表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『White Cage――透明な献身――』  作者: 長谷川鈴凪
4 Fractured Silence 壊れた静寂

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

25/45

24-普通の時間

紗奈は次の日学校を休んだ―― 


 華がホテルのショーケースの前で足を止めたのは、ただの偶然だった。ガラスケースの中に並ぶケーキを、ひとりの少女がじっと見つめている。


生成りのワンピース。

肩まで落ちた黒髪。

細い背中。

その横顔を見た瞬間、華は思わず立ち止まった。

「……紗奈ちゃん?」

少女がゆっくり振り返る。

その瞳を見た瞬間、華は言葉を失った。

驚いたみたいに肩を強張らせ、逃げ道を探すみたいに視線が揺れる。


現場の紗奈には、絶対にない反応だった。似ている。

顔も、声も、仕草も。

なのに別人みたいだった。


「……あ」

少女は小さく目を伏せる。店員から紙袋を受け取り、そのまま立ち去ろうとする。

華は思わず笑った。

「ごめんなさい。人違いだったみたい」

そう言いながらも、胸の奥の違和感が消えない。むしろ、声を聞いたことで、余計に確信に近づいていく。


――紗奈ちゃんだ。

なのに、自分の知っている紗奈じゃない。

少女は小さく会釈すると、足早に歩き出す。華は反射的にその背中を追った。

「華!?」

後方でマネージャーが慌てた声を上げる。

だが華は止まらない。

(確かめたい)

もし本当に紗奈なら。

あの異様な少女なら。

(これがあの子なら、触れることすらできないはず)


華がその腕へ手を伸ばした瞬間だった。

黒い影が、一瞬で間に割り込む。

透也だった。


彼は少女を背後へ庇うように立ち、華の手を遮る。

その動きは自然すぎて、華は一瞬、自分が何をされたのか理解できなかった。

「高月様?」

透也にぶつかった拍子に、少女の手から紙袋が落ちる。

中のケーキが崩れる鈍い音。少女は目を見開き、小さく息を呑んだ。

「あ……」

その声は、現場で聞く紗奈の声よりずっと幼かった。

「華!?何してるの、ごめんなさい!」

追いついたマネージャーが青ざめながら頭を下げる。

少女は困ったように微笑み、首を横に振った。

しゃがみ込み、崩れた箱を拾い上げる。

再び小さく会釈すると、去っていく。


透也はその背中を見送っていた。

追いかけない。

呼び止めもしない。

ただ、他人の視線から隠し終えたことを確認するみたいに、静かに立っている。


華はその横顔を見た。

そして、初めて理解する。

――この人、誰かを愛しているんじゃない。閉じ込めているんだ。


 本日の警護業務を終え、透也がホテルの部屋へ戻る。

部屋は暗かった。

ベッドの傍らのデスクには、さっき落としたケーキの箱が開いたまま置かれている。


崩れたクリーム。

潰れたチョコレートの花。


その横で、紗奈はワンピース姿のままベッドに横になっていた。掛け布団には入っていない。

ただ静かに、背を向けて目を閉じている。


透也は小さな箱をテーブルへ置いた。

「紗奈、ケーキを買ってきた」

ちょうどそのタイミングでルームサービスが届く。

紅茶の香りが、静かな部屋に広がった。


紗奈はゆっくり身体を起こし、透也と向かい合うようにソファへ座る。

テーブルの上には、小さなチョコレートの花が添えられたケーキ。

紗奈は何も言わず、フォークを取る。

カップに注がれた紅茶からは穏やかな湯気がたっている。


静かに一口食べた。

紗奈にとっては今日初めて口にする食事だった。

透也はネクタイを緩め、ジャケットを脱ぎながら、その姿を見つめていた。

この時間だけだった。

外では決して存在できない時間。


VIPと護衛。

上司と部下。

兄と妹。


その境界が、ほんの少しだけ曖昧になる密室。

紗奈はもう、ホテルのショーケースの前にいた少女の顔をしていなかった。けれど透也には、あの時の彼女が焼き付いて離れない。

ケーキを見つめていた、年相応の少女。触れれば壊れそうなほど柔らかかった横顔。


透也は不意に立ち上がると、そのままバスルームへ入った。

洗面台に両手をつく。鏡を見ることができない。

静かな呼吸だけが、狭い空間に響く。

そして、堪えきれないように目を閉じた。


控えめなノックの音がした。

扉越しに、紗奈の声が聞こえる。

「明日からは、ちゃんとあなたの盾に戻るから」

透也は息を止めた。

その言葉には感情がなかった。


慰めでも、甘えでもない。

ただ、自分自身を再び“道具”へ戻そうとする、静かな決意だけがあった。

透也は額を冷たい陶器へ押し当てる。

彼が欲しかったのは、こんな従順ではない。命令に完璧に応える盾でもない。


ただ、自分だけを見て笑っていた、あの頃の紗奈だったはずなのに。

なのに今、彼女は自分から「完成された道具」になろうとしている。それが透也には、何より残酷だった。


(……俺が、お前をこうしたのか)

蛇口をひねる。

冷水が肌を打つ。

透也はゆっくり呼吸を整え、再び“チーフ”の顔を被った。


 部屋へ戻ると、テーブルの上には、食べ終えた皿だけが残されていた。

紗奈はまた背を向けて横になっている。透也はベッドサイドへ立ち、その背中を見下ろした。

眠っていないことくらい、分かっている。けれど彼女は振り返らない。


透也は一瞬だけ、その髪へ触れようとした。だが指先は空中で止まり、そのまま静かに下ろされる。

触れれば、彼女はまた“盾”として微笑む。それが耐えられなかった。

「……明日は七時だ」

紗奈は小さく頷く。

それだけ。

透也は窓辺へ歩き、夜景を見下ろした。


 華はまだ何も知らない。

自分が見た“普通の少女”が、どれほど歪な場所へ戻っていったのかを。

そして透也自身もまた、その歪みの中心に立ちながら、もう引き返せなくなっていることを。


(第四幕――完)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ