↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
18/21

第18話「同じ客」


 イオは、店に入る前に右手を二度開いた。


 第八世代身体へ交換してから、七日目。


 関節応答は正常。  触覚遅延なし。  自己所有感、九八・七パーセント。


 医療局の診断なら、もう「定着済み」だった。


 それでも、ぱんでむのドアに触れるときだけ、イオは右手を確かめる。


 理由は分かっている。


 この店は、新しい身体を新しい客として扱わなかった。


 身体番号も、生体署名も、契約主体も変わったのに。


 前の身体で食べたものを覚えていた。


 自動ドアが開く。


 油の匂い。


 焼けたパン。


 その奥に、少しだけ甘い匂い。


 右手の指先が、先に思い出した。


「……これ」


 イオは指を擦った。


 旧身体で持った包み紙の感触だった。


 もちろん、そんなものが新しい皮膚に残っているはずはない。


 レムが隣で足を止めた。


「また?」


「うん」


「医療局には?」


「言ってない」


「どうして」


「説明が面倒だから」


「嘘」


 イオは答えなかった。


 レムはそれ以上聞かなかった。


 こういうところだけは、旧身体の頃から変わらない。


 二人は注文端末へ向かった。


 画面が点灯する。


 通常なら最初に表示されるのは言語選択と認証方式だ。


 今日は違った。


 白い画面の中央に、一行だけ表示されていた。


《おかえりなさい》


 イオは立ち止まった。


「前にも出た?」


「いや」


 レムが答えた。


「少なくとも、私と来たときには」


 表示が消える。


 いつものメニューが現れた。


 イオは触らない。


 数秒後。


 画面右上に、小さな数字が出た。


《来店:18》


「十八回?」


「そんなに来てない」


 レムは即答した。


「私は十三回記録してる」


「わたし、一人で来たの五回だっけ」


「三回」


 イオは黙った。


 十八。


 端末の数字は変わらない。


「身体交換前も含めて?」


「それでも十六」


 レムが端末へ顔を寄せる。


「医療局にいた期間を考えれば、あと二回来る余地はない」


 イオは右手を見た。


 指先が、かすかにざらつく。


 存在しない包み紙。


「……注文しよう」


「いいの?」


「お腹すいた」


 レムが何か言いかけたが、やめた。


 イオはチーズバーガーを選んだ。


 端末が一度だけ暗転した。


《いつものですね》


「違う」


 イオは思わず言った。


 チーズバーガーを注文したのは初めてだった。


 レムも覚えている。


 イオはいつも別の商品を選ぶ。


 端末は訂正しなかった。


 決済が終わる。


 番号札。


 十八番。


「趣味悪いな」


 イオが笑った。


「偶然だと思う?」


「思いたい」


 二人で席についた。


 窓際。


 レムは記録を開き、過去の来店履歴を照合し始めた。


 イオは外を見る。


 高架交通網の下を、交換身体の広告が流れていた。


《あなたは身体ではありません》


《交換しても、あなたはあなた》


 ありふれた広告文句だった。


 イオは自分の右手をテーブルに置く。


 白くて、細い指。


 前より少し長い。


 爪の形も違う。


 それなのに。


 テーブルの縁をなぞると、ときどき知らない傷の位置を避けようとする。


 この身体には存在したことのない傷を。


「イオ」


 レムの声が低くなった。


「なに」


「十六回で合ってる」


「うん」


「ただ」


 レムが記録を見せた。


 十六件。


 日付。  時刻。  注文内容。  決済記録。


 その下に、空白が二行あった。


「なにこれ」


「空欄」


「見れば分かる」


「違う。データがないんじゃない」


 レムは一行目を指した。


「来店記録の連番だけ存在する」


 十五。


 十六。


 十七。


 十八。


 十七と十八には、何もない。


 日付も。


 注文も。


 決済も。


 ただ、


《来店済》


 とだけ記録されていた。


 厨房から呼び出し音が鳴った。


 十八番。


 イオは立ち上がる。


「待って」


 レムが腕を掴んだ。


「注文してから三十秒しか経ってない」


「早い店なんじゃない?」


「前は平均四分十二秒」


「細かい」


「イオ」


 声が変わった。


 イオは座り直した。


 カウンターには紙袋が置かれている。


 十八番。


 誰も呼びに来ない。


 もう一度、呼び出し音。


 十八番。


 三度目。


 十八番。


「……行かないと、ずっと鳴るんじゃない?」


「私が行く」


「わたしの注文」


「だから」


 レムが立った。


 イオも立った。


 二人で行った。


 紙袋は温かかった。


 レムが先に開ける。


 中にはチーズバーガーが三つ入っていた。


「一個しか頼んでない」


「触らないで」


 三つ。


 同じ包装。


 ただし、一つだけ紙が古い。


 黄色く変色し、角が柔らかく擦れている。


 イオの右手が動いた。


 止めるより早かった。


 指が、その古い包みへ触れる。


 ざらり。


 知っている。


 イオは手を引いた。


「これだ」


「何が」


「ずっと残ってた感触」


 レムの顔から表情が消えた。


 古い包み紙を、ゆっくり開く。


 中にはチーズバーガー。


 乾いてもいない。  腐ってもいない。


 湯気が立っている。


 包装だけが古かった。


 紙の内側に文字がある。


 手書きだった。


《17》


 レムがもう一つを開く。


 新しい包み紙。


 内側。


《18》


「じゃあ」


 レムは三つ目を見た。


 二人とも、すぐには触らなかった。


 注文した一個。


 現在の一個。


 なら、三つ目は。


 イオが開けた。


 何も書いていない。


 代わりに。


 バーガーが、一口だけ欠けていた。


 二人とも動かなかった。


 噛み跡は小さい。


 イオは舌で、奥歯を触った。


「……わたしの歯並び」


「そんなわけない」


「前の」


 レムがイオを見る。


 イオはバーガーを見ていた。


 右手の指先から、存在しないはずの記憶が上がってくる。


 包みを持つ。


 開く。


 熱い。


 齧る。


 味。


 チーズ。


 肉。


 少し強い塩。


 それから。


 誰かが向かいに座っている。


 顔だけが思い出せない。


「レム」


「なに」


「わたし、これ食べたことある」


「いつ」


「分からない」


「どの身体で?」


 そこで、イオは初めてレムを見た。


 答えようとして。


 答えられなかった。


 身体なら交換した。


 記憶なら移した。


 利用履歴なら継続した。


 どれも、もう「自分」を区切る線にはならない。


 店内の注文端末が鳴った。


 二人とも振り返る。


 誰も触れていない。


 画面に、新しい注文が入っていた。


《チーズバーガー 1》


《来店:19》


 イオの右手が震えた。


 その瞬間。


 まだ誰も受け取っていない十八番のバーガーから、


 一口が消えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。