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『White Cage――透明な献身――』  作者: 長谷川鈴凪
8 Hollow Anchor 空虚な碇

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51―内部監査

――S/F社自社ビル、上層階の特設レセプションホール。

天井のクリスタルシャンデリアが眩い光を放ち、最高級のジャズが流れる中、ドレスとタキシードに身を包んだ紳士淑女たちが、グラスを片手に談笑に興じている。

一見すれば、政財界のVIPを集めた華やかな社交パーティ。

だが、その実態は酷く歪なものだった。


──出席している客は全員、社長である城瀬和馬が仕込んだ自社の社員。

護衛対象は透也だった。透也はタキシードを着ている。

後ろに立つ隙のないスーツ姿の紗奈は、静かに神経を張り巡らせていた。


これは、TSOの能力を文字通り「根こそぎ剥ぎ取る」ために用意された、巨大な隠密監査の実験場だった。

「こちらノース。サウス側、机の下の不審物チェック完了。クリアです」

「こちらイースト。……不穏な動きをする個体、一体発見。バックヤードへ誘導します」

インカムから流れる澪や洸樹の冷静な声。

最初は、すべてが順調だった。いや、順調すぎるほどに彼らの連携は冴え渡っていた。

紛れ込んだ襲撃役の人間を、一般客(社員)に一切の動揺も与えないまま、流れるような所作で死角へと誘導し、音もなく制圧・排除していく。

これこそがTSOのプライドだった。


監査は最終局面に向かっていた。

──バックヤードへ続く静寂の回廊を澪を先導に透也と紗奈と続いて歩いている。

その時、横の廊下から出てきた男に透也は拘束された。

狭い廊下と死角だったことで、紗奈は咄嗟に出遅れた。

透也は冷静だった。

「動くな。声を上げれば、この喉笛を掻き切る」

襲撃者が凄む。

首筋に小型ナイフが押し当てられる。

その瞬間、チーフの喉元に煌めく金属の刃を見た紗奈の脳裏に、十一歳のあの冬の夜が強烈にフラッシュバックした。


透也の脳裏には、傲慢に歪んだ城瀬和馬の顔がよぎる。

父親は、紗奈がナイフという存在に対してどれほど異常な地雷(トラウマ)を抱えているかを知っていて、あえてこの最悪のシチュエーションを最後の引き金に選んだのだ。


「──っ、……ぅ、」

視界が歪む。世界からすべての音が消え去り、耳元で自分の激しい鼓動だけが鳴り響く。

酸素が上手く吸えない。

呼吸が急速に短くなり、指先ががたがたと小刻みに震えだした。

身体が金縛りにあったように動かなくなり、紗奈はその場に無様にしゃがみ込んでしまう。


(嘘だろ……紗奈が……!?)

完璧だったはずの「盾」の完全な機能停止。


この監査は失敗に終わる──最悪の予感が、その場にいる全員の背筋を襲った。

「落ち着け、これは訓練だ……! 紗奈!!」

すぐ横にいた洸樹が慌てて駆け寄り、彼女の耳元で必死に声をかける。

その大きな手が、パニックを起こした紗奈の肩を抱き寄せようとした。

だが、届かなかった。


(許さない)

激しい恐怖の波の底から、どす黒い感情がせり上がる。

透也を脅かす存在を、絶対に、生かしてはおかない。

紗奈はこの男の後ろにいる和馬の影を見ていた。

過呼吸に震えていた紗奈の瞳に、一瞬で底無しの「明確な殺意」が宿る。

彼女は黒パンツの上から左太もものホルスターのロックを外す、ナイフはそのまま紗奈の足首に落ちる。と同時に白いナイフを手にしていた。

「紗奈、待てっ……!」

静止しようとする洸樹の手を、紗奈はまるで生き物のような滑らかさですり抜けた。

狙いは、透也の喉元に刃を向けている男の眉間。

冷静な制圧などではない。

ただ相手を確実に「殲滅」するため、手首のスナップ一閃。

白い実弾が解き放たれようとした、その瞬間──


「──動くな、紗奈!!」

凄まじい衝撃と共に、紗奈の華奢な身体が床へと叩きつけられた。

背後から襲いかかった梶の重厚な肉体が、彼女の右腕を完璧にロックし、床に組み伏せる。

「放して……ッ! 梶さん、放してください!! あの男を殺す……ッ!!」

床に組み敷かれながら、紗奈は獣のような声を上げて暴れる。  

梶の拘束によって標的への道を断たれる。

透也はまだ拘束されている。

男の手には刃がある。

(だめ)

(届かない)

(護れない)

その事実だけが紗奈の思考を焼いた。

世界が静かになる。


──カチ、と。

冷たい音が鳴る。

紗奈は組み敷かれながら、右手の中のナイフを、反射的に自分の喉元へと突きつけたのだ。

「なっ──!?」

洸樹が息を呑み、梶の身体が強張る。

主を護れないなら、自分に生きている価値などない。

剥き出しの心中志願。

白い刃が、彼女の薄い皮膚をかすかに押し込む。

その絶対的な死線で。


「──紗奈、やめるんだ」


低く、一切の揺らぎを排した声が、回廊に静かに響き渡った。

透也の命令。

「……っ、」


その声が鼓膜に届いた瞬間、紗奈の全身から、あれほど猛り狂っていた殺気と力が嘘のように霧散した。

突き立てられる寸前だった白いナイフが、床へとしなやかにこぼれ落ち、虚しい軽い音を立てて転がる。過呼吸に震えていた瞳からすうっと狂気が引き、凶暴な獣が、唯一従う声によって鎮圧された。

紗奈は、床に額を伏せてじっと動かなくなった。


刃は、彼女の白い肌を一枚も割ることはなかった。

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