第45話 ジスファー・ラウンド
イラート・コルセイダスという男がいた。
六年前。ヴィクター・ウル・レヴァンシエルが、まだ皇帝の座に就いていなかった頃。
コルセイダス家は、当時ヴィクターと帝位を争っていた、ヴィクターの兄――マルクト・サルン・レヴァンシエルに召し抱えられていた。
イラートは、帝国きっての〝武〟の一族として知られていたコルセイダス家の中でも、とりわけ〝武〟の才に秀でており、いずれ必ずヘルモーズ帝国軍の大将軍になると目されていた。
しかし、時勢がそれを許さなかった。
ヴィクターが先代皇帝を蹴落とす形で帝位を継承。
〝武〟は勿論、用兵に関しても突出した才を持っていたヴィクターは、皇帝でありながらも大将軍を兼任すると宣言した。
当然の如くマルクトは反発し、内乱を画策するも、それに気づかないヴィクターではなく、当時からすでに存在していた《終末を招く者》によって内乱計画は未然に阻止された。
追い詰められたマルクトは自決。
マルクトに加担したコルセイダス家は、内乱計画とは無関係だったイラートも含め、一族郎党処刑されることとなった。
だが――
皇城の地下牢に入れられ、処刑の日を待つだけだったイラートのもとに、予想だにしなかった人物が訪れた。
その人物の名は、ヴィクター・ウル・レヴァンシエル。
時の皇帝が、罪人であるイラートのもとに自ら足を運んできたのだ。
驚きのあまり呼吸困難に陥りかけている牢番をよそに、ヴィクターは牢越しからイラートに告げる。
「イラート・コルセイダス。己に仕えろ」
巨漢以上の体躯と落ち着いた物腰ゆえに、帝国軍内においては山のように動じない男と称されていたイラートだったが、この時ばかりは動揺を隠すことができなかった。
「つ、仕えろなど……一体どういうおつもりですか……! 殿下――いえ、陛下……!」
「貴様ほどの男を、愚兄が起こした茶番で失うのはあまりにも惜しい。そう思っただけだ」
だから仕えろ。
言外に込められた圧力に、イラートは思わず息を呑む。
「己は貴様を高く買っている。それこそ愚兄以上にな。貴様が望むなら、愚兄に加担していない者に限り、コルセイダス家の者たちの命を保証してやろう」
処刑を言い渡されたのは、コルセイダス家の一族郎党。
その中には当然、女子供も含まれている。
申し出自体は望外としか言いようがなかったが、
「ヘルモーズ帝国皇帝ともあろう御方が、一度下した処分を軽々と覆すのは如何なものかと」
「業腹だが、父から皇帝の座を奪い取ったとはいっても、己はまだ帝室の全てを掌握したわけではない。コルセイダス家を一族郎党処刑するよう命じたのは、別の者だ」
そういった者どもは、追々粛正していくがな――と、付け加える。
「我々を見逃せば、いつか陛下の寝首を掻きにくるかもしれませんぞ」
「それもまた一興というものだ。だが――」
ヴィクターは皇族とは思えぬほどに獰猛な笑みを浮かべ、言葉をつぐ。
「その場合は覚悟してもらうぞ。己に刃を向けた者は、容赦なく叩き潰す主義なのでな」
イラートは得心する。
ヴィクターが、マルクトに加担した者たちに許しを与えないのは、再び内乱を画策されることを危惧したのではなく、苛烈なまでの主義に則ったがゆえであることを。
「もう一度言うぞ、イラート・コルセイダス。己に仕えろ。貴様の武力と、その内に秘めた狂気。丸ごと己によこせ」
あまりにも傲慢で、あまりにも力強い言葉に、イラートは震えた。
マルクトからは微塵も感じられなかった皇帝としての器を――否、それ以上の器をヴィクターから見出したイラートは、申し出を受け入れ、忠誠を誓った。
ヴィクターは約束どおり、マルクトに加担していた者たちを除き、牢に入れられていたコルセイダス家の者たち全てを解放し、不問に付した。
その恩ゆえに、牢越しに見たヴィクターの器に惚れ込んだがゆえに、イラート・コルセイダスは死ぬことを決意した。
マルクトに加担していなかったとはいえ、コルセイダス家随一の武人であるイラートが生きていることを良しとしない者は大勢いる。
事実、帝国軍内――特にヴィクターを崇敬する傾向にある若い兵士の中には、内乱に加担しようとしたコルセイダス家の人間を許せないと、声高に叫ぶ者も少なくなかった。
イラートの生き場である帝国軍において、イラートの行き場はどこにもなかった。そもそもイラート自身、帝国軍内に不和をもたらすことを良しとしなかった。
ゆえに、公ではイラート・コルセイダスは、主であるマルクトの後を追って自決したことにした。
顔を焼き、喉を灼き、名前を捨て、《終末を招く者》として、ヴィクターのために尽くすことを今一度誓った。
「貴様ほどの男には、相応の肩書きと権限が必要だ」
その言葉どおり、ヴィクターはイラートに、相応の肩書きと新たなる名前を与えた。
そうして生まれたのが、七至徒第三位ジスファー・ラウンドだった。
◇ ◇ ◇
ヨハンがストレイトスから、魔法陣を描くための布を受け取った同じ日の夜。
アルトラン率いる六〇〇〇弱の掃討軍は、カウロウ伯領地の隣――シリウス伯の領地にたどり着いていた。
帝国軍が現在侵攻中であるシリウス伯領地は、コーク王国内においてはまさしく最前線。
シリウス伯にとっては決死の、掃討軍にとっては多少の、抵抗を受けることを予想していたが、
「まさか、素通りさせるとはな」
下手な宿部屋よりも広い将軍用のテントの中で、アルトランは苦い表情を浮かべながら、簡易テーブルの上に拡げた地図を睨む。
「やはり、ストレイトスの仕業か?」
そう訊ねるジスファーはいつもの頭巾姿ではなく、七至徒第五位〝翁〟が、ジスファー・ラウンドという男の潜在能力を最大限に引き出してみたいという欲望のためだけに造り上げた、オディックヘドロン製の特別な甲冑に身を包んでいた。
「まず間違いなくな。私とお前を擁する掃討軍の相手をしても、シリウス伯の軍を無駄に失うだけ。そうなることを避けるために、ストレイトスは我々掃討軍を素通りさせるよう、シリウス伯に使いを送った……といったところだろうな」
「このまま、ストレイトスの誘いに乗って突っ切るのか?」
「うむ、そうする他あるまい。行く手に立ち塞がっている状況ならともかく、領地の奥に引っ込んだシリウス伯の軍を相手にしようものなら、ストレイトスは喜々として我々の脇腹を突いてくるだろう。せっかく合流した前線の軍も、シリウス伯の軍に対する〝抑え〟として残していかなければならなくなった。本当に、煮ても焼いても食えない男だよ」
「しかし、だからこそ相手にとって不足はない」
甲冑の下で、ジスファーは笑う。
その内から、暴力的なまでの〝圧〟を放ちながら。
わずかとはいえ、クオンすら気圧された〝圧〟を前に、アルトランは小揺るぎもしないどころか、苦笑さえ浮かべていた。
「そういうところは、本当に昔から変わらんな。イラート」
アルトランがその名を口にすると、〝圧〟は緩やかに霧散し、
「その名ではもう呼ぶなと、何度も言っているだろうが」
「言わなければ〝やんちゃ〟を抑えられない、お前が悪い」
「我々がまだ一兵卒にすぎなかった頃は、我以上に〝やんちゃ〟だった貴様が、よくも言ってくれたものだな」
「その〝やんちゃ〟だった私と大喧嘩をやらかしたのは、どこの誰だったかな?」
「本当に、よくも言ってくれたものだな。その大喧嘩で、我の肋にヒビを入れたのはどこの誰だ」
「私はヒビどころが、ポッキリ折られた上に、頭を割られて血塗れにされたがな」
「『俺より強い奴を許せねえ』などとほざいて、喧嘩を売ってきた輩に手心を加えるような教育は受けていなかったものでな」
言うだけ言ったところで、二人は喉を鳴らして笑い出す。
普段の二人からは想像もつかない気安いやり取り。この場にクオンがいれば、間違いなく目を丸くしていたことだろう。
「そんなお前が、マルクト殿下の後を追って死んだと聞かされた時は何の冗談かと思ったぞ」
「当時、帝国軍内では〝イラート〟のことを許せない者が大勢いたからな。ヴィクター陛下に尽くすと誓っておきながら、足を引っ張るような真似をするわけにもいかないだろう」
「その結果が、七至徒第三位ジスファー・ラウンドというわけか。私が将軍になってまだ間もない頃、お前が《終末を招く者》から〝兵器〟として援軍に来た時は、さすがの私も肝を潰したぞ」
「それはこちらの台詞だ。顔も喉も焼いたというのに、秒で看破されるとは、さすがの我も想定していなかった」
「それについて私から言えることは、ただ一つだけだ。お前のような男が、そう何人もいてたまるか」
そう言いながら、アルトランは簡易テーブルから離れ、テントの隅に置かれた木箱を漁り始める。
ほどなくしてテーブルに戻ってきたアルトランの手には、ワインボトルと、グラスが二つ握られていた。
「景気づけだ。一杯付き合え」
ジスファーの返事を待たずに、アルトランは二つのグラスにワインを注いでいく。血のような赤を湛えたワインだった。
「やれやれだな」
呆れたため息を漏らしながら、ジスファーは兜を脱ぐ。
顔中を嬲り尽くした火傷の痕は凄惨の一語に尽きるものだったが、見慣れているのか、それともこの程度で動じるような胆力ではないのか、アルトランは眉一つ動かすことなく、ワインを注いだグラスをジスファーに渡した。
ジスファーはワインの香りを嗅ぎ、顔をしかめる。
「相変わらずの安酒か」
「上等な酒だと、景気づけ程度では済まなくなるからな」
そう言って、アルトランはグラスを掲げ、ジスファーもそれに倣う。
「「帝国のために」」
示し合わせることなく声を重ね、ワインを一口煽る。
「まあ、安酒だからこそ得られる高揚感は嫌いではないがな」
ジスファーに同意するように、アルトランは頷く。
「コークス王国の趨勢を決める決戦が、間近に迫っている。その事実だけで、十二分に酔える」
決戦という言葉に、ジスファーはグラスを傾けていた手を止める。
「やはり貴様も、この戦いが分水嶺になると目していたか」
「ああ。それこそ、先の王都決戦以上にな」
「あの戦いは始まる前から勝負は決まっていた。戦いの規模自体は決戦と呼ぶにふさわしいものだったが、我にとっては決戦たり得ん戦いだった」
「鬱憤が溜まっていたというのであれば、是非とも次の決戦で爆発させてほしいものだな」
返事を催促するように、アルトランは再びグラスを掲げる。
「もとよりそのつもりだ」
ジスファーもまたグラスを掲げ、アルトランのグラスと打ち合わせた。





