第48話 少女たちの戦い
戦いの火蓋が切られた頃、ヨハンとテストは敵はおろか味方にも見つからないよう、裏手から山を登っていた。
傍目から見ても峻険だとは思っていたが、実際に登ってみると想像以上に傾斜が厳しく、道らしい道もないため、ヨハンは山を登り始めてすぐに〝シルフィーロンド〟の使用を余儀なくされた。
カルセルの持久力では踏破は難しいとストレイトスは言っていたが、これでは持久力以前の問題だと、ヨハンは心の中で毒づく。
砂塵除けマントの下に隠す形で腰の後ろに縛り付けている、奇襲作戦の要となる魔法陣の布が、今この時だけは邪魔で邪魔で仕方なかった。
魔法を使ってなお辟易してしまうほどの悪路。だからこそ、影のようにヨハンを追走しているテストについては、さすがとしか言いようがなかった。
たまに岩肌が顔出す劣悪な地面を、一度転んだら麓まで落ちてしまいそうなほどに凶悪な傾斜を、テストは平地を行くような危なげない足取りで駆けていく。
それどころか〝シルフィーロンド〟を纏ったヨハンに、当たり前のようについて来てさえいる。
神速の剣技を可能にする人の域を越えた身体能力を、まざまざと見せつけられた気分だった。
山頂を目指して、点在する木々を縫うように走りながら、ふと思う。
(この戦い、クオンは参加しているのだろうか……)
思うどころか、切望している自分に気づき、小さくため息をつく。
もし今ここでクオンと出会ってしまったら、自分を抑える自信がない。
クオンと出会ったその瞬間、奇襲作戦は台無しになってしまう。
復讐のためには、クオンと出会いたい。
けれど、奇襲作戦を成功させるためには、クオンとは出会いたくない。
相反する想いがせめぎ合い、ヨハンの心を掻き毟る。
「ヨハン」
ヨハンの内に芽生えた独りよがりな葛藤を分かつように、テストが呼びかけてくる。
「今は奇襲作戦に集中しよう。そうしないと……復讐を果たす前に、命を落とすなんてことに、なりかねない」
後半の言葉はさすがに言いにくかったのか、やけに訥々としていた。
「……そうだな。帝国の力を削ぐためにも、今だけはクオンのことは忘れるべきだな」
自分に言い聞かせるように答えた後、二人は黙々と山を駆け続けた。
やがて、山の八合目までたどり着いたところで、
「あともう少しというところで……!」
忌々しげに呟きながら、テストはヨハンの背中に掌を添える。
「気配を感じた。方角からして間違いなく敵だ。申し訳ないけど、ここから先は一人で行ってくれ」
「わかった。……死ぬなよ、テスト」
「それはボクの台詞だよ、ヨハン」
心配してもらえたことが嬉しいのか、テストは笑みを浮かべながらヨハンの背中を押した。
物理的にはわずかな、心理的には大きな後押しを得たヨハンは、その勢いに乗って、山頂に向かって一気に駆け上がっていった。
一方テストは、ヨハンの背中を押してすぐに立ち止まり、直近にあった、申し訳程度にしか葉がついていない木の蔭に身を隠し、全力で気配を殺す。
テストが察知した気配の数は一。
ヨハンの奇襲を誰にも邪魔させないよう気を張り続けていたからこそ、かろうじて察知することができた、恐ろしく希薄な気配だった。
そしてその気配は、今はもう全く感じ取ることができなくなっていた。
敵もまたこちらの存在に気づき、気配を殺したのだ。
尋常ならざる使い手だとテストに確信させるほど、完璧に。
だからこそテストは、全力で気配を殺した。
ヨハンでは、この敵の気配を察知することも、気配を察知されないようにすることもかなわない。
ゆえにテストは、完璧に気配を殺すことで敵に誇示した。
こちらもまた、尋常ならざる使い手であることを。
こちらを無視してヨハンを追うのは危険だと、敵に思わせるために。
懐から長剣媒体を取り出し、いつでも光刃を具象できるよう気構えながら、最後に敵の気配を感じた地点を目指して慎重に歩を進めていく。
この山の緑は確かに少ないが、あくまでも大人数を隠せないというだけで、人一人を隠すには充分すぎる程度に木々が点在している。
だからこそ、ストレイトスが奇襲作戦を立案したことはさておき、
(おそらくこの敵は偵察に来たんだろうけど……この場合、複数人で来てくれた方がまだ楽だったね)
テストの額に冷たい汗が滲み始める。
木々に身を隠し、着実に間合いを詰めているはずなのに、敵の気配の尻尾すら捉えることができない。
だが、間違いなく、敵は近くにいるとテストは確信していた。
こちらが敵を探しているのと同じように、敵もまたこちらを探していることも、確信していた。
あらゆる感覚を以て状況を〝視〟たからこそ得ることができた確信だった。
尋常ならざる使い手を前に、尋常ならざるほどに集中力が高まり、時間の感覚が引き延ばされていく。
実時間にして数秒、体感時間にして永遠に思えるほどに長い時が過ぎた刹那、背後からあるかなきかの気配を感じ取り光刃を具象。振り向きざまに長剣媒体を振るう。
直後、硬質の悲鳴が山中にこだました。
テストが振るった長剣媒体と、敵が振るった二本の軽刃媒体が、ぶつかり合ってあがった悲鳴だった。
「キミは……!」
「あなたは……!」
互いに相手を認め、全く同時に飛び下がる。
その際、テストは抜け目なくヨハンのいる方角を護る位置を取りながらも、相対する敵の名を口にした。
「クオン・スカーレット……!」
帝国軍の軍服を纏った敵――クオンは、名前を呼ばれたことに驚いたのか、ほんの少しだけ目を開くも、すぐに婀娜っぽい嗤みに表情を塗り替える。
「そういうあなたは、あの時ヨハンと一緒にいた、テストさんじゃないですか」
あの時――フルードの町でクオンと遭遇した時、ヨハンがはっきりとテストの名前を叫んでいたことを思い出し、テストは諦めまじりに応じる。
「お互い、自己紹介は必要なさそうだね」
「そうでもないですよぉ。現にわたし、テストさんのファミリーネームは知りませんからぁ」
「キミがこんなところで何をしているのか教えてくれたら、答えてあげてもいいよ」
「むしろそれ、わたしの台詞だと思うんですけどぉ」
余人が聞けば友人同士だと錯覚するほどに、二人の会話は気安かった。もっとも周囲の空気は、余人がいれば息苦しさを覚えるほどに張り詰めているが。
「山頂に向かっている気配、ヨハンですね?」
いきなり核心をつかれ、テストは顔に出かけた苦みをかろうじて堪える。が、
「無理に隠そうとしている時点で、『イエス』と言っているようなものですよ」
クオンは言い終わると同時に地を蹴り、刹那にも満たぬ間にテストに肉薄する。
劣悪な足場にあってなお、常人はおろかグラムの騎士でさえも視認できない神速の踏み込み。
その勢いを乗せて振るわれた二本の軽刃媒体が、「×」の字を描いてテストの首に襲いかかる。
神速とは縁遠いただの手練れならば、この時点で勝敗が決していたところだろうが、
「!」
相対するテストもまた神速の住人。
クオンの剣速を越える剣捌きで「×」の字の支点を押さえ、危なげなく斬撃を防いだ。
「邪魔しないでもらえます? わたしが用があるのは、あなたじゃなくてヨハンですので」
互いの武装媒体を迫り合わせながら、クオンは言う。
先程まで浮かべていた婀娜っぽい嗤みはすでになく、双眸には冷たい殺気が燻っていた。
「お断りさせてもらうよ。キミの方こそ、ヨハンの邪魔をしないでもらえるかい」
「ヨハンにこの決戦の勝敗を委ねることの邪魔を、ですか?」
思わず、舌打ちを漏らしそうになる。
事ここに至って、ヨハンの魔法による奇襲作戦がクオンにバレるのは仕方がないと考えていたが、まさか、ストレイトスがこの奇襲作戦に決戦の行く末を託していることまでバレるとは、テストから〝視〟ても想定外だった。
フルードの時もそうだったが、このクオンという女、わずかなヒントすら見逃さない洞察力と、わずかなヒントから特殊な結論を導き出す演繹力が尋常ではない。
戦闘力以外の部分でも紛うことなき怪物――少なくともこの瞬間までは、テストもそう思っていた。
「やっぱり、そうですか……!」
クオンの声音に、わずかながら怒気が混じっていることに気づき、テストは眉をひそめる。
怒りを表に出すようなタイプには〝視〟えなかったから、正直意外な反応だった。
「ヨハンを利用して、余計な重荷を背負わせて……あなたたちいったい何様のつもりですか!」
不意に、迫り合っていた軽刃媒体の光刃が消え失せる。
即応したテストは重心を崩すことなく長剣媒体を構え直し、再具象させた光刃で脇腹を裂こうとするクオンの攻撃を受け止めた。
「ヨハンに重荷を背負わせていることは否定しない。だが!」
転瞬、テストは軽刃媒体を打ち払い、クオンの心臓目がけて神速の刺突を放つ。
クオンはすんでのところで半身になり、刺突をかわしながら反撃しようとするも、テストは稲妻のような切り返しで刺突を横薙ぎに変化させ、反撃の出かかりを潰すと同時にクオンの胴を斬り裂いた。が、またしてもすんでのところで反応したクオンが、わざと体勢を崩して横に転がり、ダメージを薄皮一枚斬り裂かれた程度に留めながら、長剣媒体の間合いの外へ逃げていく。
「ヨハンに、復讐という重荷を背負わせたキミこそ何様のつもりだ!」
テストは叫びながら、体勢を整える暇すら与えることなく追撃をかける。
クオンの肩口目がけて、長剣媒体を斜に振り下ろすも、
「!」
クオンは膝立ちのまま右刃で長剣媒体を受け止め、同時に、斬撃の勢いに逆らうことなく刃を寝かせ、受け流す。
神速の剣すら捌き切る巧緻を極めた絶技に、さしものテストも舌を巻かざるを得なかった。
そしてこの瞬間、攻守が逆転する。
斬撃を受け流された直後の隙をつき、クオンは立ち上がり様に左刃を振るう。
テストはすぐさま回避に移るも間に合わず、長剣媒体を持たない右腕に切っ先がかすめ、赤い弧を描いていく。
ここぞとばかりにクオンは、十、二十、三十と、数え切れないほどの剣閃を刹那の内に閃かせる。が、
「本当に……! 邪魔な……!」
先に苛立ちを漏らしたのは、攻めているクオンの方だった。
攻守が逆転した時点で、半端な攻めでは流れを変えることはできないと判断したテストは、守りに徹することを選択をしていた。
そして守りに徹したテストは、クオンといえどもそう簡単に打ち崩せないほどに堅牢だった。
右腕に受けたかすり傷以外、ただの一閃も通さないほどに。
しかし、苛立ちは漏らせど、クオンの攻撃には微塵の雑味も混じることはなかった。テストに反撃の隙を与えさせない連撃もさることながら、その全てが寸分違わず急所を狙う正確さは、脅威以外の何ものでもない。
おまけに、一閃一閃にこちらの〝読み〟を外そうとする意図が孕んでいるせいで、片時も気を抜くことができない。
油断したが最後。二本の軽刃媒体は、たちまちテストの命を斬り裂くだろう。
激しさを増す攻防とは裏腹に、状況は膠着しつつあった。
ヨハンが山頂にたどり着き、奇襲作戦を行うまでの時間を稼げればいいテストにとっては願ってもない状況だったが、だからこそ解せなかった。
ヨハンに用があると言っていた彼女が、無為無策のままこんな攻防を続けるわけがない。
(どこかで必ず、勝負に出てくるはず……!)
そう思った矢先のことだった。
左手から迫る軽刃媒体を打ち払った直後、
「ふ……ッ!」
クオンは、これまでで最も速く、最も鋭い斬撃をテストの細首目がけて繰り出す。
右の軽刃媒体を打ち払った長剣媒体が戻るよりも速くに、左の軽刃媒体でテストの首を刎ね飛ばす――そんな強い意志を感じさせる必殺の一閃だった。
テストもまた最速最鋭の剣捌きで応じ、クオン必殺の一閃を凌駕する剣速で軽刃媒体を受け止め――
「……っ!?」
――ようとした瞬間、軽刃媒体の光刃が消え失せ、長剣媒体の守りをすり抜ける。
刹那、軽刃媒体は光刃を再具象。必殺の勢いを保ったまま、テストの首筋に吸い込ま――
「くぅぅ……っ!!」
ギリギリのところで反応したテストは、一も二もなく後ろに倒れ、必殺の斬撃を回避。
だがさすがに無傷というわけにはいかず、切っ先が首筋をかすめ、ささやかな鮮血が宙に飛沫く。
かわされるとは思っていなかったのか、クオンはほんの少しだけ目を見開かせていた。
その一瞬の隙を見逃さなかったテストは、倒れる勢いを利用してクオンの左手を蹴り上げ、軽刃媒体の片割れを中空に弾き飛ばした。
さらに蹴り上げによって生じた〝振り〟を利用し、長剣媒体を持たない右手で地面につき、転回しながら着地。
一瞬の隙を見逃さないのはクオンも同じで、袖口から黒塗りのナイフを取り出し、テストが着地した瞬間を狙って投擲した。
回避は間に合わないと判断したテストは、長剣媒体でナイフを弾く。が、ナイフの柄尻に鋼糸が結ばれているのが〝視〟えた瞬間、自分が悪手を打ってしまったことを悟る。
半瞬後、テストの予想どおり、鋼糸が長剣媒体に巻きついた。
光刃に打ち払われたにもかかわらず弾かれた程度で済んでいたナイフも、光刃に巻きついてなお切れていない鋼糸も、相当特殊な造りをしているようだが、今はそんなことを気にしている暇はない。
軽刃媒体片手に、クオンが眼前まで迫っていた。
間合いに入った瞬間、クオンは左手で鋼糸を繰って長剣媒体の動きを制限しつつ、右手の軽刃媒体でテストの胴を斬り裂こうとする。
ならば――と、テストはクオンに倣って長剣媒体の光刃を消し、鋼糸の束縛を解いてから光刃を再具象。胴に迫る軽刃媒体を、ギリギリのところで受け止めた。
クオンは歯ぎしりを漏らしながらも飛び下がり、鋼糸を繰ってナイフを袖口に仕舞う。
続けて、先程テストに蹴り上げられ、落ちてきた軽刃媒体を見もせずに掴み取った。
「…………」
テストを睨むクオンの双眸には、明確な怒気が宿っていた。
今まで見せていたクオンの表情が〝仮面〟だったのではないかと思えるほどに、生の感情が可憐な容貌から滲み出ていた。
クオンを注意深く〝視〟ながら、油断なく長剣媒体を構える。が、どれほど注意深く〝視〟ても、クオンという女の底はまるで見通せる気がしなかった。
(それにしても、まさかこうも怒りを露わにするタイプだったとは……)
意外に思う一方で、テストもまた心の奥底から湧き上がる怒りを抑えることができなかった。
クオンの怒りが、ヨハンを想って生じたものであることは明らかだった。
だからこそ、テストは怒りを覚えずにはいられない。
(ヨハンを想っているくせに、どうしてキミはヨハンを復讐の奈落に叩き落とすような真似をした……!)
言葉にしてぶつけたかった。
だけど、ぶつけてしまったら何かが壊れる予感がしたから、心の内に留めた。
(復讐の相手である彼女を斬ったら、ヨハンは怒るかもしれない。でも……)
確かな決意と、心の奥底から溢れてくる熱意を胸に、テストはクオンを睨みつける。
(この戦いに勝つためではなく、《グラム騎士団》のためではなく、ヨハンをこれ以上苦しめさせないために……クオン・スカーレットは、ここで斬る!)
そう決意した直後のことだった。
耳をつんざく轟音とともに、無数の炎の波動が天を衝いた。
炎の波動が見えるのは、山頂の向こう側――今まさに《グラム騎士団》と帝国掃討軍が戦っている戦場。
誰の仕業かも、何が起きているのかも、二人にとっては自明だった。
「ヨハン……!」
思わず嬉しげな声をあげる、テスト。
だが、それも一瞬だけに留め、すぐさま気を引き締め直す。
なぜなら、
「…………」
項垂れるように俯くクオンの深奥から、テストをして悪寒が走るほどの凶気が滲み出ていたがゆえに。
ここから先は死闘になる――そう確信したテストは、今一度長剣媒体を構え直した。





