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第10話「閉店後」


 午後十一時五十六分。


「すみません、まだ大丈夫ですか?」


 女が店の入口から顔を覗かせた。


「大丈夫ですよ」


 店員が答える。


「よかった」


 女は店へ入った。


 仕事帰りだった。


 今日は朝から何もかも遅れていた。


 電車が遅れた。


 会議が延びた。


 提出する資料に修正が入った。


 帰ろうとしたところで電話が来た。


 気づけば、こんな時間になっていた。


「店内で食べてもいいですか?」


「はい」


「閉店、何時でしたっけ」


「零時です」


 女は壁の時計を見た。


 午後十一時五十七分。


「あ」


「ごゆっくりどうぞ」


「すみません」


 女は苦笑した。


「ハンバーガーと、ポテトください」


「お飲み物はいかがなさいますか?」


「じゃあ、コーラで」


「かしこまりました」


 会計を済ませる。


 窓際の席へ座った。


 客は女一人だけだった。


 店内には音楽が流れている。


 厨房から小さな調理音が聞こえる。


 外では、終電を気にしているらしい人たちが足早に駅へ向かっている。


 女はスマートフォンを取り出した。


 午後十一時五十八分。


「……あと二分」


 少し申し訳なくなる。


 閉店間際に入ってくる客。


 自分が店員だったら嫌かもしれない。


 でも腹は減っていた。


「お待たせしました」


「あ、ありがとうございます」


 トレーが置かれる。


 ハンバーガー。


 ポテト。


 コーラ。


 どれも普通だった。


「いただきます」


 ハンバーガーを食べる。


「……おいしい」


 温かい。


 それだけで少し救われる。


 今日一日の出来事が、急にどうでもよくなってきた。


 ポテトを食べる。


 コーラを飲む。


 壁の時計を見る。


 午後十一時五十九分。


 女は少し急いだ。


 そして、


 秒針が十二を越えた。


 午前零時。


「……」


 何も起こらなかった。


 音楽は流れている。


 店員もいる。


 照明も消えない。


 女は少し安心した。


 当然だった。


 閉店時間になったからといって、食事中の客を放り出したりはしない。


 女は残りのハンバーガーを食べる。


 午前零時一分。


 ポテトを食べる。


 午前零時二分。


 コーラを飲む。


 午前零時三分。


「ごちそうさまでした」


 食べ終わった。


 女は立ち上がった。


「遅くなってすみません」


「いえ、大丈夫ですよ」


「ありがとうございました」


「ありがとうございました」


 トレーを返す。


 鞄を持つ。


 入口へ向かう。


 自動ドアの前に立つ。


 開かない。


「……?」


 もう一度近づく。


 開かない。


 女は少し下がって、また近づいた。


 やはり開かない。


「あの」


「はい?」


「ドア、開かないんですけど」


 店員がこちらを見る。


「少々お待ちください」


 カウンターから出てくる。


 ドアの前に立つ。


 開かない。


「あれ?」


 店員も首を傾げた。


「すみません。ちょっと確認しますね」


「はい」


 女は入口で待った。


 店員が何かを操作する。


 それでも開かない。


「故障ですか?」


「たぶん……」


 店員が言葉を止めた。


「?」


「いえ」


 もう一度、操作盤を見る。


「少々お待ちください」


「はい」


 女はスマートフォンを見る。


 午前零時四分。


 終電にはまだ間に合う。


 それほど焦る必要はない。


 店員が奥へ行く。


 女は店内に一人残された。


「……」


 静かだった。


 さっきまで流れていた音楽が、


 いつの間にか止まっている。


「……ん?」


 女は天井を見る。


 スピーカー。


 何も聞こえない。


 閉店したから止めたのだろう。


 それだけだ。


 窓の外を見る。


 駅前。


 人が歩いている。


 タクシーが通る。


 自転車が走る。


 いつもの夜だ。


 女は少し安心した。


 そのとき、


 違和感に気づいた。


「……?」


 駅前を歩いている男。


 スーツ姿。


 鞄を持っている。


 男が店の前を通る。


 女は何となく見ていた。


 男はそのまま右へ歩いていく。


 視界から消える。


 十秒ほどして、


 同じ男が、


 左から現れた。


「……」


 同じスーツ。


 同じ鞄。


 同じ歩き方。


 男は再び店の前を通り、


 右へ消えた。


 女は瞬きをした。


「似てる人……?」


 その十秒後。


 また左から現れた。


 同じ男だった。


 女は窓へ近づいた。


 男が歩いてくる。


 店の前を通る。


 右へ消える。


 そして、


 十秒後。


 左から現れる。


「……え?」


 女はスマートフォンを取り出した。


 カメラを起動する。


 動画を撮る。


 男が通る。


 右へ消える。


 十秒。


 左から現れる。


「何これ……」


 撮影を止める。


 動画を見る。


 男が歩いている。


 右へ消える。


 そして、


 左から現れる。


 ちゃんと映っている。


「……」


 女は店員を呼ぼうとした。


「あの、すみません」


 返事がない。


「すみません?」


 静かだった。


 女はカウンターへ向かった。


「店員さん?」


 誰もいない。


 厨房を見る。


 人影がない。


「……?」


 さっきまで店員はいた。


 奥へ確認に行っただけだ。


「すみませーん」


 返事はない。


 女は入口へ戻る。


 自動ドア。


 開かない。


 手で押してみる。


 動かない。


「ちょっと……」


 スマートフォンを見る。


 午前零時四分。


「……?」


 さっきも、


 零時四分だった。


 時計アプリを開く。


 午前零時四分。


 秒表示。


 十二秒。


 十三秒。


 十四秒。


 動いている。


 十五秒。


 十六秒。


 十七秒。


 女は見続ける。


 五十九秒。


 そして、


 午前零時四分〇〇秒。


「……え?」


 分が変わらない。


 秒だけが、


 一から数え直している。


 女は壁の時計を見る。


 長針は零時四分を示している。


 秒針だけが一周する。


 一周。


 また一周。


 もう一周。


「……いやいやいや」


 女は笑った。


 笑うしかなかった。


「何これ」


 窓の外を見る。


 スーツの男が通る。


 右へ消える。


 左から現れる。


「……」


 女は自動ドアを叩いた。


「すみません!」


 外を歩く人は反応しない。


「すみません!」


 強く叩く。


「ここ! 開かないんです!」


 誰も見ない。


 スーツの男が通る。


 女の目の前を通る。


 目が合わない。


「ねえ!」


 男は右へ消える。


 十秒後、


 左から現れる。


「……」


 女は後ずさった。


 店内を見る。


 照明。


 テーブル。


 椅子。


 メニュー。


 カウンター。


 厨房。


 全部ある。


 ただ、


 人だけがいない。


「店員さん!」


 返事はない。


 女はカウンターの奥を見る。


 そこにも誰もいなかった。


 そのとき、


 音がした。


 ピッ。


「……?」


 レジだった。


 誰も触っていない。


 画面に文字が表示されている。


 女は近づいた。


 注文画面ではなかった。


 白い文字が一行。


営業時間外です


「……知ってるよ」


 女は呟いた。


 画面が切り替わる。


現在、店内をご利用いただけません


「利用してるんだけど」


 さらに切り替わる。


営業時間内にご来店ください


「だから帰れないんだって」


 女は少し苛立った。


「ドア開けてよ」


 画面。


営業時間内にご来店ください


「開けて」


営業時間内にご来店ください


「開けて!」


 女がレジ台を叩いた。


 画面が消えた。


「……」


 数秒後。


 別の文字が表示された。


ご来店時刻を確認しています


「……」


 女は黙った。


 画面が変わる。


23:56


「そうだよ」


営業時間内です


「そう」


 次。


退店時刻を確認しています


 女は画面を見る。


 少し嫌な予感がした。


00:04


 そして、


営業時間外です


「……」


 画面が切り替わる。


矛盾を確認しました


「は?」


 店内の照明が、


 一度だけ瞬いた。


 女は息を止めた。


 レジ。


処理しています


「何を」


処理しています


「何を処理してるの」


 返事はない。


 その瞬間、


 自動ドアが開いた。


「!」


 女は走った。


 外へ出る。


 振り返らない。


 駅へ向かう。


 数十メートル走ったところで止まった。


「……はあ……」


 息を整える。


 振り返る。


 店はある。


 普通のハンバーガーショップ。


 照明は消えていた。


 閉店している。


「……」


 スマートフォンを見る。


 午前零時五分。


 時間が進んでいる。


「何だったの……」


 動画を確認する。


 さっき撮った映像。


 再生する。


 スーツの男が歩いている。


 右へ消える。


 十秒後、


 左から現れる。


 確かに映っている。


「……」


 女は動画を止めた。


 そして、


 あることに気づいた。


 動画の端。


 店内の窓ガラスに、


 撮影している自分が映っている。


 その後ろ。


 誰もいなかったはずの席に、


 一人、


 客が座っていた。


「……」


 女は拡大した。


 顔はよく見えない。


 ただ、


 ハンバーガーを食べている。


 普通に。


 ゆっくりと。


 動画の中でだけ。


「……誰?」


 次の瞬間。


 動画が停止した。


 画面に通知が出る。


ファイルを再生できません


「……」


 もう一度開く。


ファイルが存在しません


 動画は消えていた。


「……帰ろう」


 女は駅へ向かった。


 もう考えたくなかった。


 終電に乗る。


 家へ帰る。


 シャワーを浴びる。


 布団に入る。


 眠る。


 翌朝。


 目が覚めた。


 昨日のことを思い出す。


「夢じゃないよね……」


 スマートフォンを見る。


 動画はない。


 写真もない。


 ただ、


 決済履歴だけは残っていた。


 昨日。


 午後十一時五十七分。


 ハンバーガーショップ。


 金額も合っている。


「……」


 やっぱり行った。


 女は画面を閉じた。


 仕事へ行く準備をする。


 玄関を出る。


 駅へ向かう。


 いつもの朝だった。


 そして、


 昨日の店の前を通った。


「……」


 店は開いている。


 客がいる。


 店員がいる。


 普通の朝。


 女は少し迷ってから、


 店へ入った。


「いらっしゃいませ」


「あの」


「はい」


「昨日の夜、私ここにいましたよね?」


 店員が少し考える。


「昨日ですか?」


「閉店間際に入って、ハンバーガー食べて」


「……」


「零時過ぎまでいたと思うんですけど」


 店員は申し訳なさそうに首を傾げた。


「すみません。私は昨日、夜のシフトではなかったので」


「あ、そうですか」


「何かございましたか?」


「いえ……」


 女は店内を見る。


 窓際。


 昨日座っていた席。


 誰もいない。


「……大丈夫です」


「そうですか?」


「はい」


 女は店を出ようとした。


 そのとき、


 入口横に貼られた営業時間の表示が目に入った。


営業時間 7:00~24:00


 普通だ。


 昨日も見た。


 女はそのまま外へ出た。


 数歩歩く。


 足を止める。


「……?」


 もう一度振り返った。


 営業時間。


7:00~24:00


 その下。


 小さな文字。


 昨日はなかった。


※閉店後も店内にお客様が残っている場合、営業終了処理が完了するまで営業日は継続します。


「……」


 女は眉を寄せた。


 意味がよく分からない。


 そのさらに下。


 もっと小さな文字がある。


※営業日継続中の店内について、翌日は保証されません。


「……何それ」


 女はスマートフォンを出した。


 写真を撮ろうとする。


 カメラを向ける。


 営業時間の表示。


 画面の中には、


7:00~24:00


 それしか映っていなかった。


「……」


 スマートフォンを下ろす。


 肉眼では、


 注意書きがある。


 カメラでは、


 ない。


 女はしばらく立っていた。


 やがて、


「遅刻する」


 と言って駅へ向かった。


 それ以上は考えなかった。


 考えても仕方がない。


 仕事はある。


 電車は来る。


 今日も一日は始まる。


 店も普通に営業している。


 なら、


 それでいい。


 たぶん。


     ◆


 午後十一時五十九分。


 別の客が店内でハンバーガーを食べていた。


「閉店ですよね。すみません」


「大丈夫ですよ」


 店員が笑顔で答える。


「ごゆっくりどうぞ」


 客は安心して食事を続ける。


 壁の時計。


 秒針が進む。


 五十七。


 五十八。


 五十九。


 零。


 午前零時。


 自動ドアが、


 静かに施錠された。


 客は気づかない。


 ハンバーガーを食べている。


 その背後。


 誰も座っていないはずの席に、


 紙袋が一つ置かれていた。


 白い紙袋。


 赤と黄色の小さなロゴ。


 中身はない。


 底には、


 小さな文字が印刷されている。


またお待ちしております。


 そして、その下。


 さらに小さく、


 昨日まではなかった文字が増えていた。


保存:2


 午前零時四分。


 壁の時計が止まった。


 秒針だけが、


 もう一周を始めた。

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