25-台風の目
透也がいつもと変わらぬ足取りでTSOのオフィスへ足を踏み入れると、秘書の深見が待ち構えていた。常に冷静沈着な男が珍しく緊張を滲ませている。
透也は眉をひそめた。
「何かあったのか」
「イージス・グレインフォード社から合同研修の打診が来ておりました」
――イージス・グレインフォード社。アメリカを拠点とする要人警護の精鋭組織。TSOの設立時に尽力した代表のレイモンドは、透也にとってビジネスパートナーであり、唯一無二の友人でもある。
深見から送られてきた資料を一瞥し、透也はチーフ室の扉を閉ざす。秘匿回線からアメリカのレイモンドに電話をかけた。
「やぁ、透也。久しぶりだな」
電話口からは軽やかで優雅な日本語だ。透也より五歳年上の一代でイージス社を立ち上げた実業家。
S/F社のような大企業ではないが、実践主義のアメリカにおいてその実力は本物だった。
「そうだな。研修がしたいって?」
「顔が見たくなってね」
「誰のだ」
「君のだよ」
「帰れ」
透也は即座に切り捨てた。
「まだ行ってもいない」
レイモンドはクスクスと笑う。
「紗奈にも会いたいしな」
「……紗奈は忙しい」
透也は心底嫌そうに言う。
「断るのは構わない。だが、役員会は承認したぞ」
ぷつり、と通話が切れた。
深見が書類を届けに入ってきた際、透也は受話器を握ったまま微動だにしていなかった。
「チーフ、お電話どなただったんですか?」
「友人だ」
「……チーフにも、そのような存在がいらしたんですね」
「……まあな」
日が暮れた頃扉が開き、紗奈が入ってきた。
「ただいま戻りました。城瀬チーフ」
一寸の隙もなく黒いスーツを着こなした、完璧な盾の姿だった。
「紗奈、こっちへ来い」
紗奈は言われるまま、革張りの椅子に座った透也の足の間に座ると、下から透也を仰ぎ見た。
腕の中に収まる体温が、妙に現実的だった。
顔をそらしたまま、声が裏返らぬよう細心の注意を払って言う。
「近いうちに客が来る。イージス社からだ。……お前も同行する」
「レイも来る?」
紗奈の声に僅かな期待が混ざる。
透也はデスクの端のペーパーウェイトを握りしめた。
「あぁ、そのようだ」
低く絞り出したような声色は、部屋の温度が下がる。
紗奈はデスクの上の電話に視線を滑らせた。
「……レイがまた何か言った?」
紗奈の身体に添えられた腕に力が入る。それはどこにも行かせないという身体の反応か。
「お前はどうなんだ。もう一度あいつの下に行きたいのか?」
「……わからない。あなたが望むならそうする」
透也の喉が鳴った。
答えになっていない。
それでも紗奈には、それが答えだと分かっていた。
紗奈は見上げると、透也の唇にそっと触れた。
確認するような、短い接触だった。
そのまま、微かに笑った。
キスのあと、どちらも言葉を発さなかった。透也は紗奈を腕の中に置いたまま視線を外す。
紗奈はただ、そこにいた。




