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「これからも……頼む」

「すまない、ソフィア……」


 リサは拘束を解き、背後から最愛の妹の身体を抱き締めた。

 鳩尾に突き立てられた切っ先が抜かれる。途端に、腕の中の身体から力が抜けるのを感じた。リサは上体を抱きとめたまま、ゆっくりとレヴェリスを横にさせた。

 ウィルも剣を捨てて膝を着いた。


「守護者たる……我を殺すとは……」


 レヴェリスが驚愕の面持ちで、掠れた声を発した。最後の力を振り絞り、上体を抱くリサの胸座を取る。


「罪深きカンヘルよ……。我の代わりに、彼奴を……。アストルムをま……」


 リサは自身の胸座をつかむレヴェリスの手をそっと握った。


「……もういい」

「お……」


 言葉の途中で、レヴェリスはこと切れた。

 リサは震える息を吐き出した。眠った顔は驚くほどに穏やかで、妹のソフィアそのものだった。


「ソフィア……っ!」


 愛しい妹の頬を撫でると、目頭が熱くなった。それを隠すように、リサは身を屈めてソフィアの上体を抱き締める。

 身体が温かい。こんなに触れ合ったのは、一体何年前だろうかと漠然と考える。すると、ソフィアとの思い出が脳裏に浮かび、とうとう一筋の涙が頬を伝い落ちた。


 両親がいなくなり、頼れる姉でいたいと思っていた。ソフィアを支えてやれるのは、自分しかいないのだと。しかし、実際にはどうだったか。支える存在でありたいと思っていたのに、リサ自身がソフィアの存在に支えられていたようだ。知らず知らずのうちに。

 気の張る相手がいたからこそ、リサは強くあろうとした。それなのに、それを失ってしまって自身の隠されていた弱さが露見したようだ。


「リサ……」


 ウィルの大きな手が肩に置かれた。

 彼には悪いことをしてしまった。結局のところ、レヴェリスを――ソフィアを殺させてしまったのだ。彼はソフィアを刺した感覚を、一生忘れられずに生きることになるだろう。リサの手にも、ソフィアの身体を斬った感覚が未だ残っているのだから。


 謝らなければと思いつつも、もう少し時間が欲しかった。今は声を出す気になれない。とても情けない声になってしまう。

 気張る相手がいなくなってしまったこの世界で、自分は強くあれるのだろうかと不安が過った。


 ――いや……。今度こそ、本当に強くならなければいけないんだ。


 今までは、強いように見せ掛けていただけだ。転んだ子供が痛みを痩せ我慢するように、ただ強がっていただけなのだ。


 ――でないと、こいつの隣にもいられない。


 リサはソフィアの身体を離し、気遣わしげな表情で肩に手を置く男を見詰めた。


「すまなかった、ウィル」


 ウィルは物心ついた時から独りだった。今のリサと同じく。ならば、いつまでもくよくよしてはいられない。


「大丈夫だ」


 ウィルは静かに答えた。珍しく苦しげな表情を見せながらも、ソフィアの頬を一撫でする。

 彼はきっと、家族を失ったらこんな気持ちになるのかと考えているのだろう。つかみどころのない奴だが、今のウィルの心は手に取るように判った。


「――レヴェリスを倒したのですね」


 リサとウィルは声がした方へと目を向けた。視線の先に、リオンと少年の姿を象ったアストルム、そしてジュードの姿が映った。

 ジュードの呆然とした表情に、二人は顔を背ける他になかった。

 がくりと膝を着くジュードをおいて、リオンとアストルムがやってくる。


「辛い思いをさせてしまいましたね」

「レヴェリスに、ぼくの想いは届かなかったんだね……」


 世界の守護者も意地になっていたのかもしれない。守護者としての、あるいは竜としての気位の高さ故に、たかがカンヘルに諭されたくらいでは後へ引けなかったのだろう。リオンに頑固だと称される竜なのだから。

 しかしながら、レヴェリスの星を想う心は本物であった。相容れなかったとはいえ、それだけはリサとウィルも認めざるを得ない。


「きみたちには悪いけれど、ぼくにはどうしてもレヴェリスを嫌いになることは出来ないよ」


 アストルムの気持ちは痛いほどに判った。外界の霊峰でアストルムに触れて、感情が繋がった。そのような感覚が二人にはあった。


「身勝手なお願いだけれど、レヴェリスを憎まないで欲しいんだ」

「許すことは出来ない。けれど、憎いとも思えないな」


 安堵したような気配がした。


「ありがとう。リサ、ウィル」


 アストルムに礼を言われて、リサはゆっくりとかぶりを振って見せた。小さく「いいんだ」と呟く。


 遺体となたソフィアの身体は重かった。上体を抱き直そうと、身体を引き寄せる。


「――ぼくは、またお別れをしなくちゃいけないんだね」

「ええ、そうですね」


 リオンとアストルムがソフィアを見下ろして言った。その声は、とても暗く感じられた。リオンは声にも表情にも感情を表さないが、この時ばかりは違った。人間には想像も出来ない時間を友としてすごしたのだ。別れが辛いのは同じだろう。


「ですが、最後にひとつだけやり残したことがございます」

「うん……。そうだね」

「本来なら摂理に反することですが許してください、アストルム」


 リオンとアストルムの会話は理解出来なかった。リサは真意を問おうとして顔を上げるが、一歩近づいたリオンにより不意にまとめた髪が解かれる。


「なにを……?」


 またしても意図の判らぬ行為に、リサは眉根を寄せた。

 リオンが手に取った髪留めは、今ではソフィアの形見ともなってしまったものだ。無断で触れられるのは、あまり快いものではない。


「やはり……」


 リオンは髪留めを見下ろし、納得したような声を出した。


「ソフィア殿の気配は完全に消えていません」

「どういうことだ?」

「この髪留め――いえ、この魔導石です」


 髪留めには小さな宝石があしらわれている――とばかり思っていた。


「魔導石……?」


 リオンが顎を引く。


「ええ。ソフィア殿は魔力に富んだお方でしたね? おそらく、この魔導石はソフィア殿の魔力が結晶化したものです。ですから、ソフィア殿の気配が消えずにいるのでしょう」


 人間の魔力が結晶化するなど聞いたことがない。もう一度、どういうことかと問おうとして、リサは言葉を呑み込んだ。

 母親の職業。変人研究者ランセルは、セアラ・ディオンが人工的に魔導石をつくり出す研究をしていたと言っていた。魔力に富むソフィアをしばし職場に連れて行ったのは、研究のためだったのだ。そして、ソフィアの魔力でつくり出した魔導石を髪留めにあしらい、リサの十四歳の誕生日プレゼントとした。


 ――そういうことだったのか。


「魔力は生命の源でもあります。この魔導石とわたくしの命を使い、ソフィア殿を生き返らせましょう」


 リサとウィルは大きく開いた目を見合わせた。


「けれど、おまえの命って……?」


 器とされて時点で、身体の持ち主の死は定められたものとなる。ならば、彼女のいう命というのは、守護者たるリオンの魂だ。


「申し上げたはずです。この星において、守護者の存在だけが理を脱しています。アストルムも我々の命を永久のものとしたことを、過ちであると認めております。ですから、わたくしはもう消えるのですよ。アークの結界と共に。そう、アストルムと話をつけました」


 リオンは続ける。


「ただ消える命なら、あなた方にせめてもの償いをしたいと思います。死者を生き返らせることが理に反した行いであることは承知しておりますが……」

「人の一生は短いから……」


 この者たちからすれば、人の一生など一瞬に過ぎないのだ。否、アストルムにしてみれば一瞬にも満たないのかもしれない。その期間、理を脱することなど取るに足りないということか。


「はい。それに、カンヘルばかり守護者に守られるのも、これまたおかしな話でしょう? アークの存在も、アスクルへの偏見を強めるばかりです。魔導石がある以上、カンヘルとアスクルに大きな差はないのですから」


 リサとウィルは言葉を失った。きっと間の抜けた顔をしていることだろうと心の隅で思った。

 ジュードを一瞥するが、彼の耳にこの話は届いていないようだった。


「――では、アストルム。わたくしはこれにて失礼いたします」

「うん。長い間、ありがとう。レヴェリスとザインによろしく」


 リオンは少しばかり距離を取り、最後に小さく笑って見せた。直後、目を焼くような閃光が辺りを照らし、その場にいた全員が反射的に目を閉じた。


 どさ。

 離れた場所で鈍い音がした。それと同時に、腕の中の身体が動く。


「う……」


 短い呻き声に、はっと目を開けて視線を落とす。時間が巻き戻ったかのように、流れた血が消えていた。


「おねえ……ちゃ……」

「ソフィア……」


 リサは泣き笑いのような複雑な表情を浮かべた。まるでソフィアの体温を確かめるように、上体を力強く抱きしめる。

 あまりの嬉しさに、胸が高鳴っていた。


「もう……お姉ちゃん……」

「よかった……ソフィア……!」


 普段は感情を曝け出すことをしないリサが泣きそうな顔を見せたことに、ソフィアは驚きを禁じ得なかったようだ。しかし、それは彼女にとっても嬉しい驚きだ。

 ソフィアがリサの背に腕を回した。


「ありがと、お姉ちゃん……。ウィルも……」


 礼を言われ、リサとウィルは、ソフィアが器とされていた期間の記憶があることを知る。しかし、今はそんな些細なことはどうでもよかった。

 ソフィアの礼に応じるよう、ウィルが少しばかり手荒に頭を撫でた。


「起き上がれるか?」

「うん……」


 ソフィアがゆっくりと上体を起こす。すると、彼女は息を詰まらせた。ソフィアの視線の先には、情けない表情を浮かべたジュードの姿があった。これほどまでに、元上官の情けない顔を見るのはリサとウィルも初めてだ。


「ソフィア……」


 覚束ない足取りで歩き出したジュードの歩みがしっかりとしたものになる。

 ウィルが立ち上がって場所を空けた。そこに、ジュードがやってきてしゃがみ込む。

 リサは何も言わずジュードにうなずき掛けた。その意味を、彼は理解しただろう。姉であるリサの前で、躊躇いなくソフィアを抱き締める。

 上空から歓声と揶揄、さらには羨む言葉が上がった。


「ルーカス! そういうことだったのか⁉」

「今からそこに行くから待ってろよ!」

「ソフィアさぁん……」


 地上にいた者たちが声を上げて姿を消す中、ソフィアだけが戸惑いを隠せずにいた。


「待って、ジュード……!」


 彼女はジュードがリサとウィルに事実を打ち明けたことを知らずにいるのだ。リサが穏やかに笑っていれば、一層戸惑いは募りもするだろう。


「幸せになれよ」


 リサはそう言い、ソフィアの頭をぽんと叩いた。立ち上がって抱擁を交わす二人に背を向けて歩き出した。少し離れた場所に立っていたウィルと、すれ違い様に拳を軽く突き合わせる。


「いいのか?」


 斜め後ろの男に声を掛けられ、リサは足をとめた。


「妹と元上官が戯れているところを見る趣味はない」


 腕を組んで至極尤もらしく言う。その声は自分でも不思議に思うほど穏やかだった。


「幸せそうじゃないか、あの二人」


 ウィルが顎先でソフィアとジュードを指す。


「そうでないと困る」

「まぁ、そうなんだけどな。けどよ、本当に結婚とか言い出したらどうすんだよ? 俺はちょっと考えるぞ。兄的立場として」


 ウィルは少しばかり声を落として言う。思わずリサは笑った。どうやら、少しばかり妬いているようだ。


「姉として、おまえを選ばなかったことに安心するよ」

「ひでぇ言い草だ。選ばなかったのは俺の方だろ?」

「結果的にあいつも選ばなかったということだろう?」


 つまらぬ見栄を張る男に言ってのけると、見栄っ張りな男はこれ見よがしに盛大な溜息をついた。肩越しに振り返ると、溜息だけでは足りなかったようで肩もすくめていた。

 くだらない話だなと思い自嘲を漏らすと、ウィルはさらにくだらない話を続ける。


「どうせだったら、俺たちも結婚してみるか?」

「ふざけるな。私たちはただの腐れ縁だ。それで充分だろう?」


 柔和な声で返すと背後から笑う気配がした。


「違いねぇ。新しい世界になっても、俺たちの関係は変わらないか」

「新しい世界なんて大袈裟だ。いるかどうか判らなかった奴が、いなくなっただけの話だろう?」

「おまえが言うと、本当に大したことないように聞こえるな」


 リサが口にした『いるかどうか判らなかった奴』とは、他ならぬ守護者のことだ。守護者の存在は御伽噺の中だけだと思っていた者は大勢いるはずだ。特に、この解かれたアークの中では。それがいなくなって、何が変わるというのか。

 だが、リサは守護者のことを口にして考えた。あのリオンと呼ばれていた少女の遺体を、アウクスベルクに運ばなければいけないと。

 アークと呼ばれたこの地では大したことではないが、外界の者たちにすれば大きな変化だろう。現界したリオンに会っている者も少なくないのだから。


 ――まぁ、何とかなるか。アストルムもいるんだ。


 いつの間にかリサたちのもとを離れ、静かに四人を見守るアストルムに歩み寄ろうと一歩踏み出し、しかしリサは足をとめた。


「――ウィル」


 振り返りもせずに、背後にいる男の名を呼ぶ。見上げた空は、結界が解けたからかやけに青く感じられた。

 一瞬何と言葉にするべきか逡巡して、最もしっくり行く言葉を見つけたような気がした。


「これからも……頼む」

「ああ。その代わり、俺の背中しっかり守れよ」


 二人は互いに背を向け合う相棒に向けて言った。


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