「この部屋に人が来るなんて珍しいな」
二人が目的地についたのは、時計の針がずいぶんと右側に傾いたころだった。
工場の敷地は広い。駐屯地よりも広大だった。その中に、これまた大きな建物がいくつも存在した。
案内の標識もない敷地内を、二人はしばしの間さまよい続けた。敷地内で見かけた人間に片っ端から声を掛け、ようやくのことで技術開発局の文字を発見した。その矢先に、二人はここを訪れたことを後悔した。
技術開発局の扉から必死の形相で逃げ出す白衣を着た人の姿があった。ひとりだけではない。それも、扉ではなく窓からも出てくる輩もいた。窓といっても、一階のばかりではない。二階の窓から、ザイルを垂らして滑り下りる者が多数いた。
あまりにも異様な光景にリサとウィルが目を合わす。嫌な予感を抱きつつ、避難してきたうちのひとりを捕まえて問い質した。
「今日は避難訓練でもしてるのか?」
「訓練じゃありませんけど、避難してください! 危険ですよ!」
「何の騒ぎだよ?」
「ランセルさんが、またろくでもない実験を始めたんですよ!」
ランセルの名を聞き、二人は同時に顔をしかめた。
建物の窓ガラスががたがたと揺れ始めた。建物の内部の空気が赤く淡い光を発している。見たこともない光景にリサとウィルは目を奪われるが、しかし逃げてきた者たちの顔色は青ざめる一方だった。
「これ以上は……っ!」
窓ガラスだけでなく地面が微かに揺れ出した。その揺れは徐々に、だが確実に大きくなっている。窓ガラスから漏れる赤い光も、振動と共に強くなった。
「何かすげぇことやってんな」
「壊れないのか、建物?」
「失敗したら建物ごと吹き飛ぶかもしれないって、笑いながら言っているんですよ! あの人は!」
それは何とも危険な実験だ。一刻も早くこの場から退散したほうが良さそうだ。リサはウィルと視線を通い合わせ、無言のままうなずき合った。二人同時に踵を返す。
「待ってください! 監査なり言って、あの人の奇行をとめてください! お願いしますから!」
ウィルが白衣の男に腕をつかまれる。
「自分たちでどうにかしろ……っ」
「出来ていたら、とっくにしていますって!」
「俺たちも忙しいんだ!」
白衣の男がつかんだ腕に全体重を掛けるが、軍人相手に力でかなうはずもない。少しずつ引きずられたが、それでも彼は手を離そうとしなかった。
「だったら、なんでこんなところに来たんですか……⁉」
「偶然だ……!」
「用があったからでしょう!」
「そんなものはない。ただの散歩だ!」
「嘘だ!」
目の前で繰り広げられる押問答と腕の引っ張り合いに、リサは腕を組みながら冷ややかな視線を向けた。
「何を他人事みたいな顔してやがんだよ……っ⁉」
リサは顎で工場を指した。すると、ウィルが力を抜かずに背後の工場を振り返った。途端に、彼は冷静に腕を振り解いた。不意に支えをなくした白衣の男が派手に尻餅をつく。
「振り解けたのなら、さっさと解けばいいだろう?」
「あまりの衝撃に冷静になったんだ」
赤い光と揺れが収束していた。リサたちの周りにいた避難者の多くも、ゆっくりとした足取りで建物の中へと戻っていった。
ウィルは打ちつけた尻を擦る男の前にしゃがみ込んだ。
「おい。ランセルのところに案内しろ」
横暴な振る舞いに、男は渋面をつくった。
「はぁ? さっき用はないって……」
「今出来た」
男はこれ見よがしに長い溜息をついた。同情もしたくなる。リサは毎日のように、彼の身勝手に振り回されてばかりいるのだから。
尻を擦るのをやめた男が立ち上がった。いかにも仕方なくといった風情で、二人についてくるように言う。
リサとウィルは先に歩き出した男の後を追った。
建物のある一室に案内される。片開きの扉には、ランセルの名が表記されていた。どうやら、ここが彼の研究室のようだ。
「ここか?」
「そうです。優秀な人なんですけど、突飛な行動が多すぎて面倒事を嫌った局長が倉庫に押し込んだって話です。中も、すさまじいですよ」
最後に彼は覚悟してくださいと言い、かつて倉庫だった部屋の扉を開けた。
男の言った通り、中はすさまじかった。整理されていない本や書類の山だけならまだしも、実験器具までもが乱雑に積まれていた。
人がいるにはおよそ似つかわしくない空間で、黒いものが動く。山のように積まれた本の向こう側だったので、目にした瞬間はそれが何か理解出来なかった。一拍の間を置き、動いている黒い物体が人の頭だと理解した。
「この部屋に人が来るなんて珍しいな。来るのは人じゃなくて、鼠と虫ばかりだというのに」
黒い頭が言う。リサとウィルが部屋に入ってきたのは判ったようだが、二人に目は向けていない。
「部屋じゃなくて倉庫だと聞いた」
「そうそう。僕は考え事をしていると、ぶつぶつうるさいらしくてね。それと、見ての通り、整理整頓というのがとても苦手なんだ。だからここに押し込まれた」
原因が判っていながら、改善しようとは思わなかったらしい。悪びれる様子も見せない。
「けれど、そのおかげでいい仕事スペースをもらえたよ」
「これがいい仕事スペースか?」
「今は少し散らかっているけどね」
「少し、ね……」
少しどころではない。足の踏み場もないような状態だ。床に落ちた本や書類には、足跡がついている。
二人が言葉を失っていると、ランセルがようやく顔を上げた。顔立ちから二人よりも年嵩であると判断出来るが、無精髭を生やしているので正確な年齢は判らなかった。
「――で、何の用?」
「少しばかり魔導石のことを聞きたいんだ」
目の色が変わるとはこのことだ。魔導石という言葉を聞いた瞬間に、興奮したように瞳孔を開かせて身を乗り出した。彼が身を乗り出した分、二人が身を引く。
「カンヘルが魔導石に興味を持つとは珍しいね。いや、僕もカンヘルだけど、魔導石の研究をしているんだ。魔導石の成り立ちとか、術の付加の仕方とか、解除の仕方とか……色々ね」
「さっきの実験とやらも、魔導石のか?」
ランセルが何度もうなずいて見せる。
「さっきの実験は、魔力を失った魔導石にもう一度魔力を注入出来ないかと思い立ってやってみたんだ」
「そんなこと出来んのか?」
「出来たんだ!」
嬉々とした様子で声を張り上げるランセルとは対照的に、リサとウィルの表情は引きつっている。
「今までは使用済みの魔導石は廃棄する他になかったけれど、これからは魔力を再注入して使い回すことが出来る。動力源となる魔導石の魔力含有量を増やすことと原理は同じなんだけれど、その量が――」
饒舌に語るランセルの言葉を聞き流し、ウィルは雑嚢から水晶のようになった使用済み魔導石を取り出した。
「どうするんだ?」
「いやさ、どうせだったら転移石とソルジェンテの遺跡で回収した魔導石をもう一回使えるようにしてもらおうかと思って」
リサは呆れたとばかりに息を吐き出した。
「きっとここの奴らは泣くだろうな」
そう言いつつ、彼女も雑嚢から使用済みの転移石と保管庫で回収した石を取り出す。転移石は貴重品だ。使えるようになるのなら、それに越したことはないだろう。
「――なぁ。話の腰を折って悪いが、これに魔力の注入をしてみてくれよ」
ランセルの目が輝いた。
「いいのかい⁉」
「おぅ。頼む」
二人はかつて転移石だった物を手渡した。
「参考までに、これは何の魔導石だったのかな? 解析することも出来るんだけれど、時間がもったいないから」
「解析なんて出来るのか?」
「もちろん、出来るよ」
リサとウィルが目を合わせた。目の前の変人を紹介した男に恨みごとを言ってやりたいと思っていたが、ここに来たのは無駄足にならずにすんだようだ。
「じゃあさ、この二つの魔導石は解析も頼みたいんだが、いいか? ちなみに、先に渡したのは転移石だ」
今度は不明の使用済み魔導石を渡す。
「喜んでやらせてもらうよ。使用済みの魔導石なんて、滅多にここに集められないからね。一度に四つも持ってきてくれるなんて感激だ」
ランセルは受け取った魔導石を白衣のポケットに突っ込んだ。
「じゃあ、さっそく行こうか!」
「いや、俺らはちょっと外を回ってくるからやっといてくれよ」
ウィルはここに来る直前の騒動を思い出したのだろう。この男と共に行くということは、先程の騒動の中心に行くということだ。想像しただけで全身の毛が逆立った。
「何を言ってるんだよ。こんな機会、この先二度とないかもしれないんだ。見ておいて損はないよ」
出来ることなら、一生そのような機会が訪れることがないように願いたいものだ。
「いや、いいって。俺たちがいたら集中できないだろ?」
「僕は期待されると普段以上の力を発揮するんだ」
「それはきっと思い込みだ」
「僕のことは僕が一番よく判っている」
ウィルの大概失礼な言葉も、厄介なことにランセルは気にとめなかった。
「大丈夫だよ。さっきは成功したんだ。今度もきっとうまくいくし、失敗したとしても爆発するだけだから」
それが問題なのだと言いたくなるが、言ったところでランセルは耳を貸さないだろう。無駄なことならしない方が良い。ここは大人しく諦めるべきだ。
「ウィル」
リサはゆっくりとかぶりを振って見せた。すると、彼は何も言わずに肩を落とす。
「よし、行こうか!」
ランセルは実に嬉しそうだった。足取り軽く廊下へと出ていってしまう。
「正気か?」
「仕方ないだろう。腹を据えろ」
扉が開き、ランセルが顔をのぞかせた。
「早く行くよ」
二人は倉庫から出た。
廊下を歩く三人の姿を見た者たちが、顔を引きつらせた。嬉々とした表情を見せる変人の顔を見て、多くの者がまた何かやらかすに違いないと思ったらしく、我先にと避難を開始したようだった。
リサとウィルは、吹き抜けの実験室に案内された。実験室の一角には、天井まで高さがある機械が設置されていた。機械にはシリンダーのようなものがあり、ランセルはそこに透明の魔導石を入れた。
「じゃあ、始めるよ」
機械が駆動音を上げる。ランセルがボタンを押したり、レバーを引いたりと操作すると、シリンダーの中の魔導石が徐々に光り出した。
「ほんとはさ、再注入とかじゃなくて人工的に魔導石がつくれたらいいんだけど、中々難しいんだ」
外では微かな揺れを感じただけだったが、今はその比ではなかった。機械が壊れんばかりの音を立てている。近くにいるランセルの声も掻き消してしまうほどの音だ。しかし、それも気にせずランセルは大声で饒舌に続けた。
「昔は研究していた人もいたみたいなんだけど、今じゃ誰もやっていないんだ。その人の研究成果を見たけど、面白かったなぁ」
外で見た時と同じように空気が赤く光り出した。光と揺れが増して、そして突如として静寂が訪れた。機械がとまり、光が収束する。シリンダーに目をやると、透明だった魔導石に色が戻っていた。
「ほら。成功した」
ランセルがシリンダーから取り出した魔導石をウィルに手渡した。
「あと三つね」
これがあと三回続くのかと思い、二人は溜息を漏らした。
「そういえばさ、名前を聞いてなかったね。僕はランセル。訪ねてきたくらいだからもう知っているかな?」
機械をいじりながら名乗った。
「俺がレインで、こいつがディオンだ」
ランセルが振り返る。
「偶然だね。さっき話した研究をしていた人もディオンっていうんだ。セアラ・ディオン」
リサの眉がぴくりと動いた。
――偶然なもんか。
ウィルが一瞥したのが判ったが、彼女は無視を決め込むことにした。ここでランセルに母親だと打ち明けても面倒に発展するだけだ。
「そうか」
「レインって名前も聞いたことあるなぁ。どこかで会った?」
「いや、ない」
再び機械が轟音を立て始める。ランセルはレインの名をどこで聞いたか考えているようで、小さく口元を動かしていた。
やがて魔力の注入が終わるが、彼はぶつぶつとウィルの姓を唱えている。
リサは納得した。確かに、隣にこのような男がいたら、仕事に集中出来ないだろう。彼に倉庫という研究室を与えたのは英断だ。




