第3話「初めて」
午後七時十六分。
「本当にここでいいの?」
女が聞いた。
「うん」
男が答えた。
「なんか……普通だね」
「まあ、普通の店だし」
「そうなんだけど」
女は店の看板を見上げた。
明るい。
少し派手。
でも、駅前にいくらでもありそうなファストフード店だった。
「こういうところ、来るの初めて」
「俺も」
「じゃあ、ちょうどいいね」
「何が?」
「初めて同士」
「何それ」
二人で笑った。
付き合い始めて、まだ一ヶ月。
今日は三回目のデートだった。
映画を見て、そのあと少し歩いた。
夕飯をどうするか決めないまま駅まで来てしまった。
女がスマートフォンを見る。
「ここ、口コミ悪くないよ」
「じゃあ入る?」
「うん」
二人でドアを開けた。
「いらっしゃいませ」
店員が笑顔で迎える。
「こんばんは」
女が小さく頭を下げる。
男も続いた。
店内を見回す。
窓際の席。
カウンター席。
奥には少し広いテーブル席。
「どこ座る?」
「あっち」
女が窓際を指した。
「了解」
二人で席を取る。
男が荷物を置いた。
「何食べる?」
「どうしよう」
「俺はハンバーガーでいいかな」
「私も」
「じゃあ二つ?」
「うん」
カウンターへ向かう。
「ハンバーガー二つお願いします」
「かしこまりました」
「飲み物は?」
「どうする?」
「……いらないかな」
「じゃあ俺もいらない」
「かしこまりました」
注文を終える。
二人で席へ戻る。
「なんか緊張する」
「何で?」
「初めて二人でこういう店来たから」
「そんなに?」
「そんなに」
「じゃあ俺も緊張してることにする」
「何それ」
また笑う。
番号が呼ばれる。
二人で取りに行く。
「ありがとうございます」
トレーを持って席へ戻る。
「いただきます」
「いただきます」
包み紙を開く。
普通のハンバーガー。
二人とも一口食べた。
「……」
「……」
「おいしい」
女が言う。
「うん」
「なんか普通においしい」
「普通においしいって褒めてる?」
「褒めてるよ」
「ならよかった」
二人で食べる。
外を車が走っている。
窓ガラスに店内の明かりが映っている。
女がハンバーガーを置いた。
「ねえ」
「ん?」
「写真撮っていい?」
「何を?」
「今日の」
「今日の?」
「ほら」
女がスマートフォンを取り出す。
「初デート記念」
「もう三回目のデートだけど」
「細かいこと言わない」
「はいはい」
二人で並ぶ。
「もうちょっとこっち」
「こう?」
「うん」
「笑って」
「笑ってる」
「それ笑ってない」
「難しいな」
「はい、撮るよ」
シャッター音。
一枚。
「見せて」
「ちょっと待って」
女が写真を見る。
「……いいじゃん」
「見せて」
「嫌」
「なんで?」
「私が保存する」
「俺にも送ってよ」
「あとでね」
「絶対?」
「絶対」
二人はまた食事を続けた。
午後七時四十一分。
店を出る。
「次どうする?」
「駅まで歩こう」
「うん」
女が男の腕に軽く手を絡める。
男は少し照れた。
「何?」
「いや」
「何よ」
「何でもない」
「変なの」
二人で歩く。
店の前を離れる。
女がスマートフォンを見た。
「さっきの写真」
「うん」
「やっぱりいい」
「見せて」
「はい」
男が画面を見る。
二人が写っている。
店内の明るい照明。
窓。
テーブル。
後ろを歩いている客。
カウンター。
そして二人。
「普通だな」
「だからいいんじゃん」
「そう?」
「うん」
女は写真を保存した。
そのままスマートフォンをポケットへしまう。
二人は駅へ向かった。
電車の中。
女がスマートフォンを開く。
「ねえ」
「ん?」
「この人」
「誰?」
「写真の後ろ」
男が画面を見る。
さっきの写真。
二人の後ろ。
少し離れた席に、一人の男が写っていた。
スーツ姿。
こちらを見ているわけではない。
窓の外を見ている。
手にはスマートフォン。
どこにでもいそうな会社員だった。
「……誰だろ」
「知らない」
「店にいた人じゃない?」
「たぶん」
「じゃあ普通じゃん」
「うん」
女は写真を拡大した。
会社員の顔が少し大きくなる。
「なんか、この人……」
「何?」
「……いや」
「?」
「何でもない」
写真を閉じる。
再び二人の写真に戻る。
「こっちのほうがいい」
「何が?」
「私たち」
「自分で言う?」
「言う」
「はいはい」
男が笑う。
女も笑う。
電車が駅に着く。
二人は降りた。
その頃。
写真に写っていた会社員は、もう家に帰っていた。
夕飯を食べている。
テレビを見ている。
昨日のことも覚えている。
一昨日のことも。
今日、店でハンバーガーを食べたことも。
何もおかしくない。
ただ。
スマートフォンの時計を見る。
午後八時三分。
「……?」
ほんの一瞬だけ、何かを考えた。
何だったのかは分からない。
すぐにテレビへ視線を戻す。
「まあ、いいか」
それだけだった。
翌日。
女は昨日の写真をもう一度見た。
朝。
通勤途中。
電車の中。
何となく開いた。
二人で撮った写真。
笑っている。
店内。
窓。
テーブル。
後ろの会社員。
「……」
女は少しだけ画面を止めた。
昨日よりも、会社員の姿が気になった。
なぜなのかは分からない。
写真を閉じる。
そして、
「まあ、いいか」
と呟いた。
スマートフォンをポケットへ入れる。
駅に着く。
会社へ向かう。
今日も普通の一日が始まる。
ただ一枚の写真だけが、
昨日の夜をそのまま保存していた。
二人が笑っている。
店がある。
客がいる。
そして、その少し後ろに。
昨日の夜には確かにそこにいたはずの、
一人の会社員がいる。
それだけだった。




