18―VIP身辺警護
――三十六階、ブリーフィング室
TSOのオフィスに緊張が走る。モニターに映し出されたのは、今やテレビで見かけない日はないほどの人気女優、高月華。
彼女の透き通るような笑顔は、S/F社の華やかなCM広告としても街中に溢れている。
「今回のクライアントは高月華、二十六歳。七日間の身辺警護です。撮影現場の移動、外出、ホテル滞在から翌朝のピックアップまでを担当します」
秘書の深見が淡々と説明する。
「……S/F社の看板を抱えるとなれば、ただの護衛じゃ済まないわね」
澪が鋭い眼差しでモニターを分析する。その広告塔を警護する任務は、単なる日常業務の枠を大きく超えている。
透也はデスクの上で指を組み、無機質な表情で指示を飛ばした。
「あぁ、失敗は上層部に直結すると思え。高月華は今、業界のあらゆる野心家から狙われている。ストーカーまがいの過激ファンから、競合他社の妨害工作までな。身辺警護と制圧までが俺たちの仕事だ」
透也の声には、感情の機微がない。
「高月華か……。最近、妙な噂もあるんだな。不審な贈り物が届いているとか、黒い車が停まっているとか。ただの女優の護衛というより、これは……」
洸樹が報告書をめくりながら言葉を濁す。
透也が冷たく言い放つ。
「評価対象の任務だ。失敗は組織に跳ね返る」
透也の脳裏には、先ほど別れたばかりの紗奈の瞳がよぎる。
十八歳になり、自分を突き放し始めた紗奈。そして自分の身体を武器に使い始めた危うい存在。
彼女が自分をどう思っているか、そして自分が彼女をどう変えてしまったのか――
その苦い追憶を、透也は冷徹な任務への没入感で押し殺そうとしていた。
「洸樹、高月華のスケジュールを再確認しろ。特にレセプション会場の見取り図は頭に叩き込んでおけ。マスコミの目もある。失敗はゆるされない」
高月華は、CMのセットからそのまま抜け出してきたかのような完璧な微笑みを浮かべ、透也に丁寧な会釈をした。
彼女の周囲だけが、まるでスポットライトを浴びているかのように華やいで見える。
「1週間、皆さんよろしくお願いします」
「TSOチーフである私が護衛の指揮を取ります。何か懸念材料、不安な事がありましたら、すぐ仰ってください」
透也の返答は、一切の温度を排除した完璧なプロのそれだった。
ここでクライアントとの線引きをはっきり引かなければ、クライアントが暴走する危険性をはらむからだ。
護衛期間が長期化するほど、クライアントは要求が増えていくものなのだ。
彼は淡々と、周囲を固める護衛メンバーを紹介していく。
「近接護衛の洸樹、そして情報解析と環境整備を担当する紗奈だ」
透也が紗奈を紹介した瞬間、華の瞳が少しだけ好奇心に揺れた。
華にとって洸樹は「頼もしそうな男」だが、紗奈は違う。自分とそう年の変わらない少女が、なぜこの冷徹な男の懐刀のような位置にいるのか。
華の中に、女優としての鋭い観察眼と、同年代に対する不思議な親近感が混ざり合う。
華は透也の返答を無視するように、紗奈の方へ一歩踏み出した。
「紗奈ちゃんって言うの? よろしくね。私、今回の撮影の移動中、退屈しちゃいそうで……紗奈ちゃんとお話ししてもいい?」
華は紗奈の腕にそっと手を添え、まるで古い友人に接するような無邪気さで微笑む。
それは、透也の厳格な指揮下にあるTSOという組織の空気を、一瞬で「女の子同士の休憩時間」のような和やかなものに変える計算高い立ち振る舞いにも見えた。
透也は、その二人の様子を無機質な視線で見つめている。
(……高月華。彼女は自分の立場を理解しているのか、それとも、ただの好奇心か)
透也の中で、護衛対象である女優と、自分の護衛であるはずの紗奈が並ぶ姿は、どこか居心地の悪い視覚的ノイズとなっていた
紗奈は華の屈託のない笑顔を見つめながら、背後に立つ透也の視線が、針のように自分の背中に突き刺さっているのを感じていた。
「……はい、高月様。こちらこそ、よろしくお願いします」
「華って呼んで、紗奈ちゃん」
紗奈が小さく頭を下げると、華はさらに嬉しそうに紗奈の手を握る。その光景を、透也は無言で観察し続ける。
透也の事務的な訂正は、華の鋭い観察眼を遮断するための防御壁だった。
「紗奈は他の仕事もあり、あまり現場にいませんが、お見知りおきください」
透也は、紗奈の学業をあえて仕事という言葉でぼかした。
華は少しだけ目を丸くし、揶揄うような笑みを浮かべる。
「そうなの? 紗奈ちゃん人気なんだ。チーフも紗奈ちゃんがいないと寂しいんじゃない?」
その言葉は、透也にとって最も踏み込まれたくない領域だった。
華の女優としての直感が、透也と紗奈の間に流れる、ただの上司と部下では説明のつかない「空気の重さ」を鋭く嗅ぎ取っている。
透也は一瞬、眉間に小さな皺を寄せた。
だが、すぐに完璧な鉄仮面を被り直し、華を遮るように一歩前に出る。
「高月様、そういう訳ではありません。彼でも問題なく、あなたをお守りしますからご安心ください」
透也は隣に立っていた洸樹を顎で示した。
顎で示した洸樹には、華は興味なさげに視線を逸らした。
若い男性はスキャンダルの種になるため、彼女もまたそれを避けているのだろう。
紗奈は、自分のためにわざわざ言い訳をする透也の横顔をじっと見つめていた。
彼にとって、紗奈が他人の掌で動かされ、外部の人間と親密になる光景は、任務上必要なことだと理解していても、どこか神経を逆撫でするものだった。
さっきまで完璧に壁に徹していた洸樹が言う。
「チーフ、やっぱり紗奈を入れて良かったっすね。おかげでクライアントの俺たちへの警戒心が下がった。澪なら明日には喧嘩になってそう」
「……そうだな」
透也の短い返答は、重く響いた。




