42―恐怖の奥底
書斎の扉が、音もなく開いた。
そこに立っていたのは、スーツ姿の長身の男だった。
「これが、ミスター城瀬が言っていた懸案か」
低い声が、部屋の空気を一段だけ重くする。
床に座って本を読んでいた紗奈は、その瞬間、身体の輪郭が固まるのを感じた。
動けない。
「どけ」
短い命令。
その直後、透也が紗奈のそばに踏み込む。
迷いのない動きで、肩を抱き寄せる。
「……お前、それで守っているつもりか?」
レイモンドの視線は、抱き寄せた構図そのものを見ていた。
透也は一度だけ息を吐く。
「これからはTSOが守る」
「そういう話ではない」
レイモンドはわずかに目を細める。
そして、紗奈を見る。
その指先は、小さく握り込まれていた。
恐怖でも拒絶でもない。
“耐えている形”だった。
(……なるほど)
レイモンドの口元が、ほんの僅かに動く。
「牙を持っているな」
その言葉に、紗奈の視線がゆっくりと上がる。
渇望に似た、静かな目。
レイモンドはそこで初めて確信する。
この少女は守られているのではない。
「……面白いな」
空気がわずかに変わる。
透也の手に、ほんの一瞬だけ力が入る。
別の日。
レイモンドは、わざわざ透也の私邸まで足を運んでいた。紗奈のトレーニング風景を見るためだけに。
梶と紗奈の組み手は、もはや訓練と呼ぶには不格好だった。
体格差、経験差、すべてがそのまま露出した取っ組み合い。
それでも紗奈の目だけは、異様なほど静かだった。
レイモンドは一人の部下に短く指示を出す。
運ばれてきたアタッシュケースが開かれる。
中にあったのは、工芸品のように研ぎ澄まされたタクティカルナイフだった。
紗奈の視線が、そこに固定される。
一瞬で呼吸が浅くなる。
梶が間に入るように一歩踏み出す。
視界を遮る形で紗奈の前に立つ。
「何をする気ですか。彼女にとってそれは——」
「危険?」
レイモンドが言葉を切る。
視線はナイフではなく梶に向いていた。
「お前なら扱えるだろう」
静かな断定。
命令でも提案でもない、既定事項の口調。
梶の表情がわずかに硬くなる。
「彼女にそれを教えるつもりなら、私は止めます」
レイモンドは初めて梶の目を見た。
「止める理由は?」
沈黙。
そしてレイモンドは、紗奈を見る。
「教えろ」
短い一言。
「生かすためだ」
空気が一段、落ちる。
梶の声が低くなる。梶は拳を握り締める。
「それは教育じゃない。殲滅技術だ」
レイモンドはわずかに首を傾ける。
「だから何だ」
「そんなもの、城瀬チーフが許すはずがない」
レイモンドの視線が、静かに梶へ戻る。
「彼女はもう選んでいる」
その言葉のあと、室内の温度が止まる。
紗奈がアタッシュケースの中の冷たい光を見つめ、無意識に呼吸を止める。
紗奈がその刃に手を伸ばした。
誰も止めなかった。
そして、十五歳になった紗奈は梶の技術をものにしてアメリカに渡った。




