第49話 奇襲
時は少し遡る。
クオンとテストが激闘を繰り広げていた頃、ヨハンは山頂にたどり着いていた。
誂えたように戦場を一望できる位置に崖が伸びていたので、ヨハンは匍匐しながら崖の際に移動し、戦況を確認する。
《グラム騎士団》は、倍以上にいる帝国掃討軍を相手に互角の戦いを繰り広げていた。グラムの騎士の武力と、要所で光るストレイトスの指揮があればこその戦況だった。
(だが……)
まだまだ戦力に余裕がある敵軍とは違い、味方軍は後詰めまで戦線に投入し始めている。
時間が経てば経つほど味方軍が不利になるのは、火を見るよりも明らかだった。
一度崖から離れ、一時的に解除していた〝シルフィーロンド〟を再び発動し、翠風を身に纏う。
風向きは確かめるまでもなく、戦場に向かって強く強く吹き下ろしていた。
どうやら天はこちらに味方してくれたらしい。
覚悟は、とうの昔にできている。
征く――そう決断した時にはもうヨハンは走り出し、崖の際を蹴って空を飛んでいた。
疾風も斯くやとばかりに滑空しながら、敵軍を注視する。
目標落下地点は、敵軍の後詰め。
全力で魔法を振るっても味方軍に累が及ばない、敵陣の奥の奥。
当初の予定では山から最も近い位置に布陣している敵軍に奇襲をかけるつもりだったが、予想以上に良い風が吹いたので、敵軍後詰めのど真ん中に着地点を変更する。
滑空速度が落ち始め、定めた着地点が見えてきたところで、後詰めの帝国兵が一人、また一人と、上空にいるヨハンに気づき、騒ぎ始める。
頃合いだと判断したヨハンは、着地点を空けるべく、自身が使える中で最強の威力を誇る雷属性魔法を詠唱した。
「慈悲なき雷よ、その怒りを以て全てを灰燼せよ――〝マーシレスレヴィン〟!」
直後、神々の怒りにも似た雷鳴とともに、天から落ちてきた雷の雨が地上にいる帝国兵たちを蹂躙する。
続けてヨハンは、震死体に塗れた地面のど真ん中に、ふわりと着地した。
「汝を貫きしは、絶死の墓標――〝アルバセメタリー〟!」
間髪入れずに、地面から無数の岩槍を突き出す地属性魔法を発動。
着地の隙を突こうとヨハンに殺到していた帝国兵たちが、一人残らず岩槍の餌食になる。
たった二発の魔法で、すでに三桁を超える帝国兵を潰したヨハンは、ここからが本番だと言わんばかりに、腰に縛り付けていた魔法陣の布を引っ掴み、地面に拡げる。
帝国兵が無数の岩槍を乗り越えるのに手間取っている間に、魔法陣を起動する呪文を詠唱。
「炎よ、我が陣に宿れ」
魔法陣に炎が迸り、ヨハンと陣が不可視の魔導経路で繋がれる。
そして、最速で魔法陣に魔力を注ぎ込むと、主君と仲間を弔った獄炎を陣から解き放った。
「全てを焼滅せし獄炎よ、我が呼び声に応え、万象余さず焼き尽くせ――〝ルイーナイグニス〟!!」
檻から放たれた大蛇のように、魔法陣から噴き出した幾十もの獄炎の波動が天空を突き破る。
大蛇の群れはその身に宿る破滅的な熱量を以て、地上にいる帝国兵たちを焼いて、灼いて、燒き尽くす。
大蛇の犠牲になった者の数は、ヨハンの見立てである五〇〇をはるかに超え、一〇〇〇にまでその牙を届かせていた。
◇ ◇ ◇
「まさかこれほどとは……!」
視覚以外の五感で、ヨハンの奇襲が成功以上の戦果を収めたことを把握したストレイトスは、凄絶に笑みながらも、戦開始直後の激励を超える大音声で叫ぶ。
「聞けええええええええええッ!! 勇士たちよおおおおおおおおおおおおおッ!!」
先の〝ルイーナイグニス〟で敵味方問わず戸惑い、ヨハンの周囲を除いて戦闘が一時的に止まっていたせいか、ストレイトスの叫びは戦場全域にまで轟いていた。
「驚く気持ちはわかるッ!! 狼狽えるのも無理はないッ!! だから、これだけは言っておくッ!! 俺を信じろッ!! グラム騎士団長ストレイトス・ユアン・ベイルを信じろッ!! 〝アレ〟は、我々の味方だッ!!」
ストレイトスの言葉どおり、味方の全てが驚き、狼狽えているのか、応の声はすぐには返ってこなかった。
だが、
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
ひとたび誰かが雄々しい応を返すと、それに釣られるようにそこかしこから雄叫びにも似た応が次々と返り、
「征けええええええええええええッ!! 勇士たちよおおおおおおおおおおおッ!!」
ストレイトスが号令をかけると、二度上がった鬨の声がモニア平原を揺らした。
想定以上の反応に、満足げな笑みを浮かべるストレイトス。
その隣にいた副騎士団長が、味方軍の熱気に水を差すような冷ややかな声音で訊ねてくる。
「最初に叫び返した者は、カルセル・マルセルですね?」
「さすがだな、ラムダス。その通りだ」
満足げだった笑みをイタズラがバレた悪童のそれに変え、ストレイトスは肯定した。そんな騎士団長に、ラムダスは諦めたようにため息をつく。
「言いたいことは山ほどありますが、今はよしておきましょう。この好機を逃す手はありませんからね」
「そういうことだ。言いたいことは、この戦いが終わった後に好きなだけ聞いてやる」
「その言葉、嘘偽りありませんね?」
「……お手柔らかにお願いします」
敬語で返してくる騎士団長に、ラムダスは再びため息をつく。
「前線に出るのでしょう? 指揮は私がやっておきますから、アルトランの首でもなんでも取ってきてください」
「ああ」
鷹揚に応じた後、山の方角を一瞥する。
(テストくんが戦場に戻ってきた気配はない。ということは……アルトランめ、相当な手練れを偵察に遣わしたな)
そしておそらく、偵察に遣わされた人物はクオン・スカーレット。
アルトランとジスファーが戦場にいる以上、他に切札がない限りはその女以外にテストを釘付けにできる者は、向こうの軍には存在しない。
十中八九間違いないだろうと、ストレイトスは思う。
(ヨハンくんの護衛を終えたらアテにさせてもらうつもりだったが、さすがに、そこまで都合良くはいかんか)
一つ息をついて切り替えると、ストレイトスはわずか一〇〇の手勢を引き連れて出陣した。
◇ ◇ ◇
「あの魔法士には不用意に仕掛けるなッ!! 銃隊と弓隊で牽制するだけに留めろッ!! 前線の指揮は私が執るッ!! 私が着くまでは守りに徹しろと伝えておけッ!!」
矢継ぎ早に指示を飛ばす、アルトラン。
その傍にいたジスファーが、どこかこの状況を楽しむような声音で言う。
「まさかヨハン・ヴァルナスの力が、ここまでのものだったとはな」
「全くだ。正直、どれだけ優れていようが、魔法士一人程度では戦況を変える一手にはなりえないと高をくくっていた。クオン嬢を一人で行かせた、私の失態だ」
「それはどうだろうな。どれほどの精鋭をつけようが、あの娘の足について行けるとは到底思えない。それに精鋭を連れて行ったところで、無駄に戦死者を増やす結果に終わっていただけかもしれないぞ」
「……山の裏で、何が起きているのかわかるのか?」
「わかるというほどではない。だが、我が心惹かれるような戦いが起きているのは間違いなさそうだ。心地良い殺気が二つ、ぶつかり合う気配を感じる」
「こと戦いにおいては、相変わらず猟犬並みの嗅覚だな」
呆れ半分感心半分に、アルトランは言う。
それからほどなくして、兵士の一人がアルトランの愛馬を連れてくる。
拒馬の手前まで可及的速やかに移動するために、用意させたものだった。
アルトランは馬に跨がり、
「クオン嬢には悪いが、こうなってしまった以上は仕方ない。ジスファー、好きなだけ楽しんでこい」
「もとよりそのつもりだ」
返事を聞くや否や、アルトランは馬の腹を蹴り、ジスファーの前から走り去っていった。
アルトランを見送ったところで、ジスファーは自身の武装媒体――騎槍媒体を右手に、オディックヘドロン製の大盾を左手に携える。
そして、爆ぜんばかりの勢いで大地を蹴り砕き、馬すら追い越さんばかりの勢いで戦場を駆け抜けた。
七至徒第三位にして戦況を一変させる〝兵器〟が、今まさにヨハンに迫ろうとしていた。





