第37話 闇深き夜
深夜――
(…………………………………………なんで、こんなに目が冴えてるんだ?)
いまだ一睡もできていないテストは、ベッドの中で悶々としていた。
あの後二人は、宿屋近くのレストランで夕食をとることにした。
そして、夕食を食べ終え、宿屋に戻ろうとしたところで、ヨハンは「少し町を見てくる」と言って、テストの前から姿を消した。
一時間後くらいに戻ってくる――と、ご丁寧に帰る時間まで指定して。
そのおかげでテストは、宿の部屋で一人、気兼ねなく裸になり、水に濡らした布で旅の汗と汚れを拭うことができた。
(ボクに気を遣ったのは明らか、だよね)
この宿屋に風呂がないことは、宿屋の主から聞き及んでいた。
町に出れば公衆浴場があるが、時間が時間なので今は開いていない。
それ以前に、男のフリをしているテストが、いつ《グラム騎士団》と出くわすかわからない町の公衆浴場に入れるわけがない。
だからヨハンは気を利かせて、長時間部屋を空けてくれたのだ。
テストが内心、旅の汗と汚れを落としたがっていたことを察して。
(目つきとか雰囲気は抜き身の刃そのものなのに、マメというか、人が良いというか……)
そんなヨハンに呆れると同時に、どうしても、好ましさを覚えてしまう。
(それにしても、妙に女慣れしているような気がするけど……もしかして、恋人とかいたりしたんだろうか?)
そう思った瞬間、チクリと胸に痛みが走り、眉をひそめる。
(……何を馬鹿なことを考えてるんだ、ボクは。もしヨハンに恋人がいたとしても、きっとその女性は《終末を招く者》に殺されている。そんな考えが思い浮かぶこと自体……不謹慎だ)
まるで、先程覚えた胸の痛みは良心の痛みだと自分に言い聞かせているような、どこか言い訳じみた独白だった。
「う……うぅ……」
不意に、ヨハンの呻き声が耳朶に触れ、テストは思わずビクリと震えてしまう。
首だけを横に向け、ベッドとは反対側の壁際で毛布に包まるヨハンを見つめる。
カーテンの隙間から差し込む、月明かりに照らされたヨハンの顔色は蒼く、脂汗が滲んでいた。
明らかに、悪夢にうなされている様子だった。
(また、か……)
我が事のようにつらそうな表情を浮かべる、テスト。
フルードにたどり着くまでの間、眠っているヨハンが、今のように悪夢にうなされることが幾度となくあった。
悪夢の中ではおそらく、復讐の発端となった出来事が再現されているのだろうと、テストは思う。
「――ッ!? はぁ……はぁ……はぁ……!」
とうとう悪夢に耐えきれなくなったのか、ヨハンは勢いよく上体を起こし、荒い呼吸を繰り返す。
「大丈夫か、ヨハン」
声をかけてみると、ヨハンは半顔を掌で覆いながら、申し訳なさそうに謝った。
「すまない。起こしてしまったか」
「別に起こされてはいないから、気にしなくていいよ。せっかくベッドを譲ってもらったというのに、どうにも寝付きが悪くてね。野宿に慣れすぎてしまったのかもしれない」
「……そうか」
短く応じ、ヨハンは立ち上がる。
「少し、夜風に当たってくる」
「明日もできるだけ早く出発したい。あまり遅くならないようにね」
「わかった」
他の客のことを気にしてか、静かに扉を開け閉めして部屋を出て行くヨハンを見送った後、テストは小さくため息をつく。
「どうせならボクも付き合えばよかった……かな?」
誰とはなしに呟きながら、完全に冴えてしまった目で天井を見上げた。
◇ ◇ ◇
商談などの理由により、カウロウ伯がフルードに足を運ぶ機会は何かと多い。
ゆえにカウロウ伯は町の外れに別荘を建て、フルードを訪れた際はそこで寝泊まりするようにしていた。
別荘は、小さな地方領主の持ち物とは思えないほどに大きく、庭園と言っても差し支えないほどに手入れの行き届いた庭が、その周囲に拡がっていた。
まさしくその庭の中にいたクオンは、木陰に身を潜めながら呆れたように言う。
「これはまた随分とおっきいですねぇ」
その言葉どおりに大きい二階建ての別荘に視線を巡らせるクオンの格好は、フルードの町中にいた時の村娘姿ではなく、古拙な仮面にフード付きの外套という《終末を招く者》構成員のそれに変わっていた。
「さて、パッパと済ませるとしますか」
夜闇に溶け込む影のように、足音一つ漏らすことなく疾駆し、別荘の壁に体をつける。
(中の気配は……と)
意識を集中し、別荘内部の気配を探ろうとした直後のことだった。
クオンは突然壁から飛び離れ、半瞬遅れて、彼女が体をつけていた箇所から光刃が生えてくる。
別荘の中にいた誰かが不審者の存在に気づき、壁越しから刺突を繰り出してきたのだ。
光刃が、ゆっくりと壁の中に引っ込んでいく。
続けて、その傍にあった窓が開き、中から燕尾服に身を包んだ男が物音一つ立てずに飛び出してくる。
執事を思わせる風体をした男の手には、先程見せた光刃――長剣媒体が握られていた。
(気配は絶っていたつもりでしたが……どうやら、なかなかの手練れのようですね)
こちらもまた、外套の下から二本の軽刃媒体を取り出していると、
(おや?)
二階の窓が開き、例によって燕尾服に身を包んだ若い男が庭に飛び降りてくる。
やはりというべきか、着地の際は音らしい音を立てることはなかった。
服装は同じだが、先に現れた男よりも年若いせいか、二階から飛び降りてきた男は、執事というよりも従僕という印象が強い。
「やばそうな相手だ。手伝うぜ」
そう言いながら長剣媒体を取り出す従僕に、執事は首肯を返し、
「ああ、頼む。カウロウ伯や使用人の方々を起こしたくはないからな」
使用人の格好をしているにもかかわらず、「使用人の方々」という他人行儀な言い回しをする、執事。
その言葉だけで、クオンは疑念止まりだった二人の正体を確信する。
「お前たち、グラムの騎士だな」
相手に余計な情報を与えないよう、男とも女ともとれないつくった声音で、クオンは断言する。
情報を与えないよう徹底しているのは向こうも同じらしく、執事も従僕も、ただ黙って長剣媒体を構えるだけで、こちらの問いに答える素振りすら見せなかった。
(まぁ、この場合の沈黙は肯定してるも同然なんですけどね)
これ以上の問答は無用。
この場にいる三人の意見が一致した瞬間、
「「!」」
クオンは地を蹴り、風すらも置き去りするほどの速さで二人の背後をとった。のも束の間、閃いた二本の軽刃媒体が、執事と従僕の延髄目がけて絶死の軌跡を描く。
「ふ……ッ」
「ちぃ……!」
執事は鋭い呼気を吐き、従僕は舌打ちを漏らしながら振り返り、絶死の刃を長剣媒体で受け止める。
やはりというべきか、初撃でやられてくれるほど簡単な相手ではなかった。
執事と従僕は息を合わせ、クオンの軽刃媒体と迫り合ったまま、全く同時に長剣媒体を振り切ろうとする。
現在クオンは、館を背にしていた二人の背後をとった形になっている。
それはつまり、
(二人分の膂力に物を言わせて、わたしを壁に叩きつけるつもりですか。カウロウ伯たちを起こしたくないとか、よく言ったものですね)
クオンはすぐさま軽刃媒体の光刃を消し、その結果我が身に迫る二本の長剣媒体を身をかがめてかわした。
しかし、クオンが力勝負から逃げることは二人も読んでいたらしく、振り切った長剣媒体を鮮やかに切り返し、再びクオンを強襲する。
クオンは飛び下がって切り返しをかわし、背後にあった別荘の壁を蹴って、二人を飛び越えた。
再び背後をとるも、執事も従僕も即座に反応し、振り向きざまに斬撃を放ってくる。
クオンはそれを身のこなしだけでかわすも、二人の攻撃がそれだけで終わるわけもなく、息のあった連携で止めどなく攻め立ててくる。
次々と繰り出される斬撃を捌きながら、クオンは仮面の下で感心の吐息をついた。
(なるほど。このレベルの手練れが揃っているのなら、《グラム騎士団》の本拠地を探りに行った構成員が大勢帰って来られなかったのも頷ける話ですね。ですが……)
「わたしの相手をするには、足りませんねぇ」
あえていつもどおりの声音で、仮面の下で嗤いながら断言する。
執事と従僕は、クオンの声音にも挑発めいた言葉にも動じることなく、左右から斜に長剣媒体を振り下ろしてくる。
転瞬、二人の視界からクオンの姿がかき消え、
「!?」
「な……ッ!?」
長剣媒体を握り締めた手首が二つ、夜天に舞った。
「これが、わたしのトップスピードです」
いつの間にか背後に立っていたクオンが、二人の延髄に軽刃媒体を突き立てながら言う。
喉ごと貫かれた二人は、断末魔の代わりに血泡を吐き出しながら倒れ伏した。
「すみませんね。もう少し遊んであげてもよかったんですけど、下手に長引かせると別荘にいる人たちを起こしてしまうかもしれませんから」
嗤みを浮かべながら、物言わぬ肉塊と化した二人に言った後、今一度別荘に壁に体をつけ、中の気配を探る。
気配の多くは眠りについており、気配を消した気配も感じない。
「どうやら、護衛はこの二人だけのようですね」
二階には気配が一つしかないこと。
従僕が二階から飛び降りてきたこと。
この二つの要素を帰納した結果、カウロウ伯の寝室は二階にあると断定。
一階の窓枠を足場にして壁を駆け上がり、従僕が飛び降りてきた二階の窓から別荘の中に侵入した。
足音を立てずに移動し、カウロウ伯が寝ていると思われる部屋の扉を、軋む音すら立てることなく静かに開ける。
見回すまでもなく、部屋の中央に設置された天蓋付きのベッドを認めたクオンは、すぐにそちらに歩み寄る。
カーテンの内側に入ると、人好きのしそうな顔立ちをした初老の男が、ベッドの上で健やかな寝息を立てていた。
クオンは軽刃媒体の片割れを取り出し、
「起きろ」
つくった声でそう言いながら、柄頭で男の側頭部を殴りつける。
殴打と呼べるほどの力は込めていないが、男を目覚めさせるには充分すぎる衝撃だった。
「な、なんだ……!?」
狼狽も露わに上体を起こそうする男の目の前で、クオンはこれみよがしに光刃を具象し、その切っ先を眉間に突きつける。
「お前が、カウロウ伯だな?」
「その仮面……! まさか《終末を招く――……くッ!」
余計なことは喋らなくていいと言わんばかりに、眉間に触れる一ミリ手前まで切っ先を近づけ、もう一度同じ質問をする。
「お前が、カウロウ伯だな?」
男は苦虫を噛み潰したような表情をしながらも、ぎこちなく首肯した。
「……護衛の者たちはどうした?」
「愚かな質問だな。今、この場に誰も駆けつけてこない時点で自明だろう」
シエットのように、どこか超然とした、感情を感じさせない声音で冷徹に告げる。
光刃の輝きに照らされたカウロウ伯の表情は、目に見えて青くなっていた。
(こういう時はほんと、シエットさんの物言いは効果的ですね)
そんな、とりとめのないことを考えている内に、カウロウ伯が質問を重ねてくる。
「使用人たちは?」
「安心しろ。傷一つつけていない。それどころか、貴様の応対次第では、何が起きたのかも知らないまま朝を迎えることができるだろう」
カウロウ伯の表情に苦みが増す。
今の言葉だけで、こちらが使用人を人質として使う気でいることを察したのだ。
「話が早くて助かる」
そう言ってクオンは、あらかじめ用意していた、カウロウ伯の領地図を外套の下から取り出し、毛布の上に拡げる。
続けて、灯り代わりに光刃を地図の傍に近づけた。
「貴様の領内に《グラム騎士団》の本拠地が隠されていることはわかっている。場所を教えろ」
半分はハッタリだったが、カウロウ伯が覚悟を決めたように震えた指を持ち上げるのを見て、クオンは、今自分が吐いた言葉がハッタリではなくなったことを確信する。
しかし、カウロウ伯が地図の一角を指し示した瞬間、クオンは仮面の下で苦い表情を浮かべた。
「……使用人は、若い者から殺していけばいいんだな?」
冷徹極まるクオンの言葉に、カウロウ伯は冷汗を滲ませながらも、こちらを刺激しないよう声を小さくしながら反論する。
「私の応対次第では使用人には手を出さないと言ったのは、嘘だったのか!?」
「わたしは嘘は言っていない。むしろ、嘘でこの場を乗り切ろうとしているのは貴様の方だろう?」
カウロウ伯は、図星を突かれたように口ごもる。
クオン自身、〝仮面〟をかぶって日常的に嘘をつき続けているせいか、相手の表情や仕草を見ただけで、大抵の嘘は看破できるようになっていた。
「次、わたしの質問に嘘で応じた場合、使用人の首が飛ぶことになる。肝に銘じておくことだな」
そう言って、その手に持った軽刃媒体で今一度地図を指し示す。
カウロウ伯は断腸に耐えるように歯噛みしながら、地図の中央に描かれた山脈の一角を、先程以上に震えた指で指し示した。
「ここに、私の祖先が山を削って造った隠し砦がある。……こう答えれば満足か?」
カウロウ伯の様子を見て、本当のことを言っていると確信したクオンは、
「ああ、そうだな」
と応じ、軽刃媒体を逆手に握った。
それを見て察したカウロウ伯が、観念したように、懇願するように訊ねる。
「本当に、使用人には手を出さないのだな?」
「その点は心配する必要はない。無駄なリスクを冒してまで使用人を殺しても、こちらには何のメリットもないからな」
あえて使用人を殺さない理由を示すことで、カウロウ伯の懸念を払拭する。
これから死にゆく彼に送る、せめてもの手向けだった。
「ならいい。……無駄なリスクを冒してまで私を生かすメリットはない。そうだろう? やるなら、さっさとやってくれ」
覚悟を決め、瞑目するカウロウ伯。
それに応えるように、クオンはカウロウ伯の眉間に軽刃媒体を突き立て、痛みを感じる暇すら与えずに即死させた。
〝素〟のクオンの良心が痛みを訴えてくるも、すぐに〝仮面〟の嗤みを浮かべ、そのまま嗤い飛ばす。
わたしは、こういう生き方しかできない。
この生き方以外に、選択の余地もない。
だから、任務のために人を殺すことに躊躇はしない。
今さら良い人ぶろうとする方が、殺した相手に対して失礼だ。
だから、わたしは嗤う。
仮面の下に〝仮面〟をかぶり、禍々しく嗤う。
わたしに殺された相手が、わたしを恨みやすいようにするために。呪いやすいようにするために。
(……これ以上の長居は無用ですね)
頭も心も切り替え、侵入した窓から別荘を脱出する。
庭に隠していた手荷物を回収すると、外套の下に背負ってすぐさまこの場から離脱した。
次にやることは、先程カウロウ伯から得た情報が本当に正しいかどうか――クオンの確信はさておき――を確かめるために、《グラム騎士団》の本拠地を直接この目で確認すること。
そして、騎士団の現戦力を推測する材料として、本拠地の規模を確かめること。
この二つ――実質一つに等しいが――だった。
フルードと騎士団本拠地の距離は、クオンの足でも一日やそこらではたどり着けないので、馬を盗むことにする。
瞬発的な速さならば馬すら置き去りにできるクオンでも、日を跨ぐほどの長距離移動となると、さすがに後塵を拝する。
それゆえの決断だった。
カウロウ伯の別荘同様、郊外に設けられた厩舎を目指して、町の外周路を風のように駆け抜けていく。
その隣に拡がる田園地帯が、視界の端で激流さながらに流れていく。
夜中に目覚めた使用人が、庭に転がる騎士の死体を発見したり、カウロウ伯の寝室を訪れたりしない限りは、領主殺しが露見するのは翌朝になる。
朝陽が昇るまでに可能なかぎりフルードを離れ、可能な限り《グラム騎士団》本拠地に近づかなければならない。
カウロウ伯の死を知った《グラム騎士団》が動き出す前に。
(ここから先は、時間との戦いになりますね)
そう肝に銘じた直後、クオンは思わず足を止めてしまう。いや、止めざるを得なかった。
「……嘘……」
思わず、〝素〟の声で漏らしてしまう。
クオンの視線の先。
目抜き通りと外周路が合流する地点に佇み、夜空を眺めている人物は、
「ヨハン……」
続けて漏れた〝素〟の声は、喜びと、驚きと、後ろめたさと、どうしようもない哀しみが綯い交ぜになった、複雑な響きに充ち満ちていた。
(ここから先は時間の戦い…………でも……でも……!)
目の前に、会いたくて会いたくてたまらなかった人がいる。
居ても立ってもいられなくなったクオンは、フードを脱ぎ、古拙な仮面を外し、〝仮面〟の嗤みを浮かべながら、〝仮面〟の下で暴れる想いに従って、恋い焦がれた青年に声をかけた。





