第7話「星五つ」
午後七時三十八分。
「ここ、今日で最後だね」
青年が言った。
「そうだね」
隣を歩く女性が答える。
二人とも、大きな旅行鞄を持っていた。
明日の朝には帰る。
三日間の旅行だった。
観光地をいくつか回った。
有名な寺。
古い商店街。
展望台。
水族館。
最後の夜だから、少しだけ贅沢なものを食べようかとも話した。
けれど、歩き疲れていた。
「もうあんまり動きたくない」
「同じ」
「じゃあ、あそこにしよう」
青年が指差した。
駅前のハンバーガーショップ。
「旅行最後の夜に?」
「旅行最後だからこそ」
「どういう理屈?」
「知らない」
二人で笑った。
店に入る。
「いらっしゃいませ」
「こんばんは」
店員が笑顔で迎える。
店内を見渡す。
空いている席を探す。
「ここでいい?」
「うん」
二人で窓際に座った。
「何にする?」
「ハンバーガー」
「即決だね」
「疲れたから」
「じゃあ私も」
二人でカウンターへ行く。
「ハンバーガー二つ」
「お飲み物はいかがなさいますか?」
「コーラ」
「私も」
「かしこまりました」
注文する。
会計を済ませる。
席へ戻る。
「今回の旅行、どうだった?」
女性が聞いた。
「よかったよ」
「どこが一番?」
「難しいな」
「私は水族館」
「意外」
「なんで?」
「もっとお寺とか好きかと思ってた」
「そっちは?」
「展望台」
「ベタ」
「いいだろ、ベタで」
笑う。
番号が呼ばれる。
二人で取りに行く。
「ありがとうございます」
トレーを受け取る。
席へ戻る。
「いただきます」
「いただきます」
包み紙を開く。
普通のハンバーガー。
二人で食べる。
「……おいしい」
「うん」
「なんか旅行中に食べると、普通のハンバーガーでも違うね」
「それは分かる」
青年は窓の外を見る。
見慣れない街。
知らない駅。
明日には、ここを離れる。
「また来たい?」
「うん」
「この店にも?」
女性は少し考えた。
「……どうだろう」
「そこは即答じゃないんだ」
「だって、旅行だから」
「なるほど」
青年は笑った。
食べ終わったあと。
女性がスマートフォンを取り出した。
「口コミ書こうかな」
「もう?」
「忘れる前に」
「何点?」
「五点」
「五点満点?」
「うん」
「満点なんだ」
「だって普通に美味しかったし」
「普通なのに五点?」
「普通だから五点なの」
「どういうこと?」
女性は少し考えた。
「旅行って、全部が特別じゃないといけないわけじゃないじゃん」
「うん」
「歩いて、疲れて、ご飯食べて、ホテル帰って寝る。それでいいんだと思う」
「……確かに」
「だから五点」
女性はレビュー画面を開いた。
店名。
評価。
星が五つ並んでいる。
★★★★★
コメント欄に文字を入力する。
> 旅行の最後に利用しました。普通に美味しかったです。
そこで少し止まる。
文章を見直す。
「これ、褒めてる?」
「褒めてると思う」
「じゃあいいか」
送信。
画面に表示された。
投稿しました。
女性はスマートフォンを伏せた。
「終わった」
「何が?」
「旅行」
「ああ」
青年は少しだけ窓の外を見る。
「明日帰るんだな」
「うん」
「早かったな」
「三日しかいないからね」
「そうだけど」
二人はしばらく黙っていた。
店内では、別の客が話している。
店員が注文を受けている。
ドアが開く。
閉じる。
普通の夜だった。
店を出る。
「ホテル戻ろう」
「うん」
二人で歩き始める。
少し先で、会社員が一人、スマートフォンを見ながら歩いている。
その横を通る。
会社員は二人を見ない。
二人も気づかない。
ただ、同じ道を歩いているだけだった。
ホテルに戻る。
部屋に入る。
「疲れた」
「お風呂先どうぞ」
「じゃあ行ってくる」
女性はベッドに座った。
スマートフォンを見る。
さっき投稿したレビュー。
もう一度開く。
★★★★★
コメント。
> 旅行の最後に利用しました。普通に美味しかったです。
「……」
女性は少し笑った。
「普通に、か」
そのまま画面を閉じる。
窓の外を見る。
知らない街の夜景。
明日には帰る。
この街で過ごした三日間も、いつか思い出になる。
どこまで覚えているかは分からない。
でも、
今日食べたハンバーガーは覚えているかもしれない。
そう思った。
翌朝。
二人はホテルを出た。
「忘れ物ない?」
「ない」
「本当に?」
「たぶん」
「たぶんかよ」
駅へ向かう。
電車に乗る。
街が遠ざかる。
女性は窓の外を見ていた。
「また来ようね」
「うん」
「今度は四日くらい」
「いいね」
青年が笑う。
二人は旅行の話を続けた。
昨日の店の話もした。
「そういえば、あのハンバーガー」
「うん」
「美味しかったね」
「うん」
「レビュー五点にしたし」
「そこ重要?」
「重要」
二人で笑った。
その日の午後。
店では、新しい客がハンバーガーを食べていた。
その客は、何も知らない。
昨日、誰が来たのかも。
一昨日、誰が来たのかも。
レビューを書いた人のことも。
ただ、
「おいしい」
と言っている。
スマートフォンを取り出す。
店を撮る。
バーガーを撮る。
投稿画面を開く。
星を選ぶ。
★★★★★
送信。
画面に、
評価を受け付けました。
と表示された。
客はスマートフォンをしまった。
それだけだった。
その夜。
店のどこかで、
昨日まで四・二だった評価が、
四・三になっていた。
数字は、それだけだった。
たった一つ増えた星。
誰かが店を見た。
誰かが食べた。
誰かが「おいしい」と思った。
そして、
五つの星をつけた。
それだけ。
けれどこの世界では、
評価することと、観測することの間に、ほとんど違いがなかった。
誰も、そのことを知らない。
レビューを書いた女性も。
星を見た客も。
店員も。
もちろん、
その店をただ利用しただけの人たちも。
今日もまた、
普通の客が一人、
ハンバーガーを食べている。




