第39話 少女は一人、
ヨハンたちが馬を手に入れた頃、クオンもまた、手に入れた馬に乗って夜の平原を駆けていた。
逃げるようにヨハンたちの前から消えた後、厩舎にたどり着いたクオンは、ヨハンだけではなく、フルードに潜伏しているであろうグラムの騎士を攪乱するために、厩舎の壁を斬り崩して全ての馬を解放した。
そして、その内の一頭を手懐け、早々にフルードを脱したのであった。
月明かり程度では払い切れないほどの闇が行く手に拡がるも、馬は勿論クオン自身も夜目が利くため、全速力で駆けることに微塵の躊躇もなかった。
しばらくして、ヨハンたちが追ってきていないことを確信すると、一度立ち止まり、夜空に浮かぶ星々を見上げて方位を確認する。
大凡の現在位置と脳内の地図を合致させると、《グラム騎士団》の本拠地を目指して再び駆け出した。
馬の体力を考えて、先程までよりも幾分速度を落としながら。
「ヨハン……」
手綱を強く強く握り締めながら、久しぶり会えた愛しい人の名を口にする。
一聴して怯えていることがわかる程に、震えた声音で。
久しぶりに会ったヨハンは、初めて見る恐い顔で、初めて聞く恐い声で、わたしのことが憎いと言った。殺したいと言った。
わかっていた。
こうなることはわかっていた。
だけど、憎悪も、殺意も、一月半前にヌアークで見せた〝それ〟とは比べものにならないくらい、激しく、恐ろしいものになっていた。
ヌアーク陥落から今に至るまでの間に、さらなる絶望に見舞われた……そうとしか思えないほどに。
そして、ヨハンにさらなる絶望を見舞った人物は、おそらく、
「ラガルさん……ですよね」
不安は、的中していた。
いや、ある意味では外れていたと言えるかもしれない。
なぜなら、ヨハンがここまで激烈な憎悪を、凄絶な殺意を放つなど、夢にも思っていなかったから。
白状すると、ヨハンを《終末を招く者》に招き入れることは99パーセント不可能だとわかっていた。
わかっていたが、それ以外にヨハンの命を救う手立てはなかった。
《終末を招く者》は国崩しの際、ディザスター級澱魔召喚の妨げになるかどうか、ヘルモーズ帝国にとって有益な魔法知識を持っているかどうかを確認するために、標的にした国の中で最も優秀な魔法士――頭に〝元〟が付く者がほとんどだが――にスパイを送るようにしている。
そして、優秀であるがゆえに、国崩しを実行する段になった際は必ず殺すよう厳命されていた。
帝国の脅威となり得る芽を、事前に摘んでおくために。
だからクオンは、ヨハンのことを、優秀は優秀でも殺すのが惜しいほどに優秀な人材だと帝国に思わせ、軍門に降らせることでヨハンの命を救おうとした。
ヨハンの性格上、そんなことは絶対に有り得ないとわかっていながら。
帝国の力は圧倒的の一語に尽きる。
《グラム騎士団》のように足掻いたところで、その圧倒的な力にすり潰される未来がほんのわずかに遠のくだけにすぎない。
どう足掻いても、滅亡という結果は変わらない。
ヨハンには、そんな結果を迎えてほしくなかった。
ヨハンがそれを望んでいないとわかっていても。
わたしのワガママでしかないとわかっていても。
ただ、ヨハンには生きてほしいと思った。
生きてさえいれば、活路が見出せると思った。
それに、希望が全くないわけではない。
僥倖としか言い様がなかったが、あの時、周囲に誰もいないタイミングで〝彼〟を逃がすことができた。
もし〝彼〟がそのまま逃げ延び、ヨハンが〝彼〟の生存を知ることができれば、1パーセントの希望を拾えるかもしれない。
〝仮面〟の下にひた隠しにしていた、わたしの想いが、ヨハンに届くかもしれない。
それさえも、夢物語に等しいことはわかっている。
でも、それでも、1パーセントの希望に賭けたかった。賭けるしかなかった。
「〝仮面〟を外してヨハンに全てを話せたら、どんなによかったか……」
と、口にしながらも、すぐに諦めたようにかぶりを振る。
今さらそんなことをしたところで、ヨハンを激怒させる結果に終わるのは目に見えている。
ヨハンにとって、〝素〟のわたしと過ごした日々は今や悪夢でしかないだろう。
ヌアーク城内でヨハンと相対した際に、〝仮面〟のわたしに徹したことが、なおさら夢見を悪くしていることだろう。
もっとも、その時すでにシエットはセルヌント公の殺害を終えており、いつこちらにやってくるかわからない状況だったため、〝仮面〟のわたしに徹する他なかったが。
「ままなりませんね。本当に……」
落ち込むだけ落ち込んだところで〝仮面〟をかぶり直し、頭を、心を、性格すらも切り替える。
「今は《グラム騎士団》本拠地の確認に集中しないと、ですねぇ」
あえて嗤みを浮かべ、自分に言い聞かせる。
ヨハンへの想いを脳裏の奥の奥に押し込んだ後、ヨハンを助けに来た、朱髪朱眼の騎士について思考を巡らせる。
「確かヨハンは……『テスト』、と呼んでいましたね」
外見においても名前においても、男か女か判然としない騎士。
《グラム騎士団》には女を入団させない不文律が存在するため、九割方男だとは思うが、どうにも、その九割の方が外れているような気がしてならない。
「兎にも角にも、色んな意味で気になる騎士でしたね。グランデル老のことも知っていましたし。……《グラム騎士団》の中で注意すべき人間が騎士団長さんだけではなかったこと、ジスファーさんと将軍さんに報告する必要がありそうですね」
佇まいを見ただけでも、尋常ならざる使い手であることは明らかだった。それこそ、七至徒と渡り合えるほどに。
それほどの使い手とヨハンを相手に一対二で戦っては、さしものクオンも勝機は薄い。
だからクオンはあの時、一も二もなく逃げの一手を打ったのだ。
「あんな鬼札を隠し持っているなんて、思った以上に油断ならない相手ですね。《グラム騎士団》は」
だから、今は騎士団本拠地の確認に集中する。
ヨハンにばかり気を取られていては、生死不明になった《終末を招く者》の構成員と同じ轍を踏むことになる。
今一度、自分にそう言い聞かせ、クオンは夜の平原を駆け抜けた。
そして、三日後――
クオンは、カウロウ伯領地の中心部付近にある、緑豊かな山脈の麓にたどり着く。
山肌同様、麓も草木が生い茂っていたので、これ幸いにと馬を隠し、木に繋ぎ止めてから、休む間もなく山脈に足を踏み入れた。
カウロウ伯が地図上に指し示した、騎士団本拠地があると思われる山脈の一角を目指し、歩くこと半日。
「ここまで来ると、さすがに露骨ですね」
草むらに隠れるようにして張られた〝糸〟を跨ぎながら、クオンは蚊の鳴くような声で独りごちる。
目的地付近の山中には、明らかに対人を想定して仕掛けられた罠が散見していた。
さらには、猟師と呼ぶにはあまりにも〝武〟の気配を感じさせる者たち――まず間違いなくグラムの騎士だろう――が巡回しているものだから、この山脈に《グラム騎士団》の本拠地があるのは、確定と見て間違いない。
あとやるべきことは、この目で直接本拠地を観察し、どれほどの人数を収容できる規模なのかを確かめること。
それだけだ――と言いたいところだったが、
「……!」
巡回していた猟師姿の騎士を発見し、クオンはすぐさま木の陰に隠れる。が、騎士は唐突に立ち止まり、クオンが隠れている木を凝視してくる。
(気のせいで済ませてくれたら嬉しいところですが……)
やはりグラムの騎士はそこまで甘くはなく、油断の欠片もない慎重な足取りで、ジリジリとこちらに近づいてくる。
覚悟を決めたクオンは武装媒体ではなく、実剣――艶消しされた黒塗りのナイフ――を袖口から取り出した。
武装媒体はその刃が光でできているがゆえに目立ちやすく、今のように、隠密に事を運ぶ状況においては使いづらい。
このナイフは、まさしく〝そういった状況〟に対応するために用意したものだった。
もっとも、柄尻に繋がれた鋼糸の存在により、〝そういった状況〟以外にも使える代物ではあるが。
そうこうしている内に、騎士が、クオンの間合いに足を踏み入れる。
転瞬、クオンは木陰から飛び出し、すれ違い様にナイフで喉笛を斬り裂いた。
どうやらこの騎士は、カウロウ伯を護衛していた二人ほどの手練れではないらしく、クオンの速さに身じろぎ程の反応も示すことなく絶命する。
「また、時間との戦いになりそうですね」
ため息をつきながらナイフを仕舞い、すぐさま走り出す。
この騎士の死体を発見される前に、あるいは、巡回から戻って来ないことを訝しんだ騎士団が動き出す前に、騎士団本拠地を発見しなければならない。
ゆえに、クオンは身を隠すことよりも素早く行動することを優先して山中を走り、さらにもう一人、クオンの存在に気づいた巡回中の騎士を呻き声一つあげる暇すら与えずに瞬殺して……とうとう、騎士団本拠地が視認できる位置までたどり着く。
「これはまた、いかにも隠し砦って感じですね」
山を削って造られた山砦を見上げながら、ため息混じりに言った。
見たところ、入口らしい入口は見当たらない。
砦の規模も見た目どおりではなく、山の内側に拡がっている可能性が高い。
これでは、収容人数を推し量るのは難しい
「剥き出しになっている部分だけを見れば、五〇〇人程度とは思いますが……その倍は、見ておいた方がよさそうですね」
と、分析しつつも身をかがめ、全力で気配を殺す。
その三〇秒後。猟師姿の騎士が、身を隠すクオンの五メートル横を歩き去っていく。
当然といえば当然だが、騎士団本拠地の近辺では、巡回している騎士の数が露骨に多くなっていた。
(長居は無用ですね)
《グラム騎士団》の本拠地は特定できた。
砦の規模や入口は把握できなかったが、把握できなかったという事実そのものが、有益な情報になることをクオンは熟知していた。
ゆえにクオンは、静かに、静かに、気配を消して、この場から、この山脈から去っていく。
身を隠し、逃げる。
それだけに持てる力を注ぎ込んだクオンを見つけられた者は、一人もいなかった。





