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19/21

第19話「十九人目」


 一口が消えた。


 レムが先に動いた。


「触らないで」


「触ってない」


「そのまま」


「だから」


「イオ」


 低い声だった。


 イオは手を引いた。


 カウンターの上。


 三つのチーズバーガー。


 一つには《17》。


 一つには《18》。


 もう一つは、一口欠けている。


 注文端末には、


《来店:19》


 厨房から、油の弾ける音がした。


 二人ともそちらを見る。


 店員はいない。


 調理台の向こうで、包み紙だけが一枚、ひとりでに開いた。


「帰るよ」


 レムが言った。


「待って」


「待たない」


「十九って何」


「知らなくていい」


「もう十八まで見たんだけど」


「だから十九まで見る必要ない」


 レムがイオの腕を掴む。


 新しい身体の皮膚に、指が沈む。


 その瞬間。


「……あ」


「何」


 イオはレムの手を見た。


「それ」


「何」


「前にもやった」


「いつ」


「分からない」


「また?」


 イオの視界に、ほんの一瞬だけ別の光景が重なった。


 同じ店。


 同じカウンター。


 だが照明が古い。


 壁の発光線も少し暗い。


 目の前にはレムがいる。


 今より短い髪。


 イオの腕を掴んでいる。


「帰るよ」


 同じ声。


 そこで像が切れた。


 現在へ戻る。


「……レム」


「何」


「髪、前は短かった?」


「四年前までね」


「ここ、一緒に来た?」


 レムの眉が動いた。


「最初の頃?」


「うん」


「何回か」


「チーズバーガー食った?」


「知らない。あんた焼肉ばっかりだったし」


「俺じゃない」


「は?」


 イオは、欠けたバーガーを見る。


「俺たち二人で来たとき」


「だから?」


「向かいに、誰かいた?」


 レムは答えなかった。


 油の音が止まる。


 店内が急に静かになった。


 冷却器の低い振動だけが床から伝わる。


 注文端末が光った。


《19番のお客様》


 二人は動かない。


 もう一度。


《19番のお客様》


「呼んでる」


「無視」


「でも」


「無視」


 三度目は鳴らなかった。


 代わりに、


 窓際の席が一つだけ引かれた。


 誰も触れていない。


 椅子の脚が床を擦る。


 ぎ、と短い音。


 イオの右手が強く縮んだ。


「……あそこ」


「見えてる」


 テーブルには何もない。


 椅子だけ。


 それでもイオには分かった。


 誰かが座るために引いた位置だった。


     ◆


「帰る」


 今度はイオが言った。


「やっと?」


「うん」


 二人は出口へ向かう。


 三歩。


 四歩。


 背後で包み紙が鳴った。


 イオは振り返らない。


 五歩。


 自動ドアの前。


 開かない。


「……」


「嫌な予感する」


「俺も」


 レムが認証板へ手をかざす。


 無反応。


 もう一度。


 無反応。


「店の営業時間は?」


「まだ二十分ある」


「閉店じゃない」


 背後。


 椅子が、また鳴った。


 今度は近い。


 イオが振り返った。


 窓際の席。


 誰もいない。


 だがテーブルの上に、


 チーズバーガーが一つ置かれていた。


 さっきまでカウンターにあったものではない。


 包装が違う。


 白い紙。


 赤と黄色のロゴ。


 角だけが古く擦れている。


「増えた?」


「数えない」


「三つだった」


「数えないって言ってる」


 レムは出口を押す。


 動かない。


 イオはもう一度、窓際を見る。


 包み紙が開いていた。


 一口。


 バーガーが欠ける。


 誰もいない。


 もう一口。


 消える。


 レムがイオの肩を掴んだ。


「見ない」


「食ってる」


「見ない」


「誰が」


「知らない」


 三口目。


 イオの舌に味が来た。


 チーズ。


 肉。


 塩。


 少し冷めている。


「……っ」


「何」


 イオは口を押さえた。


「味」


「食べてないでしょ」


「来た」


 四口目。


 今度は味だけではない。


 紙の感触。


 肘を置いたテーブルの硬さ。


 窓から差す青白い光。


 そして、


 向かい側の人間。


 レムだった。


 短い髪。


 若い顔。


 笑っている。


「またそれ頼んだの?」


 声まで聞こえた。


 イオの知らない記憶。


 だが、


 そこにいる自分は知っている。


 笑って答える。


「今日は違うよ」


 目の前。


 チーズバーガー。


 イオの腹の奥が冷えた。


「俺だ」


「何が」


「十九」


 レムが振り返る。


「どういう意味」


「知らない」


「イオ」


「俺、これから来るんじゃない」


 次の一口が消える。


 味が来る。


 イオは目を閉じた。


「もう来てた」


     ◆


 照明が一度落ちた。


 暗闇。


 レムの指だけが、イオの肩を掴んでいる。


 すぐに明るくなる。


 自動ドアが開いた。


 二人は何も言わず外へ出た。


 居住環の通路。


 人の流れ。


 交換身体の広告。


 配送機。


 いつもの騒音。


 レムはしばらく歩いてから言った。


「帰ろ」


「うん」


「今日はもう調べない」


「うん」


「明日も行かない」


「……」


「イオ」


「行かない」


「本当に?」


「たぶん」


「そこは本当って言って」


 少しだけ笑った。


 イオも笑った。


 数歩歩く。


 レムが飲料筒を取り出す。


 蓋を開ける。


 イオの右手が自然に伸びた。


「取らないで」


「あ」


「また」


「ごめん」


 返す。


 レムは受け取った。


「これ、いつからやってたんだろ」


「知らない」


「私、何年前から見てたんだろ」


「知らないって」


 二人は歩いた。


 後ろにぱんでむの入口がある。


 振り返らない。


     ◆


 店内。


 十九番の席。


 バーガーはなくなっていた。


 包み紙だけが残っている。


 内側には何も書かれていない。


 ただ、


 紙の折り方だけが、


 イオの知らない癖で、


 きれいに四角く畳まれていた。


 注文端末が消灯する直前、


 一行だけ表示した。


《次回来店:済》

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