第44話 魔法陣
ヨハンが《グラム騎士団》本拠地となる山砦を訪れてから、二週間が過ぎた頃。
王都方面に配されていた連絡員からの情報により、ヘルモーズ帝国将軍アルトランが六〇〇〇近い兵を率いてカウロウ伯領地に向かっていること、その直近の地方を侵攻している帝国軍が呼応するように動き始めていることがわかった。
必然、騎士も同志も関係なく、多くの者が決戦の準備に追われることになるわけだが、〝協力者〟であるヨハンと、客員騎士であるテストは、ストレイトスからの〝頼み事〟により、決戦時は騎士団とは別行動をとることになったため、準備すべきことは他の者よりも比較的少なく済んでいた。
その結果、手隙の時間ができ、左前腕と左脇腹の傷も概ね癒えたということで、ヨハンはいよいよテストから剣を教えてもらえることになった。
しかし――
「これは……ひどいね」
砦内にある練武場で、騎士服姿のテストが憐れみを帯びた声を漏らす。
視線の先には、テストが教えた剣の型とおりに木剣を振るうヨハンの姿があるわけだが、
「ヨハン、すまない。もういい。もうわかった」
ヨハンは木剣を振るう手を止め、テストに向き直る。
テストの反応を見て全てを察したヨハンは、その双眸に諦めの色を湛えていた。
「ヨハン……その……キミに剣を教えるという話だが……」
しどろもどろしているテストに、ヨハンは諦めに満ちた声音で応じる。
「テスト、僕に気を遣う必要はない。はっきり言ってくれ」
「……わかった」
とは言うものの、やはりヨハンに気を遣ってしまったのか、テストはいやに長い沈黙を挟んでから訥々と告げる。
「ヨハン……キミが言っていたとおり、キミには剣才がない……というか、剣そのものが向いてないと、言わざるを得ない。これじゃあ、懐に飛び込んできた敵に対処するどころか、かえって状況が悪くなる恐れすらあるよ」
「剣を持たない方がマシということか?」
「残念ながら……そういうことになるね。特に防御の型が……本当に五年も剣の鍛錬を積んでいたのかと疑いたくなるほどに……ひどかった。模擬戦とかで、守りに徹していたはずがあっという間に崩されて負けてしまったこと、かなり多かったんじゃないのかい?」
図星を突かれ、口ごもってしまう。
ブリック公国軍時代、兵士同士で模擬戦を行なった際、劣勢を立て直すために守りに徹したはずが、かえって状況が悪化して負けるというパターンが幾度となくあった。
当然、その時はその時で、ザック将軍や各士団長、あまり思い出したくないがクオンに、剣について助言を受けたりもしていたが……実を結ぶことはなかった。
なんだかんだでレグロも、模擬戦中に罵倒めいた助言をくれることがあったが……それでもやはり、実を結ぶことはなかった。
テストに教えを請えばあるいは――と期待していたが、どうやら教える以前の問題だったらしい。
ある程度覚悟ができていた結果とはいえ、ヨハンは思わず自嘲めいた言葉を漏らしてしまう。
「剣を持たない方がいいとわかっただけでも収穫だな」
「あ、いや、まあ……すまない。こき下ろすようなことを言って……」
「謝る必要も、気にする必要もない。はっきり言うように頼んだのは僕の方だからな。それより剣が駄目なら、どういった武器が僕に合うと思――」
不意に練武場の扉が開き、ヨハンの言葉が途切れる。
扉を開け、練武場に入ってきたのは、騎士団長――ストレイトスだった。
ヨハンたちのもとにやってきたストレイトスは、これ見よがしにヨハンとテストに向かって見えない目を巡らせ、
「もしかして、お邪魔だったかな?」
言外に込められた意味を理解したテストが、注視しなければわからない程度に頬を火照らせながらストレイトスを睨む。
一方で、言外に込められた意味を全く理解していなかったヨハンは、
「いや、問題ない。一段落ついたところだからな」
それを聞いて微妙に複雑そうな表情を浮かべるテストをよそに、ヨハンはため息まじりに言葉をつぐ。
「どうやら僕は、自分で思っていた以上に剣才がないらしい」
テストの反応にニヤニヤ笑いを浮かべていたストレイトスだったが、人がいないことを確かめるように練武場の入口を一瞥すると、気持ち真剣な面持ちでヨハンに応じた。
「だろうな。俺が〝視〟た限り、君は良い意味でも悪い意味でも魔法士だからな」
「それは、僕には武術そのものが向いていないということか?」
「武術といっても千差万別だから、一概に向いていないとは言えないが……少なくとも、騎士や兵士に求められる類の〝武〟は、君には向いていないと断言しておこう」
「ス、ストレイトスさん!」
非難するような声音で、テストが口を挟むも、
「構わない。使えない手札に、いつまでもしがみついている余裕は僕にはないからな」
当のヨハンが、むしろ有り難いとばかりに応じるものだから、テストの表情は複雑になるばかりだった。
「それより、頼んでいた物を持ってきてくれたようだな」
そう言ってヨハンは、ストレイトスが脇に抱えている布の塊を見やる。
「まったく、騎士団長にもなってパシらされるとは思わなかったよ」
おどけたように言いながら、ストレイトスは脇に抱えていた布地を勢いよく床に拡げる。
一辺が二メートルほどもある、正方形の大きな布だった。
「魔法陣を描くために使う布を、他の騎士に用意してもらうわけにはいかないからな。それに、必要な物があれば用意すると言ったのは貴方の方だ」
「いや~……仰るとおりです」
ぐうの音も出なかったストレイトスは、ガックリと肩を落とした。
◇ ◇ ◇
二日前。
保護した村人たちと、その護衛にあたる騎士二〇名が砦を脱し、王都方面に配された連絡員が帝国軍の動向を報せるために馬を乗り継いで砦に戻ってきた日の夜。
ヨハンとテストは、ストレイトスの執務室に呼び出された。
「ここが、決戦の場となるわけか」
執務机に拡げられた地図を見下ろしながら、ヨハンは誰とはなしに呟く。
地図上において、ヨハンたちの視線を一身に集めているのは、カウロウ伯領地北東部にあるモニア平原。
そこでアルトラン率いる掃討軍を迎え撃つというのが、ストレイトスの算段だった。
「しかし、いいのか? 六〇〇〇近くいる掃討軍に対し、こちらは他地方からの援軍を合わせても三〇〇〇にも届かない。平原で戦うということは、倍以上の兵力と真っ向からやり合うことになるぞ」
「ヨハンくんの懸念はもっともだが、あちらさんが魔法士を山ほど抱えている以上、森や山の中に布陣しても火属性魔法で丸ごと燃やされるのがオチだからな。それに、あちらさんにはそういった地形でこそ力を発揮する連中もいる」
「《終末を招く者》、ですか」
苦々しげに答えるテストに、ストレイトスは「そうだ」と首肯を返す。
「それに、いくら騎士を標榜しているといっても、この数を相手に真っ向勝負を挑むような馬鹿はしないさ」
そう言って、ストレイトスはヨハンに顔を向ける。
「風属性魔法の〝シルフィーロンド〟……だったか。そいつを使って〝ここ〟から平原に向かって飛んだ場合、並みの魔法士ならどれくらいの距離を飛ぶことができる?」
〝ここ〟――平原北端にある横に長い山を指差し、ストレイトスは訊ねる。
「標高は?」
「九〇〇メートルくらいだな」
「その高さからなら、そうだな……自然風の影響にもよるが、だいたい四〇〇〇から五〇〇〇といったところだろうな」
「飛距離よりも速度を出すことに注力した場合はどうだ?」
「その場合の飛距離は……おそらく、半分かそれ以下まで落ち込むだろうな」
「そうか……。ちなみにだが、君なら同じ条件でどれくらい飛べる?」
ストレイトスの言わんとしていることを察したヨハンは、不敵に断言する。
「先程答えた、並みの魔法士がただ飛ぶことだけに注力した距離と同程度。最低でも四〇〇〇。自然風の影響次第では五〇〇〇以上は飛ぶことができる」
「いい答えだ」
ヨハンの断言以上にストレイトスは不敵に笑み、ヨハン同様ストレイトスの言わんとしていることを察していたテストが得心したように言う。
「コークス王国に派兵された帝国軍の中に、一キロを超える長距離攻撃が可能な魔法士は確認されていない。ストレイトスさん、この山からヨハンに奇襲を仕掛けさせるつもりですね?」
「ああ。この山には伏兵を隠せるほどの緑はない。それに、伏兵と呼べるほどにまとまった数を登らせるには、あまりにも険しすぎる。ヨハンくんが飛べるギリギリの距離――山から五キロほど離れた位置に布陣し、そこを主戦場にすれば、帝国の魔法士は勿論、《終末を招く者》でさえも山を伝っての奇襲は難しいだろう。何せ五キロも離れているからな。普通は奇襲をかける前に余裕で発見される。だから、やるにしろやられるにしろ、山を利用した奇襲は〝ない〟と、あちらさんは考えるはずだ」
まあ、アルトランなら多少は警戒してくるかもしれんがな――と、肩をすくめながら付け加える。
「そこでヨハンくんに頼みたい事がある……と言っても、最早皆まで言う必要はないかもしれんが」
「山を登って、そこから奇襲を仕掛けろ――だろう?」
「ああ。正確には、敵はおろか味方にも秘密裏に。なおかつ、護衛につけるテストくんと二人で登ってもらうことになるがな」
「ボクも、ですか?」
確かめるように訊ねるテストに、ストレイトスは「そうだ」と頷き、
「此度の戦は、ヨハンくんの奇襲にかかっているからな。だがしかし、奇襲の方法が魔法である以上、事情を知らない騎士を護衛につけるわけにはいかず、事情を知っているカルセルくんは持久力に難があるから、あの険しい山を踏破するのは難しい。言うまでもないが、俺は騎士と同志たちを指揮しなければならないため、護衛についてやることはできん」
「ボク以外に適役はいない……そういうことですね」
「そういうことだ。それに、繰り返し言うが、此度の戦はヨハンくんの奇襲にかかっている。そのヨハンくんの護衛は、《グラム騎士団》最強の騎士である君にしか任せられんよ」
言い終わると同時に、ストレイトスはヨハンに向き直る。
「というわけだ。頼まれてくれるかい? ヨハンくん」
「協力すると言ったからな。もとより断るつもりはない」
「そう言ってもらえると助かる。必要な物があったら言ってくれ。こちらで用意しよう」
◇ ◇ ◇
床に拡げた〝必要な物〟――二メートル四方の布を見下ろしながら、ストレイトスはヨハンに訊ねる。
「しかし、本当にただの無地の布でよかったのかい? 特殊魔法用の魔法陣を描く媒体としては、こう……頼りない気がするんだが」
「描く場所が限定されている詠唱省略用の魔法陣とは違い、特殊魔法用の魔法陣は、起動した際に可能な限り地面と水平になっていれば、どのような媒体に描いても発動できるようになっている。魔法陣の紋様を誤認させるような模様や凹凸がなくて、なおかつ、魔法陣を描くのに必要な大きさがあれば、なんでもいい」
「ちなみに、魔法陣を地面と水平にしなければならないのは、どういった理由からなんだい?」
対《終末を招く者》に備え、魔法に関わる知識を貪欲に取り込んでいるテストが、質問を投げかけてくる。
「魔法陣を起動する呪文を唱えると、術者と魔法陣は不可視の魔導経路で繋がれ、術者の魔力を魔法陣に注入できるようになる。そうすることで、特殊魔法を発動するのに必要な魔力を、魔法陣に溜められるという寸法だ。それらを踏まえた上で、魔法陣をコップに、魔力を水に置き換えれば、大凡の理がわかるはずだ」
「なるほどね。傾いた魔法陣では、その容量全てを魔力で満たすことができない。だから、可能な限り地面と水平にしなければならないということか」
ヨハンはテストに首肯を返し、
「厳密に言えば、地面というよりもその下を流れる魔導経脈と水平でなければならない――だがな。それに、魔法陣はコップとは違って、わずかな傾斜がついただけで注入した魔力のほとんどが零れるようになっている。そのあたりの理屈は専門的な話になるから割愛するが、とにかく、特殊魔法用の魔法陣については、今言った二点を抑えておけばいい」
「たしかに、その二点さえわかっていれば、あちらさんが特殊魔法用の魔法陣を使う場合、どういった状況で使うのか、ある程度推測することができるな」
どうやらヨハンの講義はストレイトスにとっても興味深いものらしく、顎に手を当てて「ふむふむ」と頷いていた。
「無事にこの危機を乗り越えたら、ヨハンくんには是非とも、対魔法士の講義を行なってもらいたいものだな」
「見返りがあるなら、考えておこう」
暗に《終末を招く者》の情報を優先して回してくれと言ったつもりだったが、
「見返りか……そうだな、テストくんの熱~いキスなんていう――のわぁ!?」
スパーン、とテストがストレイトスの頭を叩いて黙らせる。
テストの頬には、ほんのりと朱が差し込んでいた。
「な、何をするんだテストくん!?」
「されてわからないのか!? アナタは!?」
凄まじい剣幕でストレイトスを後ずらせると、凶眼をそのままにヨハンを睨む。
「言うまでもないけど、しないからね」
「わかっている」
淡々と応じながらも、ストレイトス同様テストの剣幕に気圧されたヨハンも、気持ち後ずさっていた。
テストはわざとらしく咳払いをつくことで、無理矢理溜飲を下げ、
「とにかく、魔法陣用の布が届いた以上、鍛錬はここまでだね」
「そうだな。武器選びについては、それこそ無事にこの危機を乗り越えてからだな」
「武器選びについては、ボクの方でも考えておくよ」
「ああ。頼む」
ヨハンは床に拡げていた布を畳んで小脇に抱えると、「失礼する」と一言残し、練武場から去っていった。
ヨハンの気配が完全に離れていたことを確認したところで、ストレイトスは口を開く。
「テストくん……実はヨハンくんに熱~いキスをしたかったとか思ってたりなんか――」
「斬り捨てますよ。ストレイトスさん」
冷たい声音で言われ、「すみません。調子に乗りすぎました」と敬語で謝りながら、ストレイトスは逃げるように練武場から去っていった。
一人残されたテストは、突然その場にうずくまり、
「ボクは何を考えてるんだ……!」
顔を真っ赤にしながら呻いた。
一瞬。
本当に一瞬だけ、考えてしまったのだ。
知りたいと思ってしまったのだ。
ヨハンは、ボクにキスされたらどう思うのだろう?――と。
「帝国軍が、すぐそこまで迫ってきているというのに……!」
自己嫌悪に陥ってなお、浮ついた心を抑えることができない。
ヨハンとともにいればいるほど、今まで自分が知らなかった感情が体の奥底から湧き上がってくる。
日に日に大きくなっていく感情に、テストはやはり、ただただ戸惑うことしかできなかった。





