誰かの日記、わたしの本
一方その頃。
「クラウス、ほら急がないと舞踏に参加する人を呼んでるみたい」
「マーゴット、おい手を離すな! ばっ、前をよく見ろ!」
「きゃっ!」
マーゴットがスカートとエプロンを翻し、急いで角を曲がろうとしたところで、向こうから来た人と盛大にかちあってしまった。
反動で背後から追いついてきたクラウスに受け止められるけれど、ぶつかったにしては衝撃が小さい。
「ったく、俺様の手を離して先に行こうとするからだ、馬鹿。まぁ田舎のシュバルツ領じゃこんなこみいった路地は存在しないから、急に角を曲がると危ないとかおまえはよくわかっていないんだろうが」
「なんですって!? だって手を繋いで歩いていたら、クラウスがのんびり歩くからじゃないの! さっきから別にわたし、手を繋いでなくたって迷子になったりしないって何回も言ったのにクラウスが……」
「それはっ、おまえとこんなふうに街を歩いたことなんてなかったんだし、そもそもおまえが薬草屋でたっぷり時間を使ったのが原因だと忘れたのか!?」
「だってあれは、その……」
「ったー……」
苦い声にはっと罵り合いを止めて目を向けると、石畳に尻餅をついている子どもがひとり。
どうやら衝撃が軽かったのは、小さい子どもとぶつかったせいらしい。
「ご、ごめんなさい。わたしがよく見ずに角を曲がったから……大丈夫、僕? 怪我はない?」
慌てて助け起こそうと、マーゴットは石畳に膝をつき、少年をのぞきこんだ。
ふわりと石畳に広がったスカートが赤と黒と白、ふわりと三色の花が開く。
「ううん、大丈夫。ちょっと派手に転んじゃったけど……。僕も注意不足だったんだから、お姉さんのせいじゃないよ。ごめんなさい」
見た目は幼い少年なのに、肩をすくめて、ませた口調で謝罪する。
白いチュニックに真っ赤な髪が印象的な少年だった。
マーゴットはふ、と子供の頃のクラウスも年のわりにずいぶんと大人びた口調で話したと思い出して、くすりと笑っていた。
「まぁ……しっかりしてるのね。でも、どこも怪我してないようならよかった。傷薬も持っているけど……擦り傷も大丈夫かしら?」
クラウスが少年を助け起こしてくれていたのを目の端にとめて、腰につけていた小物入れから膏薬をとりだした。すり切れたふくらはぎに塗ると、少年は「ありがとう」と垂れている目尻をさらにさげて笑う。
「どういたしまして」
マーゴットもつられるように満面の笑顔を零して、散らばってしまった少年の荷物に手を伸ばして、広いあげようとしたそのとき、一冊の本のところで、手を止めた。
「この本――『幻の竜の谷』!?」
「なんだと?」
クラウスが固い声を上げて、マーゴットが手にしている本をのぞき込む。
その間も、マーゴットは少年が落とした古びた革表紙の本を取り上げて、金色の瞳を大きく瞠った。
「間違いないわ……この革の表紙。何度も読んだんだもの……」
細いしなやかな指は思わず自分の本ではないということも忘れて、中を開いていた。
――『幻の竜の谷』。
子どもの頃から読んでいた思い出の本とまったく同じ装丁の本に、まさかこんな異国で出会うなんて。
マーゴットの声には、そんな響きが籠められている。
「……日記? おかしいわ……これ、手書きの本みたい。活版印刷じゃない……」
「金の瞳のお姉さん。それ、僕のなんだけど、返してくれないかなぁ?」
少年はにっこりと笑って、小さな手を差し出している。
体は幼いし、笑顔を浮かべているけれど、なぜか威圧的な気配をかもしだしているように見える。
マーゴットが戸惑っていると、頭の上からクラウスがさっと本を取り上げて、パラパラとめくっていた。
「本当だな。マーゴット、おまえにやった『幻の竜の谷』とは……違うみたいだ。内容はやはり、幻の谷のお話みたいだが……」
「返して!」
赤い髪の子どもは、クラウスからさっと本を取り上げて、天使の羽根のついた自分の鞄めいっぱいにしまいこんだ。
「おい……マーゴットに対するのとはずいぶん態度が違うじゃないか」
「僕はレディファーストにすることにしてるんだ。それに、お兄さんだって人の本を取り上げて、ずいぶん礼儀知らすだよ」
「なんだと!? おまえ俺は誰だと……」
「わ、クラウス、ストップ。待った! わたしがぶつかって悪かったんだもの。その子のいうとおり、勝手になかを見た私たちが悪いのよ。もめごとを起こさないで!」
マーゴットがクラウスの腕に抱きついて、いさめようとすると子どもは背中にリュックをしょいこんで、ちらりとマーゴットたちに、くりんと垂れた大きな瞳を向けた。
その顔と瞳は、やはり幼い子どもの持つにしては、ずいぶんと違和感のある――鋭い気配を漂わせている。
「お姉さん……そういうことも、あるかもしれないよ? 誰かの日記がどこかの世界では本になる。僕たちの日常。今この瞬間さえ、どこかの世界の誰かが物語として読んでいるかもしれない――」
「まぁ……そう……なのかしら。どこかに本当に幻の竜の谷があって、それがお話になって……そればかりじゃなく、わたしたちもお話になっていると?」
マーゴットの呟きに、子どもの満面の笑顔でうなずく。
「……ばかばかしい。行くぞ、マーゴット。早く行かないといい加減、収穫の舞踏が始まってしまう」
そう言ってクラウスがマーゴットの手を引いて歩き出そうとすると、
「ねぇ、きみ、“ハルくん”じゃない? 赤い髪。白いチュニック! 違う?」
明るい声が狭い路地に響きわたった。
「は? 誰? 僕の名前呼んだの」
じわじわ週末の疲労が…
遅くなりましたが、更新。
ちょっとここの部分書いておきたかった。
ハルは個人的に好きなキャラなので
久々に書けて楽しい…
この話は焼き直ししたいなー




