49―綻び
――統括チーフ室
紗奈は後ろ手にして立ち、書類に目を落としている透也とデスクを挟んで対峙していた。
「透也、私アメリカに行ってもっと護衛の実戦を積みたい」
紗奈は透也の顔をあえて見た。
「だから高校を卒業したら行ってもいい?そうしたらもっとあなたの役に立てると思う」
「アメリカには行かせないと言ったはずだ」
透也は書類から一度だけ目を上げて紗奈を見ると、また視線を戻した。これ以上この話題はしたくないとでもいうふうに。
「……私を本当に壊したいの?」
吐き捨てるようにそれは勝手に紗奈の口から出た。
「どういう意味だ」
唸るような低い声だった。
紗奈は答えない。
答えれば、本当に透也を殺したくなりそうだった。
重い沈黙が落ちる。
空調の音だけが微かに空間を支配していた。
紗奈はTSOの医務室にいた。
「どうした?眠れていないのかい」
薫がコーヒーカップを片手にカルテへ目を落としたまま尋ねる。
ソファに寝転んでいた紗奈は天井を見上げた。
「ねえ」
「うん?」
「透也が結婚したら、私はどうしたらいいと思う?」
薫の手が止まった。
数秒遅れて、静かにカップを机へ置く。
「まだ決まった話じゃないだろう」
「でも、いつかはするでしょ」
紗奈は腕で目元を隠した。
「そうなったら私は城瀬家を出る」
まるで当然の未来を確認するような口調だった。
「紗奈」
「だから考えてるの」
腕を下ろす。
「次は誰のところへ行けばいいのかなって」
薫は眉をひそめた。
その発想自体がおかしい。
だが紗奈は本気だった。
「レイはアメリカだし」
「透也は結婚するし」
「だから」
少し考える。
そして。
「次はあなたが私の主になってくれない?」
医務室の空気が止まる。
薫は深く息を吐いた。
「なれない」
即答だった。
「どうして?」
「私は君の主じゃない」
薫は椅子から立ち上がる。
「君の主治医だから」
紗奈は少しだけ視線を逸らした。
まるで答え合わせに失敗した子供のように。
「……冷たいのね」
紗奈は身体を起こした。
「違うよ」
薫は静かに言う。
「君は勘違いしている」
「何を?」
「誰かの所有物にならないと生きられないと思っていることをだ」
紗奈は黙った。
その沈黙だけで十分だった。
薫が椅子から立ち上がり紗奈の前に立つ。
「透也じゃなければ私でもいい」
「私じゃなければ別の誰かでもいい」
「そんな話じゃないだろう」
紗奈の指先がわずかに震える。
「……私に魅力がないから?」
紗奈は薫の白衣の下にあるネクタイを引っ張り、自分に近づかせる。
薫が咄嗟にソファの背もたれに手をつく。唇が触れそうな距離。
「違う」
短く答える。
長い沈黙。
紗奈はネクタイを引っ張っていた力を抜く。
やがて紗奈は視線を逸らした。
「……冗談よ」
その声だけが、少し寂しそうだった。




