46―歪み
私邸のトレーニング室。
紗奈は模擬ナイフを手に梶の前に立った。
その瞬間、少女の輪郭が揺らぎ、鋭利な刃物のような殺気が空間を支配した。
――獣の気配
梶は反射的に唾を呑み込んだ。一年前の、荒削りで無謀な突撃とは何もかもが違う。
目の前の少女は、もう少女の動きではなかった。
無駄がない。
迷いがない。
そして、容赦がない。
一歩踏み込むたびに、梶の反応は一拍遅れる。
「……おいおい、すごいな」
模擬ナイフが喉元で止まる。
次の瞬間、梶の手が空を切った。
「もういい」
透也の声。
静かすぎて、逆に重い。
梶は息を吐く。
「今のは……テストか?」
透也は答えない。ただ視線だけを紗奈に向ける。
「合格だ」
梶が眉をひそめる。
「合格って……何のだ」
透也はようやく言う。
「紗奈を、私の護衛につける」
「……正気ですか?」
梶の声が一段上がる。
「彼女はまだ十六ですよ」
「それにTSOは、彼女を守るための場所じゃなかったんですか」
透也は一瞬だけ黙る。
そして低く言う。
「守るだけでは足りない」
――S/F社、最上階の重役会議室
定例の役員会議が始まろうとしていた。
重厚な扉が開かれ、一人の少女が入室した時、室内を支配していた冷え切った空気が一瞬で凍りついた。
透也のすぐ後ろ、半歩下がった位置。
そこに立っていたのは、一年前に姿を消したはずの紗奈だった。完璧に仕立てられたスーツ、洗練された所作、そして何より、周囲の人間を無意識に威圧する「死の匂い」。
彼女は透也のTSOのSF(Security Force)として、父・和馬の前に立っていた。
透也は、父の不快感に満ちた視線を真っ向から受け流しながら、内心で激しい自嘲の笑みを浮かべた。
自分は、ずっとやりたかったのだ。
この城瀬という巨大な泥沼の中に、紗奈を連れ出すこと。
和馬という呪縛の前に、自分の庇護下にある彼女を堂々と立たせること。
それを、レイモンドは嘲笑うようにやってのけたのだった。




