第4話「変更」
午後十一時二十四分。
大学生は、駅前の道を歩いていた。
遅かった。
サークルが終わったあと、友達と少し話していた。
そのあと、駅で別れた。
家に帰るには、まだ二十分くらいかかる。
腹が減っていた。
「……何か食べて帰るか」
スマートフォンを見る。
この時間でも開いている店はいくつかある。
コンビニ。
ラーメン屋。
牛丼屋。
そして、少し先にハンバーガーショップ。
大学生は歩きながら考えた。
ラーメンは重い。
牛丼も今日は違う。
コンビニでもいい。
でも、座って食べたい。
店の明かりが見えた。
「ここでいいか」
ドアを開ける。
「いらっしゃいませ」
「こんばんは」
店内には、数人の客がいた。
昼間よりずっと少ない。
大学生はカウンターへ向かう。
「ご注文はお決まりですか?」
「えっと……」
メニューを見る。
ハンバーガー。
チーズバーガー。
ビッグマック。
期間限定の商品。
セット。
少し迷う。
「ビッグマック……」
店員が注文端末に手を伸ばす。
「ビッグマックお一つですね」
「……」
大学生はメニューをもう一度見る。
値段。
量。
今の腹具合。
少し考える。
「いや」
店員が顔を上げる。
「はい?」
「チーズバーガーで」
「チーズバーガーお一つですね」
「はい」
「お飲み物はいかがなさいますか?」
「水でいいです」
「かしこまりました」
注文が確定する。
大学生は財布を出した。
会計を済ませる。
番号札を受け取る。
「お席でお待ちください」
「はい」
窓際の席に座る。
スマートフォンを見る。
友達からメッセージが来ていた。
『明日の集合、10時で』
『了解』
返信する。
動画を見る。
途中で広告が入る。
閉じる。
時計を見る。
十一時三十二分。
「遅いな……」
小さく呟いた。
別に急いでいるわけではない。
ただ、眠かった。
「お待たせしました」
店員がトレーを持ってきた。
「ありがとうございます」
チーズバーガー。
紙コップに入った水。
大学生は包み紙を開いた。
普通のハンバーガー。
チーズが少しだけ見えている。
「いただきます」
一口。
二口。
「……うま」
空腹だった。
それだけで十分だった。
スマートフォンを片手に、食べる。
SNSを見る。
誰かの旅行写真。
誰かの食事。
誰かの愚痴。
誰かの新しいゲーム。
流れていく。
大学生は特に何も考えず、画面をスクロールした。
ハンバーガーを食べ終える。
水を飲む。
時計を見る。
十一時四十分。
「帰るか」
トレーを持つ。
返却口へ置く。
席に戻って鞄を取る。
店員に、
「ありがとうございました」
と言われる。
「どうも」
店を出る。
外は静かだった。
昼間なら人が多い道も、今はまばらだ。
大学生はイヤホンをつけた。
音楽を流す。
歩く。
信号を渡る。
コンビニの前を通る。
交差点を曲がる。
何も起きない。
いつもの帰り道だった。
その頃。
ぱんでむの厨房。
誰も客の見ていない場所で、時計の秒針が進んでいた。
十一時四十一分。
秒針が、
ひとつ進む。
もうひとつ。
そして、
ほんの一瞬だけ。
一秒、進んだ。
戻った。
時計は何事もなかったように動き続ける。
厨房には、誰もいない。
いや。
奥の作業台では、黒いスーツ姿の世達ちゃんが書類を運んでいた。
「……」
時計を見る。
一瞬だけ足を止める。
しかし、何も言わない。
手元の書類を確認する。
「次の処理は……」
そのまま歩いていく。
時計は普通に動いている。
大学生は家に着いた。
「ただいま」
「おかえり」
家族の返事。
「遅かったね」
「ちょっと食べてきた」
「何を?」
「チーズバーガー」
「こんな時間に?」
「腹減ってたから」
「そっか」
それだけだった。
大学生は自分の部屋へ行く。
鞄を置く。
スマートフォンを充電する。
ベッドに倒れ込む。
「疲れた……」
目を閉じる。
今日のことを思い返す。
サークル。
友達。
駅。
ハンバーガー。
帰り道。
それだけ。
ただ、一つだけ。
注文するとき、
最初はビッグマックと言った。
でも、
チーズバーガーに変えた。
大学生はそのことを、
もう覚えていなかった。
眠りにつく。
翌朝。
大学生は目を覚ます。
スマートフォンを見る。
午前八時二十分。
「やば」
飛び起きる。
着替える。
顔を洗う。
鞄を掴む。
家を出る。
駅まで走る。
昨日の注文のことなど、
完全に忘れている。
ただ一つ。
昨日の夜。
彼が、
「ビッグマック……」
と言ったあと、
「いや、チーズバーガーで」
と言い直した。
その瞬間だけ。
厨房の時計が、
世界のどこにも記録されない一秒を、
持っていた。
それが何を意味するのか。
大学生は知らない。
店員も説明しない。
時計も何も覚えていない。
ただ。
昨日と今日の境目に、
ほんの一秒だけ、
別の可能性があった。




