第14話「三人分」
午後六時十九分。
「今日は行かないからね」
ミナが言った。
「俺、何も言ってない」
「顔が言ってる」
「どんな顔」
「芋揚げ食べたい顔」
「それはいつも」
二人は市場区を歩いていた。
仕事帰り。
第一陽はもう城壁の向こう。
第二陽だけが、街を斜めに照らしている。
「今日は家で食べる」
「何作る?」
「豆煮込み」
「肉は?」
「ない」
「じゃあ」
「行かない」
「まだ何も言ってない」
「顔が言ってる」
ノエは黙った。
通りの先に、
赤と黄色の布看板が見えた。
ぱんでむ。
その前を通るだけ。
それで終わる。
はずだった。
「……あれ」
ミナが止まった。
「何」
「店の前」
一人の子どもが立っていた。
十歳くらい。
灰色の上着。
短い角。
この地方では珍しくない山地種の子だった。
入口を見上げている。
「迷子?」
「一人だね」
ノエが近づく。
「どうした?」
子どもが振り返った。
「入っていい?」
「店に?」
「うん」
「いいと思うけど」
子どもは財布を見せた。
小さな革袋。
「お金足りる?」
「何食べる?」
「肉挟み」
ノエは壁の価格札を見る。
「足りるよ」
「ほんと?」
「うん」
子どもは安心したように入口へ向かった。
ミナが小声で言う。
「帰るんじゃなかった?」
「子ども一人で入れるの見届けるだけ」
「はいはい」
二人も入った。
◆
「いらっしゃいませ」
子どもが注文台へ行く。
「肉挟み、一つ」
「お飲み物はいかがなさいますか?」
「いらない」
「かしこまりました」
店員が木札を取る。
針が走る。
肉挟み焼き 1
客 1
ノエは何となく、
そこを見ていた。
今度は正しい。
「よかったね」
ミナが言う。
「何が」
「二じゃない」
「気にしてない」
「見てたじゃん」
子どもは番号札を受け取り、空いている卓へ座った。
「じゃあ帰る?」
「うん」
その時、
「お客様」
店員に呼ばれた。
「はい?」
「こちらもお受け取りください」
木札を一枚差し出される。
「俺?」
「はい」
「注文してないですけど」
札には、
肉挟み焼き 1
芋揚げ 1
冷茶 1
そして、
客 1
「違います」
「……失礼しました」
店員は札を見直す。
「こちら、注文記録には」
言葉が止まる。
「何?」
ミナが覗く。
札の端。
薄く、
別の文字が浮いていた。
同席
「……誰と?」
店員は答えなかった。
◆
結局、
二人は店内に残った。
「帰ればよかった」
「俺のせい?」
「半分は」
「半分なんだ」
「残り半分は芋」
「食べる気じゃん」
「出されたらね」
卓には、
三人分あった。
ノエ。
ミナ。
子ども。
子どもは少し離れた席で一人食べている。
だが注文札では、
ノエの分だけが「同席」になっていた。
「誰と同席なんだろう」
「考えない方がいいんじゃない?」
「前は考えろって言ってなかった?」
「今は状況が違う」
「便利だな」
肉挟みを食べる。
普通。
芋も普通。
冷茶も普通。
ノエは安心した。
その瞬間、
店内が暗くなった。
輸送獣の影。
「来た」
ミナの声が小さくなる。
影が床を這う。
卓へ届く。
ノエの向かい。
空席。
そこに、
誰かの腕だけが見えた。
「……」
影の中だけ。
細い腕。
子どものような手。
卓の上の芋を一本取る。
口元へ運ぶ。
見えない口が、
それを食べた。
光が戻る。
何もいない。
芋だけが一本減っていた。
「見た?」
「見た」
「今度は私も」
「うん」
二人とも、
笑わなかった。
◆
離れた席で、
あの子どもが泣いていた。
声は出していない。
ただ、肉挟みを握ったまま、
涙だけ落ちている。
ミナが立った。
「どうしたの?」
子どもは首を振った。
「辛い?」
「違う」
「どこか痛い?」
「違う」
ノエも近づく。
「じゃあ何」
子どもは、
向かいの空席を見た。
「食べてる」
「……誰が?」
「弟」
ミナが黙る。
子どもは肉挟みを半分に割った。
片方を空席へ置く。
「前は、いつも半分こだった」
それだけ言った。
ノエは何も聞かなかった。
この街では、
去年の西門崩落で多くの人が死んだ。
名前を聞けば、
誰かしら知り合いに当たる。
珍しい話ではない。
だからこそ、
誰も続きを聞かなかった。
再び、
輸送獣の影が店内へ入った。
空席の上。
置かれた半分の肉挟みが、
一口だけ欠けた。
子どもは泣きながら笑った。
「食べた」
ミナが視線を落とす。
ノエは、
自分の卓に残った芋を見た。
一人分。
いや、
一人分ではなかった。
◆
「ありがとうございました」
子どもが先に帰った。
店員は普通に頭を下げた。
「またお越しください」
「うん」
子どもは外へ出る。
第二陽の光へ戻る。
一人。
けれど、
石畳に伸びた影は二つだった。
ノエとミナは、
それを見送った。
「帰ろうか」
「うん」
会計台の横を通る。
木札が一枚、
まだ残っていた。
ノエのものだった。
肉挟み焼き 1
芋揚げ 1
冷茶 1
その下。
客 1
さらに、
薄い文字。
同席 1
ミナが立ち止まる。
「これ」
「うん」
「消えてない」
「うん」
「誰だったんだろう」
ノエは少し考えた。
「知らない」
「怖くない?」
「ちょっと」
「じゃあもう来ない?」
ノエは入口を見る。
外では、
あの子どもの二つの影が、
並んで市場の方へ歩いていた。
「……芋増量の日は来る」
ミナが笑った。
「そこは変わらないんだ」
二人は店を出た。
◆
店内。
誰も座っていない卓。
半分になった肉挟み。
一本減った芋。
空の冷茶。
店員が片づけようとして、
手を止めた。
盆の下に、
木札が一枚あった。
客 3
そのうち一つだけ、
文字が影で書かれていた。




