30―技量テスト②
訓練は次のフェーズへ移行する。
『要人警護』
対象を死守し、状況に応じ最適な対処をしながら指定地点へ送り届ける。
先ほどまでの殺戮の狂気が嘘のように、紗奈の動きは機械的に、かつ極めて正確に推移していった。
無駄な動作は一切なく、ただ目的を遂行するだけの存在。
その切り替わりの早さが、洸樹には先ほどよりも酷く不気味に映る。
先回りしてのルート確保。
不審物の対処。
順調にポイントを通過していく。
指定地点が視界に入った時、仮想敵が対象を囲むように現れる。
武装した人間が、3人。
「紗奈、9時の方向一人頼む」
洸樹の声と同時に、紗奈はすでに警棒を抜いていた。
迷いはない。
見学室の透也は、その光景を無言で見下ろしている。
透也を守るための「盾」であるはずの彼女が、今や誰かを守るための「盾」として機能している。その皮肉な構図を眺める透也の喉が、わずかに鳴った。
「――っ」
洸樹はこの訓練の目的を悟る。
これは退避が優先だ。
ナイフを手にした男が一人。残りの二人も何を出すか分からない。
相手の武力差を考えれば制圧は不可能だ。
「紗奈、下がれ。対象を退避させる」
洸樹はインカムで命令する。だが、紗奈は止まらない。
「分かった。……洸樹は下がって」
洸樹は舌打ちをする。
だが、戻っている余裕はない。
戻れば任務失敗だ。
紗奈は、迷いなく9時の方向の敵へ踏み込んでいく。
洸樹が対象を抱えて退避した直後、紗奈は一瞬で数に圧倒されていた。
いくら彼女の殺意が卓越していても、三方向からの同時制圧には抗えない。
一人が彼女の足を払い、崩れ落ちた隙に、もう一人が背後から強引に腕をねじ上げ地面に伏せさせる。
砂埃が舞う。
「ぐっ……!」
「サナ、チェックメイトよ」
レセプションで声を掛けてきた女性エージェントだった。
紗奈は一瞬の隙を突き、左太もものホルスターから模擬ナイフを抜く。迷いなく、上に乗った敵の頸動脈——その急所に冷たい刃先を押し当てた。
「……無効化」
エージェントは、大人しく拘束を解く。
紗奈はそのまま砂の上で立ち上がった。
ふらつくこともない。呼吸すらも乱れていない。
だがすぐに紗奈は、背後に別の敵に回り込まれ、反転したナイフが紗奈の首元に突きつけられる。
本来ならば、ここで彼女は「無効化」され、訓練は終了するはずだった。
(もういい……)
だが、紗奈は止まらなかった。
彼女は喉元に突きつけられた刃から逃げるのではなく、むしろその刃を自分の皮膚へと深く、深く押し付けるように首を傾けた。
訓練用の刃にもかかわらず、紗奈の柔らかな皮膚を食い破る。
「……っ!?」
背後の敵が、その狂気的な挙動にたじろぎ、一瞬だけ手が緩む。
紗奈は自分の首がかき切られるかのような勢いで、そのまま訓練場の砂の上へと崩れ落ちた。
見学室の空気は、完全に凍りついた。
透也は手すりを掴む指が白く変色するほど、血の通わない形相でその光景を見下ろしていた。
レイモンドだけは、動かない。
倒れ伏した紗奈の首元から滲む赤色を、彼はただ冷徹に、計算された審美眼で眺めている。
訓練場には、紗奈の荒い呼吸だけが、遠くから聞こえていた。
紗奈は訓練場の天井に吊るされた、剥き出しのライトを見上げていた。
白く、刺すような光。それが網膜を焼き、意識を遠ざけていく。
不意に、その眩しさが一つの影で遮られた。
視界の端に、均整のとれた無機質な輪郭が浮かび上がる。
レイモンドはしゃがみ込んだ。
首元を流れる赤を一瞥する。
表情は変わらない。
「……何をしている」
紗奈は答えない。
「勝てないなら下がればいい」
静かな声だった。
責めてもいない。
慰めてもいない。
ただ事実だけを置く。
「それとも」
レイモンドは細く目を眇める。
「死ぬつもりだったのか?」
紗奈は目を閉じた。
だが、レイモンドは紗奈に命令する。
「立て」
紗奈は立ち上がった。
その直後。
訓練場の扉が乱暴に開いた。




