすこともできなくなりそうなほどに深く被り、嗤いながらヨハンに応じる。
続けてフードを脱ぎ、〝仮面〟の上の仮面を外して、ナンバー90の素顔を曝け出した。
「その通りですよ」
〝仮面〟のわたしに徹しなさい――自己暗示のように心に刷り込ませながら、ナンバー90らしい嗤顔を浮かべ、言葉をつぐ。
「ここにいる人たちは、このわたし――クオン・スカーレットが、みぃんな殺しましたぁ」
そこから先は、今までの人生の中で最長にして最低の一時だった。一秒でも早く終わらせたいのに、体感する時間は遅々として進んでくれなかった。
そのせいか、必要以上に長い時間ヨハンを苦しめているような気がして……〝仮面〟のわたしに徹していなければ、罪悪感に押し潰されていたところだった。
そして――
「色よい返事、期待してますからぁ」
階段を駆け上がるヨハンの背中に残酷な言葉を投げかけた後、クオンは少しの間だけ〝仮面〟を外した。
この後シエットと顔を合わせるため、涙を流すことはできない。
けれど、泣きそうになるくらいなら許されるだろうと、それくらいは許してほしいと、クオンは心の底から思った。
(終わりましたね……何もかも……)
然う。何もかも。
(できることならずっと……ヨハンの恋人でいたかった……)
でも、それはもう叶わない。
(だからもう……進むしかありませんね)
クオンは〝仮面〟を被り直すと、踵を返し、玄関広間を目指して走り出した。
やるべきことは山積みだ。
まずはシエットに、ヨハンを殺さなかった理由を説明しなければならない。
その後は、如何にヨハンが帝国にとって有益な人材であるのかを説き、シエットを含めた七使徒はもちろん、帝国上層部にも、ヨハンを《終末を招く者》に引き入れるだけの価値があることを認めさせなければならない。
しくじれば、今宵の内にでもヨハンの命が絶たれることになる。
失敗は許されない。
絶対にやり遂げてみせると、どんな艱難辛苦が待ち受けていようとも絶対に乗り越えてみせると、心に誓う。
ヨハンを死なせたくない。
ヨハンに生きていてほしい。
ただそれだけを願って……
◇ ◇ ◇
(そう……わたしは誓った。絶対にやり遂げてみせると。絶対に乗り越えてみせると)
ベッドの上で、枕に顔を埋めたまま、己が心に刻みつける。
間違いを探すために、あるいは否定するために過去に思い馳せていたはずが、気がつけば、ヨハンの命を必ず救うという誓いを再び心に刻んでいた。
つくづく思う。
自分が、どうしようもないくらいにヨハンが好きだということを。
自分が、どうしようもないくらいに最低だということを。
覚悟が決まったところでベッドから下り、客室の外に出る。
散々泣いたせいでひどい顔になっているのは想像に難くなかったが、今はそんなことなどどうでもよかった。
迷いのない足取りで王城内を歩き、アルトランの執務室――もともとはグラム騎士団長ストレイトスの執務室だったらしい――の前で足を止める。
扉を叩こうと手を持ち上げると、
「クオン嬢か。入るといい」
さすが帝国軍将軍と言うべきか、こちらがノックする前に気配を察知したアルトランが、中に入るよう促してくる。
言われたとおり中に入ると、執務机に腰掛け、書類――おそらく軍の再編に関係しているものだろう――に目を通すアルトランの姿があった。
「すまない。もう少しだけ待っていてくれ」
その言葉どおり、アルトランは十数秒後にその手に持っていた書類を、執務机の上に放り捨てる。
先の決戦で利き腕側――右側の肩を負傷したせいか、その所作は少しばかりぎこちないものになっていた。
アルトランはクオンの表情を見て、微笑を浮かべる。
「どうやら、腹が決まったようだな」
クオンは「はい」と首肯し、
「次にまた、ヨハンが戦いの場に現れたら――」
双眸に覚悟を滲ませながら、決然と宣言した。
「ヨハンは、わたしが斃します」
断章終了。本業の執筆が忙しくなってきたため、次章の投稿は2~3ヶ月後くらいを予定しておりマース。投稿開始する際はまた活動報告で告知しマース。





