第19話「十九人目」
一口が消えた。
レムが先に動いた。
「触らないで」
「触ってない」
「そのまま」
「だから」
「イオ」
低い声だった。
イオは手を引いた。
カウンターの上。
三つのチーズバーガー。
一つには《17》。
一つには《18》。
もう一つは、一口欠けている。
注文端末には、
《来店:19》
厨房から、油の弾ける音がした。
二人ともそちらを見る。
店員はいない。
調理台の向こうで、包み紙だけが一枚、ひとりでに開いた。
「帰るよ」
レムが言った。
「待って」
「待たない」
「十九って何」
「知らなくていい」
「もう十八まで見たんだけど」
「だから十九まで見る必要ない」
レムがイオの腕を掴む。
新しい身体の皮膚に、指が沈む。
その瞬間。
「……あ」
「何」
イオはレムの手を見た。
「それ」
「何」
「前にもやった」
「いつ」
「分からない」
「また?」
イオの視界に、ほんの一瞬だけ別の光景が重なった。
同じ店。
同じカウンター。
だが照明が古い。
壁の発光線も少し暗い。
目の前にはレムがいる。
今より短い髪。
イオの腕を掴んでいる。
「帰るよ」
同じ声。
そこで像が切れた。
現在へ戻る。
「……レム」
「何」
「髪、前は短かった?」
「四年前までね」
「ここ、一緒に来た?」
レムの眉が動いた。
「最初の頃?」
「うん」
「何回か」
「チーズバーガー食った?」
「知らない。あんた焼肉ばっかりだったし」
「俺じゃない」
「は?」
イオは、欠けたバーガーを見る。
「俺たち二人で来たとき」
「だから?」
「向かいに、誰かいた?」
レムは答えなかった。
油の音が止まる。
店内が急に静かになった。
冷却器の低い振動だけが床から伝わる。
注文端末が光った。
《19番のお客様》
二人は動かない。
もう一度。
《19番のお客様》
「呼んでる」
「無視」
「でも」
「無視」
三度目は鳴らなかった。
代わりに、
窓際の席が一つだけ引かれた。
誰も触れていない。
椅子の脚が床を擦る。
ぎ、と短い音。
イオの右手が強く縮んだ。
「……あそこ」
「見えてる」
テーブルには何もない。
椅子だけ。
それでもイオには分かった。
誰かが座るために引いた位置だった。
◆
「帰る」
今度はイオが言った。
「やっと?」
「うん」
二人は出口へ向かう。
三歩。
四歩。
背後で包み紙が鳴った。
イオは振り返らない。
五歩。
自動ドアの前。
開かない。
「……」
「嫌な予感する」
「俺も」
レムが認証板へ手をかざす。
無反応。
もう一度。
無反応。
「店の営業時間は?」
「まだ二十分ある」
「閉店じゃない」
背後。
椅子が、また鳴った。
今度は近い。
イオが振り返った。
窓際の席。
誰もいない。
だがテーブルの上に、
チーズバーガーが一つ置かれていた。
さっきまでカウンターにあったものではない。
包装が違う。
白い紙。
赤と黄色のロゴ。
角だけが古く擦れている。
「増えた?」
「数えない」
「三つだった」
「数えないって言ってる」
レムは出口を押す。
動かない。
イオはもう一度、窓際を見る。
包み紙が開いていた。
一口。
バーガーが欠ける。
誰もいない。
もう一口。
消える。
レムがイオの肩を掴んだ。
「見ない」
「食ってる」
「見ない」
「誰が」
「知らない」
三口目。
イオの舌に味が来た。
チーズ。
肉。
塩。
少し冷めている。
「……っ」
「何」
イオは口を押さえた。
「味」
「食べてないでしょ」
「来た」
四口目。
今度は味だけではない。
紙の感触。
肘を置いたテーブルの硬さ。
窓から差す青白い光。
そして、
向かい側の人間。
レムだった。
短い髪。
若い顔。
笑っている。
「またそれ頼んだの?」
声まで聞こえた。
イオの知らない記憶。
だが、
そこにいる自分は知っている。
笑って答える。
「今日は違うよ」
目の前。
チーズバーガー。
イオの腹の奥が冷えた。
「俺だ」
「何が」
「十九」
レムが振り返る。
「どういう意味」
「知らない」
「イオ」
「俺、これから来るんじゃない」
次の一口が消える。
味が来る。
イオは目を閉じた。
「もう来てた」
◆
照明が一度落ちた。
暗闇。
レムの指だけが、イオの肩を掴んでいる。
すぐに明るくなる。
自動ドアが開いた。
二人は何も言わず外へ出た。
居住環の通路。
人の流れ。
交換身体の広告。
配送機。
いつもの騒音。
レムはしばらく歩いてから言った。
「帰ろ」
「うん」
「今日はもう調べない」
「うん」
「明日も行かない」
「……」
「イオ」
「行かない」
「本当に?」
「たぶん」
「そこは本当って言って」
少しだけ笑った。
イオも笑った。
数歩歩く。
レムが飲料筒を取り出す。
蓋を開ける。
イオの右手が自然に伸びた。
「取らないで」
「あ」
「また」
「ごめん」
返す。
レムは受け取った。
「これ、いつからやってたんだろ」
「知らない」
「私、何年前から見てたんだろ」
「知らないって」
二人は歩いた。
後ろにぱんでむの入口がある。
振り返らない。
◆
店内。
十九番の席。
バーガーはなくなっていた。
包み紙だけが残っている。
内側には何も書かれていない。
ただ、
紙の折り方だけが、
イオの知らない癖で、
きれいに四角く畳まれていた。
注文端末が消灯する直前、
一行だけ表示した。
《次回来店:済》




