23-好奇の目
食事が終わると、華と透也は最上階のバーへ消えていった。紗奈は入口の外で、護衛として立っていた。
ホテルの照明の下では、ペールピンクのニットワンピースはあまりにも場違いだった。
柔らかく、軽く、無防備すぎる。
「え、未成年?じゃあ駄目か」
酔った男が笑いながら距離を詰めてくる。紗奈は視線だけを向けた。それだけで、男は気まずそうに笑って離れていく。追い払ったというより、向こうが勝手に温度差に怯えたような去り方だった。
紗奈は再び視線を外へ戻す。
ガラス窓の向こうで、都会の光が滲んでいた。
人がいて、音があって、笑い声がある。なのに自分だけが、そこから切り離されている気がする。
透也も今はバーの中だ。華と並んで、きっと完璧な顔で笑っている。
その光景を想像した瞬間、胸の奥が静かに冷えていく。
(……今ここで消えても)
そこまで考えたところで、冷たい空気が喉を掠めた。
(誰も私を探しには来ない……)
小さなくしゃみが漏れる。あまりにも無防備な音だった。
その直後、背後から重い温度が落ちてくる。
肩に、ジャケットが掛けられた。
沈香の匂い。
「待たせたな」
低い声が、すぐ後ろで響く。紗奈の指先が、無意識にスーツの袖を掴む。
透也は何も言わない。
寒いとも、中へ入れとも言わない。ただ当然みたいに、そこに立っている。
紗奈は俯いたまま、ゆっくり息を吸った。
透也の匂いが肺に入る。
その瞬間だけ、輪郭が戻る。
消えかけていた世界が、無理やり現実へ引き戻される。
――見つかった。
そう思った。
世界中が自分を見失っても、この男だけは見つけてしまう。
逃がさない。
見落とさない。
紗奈は目を閉じる。
それが救いなのか呪いなのか、もう分からなかった。
華を部屋まで送り届けたあと、紗奈は透也の部屋へ入った。
扉が閉まる。
次の瞬間、紗奈は透也へ抱きついていた。
シャツを掴む指に、異様なほど力が入っている。透也の身体がわずかに止まる。
「……どうした」
紗奈は答えない。ただ、彼の背中に腕を回したまま、さらに強く布を握る。
「私を外にさらさないで」
低い声だった。
「どうして分かってくれないの。私は誰の目にも触れたくない」
透也はしばらく何も言わなかった。部屋には空調の音だけが流れている。
やがて、透也の手がゆっくり紗奈の背に触れた。
「……誰に見られた」
「みんな」
即答だった。
「華さんも、バーの人も、ホテルの人も」
紗奈は顔を上げない。
「見てるのは私じゃない。あなたの隣にいる“何か”を見てる」
透也の視線がわずかに落ちる。紗奈の肩はまだ小さく強張っていた。
「……お前が目立つ格好をしていたからだ」
「あなたが許したんでしょう」
静かな返答だった。
責めているというより、事実確認みたいな声音。
透也は否定しない。紗奈はゆっくり息を吐く。
「カフェでも見られた」
「……華か」
「違う」
そこで初めて、紗奈が少しだけ透也を見上げる。
「華さんは、覗こうとしてくる」
その言葉に、透也の目がわずかに細くなる。紗奈は続けた。
「私を普通の女の子みたいに扱う」
吐き出す声は、嫌悪と恐怖が混ざっていた。
「そんなものじゃないのに」
沈黙。
透也はゆっくりと紗奈の頬へ触れる。冷えきっていた。
「……今日、お前が余計なことを言ったからだ」
「余計?」
「ああ」
透也の指が、彼女の髪を梳く。
「迎えに来てくれる人、だったか」
紗奈の睫毛がわずかに揺れる。
「華はああいう言葉を忘れない」
「……失敗した?」
「いや」
透也は低く言った。
「お前は上手くやりすぎた」
その瞬間、紗奈の呼吸が少しだけ乱れる。
透也は彼女を抱き寄せた。スーツの匂いが落ちてくる。
紗奈は抵抗しない。むしろ、そこへ沈み込むみたいに目を閉じた。
「……嫌」
小さな声だった。
「誰にも見られたくない」
透也は彼女の頭へ手を置く。
「なら、俺の背中から離れるな」
その言葉に、紗奈の指先がまたシャツを掴む。
まるで、溺れる人間みたいに。




