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『White Cage――透明な献身――』  作者: 長谷川鈴凪
1 First Cage 最初の檻

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2―37階の密室

 黒いセダンは都市の喧騒を切り裂くように走り抜け、一等地にそびえる巨塔へ吸い込まれていった。地下ロータリーへ滑り込むと、防音シャッターが静かに閉じる。

紗奈はドアを開けて降車し、セキュリティゲートを抜けてTSO専用エレベーターへ向かう。非接触パネルに触れると、「37」の数字が淡く点灯した。

エレベーター内の鏡に一瞬だけ視線を落とす。乱れのないポニーテール、締められた黒いネクタイ、そして黒いスーツ。


三十七階──『最高執行責任者直轄・TSO』


 扉が開くと、両面開きのガラス扉の向こうに静寂が支配するフロアが広がっていた。深いチャコールグレーの絨毯が音を吸い、黒漆調の壁面が光を鈍く返す。奥のマルチモニターだけが冷たい光を放っている。

「お疲れ様です、紗奈さん。資料はこちらに」

秘書の深見裕貴(ふかみゆうき)がタブレットを差し出す。整理された所作に無駄がない。

「ありがとうございます」

受け取りながら、紗奈の視線は自然と奥の重厚な扉へ向かう。


『総括チーフ室』

その向こう側。都市を見下ろす窓際で、黒の三つ揃えを纏った男がモニターを見ているはずだ。

──城瀬透也、二十七歳。

かつて少女に「王子様」と呼ばれた青年は、今この組織を統べる存在になっていた。

ノックの音が響く。

「──入れ」

低い声とともにロックが解除される。

扉を開けた瞬間、紗奈の胸がわずかに跳ねた。

透也の視線が一瞬だけ彼女に向く。何かを思い出しかけ、すぐに押し戻すような揺らぎ。

紗奈はそれを見なかったことにして一礼する。


「戻りました、城瀬チーフ」

「おかえり、紗奈」

低く落ち着いた声。支配ではなく、重力のような圧。

「ただいま、透也」

紗奈の声は、学校のそれとは違う。抑えられた、近い距離の音。

透也は背もたれに身を預け、彼女を見た。

「学校はどうだった。退屈だったか?」

「いつもと同じ。ここに来るための義務……」

短い答えに、部屋の空気が少しだけ沈む。

紗奈はデスクの横を抜け、迷いなく肘掛け椅子に手をかけた。静かに回転させる。

軋みの音が妙に響く。

向き合った透也は逃げない。ただ頬杖をつき、わずかに笑う。距離が縮まるのに、理由はなかった。

家族でもなく、上司でもなく、ただ“ここだけの関係”。

そしてそのまま、唇が触れる。

驚くほど静かで、冷たい。

熱でも恋でもない。ただ確認のような接触。


「……味がするわ」

甘苦い後味。紗奈は机の上にある琥珀色のクリスタルグラスをちらりと見た。

「さあな」

短いやり取りのあと、二人の間に沈黙が戻る。夜景がガラス越しに滲む。

「今日は一緒に帰れる?」

「二十一時には終わる。下で待て」

「わかった」

淡々としたやり取りのあと、紗奈は背を向ける。

「冷めたディナーは嫌いでしょ」

「あぁ」

わずかな笑み。

それは指揮官でも男でもなく、共犯者の顔だった。


「……さっき、一瞬だけ」

透也が呟く。

「何?」

「いや。昔と重なっただけだ」

「──あの時の、選択と」

紗奈は振り返らず、扉へ向かう。


ガラスの向こうの夜景だけが、静かに二人を見下ろしていた。

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