第61話 ダルニスの手記
結論から言うと、赤っ恥をかいたことは任務という観点から見れば大正解だった。女性と二人きりで食事をすることにどこか緊張気味だったヨハンの表情が、クオンの腹の虫が鳴ったことを契機にほぐれていき、それに合わせるようにして会話も弾んでいったのだ。
「レグロと渡り合うくらいだから、剣一筋だと勝手に思い込んでいたけど……まさか、剣よりも魔法の方が好きだったとはな」
「はい。ですから、大陸最高の魔法士――ダルニス様のご子息であるヨハンさんとは、いずれお話しできたらな~って思ってたんですけど、まさかたまたま気に入ったお店に、たまたま居合わせた先輩の兵士がヨハンさんだとは夢にも思いませんでした」
〝素〟であろうとも、息を吐くように嘘をつく。
赤っ恥をかくほどの失態を演じても、その辺りの〝線引き〟を誤るクオンではなかった。
「あ……そろそろお城に向かった方がよさそうですね」
食堂の隅にある柱時計を見やりながら、クオンは言う。
特に意識していたわけではないが、どこか残念そうな声音になっていることに、内心首を捻る。
(やっぱり〝妹〟の前以外だと、完全に〝素〟の自分になるのは難しいのかもしれませんね)
ヨハンに媚びるために自然と残念がる演技してしまった。だから、あんな声音になってしまったと結論づける。
本当のところは、演技ではなく〝素〟であんな声音になっていたことにも気づかずに。
「そうだな。お喋りに夢中になりすぎて調練に遅刻しましたなんて、笑い話にもならないからな」
そう言いながらヨハンは立ち上がり、ウェイターを呼び止めて食事代を払う。しれっと、クオンの分も含めて。
「やっ、そんな、悪いですよ」
慌てて財布を出そうとするクオンを、ヨハンは片手で制し、
「たぶん……というか、ほぼ間違いなく剣の腕は君の方が上だと思うけど、一応僕にも先輩としての面目があるからな。ここは僕に奢らせてくれ」
ヨハンの声音は、先程までよりも少し気取ったものになっていた。
だからこそ、クオンは思わず笑みを零してしまう。
「ヨハンさん。顔、ちょっと赤くなってますよ?」
ヨハンは、思わずといった風情で顔に手を当てる。
その反応がおかしくて、クオンはクスクスと笑ってしまう。
「笑わないでくれ。さっきの言い回しは、ちょっと自分でも気取りすぎたと反省してる」
「いいえ、笑わせてもらいます。少なくとも、お腹が鳴ったことを笑われた分くらいは」
ますますクスクスと笑うクオンに、ヨハンは呆れたように、それでいてどこか楽しそうにため息をついた。
「まったく……君という人は」
ウェイターに生温かい視線で見送られながら食堂を後にし、二人はヌアーク城を目指して歩き出す。
やはりというべきか、その道中も話の種が尽きることはなかった。
「あの店、夜も開いている時があるんですか? てっきり朝昼だけかと思ってました」
「夜に店を開くのは月一、二回程度だからな。半月前に公都に来たばかりの君が知らないのも無理はないよ」
「そうですか。それにしても、どうして月一、二回だけなんです?」
「その理由は……僕もちょっと知らないな。噂によると店主の気分次第で開いてるって話らしいけど」
「気分次第って」
思わず、クスクスと笑ってしまう。
自分でもよくわからないが、ヨハンとこうして取り留めのない話をすることが妙に楽しい。
しかし、楽しいからこそ胸に刺すような痛みを覚えずにはいられなかった。
クオンがヨハンに接近したのは、全ては任務のため。
国崩しを、それと同時に行なわれる〝実験〟を成功させるために、標的となった国で最も優秀な元魔法士に取り入る。
そして、国崩しの要となるディザスター級澱魔召喚の障害になるか否かを、ヘルモーズ帝国にとって有益な知識を持っているか否かを確認した上で、最終的に抹殺しなければならない。後々、帝国の脅威となる可能性があるがゆえに。
今クオンに楽しい一時を送らせてくれている元魔法士――ヨハンも例外ではない。
少し話しただけで、ヨハン・ヴァルナスという青年が悪い人間ではないことはわかった。
わかったからこそ、罪悪感を覚えずにはいられなかった。
けれど、
(ごめんなさい。わたしは、〝妹〟を護るだけで手いっぱいなんです。だから――)
仕方がない――そう自分に言い聞かせる。
その言葉だけで無理矢理自分を納得させる。
納得しなければ、心が持たない。
「ヨハンが……女の子を連れてる……」
不意に横合いから男の声が聞こえ、二人は揃って足を止める。
金髪碧眼の声の主は、軍服に包まれた太り気味の体をワナワナと震えさせると、その見た目からは想像もできないほどの速さでヨハンに詰め寄り、ガッチリと彼の両手を握り締めながら歓喜の声を上げた。
「おめでとう、ヨハン! とうとう君に春が訪れたんだね!」
「ちょ、ちょっと待て! 何か盛大に勘違いしてないか、カルセル!?」
握り締めた両手をブンブンと上下させながら、カルセルは無駄に爽やかな笑顔で応じる。
「してないしてない。大丈夫大丈夫。皆まで言わなくてもオイラにはわかってるから」
「いや、わかってないぞ!? 全然わかってないぞ!?」
そんな賑やかなやり取りを繰り広げながらも、ヨハンは、クオンとは今朝偶然食堂で出会って知り合ったばかりだと必死に説明し、カルセルはそれを笑顔で聞き流していく。
声を荒げて説明し続けたせいか、ヨハンが息切れを起こし始めたところで、
「そっか~。魔法の話で意気投合したのか~」
カルセルは呼吸に喘ぐヨハンそっちのけで、クオンに、ヨハンと何を話していたのかを根掘り葉掘り訊ねていた。
一通り話を聞いたところで、カルセルは碧い瞳を怪しく光らせながらこんなことを言う。
「それならさ、この話はヨハンはしたかな? ヨハンの家に、ダルニスさんの手記が大量に残されてること」
重要極まりない情報を聞いたクオンは、勢いよくヨハンの方を振り返り、
「今の話、本当ですか!?」
と、訊ねた。
カルセルの瞳が、ますます怪しい光を放っていることにも気づかずに。
「ほ、本当だ……」
まだ呼吸が回復していないのか、ヨハンは少し苦しげに答える。
「というわけだからさ、今夜にでもヨハンの家に招待してもらいなよ、クオンちゃん」
「あ、それいい考えですね」
「いや……良くないぞ……男の一人住まいに……女性が一人で来るのは……良くないぞ……」
「いや~大丈夫でしょ。こんなこと言ってることからもわかるとおり、ヨハンはそういうところはすごく紳士的だから」
揶揄ではなく、カルセルが純粋に褒めていることに気づいたヨハンは口ごもる。
家主の反撃がなくなったところで、カルセルはクオンに向き直り、
「だからクオンちゃんもさ、安心してヨハンの家に行ってきなよ」
◇ ◇ ◇
その夜、カルセルの提案どおり、クオンはヨハンの家に招待された。
(家の大きさは、わたしの家と同じくらいっぽいですね)
潜入任務が終わって帰郷したら見比べてみよう――などと、どうでもいいことを考えながらも、ヨハンに促されるがままに家の中に入り、その奥にある書斎に案内される。
「わぁ……」
思わず、感嘆の声を漏らしてしまう。
パーティでも開けそうなほどに大きな部屋の中に、書棚が所狭しと並べられていた。その規模たるやもはや書斎の範疇を超えており、ヌアーク城の蔵書室と比べても遜色ないほどだった。
「わかっているとは思うけど、これ全部が父上の手記というわけじゃないから」
なんだかんだで父親の手記に興味を持ってもらえたことが嬉しいのか、気持ち弾んだ声音でヨハンは言う。
そんなヨハンに向かって、クオンは首肯を返し、
「とはいえ、ダルニス様がどのような本を読んでいたのかも、すごく気になりますけどね」
「だったら、まずは一通り見て回ってみるか?」
お言葉に甘えさせてもらったクオンは、一人書棚の迷路を散策をする。
(この場に〝妹〟がいたら、すごく目を輝かせちゃいそうですね)
と、苦笑しながらも、クオン自身、心躍るものを感じていることを自覚していた。何せこの書斎には大陸最高の魔法士が書き残した手記と、かき集めた書物が収められているのだ。
魔法士ではないクオンでも興味の一つや二つ――いや、興味の十や二十、湧いてくるというもの。
だが、
「これは……知識の次元が違いますね……」
書物をいくつか手にとってパラパラと目を通してみたものの、呪文の一語一語に込められた意味だの、魔名の由来だの、新たなる魔法を生み出す思考法だの、見る書物全てが毛先ほども内容が理解できない代物ばかりだった。
帝国の魔法研究所で働く〝妹〟が傍にいたおかげで、並みの魔法士よりは魔法の知識に明るいと自負していたが、所詮は並みを上回る程度でしかないと思い知らされる。
自分の頭脳ではこれ以上見て回っても仕方がないと思ったクオンは、書斎中央にあるテーブルでダルニスの手記を用意している、ヨハンのもとへ向かった。
こちらに気づいたヨハンは顔を上げ、
「もういいのか?」
「はい。どうにも、わたしじゃ理解できなさそうな本ばかりだったので」
「父上が資料として集めた本の多くは、魔法研究に関わるものばかりだからな。正直に言うと、僕でもいまだに理解しきれないものがそれなりにある」
「わたしからしたら、内容がわからないものが〝それなり〟しかない時点で充分凄すぎですよ」
ヨハンはヨハンで、魔法が禁止される四年前までは天才魔法士の名を欲しいままにしていたと聞く。
時勢的に魔法士としての実力を確認するのは難しいが、智力に関しては文句なしに天才だとクオンは思う。
「まあ、僕は幼い頃から書斎に入り浸ってたからな」
謙遜するように、ヨハン。
どうやら褒められることに慣れていないらしく、頬にわずかな赤みを帯びているのを認めたクオンは、無意識の内にクスリと笑みを零してしまう。
「そ、それより、父上の手記でまず最初に見て欲しいものがあるんだ」
それこそ幼い頃から何度も読み返していたのか、ヨハンは、やけにクタクタになっている手記をテーブルの上に置き、クオンに見せるように該当のページを開いた。
「これは……属性についての手記ですか」
魔法は、人間が生まれながらにして体の内に秘めている魔力を、地、水、氷、火、風、雷――六属性のいずれかに変容させ、発動する。
ヨハンに見せてもらったページは、まさしくその属性について書かれていたものだったが、
「え? 聖属性に……闇属性!?」
慣れ親しんだ六属性とは明らかに異なる属性が書かれているのを見て、クオンは目を白黒させる。
「本当にあるんですか? そんな属性が?」
信じられない気持ちをそのまま言葉に乗せて訊ねるクオンに、ヨハンは微塵の躊躇もない首肯で応じた。
「実証には至らなかったけど、生前父上は、聖属性と闇属性は間違いなく存在すると言っていた」
「間違いなく……でも、確かに、手記を読めば読むほど、ダルニス様が聖と闇の属性の存在を確信しているのがわかりますね……」
それからクオンは任務のことも忘れ、ダルニスの手記を耽読した。
人間がその身に秘めし魔力は、元々は聖属性だったかもしれないこと。
ゆえに、聖属性の魔法を開発することができれば、属性を変容させる必要がないため、世界の理を歪めずに魔法を行使することができるかもしれないこと。
聖属性と相関関係にある闇属性の魔法を使った場合、世に知られる六属性以上に世界の理を歪める可能性があること。
あるいは、世界の理を歪めるのではなく、人が持つ魔力の在り方そのものを歪める可能性があること。
実証には至っていないためその全てが仮説のはずなのに、内容によっては疑問符すら付いているのに、その全てが事実だと思わせる何かが手記にはあった。
だからだろうか。
気がついた時にはもう夜はすっかり更けていた。
息子に伝えるためか、手記の内容はクオンでも充分に理解できるほどにわかりやすく書かれていたことも、時間を忘れさせる一因になっていた。
「ごめんなさいっ。ヨハンさんっ」
玄関前まで見送りに来てくれた家主に向かって、クオンは深々と頭を下げる。
夜番や非番ではない限り、ブリック公国軍兵士の朝は早い。にもかかわらず、夜遅くまでヨハンを付き合わせてしまったものだから、さしものクオンも恐縮しきりだ。
「気にしなくていいよ。徹夜したわけじゃないし、むしろ、父上の手記を時間を忘れるくらい夢中になって読んでもらえたことが嬉しいくらいだから。それより、兵舎の門限とかは大丈夫なのか?」
謝る相手を逆に心配するヨハンの人の良さに内心苦笑しながらも、クオンは「大丈夫です」と応じる。
「わたしがお世話になっている兵舎は傭兵が多いせいか、門限らしい門限は設けられていませんから」
「そうか……」
「それじゃ、わたしはこれで――」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
突然、大きな声で呼び止められ、クオンは目を丸くする。
一方、大声を上げた張本人は、散々を目を泳がせてから、こんなことを提案してくる。
「君さえ良ければだけど、父上の手記が読みたくなったらいつでも訪ねてくれ。僕も、時間の許す限り付き合うから」
「いいんですか!?」
思わず、前のめりになって訊ねてしまう。
その結果、吐息が届くほどにまで顔を近づけてしまい、ヨハンは頬を朱に染めながらも一歩後ずさった。
「か、構わないよ。父上も、できるだけ多くの人に読んでもらうために手記を残したと思うし、実際、魔法が禁止される前までは城に寄贈していたくらいだから」
「それなら、喜んでお言葉に甘えさせてもらいますね」
ニッコリと笑うクオンに、ヨハンは照れくさそうな笑みを返す。
「それじゃ、また明日――といっても日付はもう変わってるから、今日になるか」
「ふふ、そうですね。それじゃあ、また今日ということで」
そんなおかしな挨拶を最後に、クオンはようやくヨハンの家を後にした。
(長居、しすぎちゃいましたね)
人っ子一人いない夜道を歩きながら苦笑するも、すぐにかぶりを振り、表情を引き締め直す。
(いけませんね……楽しくなってしまっては。情報を得るだけ得たら、後顧の憂いにならないよう必ず殺せと厳命されている人間を相手に……)
良心が、痛みを訴えてくる。
だからクオンは、呪文のように自分に言い聞かせる。
仕方がない――と。
七至徒という〝妹〟を護る盾を得るために、潜入任務を成功させるために、〝彼〟を殺してしまうことは「仕方がない」と、何度も何度も何度も自分に言い聞かせる。
「初めから〝仮面〟のわたしで接していれば……いいえ、今さらですね……」
誰とはなしに呟き、夜空を仰ぎ見る。
ため息が漏れたのは、星々の美しさのせいか、それとも別の〝何か〟のせいか……それは、クオン自身もわからなかった。





