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『White Cage――透明な献身――』  作者: 長谷川鈴凪
4 Fractured Silence 壊れた静寂

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22/45

21―直感

 華が撮影スタジオからホテルへ向かうため、裏口から車に乗り込もうとした瞬間だった。

「……ッ!」

監視の隙間を縫うように、男がセキュリティラインを突破する。

咆哮に近い足音。

洸樹が即座に反応した。

「左だ!」

飛び込んできた男を、洸樹がショルダータックルで弾き飛ばす。だがそれは本命ではない。

視界が一瞬切れたその隙に、もう一人の男が死角から華へ突っ込む。


その瞬間、空気が変わった。

華の悲鳴は、発生しなかった。

「――」

音より速く、その軌道に割り込む影。


紗奈。

彼女は抜刀のように警棒を抜き、振るうことなく止めた。

喉元へ。

たった数センチの距離で金属を固定する。

そこにあったのは“技術”ではない。

判断の消失すら許さない、純度の高い制圧意志だった。


男の動きが止まる。呼吸すら切れる。

視線が交差した瞬間、男の中で何かが壊れる。

動けば死ぬ。それだけが理解として残る。

「……動かないで」

紗奈の声は低く、淡い。


「死にたいの?」

その一言で、男の膝が落ちた。崩れるように、その場に力が抜ける。

数秒。それだけで状況は終わっていた。

洸樹が周囲を見回し、短く吐き捨てる。

「……速すぎるだろ」


「下がれ」

透也の声が落ちる。男は弾かれたように後退し、群衆へ紛れていく。

残ったのは、制圧された静寂だけだった。


 紗奈は何事もなかったように警棒を収める。呼吸も乱れない。ただ透也の後ろの位置へ戻る。

その一連を見て、透也はわずかに目を細めた。

そして自然な動作のように、紗奈の肩へ手を置く。

「よくやった」

その声は称賛にも、確認にも聞こえる。

「その判断は、お前のものだ」


一息置いて、低く続ける。

「……そして、俺の隣でだけ使え」

紗奈は小さく目を伏せる。それを拒絶とも肯定とも取れない、静かな動作。

ただそこにあるのは“従属”ではなく、選別だった。


 車内は静かだった。

エンジンの低い振動だけが、会話の間を埋めている。華は窓の外を見ながら、さっきの光景を反芻していた。


男が飛び込んできた瞬間。空気が変わる前の、ほんの一瞬。

そして――その“前”に割り込んだ少女。

(……速かった)

思い出そうとするほど、違和感が輪郭を持つ。

普通の護衛なら、反応は“後”に来る。危険を見て、動く。

でも彼女は違った。

あれは“見てから動いた”のではない。起きる前に動いていた。

華はゆっくりと視線を横にずらす。

紗奈は何事もなかったように座っている。呼吸も乱れていない。手も震えていない。

ただ、静かに窓の外を見ている。


(……なに、この子)

華は笑顔のまま、少しだけ目を細める。


女優としての直感が、ほんの小さな引っかかりを拾っていた。さっきの殺気は“演技”じゃない。でも“現場慣れ”でもない。

もっと違う。


人は普通、守る側に立つとき、迷いがある。一瞬でも躊躇が入る。

でもあの子には、それがなかった。


まるで――そうするのが当然の世界で生きている人間。


華は軽くストローを噛む。

(……この子、普通の警護員じゃない)

そしてもう一段、思考が沈む。

(というより、「普通の人間」として育ってない)


視線を戻す。紗奈は変わらない。

ただ座っているだけなのに、車内の空気の重心が少しだけずれている。

静かすぎる。それが逆に異常だった。


華は笑みを崩さないまま話しかけた。

「紗奈ちゃん、さっきはありがとう」

「はい、仕事ですから」

即答。余白がない。


華はふと、冗談のような軽さで口を開く。

「さっきの、全然怖くなかったの?」

紗奈は少しだけ考えるような間を置いてから、答える。

「恐怖は動きを鈍らせますから」

その瞬間、華の喉の奥が冷えた。


女優として何百人も見てきた。

嘘をつく人間も、強がる人間も、壊れている人間も。でも今のこれは、そのどれでもない。

感情の前提が違う。

華はゆっくりと笑顔を戻す。けれどその内側で、別の認識が静かに立ち上がっていた。

(この子、「人の側にいる人間」じゃない)


 外は夜に近づいていた。車のライトが街を切り裂いていく。その光の中で、華だけがほんの少しだけ、紗奈を見直していた。

華は少しだけ首を傾げる。

「透也さんって、紗奈ちゃんの恋人とか?」

空気がわずかに変わる。

助手席に座った洸樹が前を向いたまま小さく舌打ちする。小さな舌打ちは、警告に近かった。

紗奈は一瞬も間を置かずに答える。

「違います。上司です」

「そうなんだ……でも紗奈ちゃんにだけ優しくない?」

華の声は軽いまま、けれど視線だけが少しだけ鋭くなる。

紗奈は一拍だけ間を置いた。


窓の外へ、視線が淡々と逃げる。

「……チーフから見たら、私は子どもみたいなものだと思います」

それは彼に与えられた役割であり、自分自身に課した檻の鍵だった。本当に思っているかどうかなど、もはや彼女の論理には存在しない。

言葉は丁寧で、整っている。だからこそ、余白がない。

華はその“綺麗すぎる答え”に引っかかる。


(子ども?)

本当にそう思っているなら、その言い方はもう少し軽くなるはずだった。

でも紗奈のそれは、納得ではなく“処理”だった。

華はストローを指先で回しながら、わざと明るく返す。

「ふーん。じゃあ、守ってるってこと?」

「仕事ですから」

即答。その一言で、会話が閉じる。

一瞬だけ、車内が静かになる。エアコンの音だけが、やけに大きい。


華は笑顔を保ったまま、心の中でだけ小さく言い直す。

(守ってる、じゃない)

(“扱ってる”に近い)


そしてもう一つ、言葉にならない違和感が残る。

紗奈の“子ども扱い”という言葉が、どこか自分自身を納得させるための説明に聞こえたこと。


華はそれ以上踏み込まないようにした。

踏み込んだら、戻れない気がしたから。


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