第34話 〝視〟る
木々の隙間から陽光が差し込む大森林。その只中に見つけた小さな広場で、男物の旅装に身を包んだ朱髪朱瞳の少女――テストは、何もない空間に向かって、ゆっくりと長剣媒体を構えた。
さながら、目に見えない〝敵〟と対峙するように。
刹那、青白い剣閃が虚空に瞬く。
常人ではその軌跡はおろか、長剣媒体を振るう腕すら視認できない神速の斬撃。
それが、一閃、二閃、三閃と、きっかり一秒ごとに、多種多様の軌跡を描きながら虚空に刻まれていく。
その様子を、旅装の上に砂塵除けのマントを羽織った銀髪碧眼の青年――ヨハンはただただ眺め、ただただ圧倒されていた。
(剣の型を見せるから、そこで見ていてくれとは言われたが……)
常人よりはマシな程度の〝武〟しか持ち合わせていないヨハンの目では、テストの剣の軌跡を追うことはできなかった。
長剣媒体を持つ手が霞んだように見えたと思った時にはもう、テストは長剣媒体を振り抜いていた。
(ただ〝視〟るだけで、本当に鍛錬になるのかと思っていたが……)
本格的な鍛錬を始める以前に、テストの剣が〝視〟えるようにならなければ話にならない。
そう痛感しながらも、ヨハンは昨夜のテストとのやり取りを思い出す。
◇ ◇ ◇
「剣でもなんでもいい。僕に武術を教えてくれ!」
深々と頭を下げるヨハンに、目を丸くしていたテストは、
「そういう条件なら喜んで引き受けさせてもらうけど……キミの復讐の相手は、魔法だけではどうしようもないような相手なのかい?」
ヨハンは顔を上げ、苦々しげに「ああ」と答えた。
「僕は〝奴〟に手足どころか、呪文の一語さえも出すことができなかった。〝奴〟に勝つには、〝奴〟の速さについていけるだけの〝武〟の力が必要だ……!」
吐き出すように言った後、ヨハンは一つ息をついて荒ぶりかけていた心を鎮める。
「……クオン・スカーレットという名の女を知っているか?」
テストは数瞬黙考してから、申し訳なさそうにかぶりを振った。
「すまない。初めて聞く名前だ。……その女が、キミの復讐の相手なのかい?」
「ああ。〝奴〟と《終末を招く者》のせいで、僕は故郷を失い、主君も仲間も殺された。〝奴〟だけは……〝奴〟だけは絶対に許さない……!」
ヨハンの顔が憎悪に歪む。
それを見たからか、あるいはヨハンとクオンの間にただならぬ何かを〝視〟たからか……テストは、クオンの話からヨハンを引き離すように露骨に話題を変える。
「良ければ教えてくれないかい? キミの故郷の名前を」
「ブリック公国の公都ヌアーク。それが僕の故郷だ」
「ブリック公国……ヌアーク……」
と、口の中で転がすように呟いた後、朱い目を見開かせる。
「確か、コークス王国の王都と同じ日に陥落したのが――」
「ヌアークだ。もっとも、帝国に占領された王都と違って、こちらは最早滅んだも同然の有り様になっているがな」
テストの言葉を遮り、悔しさと哀しさを吐き出す。
「そして、滅んだ原因となったのが《終末を招く者》の国崩しというわけか。……本当に『キミも』だったんだね」
テストは、同情と共感が入り混じった面持ちで、下唇を噛み締める。
ヨハンも、悔恨と無念を噛み締めるように押し黙り、二人の肩に重苦しい沈黙がのしかかった。
やがて、時間の感覚が曖昧になり始めた頃、テストは唐突に、ヨハンを瞠目せしめる言葉をぶつけてくる。
「キミの下の名前、もしかしなくても『ヴァルナス』だろ」
「…………ッ!?」
〝視〟るまでもなくわかりやすい反応を示したヨハンを見て、テストは得心した表情を浮かべる。
「どうやら、『イエス』のようだね」
「……なぜ、わかった?」
「剣と魔法……畑は違えど、戦う力という点では共通している。大陸最高と謳われた魔法士ダルニス・ヴァルナスの名前と、仕えている国くらいは記憶してるさ。それにキミの魔法に関する力と知識は、それこそダルニス氏のご子息としか思えないくらいに図抜けていたからね。これだけのヒントが揃えば嫌でもわかるよ」
「……そうか」
ファミリーネームを言い当てられたせいか、なんとなく気まずさを覚えたヨハンは、今さらながら自分が、血塗れの土埃塗れのままでいることに気づき、立ち上がる。
「話が過ぎたな。僕は沐浴に行ってくる。鍛錬の方法については、君の好きなようにやってくれ」
最後の言葉は、どれほどきつい内容でも構わないという意味で言った言葉だった。
だが、
「好きなようにやっていいのなら、最初のうちは、ボクの剣の型を〝視〟る以外の鍛錬は禁止させてもらうよ」
湖に向かおうとした足を、思わず止めてしまう。
「理由を聞かせてもらおうか?」
ヨハンの返答を予想していたかのように、テストは淡い微笑を浮かべながら断言する。
「左前腕と左脇腹、怪我してるだろ」
テストが指摘した箇所は、六日前レティアたちを助けた際に戦った澱魔にやられた傷と、昨晩ラガルにやられた傷。
見事に〝視〟抜かれたヨハンは、眉間に皺を寄せながらも首肯を返すしかなかった。
「やっぱりね。自覚がないようだから言うけど、左腕を動かした際や、体を捻ったり曲げたりした際、少しだけ動きがぎこちなくなってるよ」
「少しだけなら、問題は――」
「大アリだよ」
言葉を遮られ、責めるように睨まれ、さしものヨハンも口ごもる。
「痛みに強いのはけっこうだけど、体の悲鳴にはちゃんと耳を傾けないと駄目だよ。今はたいした支障がなくても、戦闘や鍛錬を重ねていく内に傷が開き、悪化するのはままある話だ。そしてそうなった場合、怪我を治すのに余計に時間を食うハメになってしまう」
ますます、ヨハンは口ごもる。
一から十まで、テストの言葉が正しかったがゆえに。
「だから悪いことは言わない。一刻も早く強くなりたいのなら、今は傷を癒やすことに専念してくれ。それに……」
勿体ぶるような沈黙を挟み、テストは自信に満ちた笑みを浮かべながら言葉をつぐ。
「始めてしまえば、キミならすぐにわかると思うよ。〝視〟る鍛錬の重要性がね」
◇ ◇ ◇
(たしかに、テストの言うとおりだったな)
〝視〟る鍛錬の重要性を嫌という痛感しながら、ヨハンは心の中で独りごちる。
テストの剣はまさしく神速。
クオンの動きがろくに見えなかったヨハンでも、クオンの機動力とテストの剣速、どちらの方が速いかと訊かれれば、間違いなく後者だと断言することができる。
それほどまでに、テストの剣速は常軌を逸していた。
ゆえに、テストの剣が〝視〟えるようになることは、クオンの動きが〝視〟えるようになることと同義なわけだが、
(現状は、全く見える気がしないな)
剣の型を終えたテストは光刃を消し、武装媒体を懐に仕舞う。
こちらに顔を向けた瞬間、〝視〟ただけでヨハンが〝見〟えていなかったことを察したらしく、「仕方ないな」と言わんばかりに小さくため息をついた。
「キミ、目だけでボクの剣を〝見〟てただろ? 前にも言ったことだけど、重要なのは第六感をも含めた、あらゆる感覚を総動員して〝視〟ることだよ」
「とは言われても、正直、視覚以外の知覚で〝視〟るという感覚が全くわからないのだが。……〝視〟るという行為について、もう少し噛み砕いて教えてくれないか?」
テストは顎に手を当て、考えるような仕草を見せた後、
「そうだね……ボクの言う〝視〟るという行為は、目で見ることは勿論、肌で空気の流れを感じ取り、耳で音の波を聞き取り、鼻で相手の状態を嗅ぎ取り、第六感……いわゆる勘や経験則をもとに相手が動き出す前の予兆を読み取り、さらには魔力の流れをも感じ取ること。ザックリと言ってしまえば、そんなところかな」
「味覚が除外されていることについて言及するのは、さすがに野暮か?」
「野暮だね。唾液の味を覚えておけば、自分の状態をある程度〝視〟ることができるからね」
なるほど――と思う一方で、テストの言う〝視〟るが、どれほど途方もない境地にあるものなのかを理解する。
語弊を恐れずに言えば、テストの剣において〝視〟るを極めることは、基本にして奥義を極めることと同義。
怪我をしていようがしていまいが、テストは必ず最初に〝視〟る鍛錬を自分に課していただろうと、ヨハンは思う。
「これからは、あらゆる事象に対し、あらゆる感覚を以て接する癖をつけてもらうよ。そうすれば、君なら《グラム騎士団》の本拠地に着くまでには、ボクの剣が多少なりとも〝視〟えるようになっていると思う」
「そこまで至れるなら願ってもない話だが……」
自信がない――とは、さすがに口には出さなかった。
ミドガルド大陸全土で魔法の使用が禁止された五年の間に、嫌というほど剣才のなさを思い知らされたせいか、どうにも、嫌でも、〝武〟に関わることに対して自信が持てなくなってしまっている。
そんなヨハンの心中でも〝視〟えたのか、テストは「大丈夫」と優しい声音で言い、続けて、力強く断言した。
「五感では感じ取れない、魔力を感知することに秀でたキミなら、すぐに〝視〟るという感覚を掴むことができる。ボクが保証するよ」





