第63話 無自覚の
見繕ってもらった稀覯本を手提げ鞄に入れ、クオンは幌馬車を後にする。
大門をくぐって公都に戻り、オリビアに一言挨拶しようと門番たちに視線を巡らせてみるも、どうやら他の兵士と交代したらしく、化粧の濃い同僚の姿はどこにも見当たらなかった。
気を取り直して、今やすっかり慣れ親しんだ幾何学模様の石畳をのんびりと歩いていく。
朝食をとろうにも今はまだ食堂が開いている時間帯ではなく、微妙に手持ち無沙汰になってしまったクオンは小さくため息をつく。
(さて、どうしたものでしょうか)
と、悩みながら進めた足は、自然とヨハンの家の方角に向かっていた。
足が進むがままに任せ、ヨハンの家の付近にたどり着いたところで、クオンはようやく自分の行動に疑問を抱く。
(わたし、どうしてヨハンさんの家に向かってるんでしょう?)
自問するも答えは出ず、かといって足を止める気にもならず……そうこうしている内に、ヨハンの家が見えてくる。
(あれは……)
家の前では、汗だくになりながら木剣を素振りするヨハンの姿があった。
この一ヶ月足らずの間にわかったことだが、ヨハンの剣才は、魔法の才に比べたら天地以上の開きがあるほどに乏しかった。
門前でオリビアと会話していた時にクオンが言っていた嘘――「剣の才能の一〇分の一でもいいから、魔法の才能が欲しかった」という言葉とは真逆に、「魔法の才能の一〇分の一でもいいから、剣の才能が欲しかった」とヨハンが愚痴っていたという話は、クオンも小耳に挟んだことがある。
(潜入任務で接触する元魔法士の多くは、魔法を禁止された現状に腐っているという話をよく耳にしますが……)
自身の剣才のなさを自覚しながらも努力をやめないヨハンに、知らず、好ましさを覚えてしまう。
知らず、笑みを漏らしてしまう。
「ヨハンさん。そんな素振りの仕方じゃダメですよ~」
気がつけば、ヨハンに歩み寄り、声をかけていた。
ヨハンが一瞬驚いたような顔をした後、なぜかちょっとだけ嬉しそうな顔をしたことが……なぜかちょっとだけ、嬉しかった。
「クオン!? どうしてこんな時間に!?」
「隊商が来ていると聞いて、本格的に市場が開く前にお邪魔させてもらったんですよ」
クオンは手提げ鞄の中から取り出した稀覯本をヨハンに見せながら、言葉をつぐ。
「良い本を手に入れたまではよかったんですけど、早起きしすぎたせいでまだ食堂も開いてなくて……だから……その……来ちゃいました……」
結局のところ、クオン自身もどうしてヨハンの家に来てしまったのかわかっていないため、後半の言葉はひどく曖昧だった。
「ああ……うん……そうか……来てしまったものは仕方ないな……」
クオンの物言いが伝染したかのように、ヨハンの返答もひどく曖昧だった。
気まずいようで心地良い、不思議な沈黙が二人の間に横たわる。
しかし、どうやらヨハンは心地良さよりも気まずさが勝ったらしく、微妙に声を裏返らせながら、先のクオンの言葉についての質問を投げかけてくる。
「と、ところで、さっき僕の素振りが駄目だって言ってたけど、いったい何が駄目なんだ?」
沈黙が終わってしまったことを残念に思う一方でホッとしていたクオンは、安堵の微笑を浮かべながらヨハンに応じた。
「ヨハンさん。あなた、何も変えずただガムシャラに素振りしてません?」
確信どおりに図星を突いたのか、ヨハンが口ごもる。
「やっぱり……。実戦を想定し、一振り一振りに意味を込めて振るわないと、何百回素振りをしても筋力以外は何も身につかないですよ」
「……なるほど……」
クオンの言葉を噛み締めるように、ヨハンは顎に手を当て、考え込む。
少しして、考えがまとまったのか、ヨハンがこんなことを訊ねてくる。
「クオン……君の剣は、俗に言う〝柔〟の剣になるのか?」
「まぁ、あえて分類するならそうなりますね。それがどうかしたんですか?」
「いや……この四年間で僕には〝剛〟の剣は無理だって痛感させられたから……君さえよければだけど、僕に〝柔〟の剣を教えて――」
「無駄なことはやめておけ」
突然、第三者の声が聞こえ、ヨハンは慌てて声が聞こえた方角に視線を向ける。
話しかけられる前から第三者の気配を察知していたクオンは、ゆっくりと振り返りながら、声の主――レグロに訊ねた。
「無駄なこと……というのは、どういう意味です?」
「言葉どおりの意味だ。ヨハンに〝柔〟の剣を教えたところで、時間を無駄にするだけだ」
辛辣極まりないレグロの物言いに、なぜか……本当になぜか、クオンはカチンときてしまう。
「無駄かどうかなんて、やってみなければわからないじゃないですか……!」
その結果、思わず声を荒げてしまい、ヨハンも、レグロも、クオン自身でさえも、程度の差はあれど驚きを露わにしてしまう。が、レグロ一人だけはすぐに気を取り直し、つまらさなげに鼻を鳴らした。
「ふん。そういう意味で無駄だと言ったわけではないのだがな」
「じゃあ、どういう意味で言ったんです?」
「そこまで答えてやる義理はない。が、これだけは言わせてもらう。クオン。お前の剣は紛うことなく天才のそれだ。ヨハンの剣才では、その一端すらも身につけることは叶わない。お前は『やってみなければわからない』と言っていたが、本当は『やってみるまでもなくわかっている』はずだ。違うとは言わせんぞ」
まさしく、レグロに指摘されたとおりだった。
ヨハンでは、クオンの剣技の一端の一端すら身につけることは叶わない。
それは、クオンにもわかっていたことだった。
けれど、自分の剣を教えれば、ほんの少しでもヨハンの力になれるかもしれない。
ほんの少しでもヨハンが強くなれるかもしれない。
そう思ったから、無駄だと言われたことが許せなかった。
帝国のスパイである自分が、そんなことを思っていること自体がおかしいことにも気づかずに。
とはいえ、指摘されたとおりであるがゆえに返答できず……見かねたヨハンが、クオンに助け船を出すように会話に割って入ってくる。
「レグロ。一つ聞くけど、僕が人に無駄だと言われてやめるような人間だと思うか?」
レグロは小さくため息をつき、断言する。
「思わんな」
「そういうわけだから、ここは僕の好きにさせてもらうよ」
「……そうだな。好きにしろ。だが、クオンから〝柔〟の剣を教わることにかまけて、基礎の鍛錬を疎かにしようものなら……わかってるな?」
「直々に性根をたたき直してやる――とでも言うつもりか? むしろ望むところだよ」
「相変わらず、口だけは減らないな」
その言葉を最後に、レグロは踵を返してクオンたちの前から去っていった。
そのレグロの背中を、クオンは明確な敵意をもって睨みつける。
(……募兵審査の時は、別になんとも思ってなかったのに……)
なぜか……本当になぜか、ヨハンに対するレグロの言動の一つ一つが、腹立たしくて仕方なかった。
帝国のスパイである自分が、いずれ殺す相手を貶されて腹立たしく思うこと自体がおかしいことにも気づかずに。
そして、気づいていないことがもう一つ。
なぜレグロが自分たちの前に――いや、ヨハンの前に現れたのか。
その真意にクオンが気づくことは、この時も、これからも、なかった。





