第29話 外道の末路
〝トーチャーグレイン〟を撃ち込んだ時点で勝負は決まった――そう確信したラガルは、女を抱きかかえたままこちらに背を向けるヨハンを見て、ほくそ笑む。
本当に、親の七光りの雑魚だった。
いや、おそらくその親も、過大評価されただけの雑魚だったに違いない。
「雑魚は雑魚らしく、みっともねぇ悲鳴をあげて俺様を楽しませろや」
親指と中指をすり合わせた手を、陶酔するように頭上に掲げる。
そして、
「ほ~ら、一発目だ」
パチン、と指を鳴らした。
「…………………………………………………………………………あ?」
間の抜けた声が、ラガルの口から漏れる。
指を鳴らすと同時に、ヨハンに撃ち込んだ〝トーチャーグレイン〟に攻撃の命令を念じたはずなのに、何も起こらない。
ヨハンの体からは、一滴の血も噴き上がっていない。
今度は指を鳴らさずに、精神を集中して「右肩の血管を突き破れ」と念じるも、やはり何も起きなかった。
「おい……おいおいおい!? なんでだよ!? 〝トーチャーグレイン〟は完璧に決まっただろうが!!」
狼狽するラガルをよそに、ヨハンはレティアの亡骸をそっと地面に寝かせ、相も変わらずこちらに背を向けたまま、淡々と指摘してくる。
「視認できないほどに小さな水滴を対象の血管に撃ち込み、その内側から攻撃することで血管を突き破り、流血を強いて相手をいたぶる……〝トーチャーグレイン〟とは、そういう魔法だな?」
正確に言い当てられ、ラガルは上げかけた驚愕の悲鳴を気合で噛み殺す。
「てめぇ!? なんで〝トーチャーグレイン〟を知ってやがる!? こいつは俺様が創ったオリジナル魔法だぞ!?」
ますます狼狽するラガルを、ヨハンは鼻で笑った。
「お前のオリジナルか。どうりで品性も知性も感じられないわけだ。こんなつまらない魔法、幼年期の僕でも馬鹿らしすぎて創ろうとは思わない」
ブチィッ――と、頭の隅で何かが切れる音がした。
「ぶっ殺す!」
〝トーチャーグレイン〟とは別の、詠唱省略の魔法陣が描かれた左掌をヨハンに向ける。
(みっともなく泣き叫んで命乞いするまで嬲ってやろうかと思ったが、もうやめだッ!! 俺様最強の魔法でぶっ殺してやるッ!!)
そんな怒号を魔名に込め、ラガルは猛々しく叫ぶ。
「〝オーシャンズリジェクト〟ッ!!」
左掌から放たれた巨大な水塊が、眼前にいるヨハンに直撃。
爆発した水塊が、地面ごとヨハンを吹き飛ばした――かに思われたが、
「チィ……ッ!」
ヨハンの身に纏わり付いていた翠風が吹き荒び、すんでのところで回避する瞬間をしっかりと捉えていたラガルは、忌々しげに舌打ちした。
その後の動きもしっかりと捉えていたラガルは、右手側に視線を送り、一足で移動したとは思えないほどに離れた位置にいるヨハンを睨みつける。
ヨハンは相も変わらずこちらに背を向けたままで、ラガルのことを無視して、女の亡骸をそっと地面に寝かせていた。
「ナメくさりやがって……! そんなにその死体が大事なら、てめぇより先にグチャグチャにしてやってもいいんだぞ! ああッ!?」
ラガルの怒号を受けたからか、あるいは、初めからそのつもりだったのか、ヨハンはゆっくりと立ち上がり、
「無理だな」
ゆっくりとこちらに振り返りながら、感情が剥落した声音で断言する。
あまりにも聞き捨てならなかったので、すぐさま怒号をぶつけようとするも、
「――――ッ!?」
湧き上がった怒りごと、息を呑んでしまう。こちらを睨むヨハンの目が、その身から醸し出された凶気が、あの時のクオン・スカーレットとそっくりであったがゆえに。
然う……妹を嬲ってやると言った後の、凶気に満ちたナンバー90と。
「この僕が、これ以上彼女を傷つけさせるわけがないだろ」
ヨハンの目が据わり、爆発的に膨れ上がった凶気がラガルを圧する。
ラガルの意志とは関係なく、全身から冷たい汗が噴き出し、手足が小刻みに震え出す。
(馬鹿な……馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿なッ! こんなゴミクズが、あの化け物と同じだっていうのかよッ!?)
無意識の内にナンバー90のことを化け物呼ばわりしながらも、ラガルは一歩後ずさる。が、下がったのはその一歩だけだった。
(認めねぇ! 認めねぇぞ! この俺様がこんなゴミクズ相手にビビるなんて……絶対に認めねぇぞッ!!)
今、決めた。
やはりこいつは嬲り殺しにしてやる!
〝トーチャーグレイン〟が効かなくても、他の方法で嬲ればいい。
そうだ。急所を外した貫手で、死なない程度に全身を穴だらけにしてやろう。
骨の一本一本を丁寧に砕いて、蛸にみたいにグニャグニャしてやるのも悪くない。
(俺様は魔法しか能がないゴミクズとは違うッ!! 魔法で遊ぶのはこれくらいにして、俺様の体術でギッタギタにしてやるッ!!)
湧き上がり始めた恐怖を怒りで踏みにじり、ヨハンを睨む。
「極小の水精よ――」
こちらの怒りに反応したのか、ヨハンが、不思議と引っかかりを覚える呪文の詠唱を開始する。
(させるかよ!!)
転瞬、ラガルは激烈な踏み込みでヨハンに肉薄する。
その速度たるや、〝シルフィーロンド〟を纏ったヨハンと比べても遜色ないほどだった。
「――その力を以て――」
必殺の間合いに入り込んだラガルは右手を貫手の形に変え、
「――大いなる愚者を――」
ヨハンの詠唱が終わる前に、脇腹を刺し貫いた。
すぐに死なれては面白くないので当然臓器は避けているが、それでも腹を貫かれた痛みは激甚。
普通の人間ならば、呪文の詠唱はおろか、喋ることすらままならないほどの痛みだった。
この時点で、ラガルは自身の勝利を確信する。
今目の前いる相手が、普通とは程遠い人間であることにも気づかずに。
「――屈服せよ――」
腹に穴が空いたばかりだとは思えない、澱み一つない声音とともに呪文の詠唱が完了する。
馬鹿な。
ありえない。
そんなことを考えるよりも早くに、ラガルはヨハンの脇腹に突き刺していた手を捻る。
わざわざ避けた臓器を傷つけてしまうかもしれないが、これならば満足に魔名を唱えることはできない。
そう確信した直後に聞こえた声音は、微塵の苦悶も感じられないほどに明瞭で、その声音によって紡がれた魔名は、ラガルを瞠目せしめるほどに衝撃的だった。
「――〝トーチャーグレイン〟」
ヨハンの脇腹に突き刺していた腕に、チクリ、と針で刺したような痛みが走る。
直後、
「ひぎゃああああああああああああああああッ!!」
背中の内側が爆ぜるような激痛に襲われ、ラガルは地面を転げ回って悶絶する。
その際、ヨハンの脇腹に突き刺さっていた手が抜け、そこから夥しい量の血が流れるも、
「我が掌は極寒の抱擁――〝エンブレイスフリーズ〟」
掌に凍気を纏わせる魔法を発動し、貫かれた脇腹を凍らせて止血。
やはりというべきか、その間も、ヨハンの口から苦悶が漏れることは一切なかった。
一方ラガルは、悶絶しながらも背中から血が流れていることに気づき、いよいよ自分が〝トーチャーグレイン〟を撃ち込まれた事実を認識する。
「てめぇ……! ふざけんな……! なんで俺様の〝トーチャーグレイン〟を――へばぁあああッ!?」
四肢から血飛沫が上がり、激痛のあまり情けない悲鳴を上げてしまう。
「ふざけているのは、お前の方だ。こんなくだらない魔法、詠唱を省略されていようが僕なら簡単に再現できる。呪文にしろ魔名にしろ、オリジナルと呼ぶにはあまりにも浅すぎるからな」
「魔法の再現だと!? それこそふざけんな! そんなふざけた真似ができる人間なんざ見たことも聞いたこともねぇぞッ!? そもそも、てめぇが唱えていた呪文、俺様が創った呪文と内容が全然違うじゃねぇかッ!!」
「呪文を丸ごと再現してしまったら、魔名を唱える前に、こちらの狙いがお前にバレてしまうだろうが。だから魔法の効果はそのままに、呪文のみを改編した」
取るに足りない事実を述べるように言われ、ラガルは絶句する。
(魔法の再現に、呪文の改編? それも、オリジナルの呪文を聞いてすらいねぇのに? マジふざけんじゃねぇぞッ!! んな真似、ルナリアの姐さんでもできねぇぞッ!?)
「そういえば……」
先程まで感情が剥落していた声音に凶気が混ざっていること気づいたラガルは、肉食獣に見つかった小動物のようにビクリと震える。
「さっきお前、みっともない悲鳴をあげて楽しませろとかなんとか言ってたな?」
言外に込められていた意味を悟り、総毛立つ。
「ままま待てッ!? アレは……アレだッ!! 言葉の綾ってやつだッ!!」
「そういえば……レティアの体は血に染まっていたな? まるで〝トーチャーグレイン〟で嬲られたかのように」
「いやッ、違うッ、アレは俺様じゃなくて――」
「『血糊に関しちゃ確かに俺様の仕業だが』……そう自分で言ったことを、もう忘れたのか?」
「あ……」
絶望の吐息が漏れる。
「簡単には死なないよう噴き出る血の量は調整してやる。存分に楽しめ」
ヨハンがそう言った直後、ラガルの右肩から血飛沫が上がり、
「ぎえぁああああああああああああああああああああああああッ!!」
怪鳥じみた悲鳴を上げながら、もんどり打つ勢いで地面を転げ回った。
ヨハンはその様子を見下ろし、声音にさらなる凶気を乗せながら、嘲るようにラガルに言う。
「自分で創っておきながら、その対処法すら知らないとはな。僕はお前のことを三流魔法士だと思っていたが、それすらも過大評価だったようだ」
「んだとッ!?」
「憤る程度の誇りは持っているか。ならば、今すぐ〝トーチャーグレイン〟に対処してみろ。サービスで次に攻撃する場所を教えてやる」
「……へ? あ、ちょ、ままま待ってく――」
「左肩だ」
「ほぶぉッ!?」
左肩から血飛沫が上がり、またしても地面を転がって悶絶するラガルに、ヨハンは淡々と講釈する。
「体内に撃ち込み、その内側から攻撃する魔法に込められた魔力は極小。一流の魔法士ならば、体内の魔力を循環させただけで簡単に霧散させることができる。ここまで教えてやれば、もうできるだろ? ほら、やってみろ」
続けて腹部から、続けて太股から、続けて背中から血飛沫が上がり、その度にラガルの悲鳴が夜空にこだまする。
痛みと恐怖に屈したラガルの双眸からは、情けなくも涙が溢れていた。
「やり方を教えてやったというのに、まだできないのか?」
ラガルはビクリと震えると、地面に額を擦りつけ、みっともなく命乞いをし始める。
「ごめんなさい許してください助けてくださいッ!! 三流の私には、あなた様のような高度な技術は持ち合わせておりませんッ!! ですから命だけは助けてくださいお願いしますッ!!」
本心からの命乞いだった。が、同時にこうも思っていた。
(さっさと許しやがれ、クソ野郎ッ!! そしたら今までやられたことを万倍にして返してやるからよぉおおおおッ!!)
頭上から、呆れたようなため息が聞こえてくる。
「そうだな。講釈はこれで終わりにしてやろう」
馬鹿め――と、地面に額を擦りつけたまま、ラガルはほくそ笑んだ。
しかし、
「ここからは本気でいかせてもらうとしよう」
「…………………………………………………………………………は?」
ひどく間の抜けた声を漏らしてしまう。
今、ヨハンは確かに言った。
ここからは本気でいかせてもらうとしよう、と。
あの地獄のような責苦が本気ではなかった、と。
「ままま待ってくださいッ!! それは一体どういう意味――ぎゃあああああああッ!?」
地面に擦りつけていた額から血飛沫が上がり、その勢いのままラガルは仰向けに倒れる。
ヨハンは、ラガルの顔面を鷲掴むと、
「汝の罪、雷精の責苦を以てしても雪ぐことかなわず――〝アングイッシュペイン〟」
全身に痺れるような痛みが奔った刹那、
「あぎゃああああああああああッ!? 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いぃいいぃいいぃいいぃいッ!!」
〝トーチャーグレイン〟で血管を突き破られた時とは比べものにならない激痛が、絶えることなく全身を駆け巡る。
半狂乱状態に陥ったラガルを見下ろしながら、ヨハンは今の彼の状態を淡々と説明する。
「父上から教えてもらった話だが、神経には脳から受けた命令や、外部から受けた刺激を伝達する雷が奔っているらしい。今お前にかけた魔法は、その雷に細工し、痛覚を倍化させる雷属性魔法。ここまで言えば、僕のやろうとしていることはわかるな?」
わかりたくなくても、わかってしまう。
ヨハンは痛覚を倍化させた状態で、〝トーチャーグレイン〟による攻撃を続けるつもりだ!
「そそそそれだけは許してくださいッ!! お願いですからそれだけはッ!! それだけはぁあああああぁッ!!」
「さっきから許してくださいだの、助けてくださいだの、おかしなことばかり言う」
ラガルを見下ろしていたヨハンの顔に、禍々しい嗤みが貼り付く。
「レティアたちを殺したお前を許す理由がどこにある? レティアたちを嬲ったお前を助ける理由がどこにある? あるのは、レティアたちが受けた苦しみを万倍にして返すという事実。それだけだ」
言い終わると同時にラガルの体が血飛沫が上がり、気が狂った方がマシだと思えるほどの激甚極まりない痛みが迸る。
「ひあああああああああああああああああああああッ!?」
女のような悲鳴を上げ、だらしなく失禁しながら地面を転げ回り、転がった際に生じた衝撃が倍化した痛覚を刺激し……終わりのない地獄が、延々とラガルを責め続ける。
その様を見下ろしながら、ヨハンは声をあげて嗤った。
「お前のお望みどおり、みっともない悲鳴を聞かせてやったぞ!! どうだ!? 楽しいだろう!? 楽しすぎて笑えてくるだろう!?」
ラガルの絶叫とヨハンの嗤い声が、おぞましい重唱を奏でる。
重唱を聞く者も。
重唱を止める者も。
この村にはもはや、誰もいない。
◇ ◇ ◇
嗤うしかなかった。
嗤うことしかできなかった。
魔法使用の禁を破る前は、魔法さえ使えれば何でもできると思っていた。
どんな敵でも倒せると思っていた。
いくらでも味方を護れると思っていた。
だが、現実はどうだ。
魔法を使っても、怨敵一人倒せない。
魔法を使っても、仲間も君主も故郷も護れない。
そして今この時も、何一つ護れない。
復讐しか頭にない自分よりも余程生きていくべきだと思った、余程生きていてほしいと思った少女一人、護れない。
だから、嗤うしかなかった。
嗤うことしかできなかった。
「何が天才魔法士だ……!」
それは返り血か、あるいはヨハンの内から出たものから、目尻には血の涙が伝っていた。
「魔法が使えても、何一つ……何一つ護れないじゃないか……!」
腹いせのように、ラガルに撃ち込んだ〝トーチャーグレイン〟に命令を下して血管を突き破り、血飛沫が宙を舞う。
もはや虫の息となったラガルの口から、蚊の鳴くような悲鳴が漏れる。
「魔法が使えても、拷問しかできないじゃないか……!」
ラガルを嬲りながら、レティアに、ラスパーに、スレットに、トムソンに、謝罪する。
ストウロ村を離れなければよかったと、彼女たちの傍を離れなければよかったと、心の底から後悔する。
自分を責める言葉が、想いが、次から次へと湧き上がり、耐えきれなくなった心が自棄を起こしたように嗤い出す。
ただひたすらに嗤い出す。
慟哭にも似た嗤い声は、ラガルが息絶えるまで止むことはなかった……。





