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12/20

第12話「日陰」


 午後六時十二分。


「腹減った」


 ノエは言った。


「朝からそれしか言ってないじゃん」


「朝から腹減ってたから」


「昼食べたでしょ」


「あれは昼の腹」


「何それ」


 ミナが笑った。


 二人は仕事帰りだった。


 今日も遅番。


 倉庫区画の荷下ろしが長引いた。


 最後の荷車に積まれていた南棟行きの肉箱が一つ多く、伝票を照合するだけで四十分も潰れた。


「家帰って作る?」


「嫌」


「即答」


「今日はもう焼き台見たくない」


「倉庫で焼き台なんか使わないでしょ」


「気分の話」


「じゃあ、ぱんでむ寄る?」


「行く」


 それも即答だった。


 二人は通りを曲がった。


 夕方の街は混んでいた。


 仕事を終えた人。


 市場から帰る人。


 学校帰りの子ども。


 荷車。


 露店。


 頭上を、巨大な影が横切った。


 一瞬だけ、


 街全体が暗くなる。


「涼しい」


 ノエが言った。


「あと三分くらい」


「もっとゆっくり飛んでくれないかな」


「そんなことしたら西門に着かないでしょ」


 空を見上げる。


 巨大な輸送獣が、城壁の上空を横切っていた。


 翼を広げれば、中央広場の半分ほどを覆う。


 腹側には無数の荷籠が吊られ、


 そのさらに下では、誘導灯を持った騎乗員が三人、飛行軌道を調整している。


 珍しい光景ではない。


 夕方になれば何頭も通る。


 街の住民にとっては、


 電車の音と同じくらい日常的だった。


 影が過ぎる。


 再び光が戻った。


「暑っ」


「だから夏嫌い」


 ノエは額の汗を拭いた。


 空には、


 二つの太陽があった。


 一つは西の城壁へ沈み始めている。


 もう一つは、まだ高い。


 夏は両方が長く残る。


 だから夕方でも暑い。


「今日、第二陽落ちるの何時?」


「七時半くらいじゃない?」


「長いな」


「冬になったら文句言うくせに」


「冬は寒い」


「知ってる」


 二人は歩いた。


     ◆


 ぱんでむは、


 市場区と倉庫区の境目にあった。


 石造りの三階建て。


 一階部分だけが大きく開かれていて、


 赤と黄色の布看板が垂れている。


 入口の上。


 黒い鉄板に、


万魔殿食堂 ぱんでむ


 と書かれていた。


「混んでるかな」


「時間微妙だし」


 二人は中を覗く。


「空いてる」


「勝ち」


 店へ入った。


「いらっしゃいませ」


 店員が声をかける。


 黒いワンピース。


 白いエプロン。


 胸元には小さな赤黄色の紋章。


 この街では少し変わった制服だったが、


 もう見慣れていた。


「二人です」


「お好きなお席へどうぞ」


「先に注文します」


「はい」


 二人は壁の札を見る。


 今日の献立。


 肉挟み焼き。


 倍肉挟み焼き。


 白魚揚げ挟み。


 芋揚げ。


 酸果汁。


 麦泡飲料。


 甘乳。


 その横に、


 本日の限定。


日陰肉挟み


「何これ」


 ノエが指差した。


「日陰?」


「限定だって」


「説明は?」


 二人で札を見る。


 小さな文字。


本日、第一陽直射時間六時間以上の肉のみ使用


「……何が違うの?」


「知らない」


「焼けてる?」


「肉が?」


「太陽二つあるし」


「牛がかわいそう」


「牛じゃないでしょ」


「あ、そっか」


 この地方で一般的に食べられている肉は、


 六本脚の草食獣だった。


 味は少し濃い。


 ノエは小さい頃から食べているので、


 特に気にしたことはなかった。


「私は普通のでいい」


 ミナが言う。


「俺、限定」


「挑戦するね」


「せっかくだし」


「昨日も限定食べてなかった?」


「あれは昨日限定」


「限定に弱すぎ」


 注文する。


「肉挟み焼き一つと、日陰肉挟み一つ。芋二つ」


「飲み物はいかがなさいますか?」


「酸果汁」


「私、冷茶」


「かしこまりました」


 店員が木札を二枚取る。


 注文内容を刻む。


 薄い金属針で表面をなぞると、


 文字が黒く浮かんだ。


「十四番でお呼びします」


 二人は札を受け取る。


「どうも」


     ◆


 窓際に座った。


 窓といっても、


 硝子はない。


 大きな開口部に細い鉄柵があるだけだ。


 風が入ってくる。


「ここ好き」


 ノエが言った。


「暑くない?」


「外よりマシ」


「その基準なら全部マシ」


 通りを人が歩いている。


 向かいの防具屋。


 その隣の薬屋。


 上空を小型の飛行獣が通る。


 その背中には配達箱。


「そういえばさ」


「うん」


「北区の昇降塔、また止まったらしいよ」


「また?」


「歯車一枚割れたって」


「昨日直したばっかじゃなかった?」


「別の歯車」


「もう全部替えた方が早くない?」


「予算ないんでしょ」


「徒歩で百七十段上がる人の身にもなってほしい」


「北区住んでないじゃん」


「友達いるから」


「歩けば」


「嫌」


 番号を呼ばれた。


「十四番のお客様」


「来た」


 二人で取りに行く。


 木の盆。


 紙に包まれた肉挟み。


 芋揚げ。


 飲み物。


「ありがとうございます」


 席へ戻る。


「いただきます」


「いただきます」


 ノエは包みを開いた。


「……」


「どう?」


「見た目普通」


「そりゃそうでしょ」


 丸い焼きパン。


 肉。


 葉野菜。


 白いソース。


 少し焼いた玉根。


 いつもの肉挟みと、


 ほとんど変わらない。


 一口食べる。


「……」


「どう?」


「普通」


「限定とは」


「いや」


 もう一口。


「ちょっと柔らかいかも」


「気のせいじゃない?」


「食べる?」


「一口だけ」


 交換する。


 ミナが食べる。


「……普通」


「だよね」


「でもおいしい」


「うん」


 二人は食べた。


 特別なことはなかった。


     ◆


 半分ほど食べた頃。


 また、


 街が暗くなった。


 巨大な輸送獣が通ったのだろう。


「あ」


 ノエは言った。


「涼しい」


「だから三分」


 影が、


 店の中へ入ってくる。


 入口から。


 窓から。


 壁を這うように、


 床へ伸びた。


 そして、


 ノエのテーブルまで届いた。


「……」


「どうしたの?」


「いや」


 ノエは食べかけの肉挟みを見る。


 一瞬、


 何かが変わった気がした。


「何?」


「これ」


「肉?」


「うん」


「変?」


「さっきより……」


 ノエは包みを少し開いた。


 肉。


 野菜。


 ソース。


 普通だった。


「何でもない」


「びっくりさせないでよ」


「悪い」


 もう一口食べる。


 その瞬間。


 影が抜けた。


 光が戻る。


「あつ」


 店内の誰かが言った。


 ノエも目を細める。


「本当に夏嫌い」


 ミナが冷茶を飲む。


 ノエは肉挟みを見た。


「……」


「また?」


「なんか」


「何」


「小さくなってない?」


「食べてるからでしょ」


「そうだけど」


「当たり前じゃん」


「いや、そうじゃなくて」


 見比べようとして、


 やめた。


 食べかけのものが、


 食べる前より小さい。


 普通だ。


「気のせいか」


「今日疲れてるね」


「たぶん」


 二人は食べ続けた。


     ◆


「ごちそうさま」


 ミナが最後の芋を食べた。


「腹いっぱい」


「私も」


 ノエは飲み物を飲み干す。


 木札を確認する。


 会計は先に済ませてある。


「帰る?」


「うん」


 二人で立つ。


 盆を返却口へ持っていく。


「ありがとうございました」


「どうも」


「またお越しください」


「はい」


 店を出る。


 外はまだ明るかった。


 第二陽が残っている。


「スーパー寄る?」


「明日の朝のパンない」


「じゃあ寄ろう」


 二人は歩き始めた。


     ◆


 市場でパンを買った。


 卵を買った。


 ミナが果物を見たいと言ったので、


 少しだけ遠回りした。


「これ安い」


「熟れすぎじゃない?」


「明日食べればいい」


「じゃあ買う?」


「二個だけ」


 会計をする。


 袋を持つ。


 家へ向かう。


 西の太陽はもう沈んでいた。


 第二陽も、


 城壁の向こうへ半分隠れている。


 街がようやく涼しくなり始めた。


「今日さ」


 ノエが言う。


「何?」


「限定のやつ」


「日陰?」


「うん」


「普通だったね」


「普通だった」


「もう頼まない?」


「いや、また食うかも」


「限定に弱い」


「おいしかったし」


「普通だったって言ってたじゃん」


「普通においしかった」


「便利だね、その言い方」


 二人は笑った。


 そのまま家へ帰った。


     ◆


 翌朝。


 ノエは目を覚ました。


 午前六時四十五分。


 第一陽はもう出ている。


 第二陽はまだ地平の下。


「眠い」


 隣ではミナがまだ寝ていた。


 起こさないように寝台から出る。


 顔を洗う。


 服を着る。


 昨日買ったパンを一つ取る。


 台所で食べる。


「……」


 何となく、


 昨日の肉挟みを思い出した。


 柔らかかった。


 味は普通。


 限定というほどではなかった。


「……」


 それだけだった。


 仕事へ行く。


     ◆


 倉庫へ着く。


「おはよう」


「おはよ」


 同僚の男が荷札を整理していた。


「昨日どこ行った?」


「ぱんでむ」


「また?」


「ミナと」


「いいな。何食った?」


「限定」


「日陰肉?」


「そう」


「どうだった?」


「普通」


「じゃあいいや」


「いや、おいしかったよ」


「どっちだよ」


 笑う。


 仕事が始まる。


 荷物を運ぶ。


 記録する。


 積む。


 降ろす。


 昼になる。


 昼食を食べる。


 午後になる。


 何も変わらない。


     ◆


 三日後。


 ノエはまた、


 ぱんでむの前を通った。


 一人だった。


 ミナは早番。


 自分だけ遅番。


「……食ってくか」


 店へ入る。


「いらっしゃいませ」


 壁の札を見る。


 日陰肉挟み。


 まだある。


「まだ限定なんだ」


「今週いっぱいの予定です」


 店員が答える。


「じゃあ、それ」


「かしこまりました」


 注文。


 受け取る。


 窓際へ座る。


 食べる。


「……うん」


 やっぱり普通だった。


 柔らかい。


 少し甘い。


 それだけ。


 半分食べる。


 そのとき、


 街が暗くなった。


 輸送獣。


 影が店内へ入ってくる。


「……」


 ノエは、


 今度こそ見た。


 手の中の肉挟み。


 影が触れた瞬間、


 一口も食べていないのに、


 欠けた。


「……え?」


 丸いパンの端。


 はっきりと、


 一口分。


 なくなっている。


 歯形のようなものまでついている。


「……」


 ノエは固まった。


 影が抜ける。


 光が戻る。


 欠けた部分も戻った。


「……は?」


 肉挟みを見る。


 普通。


 食べかけ。


 自分が食べた部分以外、


 欠けていない。


 ノエは周囲を見る。


 誰も騒いでいない。


 隣の席では老人が芋揚げを食べている。


 入口近くでは子どもが飲み物をこぼしている。


 店員が布を持って向かっている。


 普通の店内。


「……」


 ノエは、


 肉挟みを見る。


 食べる。


「……普通」


 もう一口。


 おいしい。


 少しだけ迷った。


 そして、


 残りも全部食べた。


     ◆


 帰り際。


「ありがとうございました」


 店員が言う。


 ノエは少し立ち止まった。


「あの」


「はい」


「これって」


 壁の限定札を指差す。


「日陰肉って、何で日陰なんです?」


「直射時間の規格です」


「それだけ?」


「はい」


「影に入ると何か変わったりします?」


 店員は少し考えた。


「味が落ち着くと言う方はいますね」


「味」


「はい」


「……そうですか」


「何かございましたか?」


「いや」


 ノエは首を振った。


「おいしかったです」


「ありがとうございます」


「また来ます」


「お待ちしております」


 外へ出る。


     ◆


 ちょうど、


 輸送獣が一頭、


 頭上を通った。


 街が暗くなる。


 ノエは何となく、


 ぱんでむを振り返った。


 建物全体が、


 巨大な影の中に入っている。


 赤と黄色の布看板。


 石壁。


 窓。


 客。


 店員。


 全部、


 いつも通りだった。


 ただ一つ。


 店の入口。


 誰もいない場所に、


 一人分の影だけが立っていた。


 ノエは目を細めた。


 影は、


 片手に何かを持っている。


 丸いもの。


 肉挟みのように見えた。


「……」


 輸送獣が通り過ぎる。


 光が戻る。


 そこには、


 何もなかった。


「……腹減ってたのかな」


 ノエは呟いた。


 誰のことなのか、


 自分でも分からなかった。


 そして市場の方へ歩き出した。


 明日の朝のパンを、


 また買い忘れていた。

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