第28話 華は散り……
時は少し遡る。
木の天辺を足場に、飛ぶような勢いで大森林の上を移動していたヨハンは、ストウロ村のすぐ傍までたどり着く。
木上から見下ろしたストウロ村の有り様は、地獄としか言い様がなかった。
家屋は全て炎に巻かれ、地面のそこかしこに死体が転がっていた。
死体の一体一体を注視すると、男は散々嬲られた末に殺され、女は尊厳を踏みにじられた末に殺された痕が見て取れた。
(また……また僕は間に合わなかったのか……!)
砕けんばかりに歯を噛み締め、村と森の境目にある木を蹴って空高く飛び上がる。
比較的近い位置にいた、《終末を招く者》と思しき仮面の二人がこちらの存在に気づくも、その時点でヨハンはすでに呪文の詠唱を終えており、魔名を唱える段に入っていた。
「轟炎逆巻け――〝クリムゾントルネード〟!」
はるか頭上にいるヨハンに気を取られていた二人が、足元に注意がいくはずもなく、
「「ぎゃああああああああああああああああッ!!」」
突如として地面から巻き上がった炎の旋風に呑み込まれ、断末魔の叫びを上げた。
翠風――〝シルフィーロンド〟の力を借り、ヨハンは音もなく着地する。
炎の旋風が止んだ地面には、炭化した死体が二つ転がっていた。
「お前がヨハン・ヴァルナスか?」
前方から男の声が聞こえ、視線を向けると、大剣媒体を携えた仮面がこちらに歩み寄ってくるのが見て取れた。
「まあ、そうであろうがなかろうが――」
「嬲り殺しにするのは変わらねえけどな」
さらに左右から。
こちらに向かって掌の魔法陣をかざす、二人の仮面が姿を現す。
三人の仮面は、ヨハンから十メートルほど離れた位置で立ち止まる。
森を背にしているヨハンを、三方から取り囲む格好になっていた。
ヨハンは、煮えたぎるマグマのような怒りを押し殺しながら三人に視線を巡らせ、
「こちらは、やることが変わってしまったがな」
淡々と、努めて淡々と、言葉をつぐ。
「一人くらいは生け捕りにして、情報を聞き出そうなどと考えていたが……甘かった。お前らのような人間が、同じ大地を踏みしめているだけで虫酸が走る。同じ空気を吸っているだけで反吐が出る。一人残らず殺してやるから、さっさとかかってこい」
「はんッ」
「殺されるのは――」
「お前の方だ!」
正面にいた一人が大剣媒体を脇に構えながら疾駆し、左右にいた二人が同時に炎の槍を発動する。
ヨハンは前方から迫る大剣媒体の仮面を無視し、左側にいる仮面に突撃。
放たれた三本の炎槍を掻い潜りながら、懐から長剣媒体を取り出し、光刃を具象する。
「おいおい、肉弾戦がお望みかよ!」
左側の仮面が自信満々に拳を構えた瞬間、ヨハンは翠風の力を最大限に利用して急加速し、文字どおり風となって突貫。
速度差に全く反応ができなかった仮面の心臓に、容赦なく長剣媒体を突き立てた。
ヨハンはすぐさま長剣媒体を手放し、反転する。
方向転換してこちらに迫ろうとする大剣媒体の仮面と、その向こうにいる三人目の仮面が同じ射線上にいることを確認した瞬間、詠唱省略の魔法陣を描いた左掌を夜天にかざした。
「〝グレイシアファランクス〟」
冷厳なる言の葉とともに、百を超える氷の攻城矢がヨハンの周囲に具現する。
その威容を見て、二人の仮面は慌てて回避に移ろうとするが、もう遅い。
ヨハンが左手を振り下ろした刹那、発射された百を超える攻城矢が二人に殺到。
人間相手に使うには過剰なまでの威力を有した攻城矢が、群れをなして二人を呑み込んでいく。
氷の暴威が過ぎ去った後には、人と呼ぶにはあまりにも冒涜的な無数の肉片が、地面に撒き散らされていた。
ヨハンは、回収した長剣媒体を懐に仕舞いながら、油断なく周囲に視線を巡らせる。
地属性の長距離移動魔法――〝グラウンドヴァイン〟で一度に運べる人数は一〇。あと最低でも五人はいるはずだが、
(いくら何でも静かすぎる。もしかしたら《グラム騎士団》の二人が、何人か倒してくれたのかもしれないな)
もっとも村の惨状を見る限り、騎士の二人が生き残っている可能性は低そうだが。そして、レティアたちが生き残っている可能性も……。
そこまで考えたところで、小さくかぶりを振る。
まだそうと決まったわけではないと、自分に言い聞か――
「てめぇがヨハン・ヴァルナスだな?」
耳障りな男の声が、耳朶に触れる。
すぐさま声が聞こえた方角に視線を向けたヨハンは、思わず目を見開いてしまう。
声の主である、仮面もフードも被っていない痩せぎすの男……は、どうでもよかった。
ヨハンの目を見開かせたのは、痩せぎすの男に襟ぐりを掴まれて引きずられている少女だった。
「レティア!」
名前を叫んだ瞬間、痩せぎすの男は確信を得たように口の端を吊り上げる。
「その反応……やっぱ、てめぇがヨハン・ヴァルナスで、マジでこの女は知り合いだったってわけか」
挑発するように睨めまわしてくる男を無視し、ヨハンは今一度レティアを見やる。
レティアの姿は、無残の一語に尽きるものだった。
着衣と亜麻色の髪は、血の赤に染まっていた。
青白くなった顔色を見るに、その赤色がレティアの体から流れ出たものであることは想像に難くない。
キラキラと希望の光を宿していた瞳は見る影もなく、絶望の闇だけが映し出されていた。
目尻の下には、涙が流れた痕が残っていた。
「……レティアをそんな風にしたのは、お前か?」
抑えきれない怒りを言の葉に乗せながら、ヨハンは努めて冷静に、痩せぎすの男に訊ねる。
「おいおい、人聞きがわりぃな。全部が全部俺様がやったわけじゃねぇぞ? 血糊に関しちゃ確かに俺様の仕業だが、こんな呆けたツラにしたのは俺様じゃねぇ。なんせ俺様は、ただこいつの目の前で、こいつの兄ちゃんをぶっ殺してやっただけだからな! イヒャヒャヒャヒャッ!」
怒りが、哀しみが、ヨハンの心を灼く。
こいつは今、確かに言った。
レティアの目の前でラスパーを殺した、と。
同時に、察してしまう。
ラスパーが殺され、レティアがこんな状態になっているのに、スレットとトムソンが一向に姿を現さないことの意味を。
怒気が、殺気が、ヨハンの双眸に充ち満ちる。
「クズが……!」
「おーおー、そんなコワい顔すんなよ。こいつだけは、ちゃ~んと返してやるからよぉ」
そう言って、男はレティアの襟ぐりから手を放し、こちらに視線を固定をしたまま、ゆっくりと後ろに下がっていく。
激情に呑まれてなお灼き切れなかった理性が、冷静に、あくまでも冷静に断言する。
(見え透いた罠だな)
だが、選択の余地はない。
見え透いた罠であっても、こんな状態のレティアを捨て置くことなど、ヨハンにできるわけがなかった。
痩せぎすの男が充分に距離を離すのを待ってから、地面にへたり込んでいるレティアのもとに駆け寄る。
「レティア! しっかりしろ、レティア!」
痩せぎすの男を警戒しながらも、レティアの肩に両手を添え、呼びかける。
呼びかけに応じたレティアは、絶望の闇を映した瞳を、ゆっくりとこちらに向け、
「……!?」
力のこもらない両手で、ヨハンの体を押し始める。
「駄目……ッス……。あいつと……戦っちゃ……駄目ッス……」
息も絶え絶えになりながら、懇願しながら、ヨハンの体を押してくる。
「もう……嫌なの……これ以上……大切な人が……死んじゃうのは……」
耐えきれなくなったヨハンの表情が、悲痛に歪む。
この少女が、この期に及んで自分の身よりも他人の身の心配をしていることが、あまりにも尊くて、あまりにも悲しかった。
なおさら死なせたくないと思えるほどに。
なおさら死なせてはいけないと思えるほどに。
「大丈夫だ! 僕は死なない! あんな奴にも負けない! だから……もう、喋るな」
そう懇願するも、レティアはゆっくりとかぶりを振って拒絶する。
「わたしの……ことは……いい……から……逃げて……」
「そいつに逃げられちまうのは、さすがに困るなぁ」
痩せぎすの男はニタリと笑い、指を鳴らす。
次の瞬間、
体の内側から爆ぜるように、レティアの胸に真っ赤な血の華が咲いた。
爆ぜた血が、ヨハンの体を濡らす。
ヨハンの体を押していた両手が、力なく垂れ下がる。
ヨハンを見つめていた瞳から絶望の闇が消え、その奥に隠れていた命の残滓すら消え、虚ろだけが映し出される。
倒れそうになった彼女の上体を抱きかかえると、魂が抜けていくように、温もりが消えていくのが伝わってくる。
「また……なのか……。また……僕は……」
レティアを抱きかかえたまま呆然と呟く、ヨハン。
その背後には、いつの間にか忍び寄っていた、痩せぎすの男の姿があった。
痩せぎすの男はヨハンに向かって右掌をかざし、魔名を唱える。
「〝トーチャーグレイン〟」
ヨハンの肩に針で刺したような痛みが走る。
同時に、痩せぎすの男は勝ち誇ったような笑い声をあげた。
「イヒャヒャヒャヒャッ! これでもう、てめぇは終わりだ! ヨハン・ヴァルナス! 大陸最高の魔法士の息子だか天才魔法士だが知らねぇが、てめぇなんざこのラガル様の足元にも及ばないゴミクズなんだよ! イヒャヒャヒャヒャッ!」
馬鹿笑いするラガルは気づいていない。
ヨハンの双眸に、クオンと同種の凶気が宿り始めていることを。





