第31話 テスト・アローニの秘密
ヨハンを《グラム騎士団》の本拠地まで案内することにしたテストは、先頭に立って大森林の中を歩いていた。
本拠地の方角的に、大森林を通る必要があるという理由もあるが、
(ストウロ村へ向かう道中、森の中に湖があることは確認している。まずはそこへ向かい、身を清めよう。血塗れのままじゃ、町に立ち寄ることもできないからね)
しばらく森の中を進み、西側に傾いた太陽が赤みを帯び始めたところで、二人はようやく湖にたどり着く。
広さはそこそこ程度だが、そこに揺蕩う水は、湖底がはっきりと見えるほどに透き通っていた。
まさしく身を清めるためにあるような、美しい湖だった。
「これは……すごいな」
感心したように呟くヨハンに、テストは満足そうな笑みを浮かべる。が、次にヨハンの口から出てきた言葉に、思わず眉をひそめてしまう。
「だが、少々気をつける必要があるな」
「どういう意味だい?」
「君なら、湖の下に意識を集中させればわかるはずだ」
ヨハンの言わんとしていることを察したテストは、言われたとおり湖の下に意識を集中し、すぐに気づく。
「この湖の下は、魔導経脈の集約点になっているのか……!」
「そういうことだ。それなりに離れていたとはいえ、僕も《終末を招く者》もストウロ近辺で、かなり派手に魔法を使ったからな。刺激を受けた集約点から、澱魔が生み落とされる恐れがある」
然う、人類の天敵である澱魔が生み落とされる主な場所は、大地の下に星の数ほど存在する魔導経脈の集約点だった。
それゆえに国々は、集約点の上に町や村を築くようにしていた。
人の体の内には魔力が秘められている。
その魔力を持った人間が集約点の上に集まることで、集約点に〝蓋〟がされ、そこからは澱魔が一切生み落とされることがないことは、長年の魔法研究により実証されている。
集約点に〝蓋〟をすれば、その分だけ澱魔が生み落とされる場所が減ることになる。
そのため集約点の上に人間の共同体を築くことは、〝蓋〟に関する知識も含めて、為政者たちの間では常識となっていた。
それこそ、魔法士たちの間以上に。
余談だが、集約点に〝蓋〟をすることは〝グラウンドヴァイン〟――魔導経脈を利用した長距離移動魔法――の出入り口に〝蓋〟をすることと同義であり、実質〝グラウンドヴァイン〟の使用を封じている状態にもなっている。
帝国が、国の中枢の真下にある集約点に〝グラウンドヴァイン〟の魔法陣を設置し、そこから奇襲をかけるという戦法を使わないのも、そうした理由があってのことだった。
もっとも、澱魔召喚の魔法陣は〝蓋〟など関係なく、術者が注いだ魔力の量に応じて強力な澱魔を生み出すことができるため、そちらに関しては率先して使用しているようだが。
「ヨハン、キミの魔力で集約点に〝蓋〟をすることはできないのかい?」
「無理だな。〝蓋〟に必要なのは、あくまでも魔力を持つ人間の数。たとえ僕が〝蓋〟をするのに必要な人数と同じ量の魔力を有していたとしても、一人だけでは集約点に〝蓋〟ができないことは、先人の研究により実証されている」
「そうか。……過疎化した村の住民を保護するのは、そうした理由も含めてのことだったか」
後半の言葉は完全に独り言になってしまったが、聞こえなかったのか聞き流したのか、テストの独り言に触れることなくヨハンは話を続ける。
「いずれにしろ、二人揃っての沐浴は避けた方が無難だな」
渡りに船な提案に内心安堵しながらも、テストは首肯を返した。
「確かに、澱魔はおろか《終末を招く者》が現れても、何らおかしくない状況だからね。二人揃って無防備を晒すのは、できれば避けたい」
「それで、入る順番はどうする?」
「それなんだけど……キミ、料理の腕の自信は?」
質問の意図がわからなかったのか、ヨハンは眉をひそめながら答える。
「あるとは言い難いな。一応できる程度だ」
「ボクはそれなりに自信はある。だから提案したいんだけど、ボクが先に入り、身を清めている間にキミが食べられる物を探してくる。そして、キミが身を清めている間に、ボクがそれを調理するというのはどうだい?」
「別にそれでも構わないが、食べ物なら――」
と言ってヨハンは湖に視線を移すも、その透明度ゆえに魚らしい魚が見当たらないことに気づいたらしく、気まずい沈黙を挟んでから、苦し紛れに言葉をついだ。
「……荷物の中に干し肉がある」
「温存できる環境で非常食に手をつけるのは、勿体なくないかい?」
「…………わかった。君が身を清めている間に、食材となる物を探しておこう」
ヨハンは肩にかけていた雑嚢を湖のほとりに置くと、
「暗くなる前には戻る。野草のみになってしまっても文句は言うなよ」
「それでも充分だよ。雑嚢には調味料の類も入れてるからね」
テストは示すように、自分の雑嚢もほとりに置く。
「そうか」
と、短く返した後、ヨハンは踵を返して森の中に消えていった。
ヨハンの気配が完全に遠ざかったところで、テストは深々とため息をつき、自分の雑嚢をまさぐって小さな袋を取り出す。
「調味料どころか、こういう物も入れてるんだけどね」
そう言って、小袋の中から石鹸を取り出し、嬉しそうに笑った。
続けて騎士服を脱ぎ、紐で括った武装媒体を首にかけると、石鹸を手に湖に足を踏み入れていく。
その髪色よりも淡い夕焼けの朱が、一糸纏わぬテストの肢体を映し出す。
そして、
ささやかながらも膨らみを帯びた、女性的な双丘をも映し出した。
然う、テストは女だった。
テストの師匠と親交があった騎士団長の助力を受け、性別を偽って《グラム騎士団》に入団した、女だった。
湖の中ほどまで進み、ヘソの辺りまで水に浸かったところで、一度水中に潜って全身を濡らしてから石鹸で体を洗い始める。
どこか、幸せそうな表情を浮かべながら。
肩と腕を洗い、胸回りを洗おうとしていたところで、ふと石鹸を持つ手が止まる。
幸せそうだった表情を、微妙に曇らせながら。
「……うん。いつもどおりだ。いつもどおり全っ然成長してない。胸が大きくなると女であることを隠すのが難しくなる。剣捌きにも影響が出る……と思う。だから、全っ然成長していないことは良いことだね……うん」
まるで、自分に言い聞かせるような言い草だった。
〝男〟として見たら、一六歳になっても胸が慎ましいままでいるのは喜ばしいことだった。
〝女〟として見たら、一六歳になっても胸が残念なままでいるのは哀しいことだった。
その胸中以上に複雑な表情を浮かべながら胸回りを洗い終えたところで、突然、テストの動きがピタリと止まる。
「これは……」
湖の下のさらに下から、上に向かって噴き上がるような、異常な魔力の昂ぶりを感知する。
転瞬、テストは石鹸を手放し、ぬかるんだ掌を乱雑に拭ってから、首にかけていた紐を解いて武装媒体を掴む。
油断なく湖全体に視線を巡らせていると、
「……きた」
湖上に、蒼い濛気が立ち込め始める。
やがてそれは人間の形に変わっていき、一体、二体――……六体と、地面に立つように湖面に降り立っていく。
「水属性の澱魔、それも人型か……!」
湖面に立つ、顔のない六体の人型澱魔を睨みながら、苦々しげに吐き捨てた。
澱魔には知性も感情もないとはいっても、人間と同じ形をした存在を相手に全裸で戦うのは、どうしても羞恥が込み上げてくる。
そんな乙女の機微など解するはずもない六体が、湖面を走ってテストに襲いかかってくる。
テストは羞恥からくる頬の火照りを無視し、光刃を具象して長剣媒体を構えた。
続けて、湖底を蹴って水中から飛び出し、
「ふ……ッ!」
足が沈むよりも早くに湖面を蹴って、さらに跳躍。
襲いかかってきた六体の頭上をおさえる。
夕陽に瞬くは神速の閃き。
常人の目には止まらぬ六筋の軌跡が、同じ数だけ人型澱魔の首を刎ね飛ばした。
人型澱魔は無数の蒼い粒子となって霧散し、半瞬遅れて、テストは水飛沫を上げながら湖底に着地する。
暗澹としたため息をつかずにはいられなかった。
ディザスター級でもない限り、澱魔が何体出てこようがテストにとっては脅威たり得ない。
だから、こちらのアクシデントは、テストにとってたいした問題ではなかった。
(問題はあちら、だね)
さりげなく胸と股間を隠しながら、左前方に視線を向ける。
視線の先には、ヨハンの姿があった。
魔法士であるヨハンが、澱魔出現の際に生じた魔力の昂ぶりを感知できないわけがなく、湖に駆けつけてこない道理もない。
そして、澱魔に対処する必要があったテストに、裸身を隠す暇などあるはずもなかった。
「やはり、女性だったか」
こちらを見つめながら、ヨハンは言う。
その視線にいやらしさはなかったものの、あまりにもマジマジと見つめてくるものだから、
「~~~~っ! 認めるから! 頼むから! そうジロジロ見ないでくれ!」
顔を真っ赤にしながら肩まで湖水に浸かるも、肝心の湖水が透き通っていたことを絶望的なまでに手遅れなタイミングで思い出し、慌ててヨハンに背を向ける。
ヨハンは我に返ったような顔をした後、
「す、すまない……」
バツが悪そうに、即座に背中を向けた。
その際、背中越しに見たヨハンの頬は、ほんの少しだけ赤みを帯びていた。
今までのヨハンが、ずっと抜き身の刃のような表情をしていたせいか、こんなことを思ってしまう。
(なんだ。そんな顔もできるじゃないか)
思わず安堵の吐息をついたところで、テストは困惑する。
安堵と同時に、ヨハンが年並みの反応を見せてくれたことを嬉しく思っている自分に気づいたからだ。
いったいどこから湧いてきた感情なのかわからず、自分の胸に問いかけてみるも、裸を見られた恥ずかしさに悶える胸はただひたすら早鐘を打つだけで、答えらしい答えは返してくれなかった。





