第64話 〝あんなこと〟を言われて
その日、クオンとヨハンは軍の任務により、公都ヌアークの地下に張り巡らされている水路の巡回警備にあたることとなった。
地下水路の内部は広大な迷路そのもの。
ヌアークに来てまだ日の浅い新兵が一人で入ろうものなら確実に迷ってしまうため――といっても、地上への出口が無数に設けられているため行方不明になることはまずないが――巡回警備の際は、構造を熟知した兵士と二人一組で入るよう義務づけられている。
「とはいっても、それはあくまでも新兵や、いつまで経っても地下水路の構造を憶えられない人の話であって、僕やカルセルのようなヌアーク育ちは、一人で巡回警備をやらされることが多々あったりするわけだが」
地下水路に設置された特殊な蓄光石――エヴァーライトの灯りを頼りに歩きながら、ヨハンは地下水路の巡回警備について説明する。
その最後に付け加えられた愚痴に、クオンは小首を傾げた。
「ヌアーク育ちといっても、地下水路の構造に明るいとは限らない気がするんですけど。地下水路の出入り口には鍵がかけられているから、簡単には入れませんし」
「僕たちが子供だった頃は、全ての出入り口に鍵をかけていたわけじゃなかったからな。まあ、鍵のない出入り口を見つけては入り込んで、しゅっちゅう遊び場にしてたから、全ての出入り口に鍵をかけるようになってしまったのかもしれないけど」
「それはまた……ヨハンさんは、なかなかいけない子供だったんですね~」
からかうように言うと、ヨハンは若干慌てた声音で言い訳にする。
「そ、その頃は、男子たちの間で地下水路に潜り込むことが流行ってたんだ。僕一人だけが悪かったわけじゃない」
そんなヨハンの反応がおかしくて、クスクスと笑ってしまうも、
(――っと。お喋りに夢中になりすぎてはいけませんね。今は二重の意味で任務中。やるべきことは、きっちりやらないと)
笑みを崩すことなく、心の中で自戒した。
二重の任務。
その内の一つが、ブリック公国軍から命じられた地下水路の巡回警備を指していることは言に及ばない。
そしてもう一つが、ヘルモーズ帝国のスパイとしての任務であることもまた言に及ばない。
クオンが、ヨハンとの巡回警備を通じて遂行しようとしているのは、ヨハンの魔力感知力を計ることと、ヨハンの魔法士としての知識を利用して、公都ヌアークの真下にある魔導経脈の集約点の位置を特定すること。この二つだった。
(まぁ、後者に関しては魔導経脈の集約点に反応する特殊な方位磁針を使って、だいたいは調べてるんですけど……〝妹〟と違って魔法の才能が全然ないわたしじゃ、本当にそこに魔導経脈の集約点があるかなんてわかりませんからね)
自ら吹聴しているとおり、真実クオンには魔法の才能がなく、魔力感知力もないに等しかった。
だからヨハンを利用して、自分が調べた集約点が正しいかどうかの確証を得る。あわよくば、調べ損ねた集約点をヨハンに見つけてもらう。
それがクオンの算段だった。
(ヨハンさんは良い人ですし、一緒にいると楽しくはありますけど……〝線引き〟はしっかりとしなくちゃ、ですね)
ヨハン・ヴァルナスは、あくまでも任務のために利用するだけの人間であり、任務のために殺さなければならない人間。ただそれだけの存在にすぎない。
〝線引き〟の誤りは、土壇場での判断の誤りに繋がる。
この潜入任務を成し遂げ、七至徒という〝妹〟を護る盾を手に入れるためにも、そこだけは誤るわけにはいかないと自分に言い聞かせる。
胸にチクリと、経験したのことない痛みが走るのを無視して。
「それにしてもこの地下水路、本当に入り組んでますね。一度や二度入ったくらいじゃ、絶対に憶えられないですよ」
実は魔導経脈の集約点を調べた際に何度か侵入していたため、地下水路の構造は熟知していたが、そんなことはおくびにも出さずにヨハンに言う。
「記憶力が良い人間でも四、五回は入らないと憶えられないから、そう気にしなくていいよ。それにさっきも言ったとおり、何回入っても憶えられない人がけっこういるし」
「そう言ってもらえると気が楽ですね」
と応じつつも、そろそろ頃合いだと思ったクオンは〝本題〟を切り出すことにする。
「ところで、この地下水路の構造が、魔導経脈の集約点に則しているという話は本当なんですか?」
「その話は本当だけど……そんなことよく知ってたね」
感心半分驚き半分といった風情のヨハンに、クオンはニッコリと笑って返す。
「ヌアークは、ヨハンさんとダルニス様の故郷ですからね。それくらいの予習はしてきますよ」
「それでか。本当に君は魔法が好きだな」
「はい。正確に言えば頭に『大』が付きますけどね」
力説するクオンに、ヨハンは苦笑する。
「それで一つ、ヨハンさんにお願いしたいことがあるんですけど」
「わかってるよ。巡回警備がてら魔導経脈の集約点巡りもしたい、だろう?」
「はいっ」
「そういうことなら、言われるまでもなく現在進行形でしてるよ」
ヨハンの言葉にクオンは小首を傾げるも、すぐさま得心してポンと両手を打ち鳴らした。
「巡回経路が集約点を巡るように組まれている――そういうことですねっ」
ヨハンはどこか得意げに首肯を返し、
「クオンは〝蓋〟の話を知ってるかい?」
「もちろん。集約点の上に人をいっぱい集めることで魔力の〝蓋〟をつくり、澱魔の出現を防止すること――ですよね」
「そのとおり。だけど、いくら〝蓋〟をしている状態でも、澱魔召喚の魔法陣を使われたらどうしようもない」
「だから巡回経路は、魔導経脈の集約点を巡るように組まれているんですね」
そんな会話を交わしている内に、二人は広場にたどり着く。
クオンが調べた限りだと、広場になっている場所の全てが集約点になっていたが、
(いくら地下水路が集約点に則して造られているとはいっても、こうもあからさますぎると、かえって疑いたくなるんですよね)
だから確証が欲しい――そんなクオンの思いに応えるように、ヨハンは説明を開始した。
「この地下水路は、まだ澱魔の存在が確認されていなかった一〇〇年以上前に造られたものでね。工事の際、魔導経脈の集約点の研究がしやすいよう、あえて集約点となる箇所に広場を設けておいたんだ。だから、広場のある地点の全てが集約点となるわけで、魔法の使用が禁止される前は、僕も父上に連れられて何度も研究に利用していたんだけど……」
顔いっぱいに未練を滲ませるも、それでは駄目だと思ったのか、ヨハンはすぐさまかぶりを振ることで未練をも振り払い、言葉をつぐ。
「とにかく、今のご時勢、澱魔召喚なんてやらかす人間はまずいないし、水路としては本当によくできているから下手に手を加える必要もないだろうということで、昼と夜に巡回警備をするくらいでいいだろうという結論に落ち着いたというわけさ。だから巡回警備自体、澱魔召喚を警戒してというよりも、泥棒とかの隠れ家に使われないようにするという側面の方が強い。それに……」
言いにくいことなのか、微妙に長い沈黙を挟んでから、ヨハンはこう付け加えた。
「僕が公都にいる限り、どんな魔法だろうと〝熾り〟を見逃すなんてことはあり得ない。セルヌント公もザック将軍もその点はちゃんと評価してくれているから、必要以上に巡回警備に人員を割くような真似はしないんだ」
「魔法の〝熾り〟……わたしには、さっぱり感知できないんですけど、そんなにわかりやすいものなんですか?」
「わかりやすくはない。ただ……僕の魔力感知力をもってすればという話で……」
クオンは「なるほど」と手を打ち鳴らし、
「天才魔法士であるヨハンさんだからこそ、ですね」
露骨に褒められたヨハンは、こそばゆそうに視線を逸らすと、照れを隠すように早足で歩き始める。
クオンは、ヨハンが褒められることを苦手に思っている節があるとわかった上で、あえて褒めそやしたのだ。内心の戦慄を隠すために。
(どんな魔法だろうと〝熾り〟を見逃すことはあり得ないなんて……そんなふざけた魔力感知力を持ってる人なんて、見たことも聞いたこともありませんよ……!?)
ヘルモーズ帝国一の魔法士であり、七至徒第四位でもあるルナリア・シャンリーでも、ここまで優れた魔力感知力を有しているかは微妙なところだった。
(ヨハンさんは「僕が公都にいる限り」と言っていました。ということは、公都内ならばどこで魔法を使っても〝熾り〟を察知できると考えた方がよさそうですね。ヨハンさんの場合、自分の能力を低く見積もっている可能性もありますし……)
その辺りについても確認したいところだが……褒められて、こそばゆそうにしている今のヨハンに魔力感知力について訊ねても、謙遜にまみれた答えしか返ってこないだろう。
(こちらから仄めかすまでもなく、ヨハンさんが魔力感知力についていくらか語ってくれたのはよかったですが……戦慄を隠すためとはいえ、褒めそやしたのは悪手でしたね)
とはいえ、ヨハンの魔力感知力について根掘り葉掘り聞き出せたとしても、その報告を受けた帝国上層部が信じるとはどうしても思えなかった。
それどころか、国崩しの実行部隊に選ばれた《終末を招く者》の構成員でさえも、報告の内容を信じてはくれないだろう。
一流の魔法士でも、魔法の〝熾り〟を察知できるのは目視可能な範囲がせいぜいだ。それと比べたら、公都にいる限り魔法の〝熾り〟を見逃すことはあり得ないと豪語するヨハンの魔力感知力は、常軌を逸しているとしか言いようがない。
クオンでさえも、こんな報告誰が信じるのかと思ってしまうほどだった。
(ここは、ヨハンさんの魔力感知力を実際に確認するという意味でも、国崩しの段に入る前に、あえて試験的にディザスター級召喚の〝楔〟を打ち込ませ、実行部隊にヨハンさんの魔力感知力を知らしめた方がよさそうですね)
考えがまとまったところで、小走りして前を行くヨハンに追いつく。
「も~う、ヨハンさん。置いてかないでくださいよ~」
「……すまない」
気まずそうに謝りながら、ヨハンは歩を緩めた。
「ほんとヨハンさんって、褒められるのが苦手ですよね」
「いや……別にそこまで苦手というわけじゃないんだが……」
「あ、もしかして、かわいい女の子に褒められることに慣れてないとか?」
「じ、自分で自分のことをかわいいと言う女性がどこにいる!?」
「ここにいますよ~。それとも、ヨハンさんはわたしのこと、かわいくないって思ってるんですか?」
わざとらしく流し目を送る、クオン。
「そ、そんなことはない……」
案の定と言うべきか、期待どおりと言うべきか、狼狽えながらも肯定するヨハンの反応が、ついかわいいと思ってしまい、
(……いけませんね)
先と同様、笑みを崩すことなく、心の中で自戒した。
ヨハンとのお喋りが楽しくて、つい気を緩めてしまう。どころか、気を許しそうになってしまう。
決して抱いてはいけない感情……それを殺すために「いずれこの手で殺す相手」と、何度も脳裏に刻んだ言葉を何度も刻み直す。
一、二度程度では足りなかったので、十重二十重に脳裏に刻み直していると……いつの間にかヨハンが、マジマジとこちらを見つめていることに気づき、不覚にも心臓が跳ねそうになる。
クオンは表に出そうになった動揺を気合でねじ伏せ、からかうような調子でヨハンに言った。
「どうしたんです? わたしの顔をジロジロ見つめて。まさかとは思いますけど、無理矢理わたしのかわいくないところを見つけ出そうとしてたりなんかしませんよね?」
〝素〟の状態にしては声音も表情も完璧に取り繕えたことに、クオンは内心安堵する。
言葉の内容にしても、ヨハンを動揺させるには充分だろうと思っていたら、
「前から気になってたんだけど……」
予想外なことに、返ってきたヨハンの声音と表情からは小波ほどの動揺も感じられず、いやに神妙としていた。
そして、その雰囲気のままに、クオンの心奥を穿つ言葉を口にする。
「どうして君は、時折すごくつらそうな顔を見せるんだ?」
思わず、片手のひらで鼻から下を覆ってしまう。
「わたし……そんな顔……してました……?」
「明確にそんな顔をしていたわけではないし、いつも一瞬だけだから、たぶん……いや、絶対に僕以外の人間は誰も気づかないだろうけど……少なくとも僕は、君がつらそうな顔をしているところを何度か目にしたことがある」
絶対に僕以外の人間は誰も気づかない――この言葉を額面どおりに受け取ったクオンは、その奥に秘められた深意に気づかぬままヨハンに訊ねた。
「誰も気づかないなんて断言できるなら……どうしてヨハンさんは気づくことができ――」
「否定は、しないんだな」
言葉を遮りながら放たれた言葉に再び心奥を穿たれ、気づく。
自分が、真っ先にやるべき否定をしていなかったことに。
「いや……だって……ヨハンさんが確信を持ってるみたいだったから……」
「確信はなかったよ。君がつらそうな顔を見せる時はいつも一瞬だったし、その表情自体もわかりにくかったしな。だけど、確信をもっているように思わせないと、君は間違いなく煙に巻いて有耶無耶にしていただろう?」
まさしくその通りだったので、クオンは口ごもる。
「どうして、つらそうな顔をしていたのか……聞いてもいいか?」
「……今は、勘弁していただけると助かります……。公都に来るまでに……色々あったんです……。……そう……色々……」
ヨハンには悪いが、結局のところ有耶無耶にする以外の選択肢はなかった。
何に〝つらさ〟を感じているかは、クオンも自覚している。
帝国首都にいる〝妹〟と会えないこと。
イレーヌがいるとはいえ、下半身が不自由な〝妹〟の傍から長期間離れなければならないこと。
〝妹〟の笑顔が見られないこと。
〝妹〟の声が聞けないこと。
そして、例外的に〝つらさ〟を感じることがもう一つ。
今、目の前にいる青年を、最終的にはこの手で殺さなければ――
(違いますッ!!)
口から出かけた否定を、どうにか、かろうじて、心の中だけに響き渡らせる。
最早一瞬どころではないレベルで、〝すごくつらそうな顔〟をしていることを自覚しながら。
重い沈黙が、二人の肩にのしかかる。
進めていたはずの歩みも、いつの間にか止まっていた。
どうしよう。
わからない。
この場合、どう答えれば正解なのか。
どう行動すれば正解なのか。
そもそも、正解なんてものがあるのか。
わからない。
わからないことが、わからない。
ヨハンと接していると、自分の内にある〝何か〟がおかしくなっていく。
おかしくなっていくけど、それは決して嫌なものじゃなくて。
だけど、素直に受け入れるのは恐くて。
わからなくなる。
ただ……〝仮面〟の自分に頼ったら、わからないものが余計にわからなくなるという根拠のない確信だけがあった。
「言えないなら、待つよ」
今まで聞いた中で最も優しい声音で、ヨハンは言う。
「それは……わたしが言えるようになるまで……ですか?」
ヨハンはゆっくりとかぶりを振り、相も変わらぬ優しい声音で答える。
「言葉にできないくらいつらいことなら、無理に言わなくていい。僕が待つのは、君の心に巣くう〝つらさ〟が消えるまでさ。たとえ〝つらさ〟を共有できなくても、誰かが傍にいるだけで楽になることもある。僕じゃ頼りないかもしれないけど、君の傍にいてあげることくらいならできる」
そして、双眸に決意にも似た輝きを湛えながら、こう締めくくった。
「だから、待つよ。君が許してくれるなら。君の傍でずっと……」
クオンはしばし呆然としながら、ヨハンの言葉を噛み締める。
だが、
「……く……ふふ……っ」
思わず、本当に思わず、噴き出してしまった。
そんなクオンの反応が予想外だったのか、ヨハンは声音に不服を乗せて訴えてくる。
「笑うのは、ちょっとひどくないか!?」
「ふふふ……ごめんなさい。でも、ヨハンさん気づいてます? 今の言葉、告白と勘違いされても仕方のない内容でしたよ?」
そう言われ、口の中で転がすように先の自分の言葉を反芻していたヨハンだったが、
「あ……違っ……そ、そういう意味で言ったわけじゃないからなッ!?」
顔を真っ赤にしながら、素っ頓狂な声で否定した。
クオンは楽しげに、心底楽しげにクスクス笑いながら、意地の悪い質問をヨハンに投げかける。
「そういう意味って、どういう意味です?」
「~~~~っ! わかってて言ってるだろッ!!」
進退窮まったヨハンが、逃げるように早足で進んでいく。
そんなヨハンの背中に向かって、またしてもクオンは楽しげに言葉を投げかける。
「さっきみたいな言葉、あまり異性には言わない方がいいですよ~。勘違いされちゃいますから~」
「今まさに、そうした方がよかったと思っているところだよッ!!」
ズカズカと前を行くヨハンの背中を追いかけながら、ヨハンに気づかれないよう小さくため息をつく。
もう、限界だった。
これ以上、頬の火照りを抑えられなかった。
「全く……わたしじゃなかったら、本当に勘違いしているところですよ……」
顔を真っ赤にしながら、独りごちる。
言葉の内容とは裏腹に、最早勘違い程度では済まないほどに胸が高鳴っていることにも気づかずに。
兎にも角にも頬の火照りを鎮めてからヨハンに追いつこう――そう思っていたクオンだったが、ヨハンに追いつき、肩を並べたのは、彼女の想定よりも倍以上の時間を費やしてからのことだった。





