第71話 血染めの手、血塗れの心
階段を制圧し、上階左翼側の兵士を鏖殺したクオンは、回廊の曲がり角から、玉座の間の手前で繰り広げられている激戦を遠見していた。
玄関広間での戦いとは違って数の差はほとんどないにもかかわらず、戦況は玄関広間での戦いと同様全くの互角。
《終末を招く者》の精鋭といえども、決死の覚悟で戦う近衛兵は簡単に打倒できる相手ではなかった。
(とはいえ、シエットさんが加勢すれば笑っちゃうほど簡単に終わっちゃうんですけど……どうやらシエットさんは〝実験〟の場を温めるために、今はまだ静観を決め込んでいるみたいですね)
詳しい理屈はわからないが、ディザスター級澱魔召喚後は、魔法を乱発したり澱魔を暴れさせたりすることでその地域の魔導経脈をかき乱し、さらに、魔法あるいは澱魔の手で死にゆく者たちに怒りや悲しみといった負の感情を抱かせることで場が温まり、〝実験〟の成功率が飛躍的に上がるという話だった。
(まぁ、わたしにはあまり関係のない話ですけどね)
踵を返し、散歩するような足取りで階段へ戻る。
気配からして階下では戦闘が起きているようだが、
(〝彼〟も含めて、スカウト組は無駄にプライドが高い人が多いですからね。下手に加勢するよりも、静観を決め込んだ方が面倒は少ないでしょう。……わたしも、できれば余計な戦闘は避けたいですし)
そんなことを考え、かぶりを振る。
何を今さらとしか言いようがなかった。
左翼側上階の回廊を、この一年ともに過ごしてきた兵士たちの亡骸で埋め尽くした人間の考えることではない。
(まったくとしか言いようがありませんね。わたしには懺悔する資格も、自己嫌悪する資格もないのに……)
やがて階段にたどり着き、段差を椅子代わりに腰を下ろす。
ここまで来れば捉えられる気配も鮮明で、戦闘音も耳に届く。
しばらくは階段で戦況を見守ろう――そう思っていた矢先のことだった。
「レグロ!」
歓喜が入り混じったカルセルの叫び声が聞こえ、クオンは瞠目する。
階下に意識を集中させると、カルセルとレグロ、〝彼〟とともにいた二人の構成員の気配を感じ取ることができた。
〝彼〟の気配を感じないのは、おそらくカルセルかレグロにやられてしまったのだろうと推測する。
(それにしてもレグロさん、ですか)
あの男は毎日のようにヨハンを蔑み、貶め、傷つけ……同じブリック公国軍の兵士でありながら、ヨハンのことを目の敵にしていた。
ここに来るまでに殺した兵士に対しては、〝仮面〟を被ってなお少なからず良心が痛みを覚えていたが、
(レグロさんに関しては、ちっとも良心が痛むことはなさそうですね)
暗い怒りが、殺意に変じていく。
(ヨハンのことを散々虐げてきた報い、たっぷりと受けてもらうとしましょう。……ですが……)
カルセルに関しては、シエットが国崩しの総仕上げ――セルヌント公の殺害を終える前に、どうにかして逃がしてやりたいところだった。
(カルセルさんは、あまり気の強い人間ではありません。目の前でレグロさんを惨殺すれば、恐怖に駆られて逃げ出してくれるかもしれませんね……。しかし、そのためには、わたしとカルセルさん以外には誰もいない状況をつくり出す必要があります……となると、そうですね……下のお二人にはレグロさんに殺されていただくとしましょう)
思考を巡らせ、冷酷に残酷に決断を下す。
この決断を最適解だと思える精神性こそが、クオンが人の情を解さぬ最たる所以だと言えた。
やがて、気配だけで構成員の二人がレグロに殺されたことを把握したクオンは、ゆっくりと立ち上がり、階段を下りていく。
階下の有り様が見えた瞬間、心が握り潰されるような痛みを覚え、仮面の下の〝仮面〟をしかめそうになる。
〝彼〟を含めた三人の構成員の死体は、正直どうでもよかった。
だが、壁に磔にされたオリビアの死体と、両脚だけとなったマイクと思しき死体に関しては、どうでもいいでは済まされなかった。
小隊を組んでいたカルセルがこの場にいて、二人の気配を感じなかった時点で、ある程度覚悟はしていた。
けれど、覚悟をしていてなお、心が握り潰されるような激痛に襲われた。
特にオリビアは、同じ兵舎に住んでいたため交流する機会も多く、なおさらに感じた痛みは激しかった。
その一方で、二人を自らの手で殺さずに済んだことを安堵している自分がいることも否定できなかった。
オリビアとマイクは、ヨハンへの恋心を自覚させてくれた恩人。
その二人をこの手で殺す事態だけでも避けられたのは、言い方は悪いかもしれないが、不幸中の幸いだった。
(こんなことばかり続いてると、おかしくなってしまいそうですね。…………いえ)
「また魔法士か……!」
カルセルが、こちらを見ながら苦々しく呻く。
「いや……こうもこれ見よがしに〝武〟の気配を撒き散らす輩が、魔法士であるはずがない!」
レグロがカルセルの言葉を否定した瞬間、クオンは階段を蹴り、軽刃媒体の片割れを抜いてレグロに斬りかかった。
元からおかしいくせに、何を今さら――そんな自嘲を光刃に乗せて。
◇ ◇ ◇
無傷でレグロを倒したクオンは、内心屈辱を抱いていた。
レグロ程度ならば軽刃媒体一本で圧倒できると侮っていた。
もう一本の軽刃媒体を抜くまでもないと見下していた。
……いや。
本当は、ただ侮りたかっただけなのかもしれない。ただ見下したかっただけなのかもしれない。
そうでもしないと、ヨハンを虐げ続けていたレグロへの溜飲を下げることができそうになかったから……。
「あ……あ……ああ……」
絶望に塗れたカルセルの声が聞こえ、我に返るようにそちらを見やる。
左脚の怪我のせいか、レグロが殺されて心が折れたせいか、カルセルは床に這いつくばった状態から身動きがとれない様子だった。
(できればそのままでいてください、カルセルさん)
心の底からそう願いながらも、視線を前方――回廊の曲がり角に向ける。
ほどなくして曲がり角から現れたのは、十人の兵士。
その内の一人がレグロの首に気づき「バ、バカな……」と驚愕を漏らし、遅れて気づいた九人が愕然とした表情を浮かべる。
(あぁ……どうして来ちゃうんですか……わたしのところに……)
そんな彼らを見て、クオンは心の中で嘆いた。
彼らの中に、それなり以上の交流があった者がチラホラと混じっていたがゆえに。
「レグロの仇だ! 一斉にかかるぞ!」
猛々しい号令を発したのは、一年前、クオンがブリック公国軍の募兵に志願した際に審査官を務めたパウロだった。
「おおッ!!」
「ぶっ殺してやるッ!!」
号令に負けず劣らず猛々しい応を返し、パウロたちが一斉に突貫してくる。
(……仕方、ありませんね……)
自分に言い聞かせるように心の中で呟き、仮面の下の〝仮面〟を深く深く被り直す。
転瞬、クオンは床を蹴り、常人ではその影すら捉えられない速度でパウロたちの頭上を飛び越え、宙返りを打つ。
視界の天地が逆になったところで、頭上に見える兵士に向かって軽刃媒体を振るい、首を二つ刎ね飛ばした。
その内の一つは、ラザールという名の壮年兵士で、外壁上での哨戒任務について懇切丁寧に教えてくれたことは、今でも記憶の内に残っていた。
敵の姿が消え、仲間の首が二つ飛んだことに驚き、慌てて突貫を中断したパウロたちの背後に音もなく着地する。
刹那、光刃を閃かせ、背後から四人の兵士を斬り裂く。
その中には、クオンと同じ兵舎に住んでいた、カミラという料理好きの女兵士も混じっていた。料理が決して得意とは言えないクオンが自炊した際、何かと手伝い、何かと教えてくれたことについては、クオンは今でも感謝していた。
続けて、振り返る暇すら与えずに三人の兵士の喉を斬り裂き、最後に残ったパウロがこちらに振り返った瞬間、
「!?」
右の軽刃媒体を眉間に突き立てた。
苦しむ暇すら与えずに絶命させる――それだけが、募兵審査以外でも何かとお世話になった年配士団長にしてやれる、唯一のことだった。
(仕方がない……そう……これは仕方がないことなんです……)
この手で救える命には限りがある。
必ず救うと誓った命、絶対に救いたいと願った命、できれば救いたいと望んだ命……それだけで手いっぱいだった。
だから自分に言い聞かせる。
ただただ自分に言い聞かせる。
仕方がない――と。
懺悔と自己嫌悪と言い訳を一通り並べたところで、クオンはカルセルに視線を移す。あえて足音を立て、ゆっくりと歩み寄ってみるも、カルセルは床に這いつくばったまま震えるだけで立ち上がる素振りすら見せなかった。
(敵味方含めて周囲に人の気配はなし。シエットさんは……どうやら玉座の間に踏み込んだみたいですね)
今しかない――そう思ったクオンはカルセルの目の前で立ち止まり、あえてこれ見よがしにため息をついた。
「もはや抵抗する気もなし、か。くだらん」
正体がバレないよう、男とも女ともとれないつくった声音で侮蔑を吐き捨てる。が、思ったよりも地声に近くなってしまい、冷汗をかきそうになるも、絶望に囚われたカルセルがそれに気づいた様子はなく、心の中で安堵する。
「戦意のないクズを斬ったところで、武勲に泥を塗るだけ。視界に入っているだけでも不愉快だ。さっさと、この場から消え失せるがいい」
そう言ってクオンは左手に持った軽刃媒体で、壁に空いた大穴――おそらく構成員の誰かが放った魔法でできたものだろう――を指し示した。
数瞬、カルセルは呆けたような顔をしていたが、すぐに立ち上がり、クオンに背を向け、壁の大穴に向かって一心不乱に走り出した。
こちらに背を向ける際にカルセルが見せた表情は、やはり絶望に染まっていたが、
(それでも、カルセルさんは生きている。生きているからこそ絶望することができる。死んでしまったら絶望すらできません。全ては生きてこそ、です)
《終末を招く者》の養成施設で、死と隣り合わせの日々を過ごしてきたがゆえの死生観だった。
兎にも角にも、カルセルを地獄の渦中から逃がすことはできた。が、城内よりもマシというだけで公都内も地獄であることに変わりはない。
せめてこれだけでも――と、クオンは、カルセルが無事逃げおおせることを祈った。





